#3 市村作知雄(東京国際芸術祭)

現代ドイツ演劇紹介の意味

市村作知雄さん -来年初めに開かれる東京国際芸術祭のラインナップについて、基本的な考え方をうかがい、かなり包括的な説明をしていただきました。これから、いくつかに分けてさらにお話を進めたいと思います。確かにおっしゃる通り、芸術分野において多様な価値観が存在するだけでは新しい文化は生まれなくて、異質なものが接触、衝突することによって、新しい文化的な果実が実ったり演劇的な出来事が生じてきたりするということはまったくその通りだと思います。演劇だけではなく、音楽の分野でもジャズやタンゴ、あるいはサンバやダンドゥット(インドネシア)など西欧の文化との接点で新しい現象が生まれた事例に事欠きません。特に港町が発祥の地になっています。そういう意味で、異質なものが流れ込んみぶつかり合った東欧、特に東ドイツと、中東に生まれてきた新しい動きを日本に紹介する試みは納得できる選択だと思います。今年はドイツからフォルクスビューネを招きました。その前はベルリナー・アンサンブルも呼びましたね。

市村 ベルリナー・アンサンブルは2002年です。昨年はスロバキアからダンスカンパニーを招きました。ヨーロッパといっても、東側の人たちですね。

-東ヨーロッパ諸国といえば、古くはカントール劇団などで知られているポーランドなど、まだ日本に十分紹介されていない演劇がありそうです。そういう企画は今後予定されていないのでしょうか。

市村 呼びたい団体はいっぱあるんです。でも小さなフェスティバルだし、予算的な制約もある。ドイツでは、ルネ・ポレシュも呼びたいですね。彼はフォルクスビューネ付属の小さな劇場プラーターというところで芸術監督をしていて、非常に新しい、過激な芝居を作っています。呼べば評価も高くなると思いますが、いつまでもドイツ一国にこだわっているのも何ですし、ぼくとしてはドラマトゥルクが演劇の重要な要素だということが分かっただけでも、現代ドイツ演劇を紹介した意味はあったと思います。

-今年のフェスティバルで、テーマをドラマトゥルクに絞ったシンポジウムが開かれました。ドイツからドラマトゥルクの2人が参加して討議されましたが、日本側の受け止め方、反応はいかがでしたか。

市村 世田谷パブリックシアターや京都造形芸術大学などは気づいていて、例えば世田谷パブリックシアターの学芸係という部署は、ドラマトゥルクの訳だろうと思います。ドラマトゥルクという肩書を使った時期もあるようですが、まだ本格的に取り組んでいないようですね。ぼくの仕事は制作ですが、日本ではまだ制作とドラマトゥルクという職業が分化されていない。ドイツでも完璧に分化されているとは言えませんが、雑用をしているというイメージではなく、演出家と一緒になって舞台作品を作り出しています。日本ではまだかなという印象を持ちます。ドラマトゥルクの資質もやっと分かりだしてきた段階ではないでしょうか。何でこれまで入ってこなかったのかと思いますけど、アメリカでも当然そういう職業があって、ドラマターグと言っている。

-フランスや英国でも同じ事情ですか。

市村 どうでしょうか。そこまで調べていないので分かりません。はっきりしているのは、ドイツやアメリカではドラマトゥルクが活動しているということです。

孤高の芸術家は近代の産物

-日本の劇団では往々、少数の指導集団や主宰者がいて、演目や配役を決める。特に作・演出も兼ねている場合はほとんど絶対的な権限があり、舞台美術や照明など全般を仕切ります。ほかのスタッフや出演者とのコミュニケーションは演出家に任されている。通常はピラミッド型に収斂されてしまうような構造にあると思います。特に小劇場は作・演出が主宰者と兼ねていることが多いので、先ほど市村さんが指摘した説明責任の問題も、当人の個人的な裁量になってしまいますね。

市村 他人にとやかく言われたくない、思い通りに作りたいということでしょうね。

-ドイツの場合は国の補助もあるし、伝統的蓄積の中で組織としての活動がかなりできあがっている面があるから、個人が専制的な権限をふるう手法が受け入れられなくなって、ドラマトゥルクのような職能が可能になったという側面はありませんか。

市村 最終決定が演出家にあるということは同じですが、逆の言い方をすると、日本の演出家は気の毒で、何でも独りでやらないといけない。もっといろんな人を加えて、協力しながら仕事を進めるやり方ができていない。かわいそうと言えばかわいそう、気の毒ですね。でもいますぐ、日本の演出家にドラマトゥルクを付けようかといっても、そんな面倒なことはできるか、となるでしょう。ドイツと日本と、どちらのやり方がいいか、何とも言えませんけどね。

-ドラマトゥルクの存在によって、演劇の質が変わったとお考えでしょうか。

市村 それは今回だけでなく何度も続けてやらないと分からないのですが、基本的に独りの知識や力でものを作り出すのはもう無理だと思います。昔は「工房」があって、独りでは作っていません。近代社会になって個人が重要視される中で、(演劇も)個人作業になっていった。歴史的な問題だと思います。その元をたどると、特に美術は工房を持って、何人かが共同でものを作っていました。日本の鎌倉時代の彫刻でも、名前は1人しか残っていませんが、1人で作っていないはずです。いま芸術家は孤高の人のように見られて、そういうものだという誤解が広がった。数百年の幅でみると、かえってそれは特殊な形態だったのかもしれません。むしろ共同でものを作り出すという形の方が本来的だったのではないでしょうか。かなり細かな部分まで役者が理解すると、よくみると演技質が変わっている。そういうことじゃないかと思います。ダンスや音楽の方が分かりやすいと思いますが、バレエや音楽は何を踊るか何を演奏しているか分からなくとも技術があれば一応踊れたり弾けたりします。でもその意味が何か分かって踊る場合と、ただ振り付けられて踊る場合は、実は全然違うものができる。ポンと台本渡されて、すぐに稽古に入ってしまう作り方と、ひとつひとつ検証して作る作り方と、どれぐらい差が出るか、これは比べてみないと分からないのですが、役者の細かい演技で変わってくるんじゃないかと思ってます。

-今度新たに創造舎で作る演劇の場で、それを検証したいということですか。

市村 そうですね。ですから阿部さんはもともと、ドイツへ研修に行ってドラマトゥルクの制度を知っているし、高山さんもドイツへ行って学んでいる。ドイツの影響ばかり語ってもどうかと思いますが、日本の演劇は世界的に見て、こう言うと誤解を招きますが、高いレベルにあるとは思えない。その差がどこにあるのか。それ(ドラマトゥルク)だけですべてが変わるとはもちろん思っていません。しかしそれが、その差を縮めるための一つの作業だと思います。いろいろなことを試す必要があります。。

アメリカ現代戯曲は3年がかりで

-来年のフェスティバルではアメリカの現代戯曲を4本紹介するのですが、9・11事件以降に書かれた作品ですね。

市村 そう限定しています。何十本何百本も読んで選ぶだけの態勢がわれわれの側にないので、アメリカ側に4本選定してもらいました。

-選んだ側の意図やメッセージをぜひ知りたいのですね。

市村 選考はただ先方に任せているわけではなくて、われわれも選択の方向を指定しています。9・11以降であること、エンターテインメントを望んでいるわけではないこと、戦争をテーマにしたものだけでも困る、テロやイラク戦争をダイレクトに語った作品を望んでいるわけではないこと、などなどいろいろ伝えています。いろんな作品が紹介できると思います。

-9・11以降の影響がよく取り上げられますが、ベトナム戦争の際はアメリカの社会でも家庭でも個人でも、活動や運動に参加したり身近に見たり聞いたりして、全身で影響を受け止めざるを得なかったような気がします。新しいカルチャーの誕生を含む社会変革の流れが押し寄せた時代でした。いわば「下から」の影響が強かったと言えるのではないでしょうか。しかし9・11以降イラク戦争への流れは、「外から」やって来た事件に「外で」リアクションを起こしているという印象がまだぬぐえません。国というかホワイトハウスというか、政治のパイプラインを通って「上から」ものごとが迫ってくる感じがします。迫る方も受け止める方もパターン化されやすい。このあたりの問題がアメリカの戯曲で表現されているのかどうか、どういう感じ、感覚で受け止められているのか、日本の状況とも照らし合わせながら興味のあるところです。

市村 問題は、イラク戦争などへのメッセージをダイレクトに伝えることではないでしょうね。9・11直後はブッシュ大統領の支持率が9割を占めるほどナショナリズムが盛り上がる状況でした。それがだんだん下がってきて半分ぐらいになる。それでも大統領は再選される。アーチストにとって非常に複雑な過程を踏んでいると思います。そこでどんなものが生まれているのか、生まれていないのか。それを知っておく必要がある。これも3年ぐらい続けて、何かが見えてくればいいと思っています。

-日本の芝居を、にしすがも創造舎で作っていく活動はこれからも続けていくんでしょうか。

市村 ええ、これはずっと継続していきます。

-サラ・ケインの作品を選んだのは?

市村 (演出の)阿部初美さんの要望だったと思います。あの作品はすでに阿部さんが世田谷パブリックシアターのドラマ・リーディングで取り上げているんですね。それがそのままになっていた。阿部さんとは何か不思議な出会いあがって、そういう出会いは大事にしたいと思います。出会いを仲介してくれた東京ドイツ文化センターの山口真樹さんに感謝です。

リージョナルシアター・シリーズも新展開

-次にリージョナルシアター・シリーズを取り上げたいと思います。このシリーズは99年から続いています。昨年2004年のラインナップはとてもおもしろかったのですが、ことし2005年は凹凸があって、選考に苦慮しているような印象を受けました。どういう劇団をどのようにピックアップしているのでしょうか。

市村 苦慮しているのではないかという指摘はその通りです。ちょっと贅沢な話で、1年間に4-5劇団を東京に呼ぶと、5年で20劇団以上になります。在京の劇団でもベストなものを20も選べるかというとなかなか難しい。最初の年は、満を持してやったプログラムでした。MONO、弘前劇場、桃園会、飛ぶ劇場、ジャブジャブサーキットなどですね。こういうレベルの劇団がそんなに全国にあるかと言われると、苦しいですね。われわれに見つける力がないと言われるとそうかもしれないんですが、いろんなカンパニーを招いたので、見落としがあるかもしれませんが、もうこれ以上続けられない。そろそろものを作ることを考えようかなと最近は思い始めています。

リージョナルシアター・シリーズ自体は、クリエーションに関してはそれぞれのカンパニーに任せていました。われわれと一緒に作ったわけではない。ものを作り出す環境をもう少し整えられるんじゃないかと思います。創造舎がありますから、そろそろ変えた方がいい。限界にきていたのかもしれません。

-やはり限界にきていたのですね。次回、次々回でどう展開するのか興味があります。

市村 もう次回の公募が始まっていると思いますが、まずリーディングをして交流を図り、その中から一つを選んでものづくりをしようと準備しています。もう劇団単位にはしてませんから、どの俳優を起用してもいいだろう思います。地方の劇団丸ごと呼んで公演するスタイルはあまり賛成できなくなったという状態です。>>