ルーマニアの演劇祭Temps d’Image Festival

◎表現の自由を獲得したルーマニア演劇
 岩城京子

 「ルーマニアでは若手演劇作家が突然 “出世” することはない」と、現地劇評家ユリア・ポポヴィチは語る。なぜならこの旧共産主義国では、新たな才能を育成するためのエリート・ルートが良きにつけ悪しきにつけ国家により定められているからだ。「ルート」-すなわちこの国では1977年から現在に至るまで「一流の」演劇人を志すものはみな、22年前まで国内唯一の高等演劇教育機関であった国立ブカレスト映画演劇大学への「入学許可証」を得る必要があるのだ。

 入学許可証……、なんだ簡単じゃないかと侮ることなかれ。合格証といっても日本のようにペーパーテストのみで入手できる代物ではない。若者たちはまず「Chant de la Romanie (ルーマニアの歌)フェスティバル」という国家的アマチュア芸術祭でその才能が厳しくふるいにかけられ、そこで認められた精鋭だけが、演出家、戯曲家、舞台美術家、舞台俳優の卵として大学進学を許されるのだ。要はキャリアのスタート時点から彼らは、王朝時代に科挙を突破した中国の官僚のごとく、すでに「出世」しているわけだ。

 そしてこの厳格なエリート教育制度の賜物として、今までアンドレイ・セルバンをはじめとする数多くのルーマニア人演出家たちが、鍛えられ、育まれ、認められてきた。ただし問題となるのは彼らが、文字通り、世界へと飛び立ってしまった事実。

 1989年まで続いたチャウシェスク共産主義政権下では自由な芸術表現(特に政治体制の言説に抗うポリティカルシアター)など許されるわけもなく、多くの才能が国外へと流出してしまったのだ。そのため近年までルーマニアでは、国立劇場での古典作品(シェイクスピア、モリエール、チェーホフ)は政治状況に関わらず上演されてきたものの、現代作家による現代の観客のためのコンテンポラリー・シアターというものは逆に皆無に等しかったのだ。

 前出のポポヴィチによると、2002年に国立ブカレスト映画演劇大学の学生たち数人がその卒業制作舞台で「国立劇作家脚本家協会の代表者であるアイスランドの社会派作家ハヴァー・シグールヨンソンやオフオフ・ブロードウェイでの最長ロングラン作品『Line』の劇作家である米国人イスラエル・ホロヴィッツによる舞台を上演し、一世を風靡したこと」が革命後のコンテンポラリー・シアターのはじまりだという。要するにこの国では、現存作家による現代演劇を上演する歴史がまだ、ほんの10年しか存在しないわけだ。しかし逆に現代演劇が未だ揺籃期にあるからこそ、この国のコンテンポラリー・シアターにはなんとも言い表しようのない勢いがある。

 もちろん経済的には日本同様、インディペンデントな演劇人の懐具合は逼迫している。国からの定期助成もなく、常設小屋もなく、売上収入もあまりなく……、彼らは別口の収入源を持ちながら創作活動に携わっている。ただそれでも彼らからは「自分たちは国の芸術形態を変革しているのだ」という矜持が感じられる。昨年11月16日から19日まで、そうしたルーマニアのコンテンポラリー・シアター・シーンを形作る若手作家たちの作品群を、ルーマニア北西部トランシルヴァニア地方の都市クルージュ・ナポカで開催された「Temps d’Image Festival」にて観劇してきた。本フェスティバルは、2002年にフランスの仏独共同出資テレビ局ARTEとパリ郊外の国立文化施設フェルメ・デュ・ビュイッソンという二つの組織によって創設された国際的プラットフォームを基盤に持つコンテンポラリー・シアターの祭典。パリ、モントリオール、デュッセルドルフ、リスボンなど毎年異なる主催都市(多くは複数都市)で行われ、クルージュ・ナポカでの開催は2008年、2010年につづき、3度目となる。

会場La Fabrica de Pensule
【写真は、フェスティバルの本会場La Fabrica de Pensule。
「Romanian Dance History 3」はここで上演された。photo=Brice Guillaume  禁無断提供】

 大胆にも、32歳の芸術監督ミキ・ブラニシュテはフェスティバル期間10日中5日間を「ルーマニア限定週間」と定め、現代ルーマニア演劇にまつわるレクチャー5本、ダンス作品5本、そして演劇作品6本を世界中から訪れた舞台関係者にむけて披露した。目的は言うまでもなく、ようやく軌道に乗り始めたルーマニア・コンテンポラリー・シアターをより多くの人々に認知してもらうこと。筆者が参加したのは、レクチャー2つ、ダンス作品全5本、そして演劇作品4作。このなかから特に注目すべき作品2作を紹介したい。

 まず1作目は、マヌエル・ペルムスとファリド・ファイルーズが振付を担う『Romanian Dance History 3』。末尾の数字が表すように、本作はいま欧州中のダンス界を「ステージ・ジャック」していると話題のシリーズ第3作目。

 ちなみに前作では世界屈指のダンスフェスである<Tanzquartier Wien>で、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルによる新作『En Attendant』の初日カーテンコールが終わったのち、ペルムス他もうひとりの男性が予告なしに舞台に登場して出口へと向かう観客を呼び止め、そこから作品をゲリラ的に上演しはじめ論議の的となった。ペルムスとファイルーズのこうした大胆不敵な行動の目的は「パフォーミング・アートの権力構造に一矢報いる」ことにある。舞台上には名のある振付家のダンス作品があり、客席には高等教育を受けたブルジョワ客がおとなしく座り、最後にはしたり顔で「お芸術」に拍手を送る。彼らは、そんなもん糞喰らえ、とまるで60年代米国の「パフォーマンス」アートの異才たちよろしく、お芸術の枠組を威勢良く破壊する。

 もちろん筆者が観劇した最新作でも、彼らはこの「舞台-観客」の関係性の転覆構図を採用。上演時間45分中、観客は当惑しつづける……というより、完全に演者に「シカト」されつづけることになった。

 上演開始とともに、こまばアゴラ劇場ほどの小さな舞台上に、ファイルーズが普段着で現れマイクを持って一言:「ルーマニアの社交ダンスについてもっとよく知ろうぜ」。そしていきなり大爆音で数年前からルーマニアのポップスシーンを席巻している「ジプシー・ポップス」という軟派なクラブミュージックが流れはじめる。舞台上の10人ほどのダンサーたちは、まるでクラブにいるかのように音楽に乗って体をゆったり揺らしはじめる。1曲目が終わると客席からはまばらな拍手、だが彼らは気にもせず、2曲、3曲、4曲と踊りつづけていく。次第に拍手という「儀式」が会場から消滅し舞台上は完全にクラブ化、男性ダンサーが女性ダンサーを口説き始める。背後に流れる歌詞は「俺はビッグになるぜ、金持ちになるぜ」というラップによくみられる俗な内容。「教育された観客たち」はこれにどう反応していいものやら、とそわそわし始める。だがあるとき、数人の勇敢な観客が「クラブ」に参加して踊りはじめると、そこはもはや演者と観客のいる「劇場」ではなく、ひとつの社交目的のダンスを楽しむための「クラブ」となる。まさに、ルーマニアの「ソーシャル」ダンスが披露されるというわけだ。

「Romanian Dance History 3」公演の舞台写真1「Romanian Dance History 3」公演の舞台写真2
【写真は、「Romanian Dance History 3」公演から。photo=Sanziana Craciun 禁無断提供】

 「果たしてこれはダンス作品なのか?」。上演終了後、観客からは疑問と不満の声があがる。だが40年以上前、グロトフスキーが劇場文化の中心にはつねに「演者-観客の関係性が存在する」と語った有名なマニフェストを参照するなら、彼らの作品は完全に「シアター」の枠組みに包括される芸術だと言えるだろう。

 紹介したいもう一つの作品『Heated Minds』は、打って変わって非常に硬派かつ直球勝負のキュメンタリー演劇だ。本作の演出家であるデヴィッド・シュワルツ(脚本はエイドリアン・クリステア)は、85年生まれの国立ブカレスト映画演劇大学の卒業生。ここではシュワルツの選んだたった一人の役者が30人のキャラクターを見事に演じわけ、上演時間100分の「ひとり政治芝居」を展開する。内容は、ルーマニア史にある程度の予備知識がないと字幕があれどもやや難しい。

 簡単に説明するなら、ここで主題となるのはチャウシェスク独裁政権崩壊直後に勃発した「ミネリアード」と呼ばれる炭鉱夫たちの暴動。ルーマニア国民のあいだではいまだに、チャウシェスク失墜後に大統領の座に就いたイオン・イエリスクはじつは前任者以上の「不可視な独裁者」であったのではないかとの憶測がまことしやかに囁かれているのだが、その最大の根拠となるのがこの暴動にまつわる「自作自演疑惑」。あまり日本では知られていないが、この国では革命後も政治中枢機関に旧共産党政権の幹部たちがそのまま居座り(どこの国の政治家も権力にしがみつくのは同じ)、それに腹を立てた大学教授や作家などの知識層が抗議運動をはじめたのだ。それを目撃したイエリスク大統領は革命後の政治展開に協力しない「反抗分子たち」として彼らを弾劾するため、政府を盲目的に支持する田舎の炭鉱夫たちをけしかけ、炭鉱夫と知識層の激しい衝突を「演出」したと言われているのだ。

 もちろん、当時の炭鉱夫たちにインタビューをすれば彼らは自分たちは間違いなく「正義」の行動を取ったと語り、知識層に取材をすれば彼らは自分たちこそが「正義」だと論駁する。果たして「真実」はどこにあるのか? 舞台上では、詩人、ロックミュージシャン、炭鉱夫、大学教授、ジプシー、イエリスク大統領、など30人の「真実」を1人の役者が語りつづける。それらの言葉はどれも等価に貴重であり、同時に誰の言葉も等価に不毛に聞こえる。まさに10年前のルーマニアではあり得なかった、直裁的なコンテンポラリー・ポリティカル・シアターだといえる。

「Heated Minds」公演の舞台写真1「Heated Minds」公演の舞台写真2「Heated Minds」公演の舞台写真3「Heated Minds」公演の舞台写真4
【写真はいずれも「 Heated Minds」公演から。photo=Diana Dulgheru 禁無断転載】

 00年代以後に登場したこれら「ニュー・ルーマニアン・ドラマ」と呼ばれる若手世代の演劇は、近年映画界でも話題の「ルーマニアン・ニュー・ウェーブ」との共通点も見受けられる。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したクリスティアン・ムンジウ監督の『4ヶ月、3週間と2日』に示されるように、若きアーティストたちは革命から20年が経過し、ようやくアクセスが自由となった「真実」を素材にとり、ドキュメンタリー演劇・映画を創作することに喜びを感じているのだ。五月革命後のフランスしかり、ベルリンの壁崩壊後のドイツしかり、いつの時代どの場所でも、抑圧や、軋轢や、圧政が蔓延した場所からは必ずその反作用として力のある芸術が生まれる。ルーマニア演劇界はまさにいま、その反作用の大波が押し寄せる怒濤の勢いの時代にある。

【筆者略歴】
 岩城京子(いわき・きょうこ)
 アートジャーナリスト。77年、東京都生まれ。86年から91年までニューヨーク在住。99年慶応義塾大学環境情報学部(SFC)卒業。在学中より舞台コラムを書きはじめ、現在はパフォーミング・アーツを専門にしたジャーナリストとして活動。世界14カ国で取材を行う。2010年、神奈川芸術劇場クリエイティブ・パートナー就任。2011年9月よりロンドン大学ゴールドスミスカレッジ修士課程演劇学科在籍。現在、東京とロンドンを拠点に和英両文で執筆活動を行う。2011年11月、和英バイリンガル書籍『東京演劇現在形 — 八人の新進作家たちとの対話』出版。2012年5月開催予定のベルリン、テアター・トレッフェン演劇際に英文ゲストジャーナリストとして招聘される。

【参考情報】
Romanian Dance History 3 (Social Dance)
17.11.2011 19:00
Locatie: Sala Mica, Fabrica de Pensule
Running Time:45′
Artisti:Manuel Pelmu, Farid Fairuz & Guests

Heated Minds
19.11.2011 18:00-
Location : Radu Stanca Studio, Faculty of Theatre and Television
Running time:100′
Director: David Schwartz
Interpretation: Alexandru Potocean
Scenography: Adrian Cristea
Sound/Music: Ctlin Rulea
Video: Cinty Ionescu
Playwright: Mihaela Michailov
Production: Centre for Visual Introspection and tangaProject and TangaProject
international festival “Temps d’Images” in Cluj


「ルーマニアの演劇祭Temps d’Image Festival」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: Naoki Hasegawa
  2. ピンバック: 微妙
  3. ピンバック: おち

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください