壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」

◎小林秀雄先生、来る!?
村井華代(西洋演劇理論研究)

「小林秀雄先生来る」公演チラシ「『玉勝間』という本の中にあるんですがね。「考える」の「か」は発語です。何も意味がない添えた言葉です。とすれば「考える」は「むかえる」だ、と言うんです。「むかえる」の「む」は「身」です。身はこの身体です、自分の体です。そして「かえる」の古語は「かう」です。「かう」って言葉は交わるって意味でしょ。だから「考える」とは、自分の身が何かと交わるってことなんです。」
これは、壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」の劇中おこなわれた小林秀雄の講演のなかにある言葉で、聞いたとき、いい言葉だと心に残ったのであるが、終演後、新宿東口の辺りのアルタやらルミネやらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然このセリフが、舞台芸術そのものの核心である様なふうに心に浮かび、言葉の節々が、まるで待ちかねた出会いであったかの様に心に滲みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、マックでメガたまごを喰っている間も、あやしい思いがしつづけた。

…などと「無常という事」風に文章を始めてみたが、実際、今になってあのセリフがしきりに気にかかる。小林秀雄についてさほど真摯に「考える」機会なぞなかったが、劇場であの語り手の「身」に「交う」と、随分すんなりとその言葉が聞こえてくる。なるほど「考える」とはすべての人にとって肉体的な経験である。が、なかでも俳優や劇作家というのは、描く対象を考えて考えて、その「身」の「交わり」を己の行為として露出する職業であって、彼らの「身」に「交う」観客の肉体もまた、その「交わり」に加わっている。

さて今回の公演は原田宗典による戯曲(初演2003)の再演。「壱組印プリゼンツ」は、近年では『相棒』の三浦刑事としておなじみ大谷亮介が2002年に立ち上げた劇団で、1996年活動休止に至った「東京壱組」が再開というかたちになっている。

筆者は初演を見ておらず、壱組印も初見だが、上京したばかりの1992年には大谷亮介の舞台を選んで足を運んでいた。最初はベニサン・ピットで見た劇工房ライミングの『プリマスの黄金』で、これが面白かった。サンモールでの壱組公演『夏の夜の夢』も爆笑だった。グローブ座の『ウィンザーの陽気な女房たち』は今まで見た日本のシェイクスピア喜劇で最高と言えるほど楽しかった(演出は先月末に逝去された安西徹雄先生。この場を借りてご冥福をお祈り致します)。そのうち金が尽きて劇場通いを躊躇している間に東京壱組は活動を休止してしまったが、大谷が演出・出演する舞台には「ある種の」品のよさと温もりがあり、他とは比べられない独特の味があったように思う。
それで、今回は何を見ようかというときに、久々に大谷の舞台を選んで見に行ったわけである。

昭和57年、青森県西津軽郡の小さな港町、カフカ浦。記念すべき第100号の発刊を目前に控えた文学同人誌『津軽大學』では、記念イベントの構想に余念がない。同人は全員25歳厄年、編集代表で書店兼雑貨店主の小林瀧二(草野徹)、国鉄職員小林一佐(藤崎卓也)、漁師坂口万吾(水内清光)、郵便局員萩原作太郎(さとうこうじ)、遅れて高校生三島郁男(大塚健司)。思案の結果、会で積み立てた30万円をはたいて「文学の神様」小林秀雄に記念講演を依頼することになった。「こんな田舎に来てくれるわけがない」と言われながらも、夏、瀧二は可能な限りの丁重さで手紙をしたためる。
と、翌年一月、何と講演承諾の返事が届く。講演前日の2月28日、カフカ浦駅には異様な緊張に包まれた同人たちが「神様」の来臨を待ちわびていた。果たして本当に小林秀雄先生は来るのか…。

ここにフィリピン人女性マノン・レスコー(伴美奈子)が加わり、恋と文学と友情の挟間で燃える同人たちのドタバタで時間は進む。作太郎が八戸のパブから連れてきたマノンは、その名の示す通り、悪気なく複数の男と関係を持ってしまう。作太郎から瀧二へと鞍替えしたにとどまらず、他の同人たちにも色気を見せるマノンのおかげで、男たちの友情は風前の灯火である。
しかし、そうした数々のトラブルも、この劇においてはすべて後景であり序奏でしかない。というのは、この舞台のモチーフでありクライマックスであるのは、小林秀雄の講演そのものであるから。

結論から言えば、小林秀雄(大谷亮介)はカフカ浦駅に現れる。狂喜した同人たちが酒だ肴だと歓待を尽くすなか、作太郎だけが冷淡に、あれは偽物で詐欺師だと主張する。むべなるかな、翌朝目覚めてみれば先生とマノンの姿がなく、謝礼の30万も消えている。実はあの返事自体、作太郎が瀧二への意趣返しに書いた偽物だったのだ。
ところが、講演開始時間直前、何事もなかったかのように二人は戻ってくる。
ここに至っても、観客はこの小林秀雄を名乗る人物の正体を確定できない。本当に詐欺師なら、講演が始まれば馬脚を現すだろうが、少なくとも酒を飲みながら彼が話していることは、一般的に知られた小林本人のようだった。それにマノンと宿を抜け出しておきながらイタコを訪ね、「本居宣長に会いたい」なぞと言った。しかしあの返事が偽物であった以上、本物がここにいるはずがない…。
観客にも同人にもよくわからないまま講演の本番が始まり、劇場は公民館、客席は会場に集まった聴衆という見立てになる。舞台上、「小林秀雄先生 雑談会」と紙を貼った木箱の机と椅子に着き、謎の人物は淡々と語りだす。

ここからの講演が、先に述べたようにこの劇のクライマックスである。
劇中に講演が使われる方法として思い出されるのは、例えばイプセンの『人民の敵』のように、講演が劇を急展開させる強力な場面として設定されたり、あるいはチェーホフの『タバコの害について』のように、そのままモノローグ劇になったりする場合だ。が、『小林秀雄先生来る』の場合、特異なのは、講演内容そのものは他の場面から独立しているということ、しかも劇全体の構造に占める地位がもはや主役級であるということだ。これは単なる挿入というレベルではなく、ひとえにこの講演の言葉の魂を肉体化するためだけに劇の舞台や無関係な他のプロットが用意されたといっても過言ではない。
講演の内容は、本物の小林秀雄による講演CD(新潮社)からの抜粋・再構成である。劇場受付で当のCDが二巻売られていたので「本居宣長」と題された方を購入、帰宅後さっそく聴いてみた。すぐに、この戯曲が書かれた直接の動機は小林秀雄に対する文学的関心ではなく、この講演の語りであると知れた(パンフレットでも原田はそう告白している)。江戸っ子らしいぶっきらぼう、それでいて明晰な口跡で、語り手の「生」の感触がそのままに伝わってくる。昭和49年の録音だが、現代ではその批評の穿たんとするところがより明瞭になっていることにはっとさせられる。例えば、原田の戯曲台本を借りればこうである。

だから諸君、もう申し上げるまでもないけれども、今日優勢になっているのは、この「理」にくわしくない「理」でしょう。つまり「実用の理」でしょう。今日実用のための「理」というものは大変に発達していますね。その一番先にコンピューターってものがある。コンピューターは「理」はくわしくないんですよ。細かくはなってるけれど、くわしくはなっていないんです。……
みんな「理」がくわしくないんです。本当に「考える」人がいないんです。この全身をもってね、感覚も意志も感情も全部をひっさげて「物」に向かって、これを思い、これを思うってことがなくなっているんです。ただ「理」にたよって、効果がある「理」にたよって、実用的な「理」にたよってものを考えるんです。そういうふうにものを考えれば、必ず有効なものの考え方をします。それが僕らをみんな圧迫してるじゃないか。……

ところで大谷の演じる「小林秀雄」は、本人に似ているわけではない(恐らく似せる気もない)。しかし、長い、それでいて猛烈な求心力のある講演の場面を見ているうちに、ふっと本当にこの人物の講演会を聞きに来たような心持ちになって、聞き入った。大谷本人がイタコとなって小林秀雄の魂を降ろした、などと書けばそれらしいが、この言葉を語る大谷の「身」の大きさ、強さはイタコの比ではない。これはいわば小林秀雄という批評家と、原田宗典という作家と、大谷亮介という俳優の三位一体の「身」であって、誰が欠けてもマズくても、この場面は成功しなかっただろう。「何か質問ないですか」と言われて我に帰ったが、演劇とか俳優とか、やはりどうにも不思議なものだという思いが改めて湧き上がってきたのである。
冒頭に挙げた「身‐交う」のくだりは、次のように続く。

向こうの人はこっちへ来るんです。こっちの人は向こうへ行くんです。両方の身が交わるんです。そこで「身」「交う」んです。両方の身が交わるんです。これが人間と人間との、本当の生まれながらの関係なんです。

それで気がつく。この劇は、たとえ時間や地理上の距離に隔てられているとしても成立する、人間の「本当の生まれながらの」直接の身体的コミュニケーションの劇であると。津軽と東京が離れ、この世とあの世が離れ、昭和57年と今日が離れ、小林秀雄と本居宣長が離れ、小林秀雄と大谷亮介は全くの無縁の他人であるとしても、それらの距離はこの劇の中ではすべて乗り越えられているのである。
だからこそ、津軽とマニラが遠く離れ、マノンが病気の息子に会いたくとも帰れないという事情があっても、劇の最後にその障壁は取り除かれ、彼女はマニラに帰れることになる。もちろん現実はれほど都合良くできてはいないので、これは一種のおとぎ話でしかない。が、そうしたおとぎ話を舞台上で現実にしようというのが、この劇の世界なのである。

ところであの謎の人物の正体は何だったのか、最終的なネタバレはやめておこう。戯曲は『新潮』5月号に掲載されているので、バラされたい場合は参照してほしい。ヒントは講演当日の日付である。
大谷以外の俳優もみな達者。特にマノン役の伴美奈子(扉座)は、けばけばしいメイクにフィリピンなまりと津軽弁がブレンドされた変な日本語で、ややもすると形骸的なコントになりそうな役柄だったが、圧倒的な説得力で愛らしい人物造形に成功していた。

余談だが、これを書くために、劇場で買わなかった小林秀雄講演のもう一枚のCD「信ずることと考えること」(冒頭の文言はこちらに収録されている)を近隣の図書館で借りようとしたらどこも貸し出し中だ。予約まで数件入っている。ようやく電車で30分先の与○図書館でカセット版を見つけたが、この舞台の影響としか思えない。『小林秀雄先生来る』でちょっとした「小林秀雄ブーム来る」…かもしれない。

「毎日新しく幕があく。役者はその日その日の出来不出来で、気心の知れぬ見物と協力して、まことに不安定な、脆弱な、動きやすく、変わり易い、又それ故に生きている世界を作り出す。芝居は其処にしかない。」-小林秀雄「役者」。(観劇日:6月3日19時)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第98号、2008年6月11日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
村井華代(むらい・はなよ)
1969年大阪府生まれ、愛媛県育ち。共立女子大学講師。西洋演劇理論全体を視野に入れて「演劇とは何か」を模索中。『現代ドイツのパフォーミングアーツ-舞台芸術のキーパースン20人の証言』(共著、三元社、2006)など。
・wonderland 寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/murai-hanayo/

【上演記録】
壱組印プリゼンツ『小林秀雄先生来る
新宿THEATER/TOPS(2008年5月28日-6月4日)

作:原田 宗典
演出:大谷 亮介

ナレーション:二瓶 鮫一
音楽:野田 晴彦
美術:野口 毅
照明:富松 博幸
音響:二木 くみ子
音響協力:響屋スタジオ・安良岡 茂
衣裳:三茶小町
ヘアメイク:近藤 澄代
舞台監督:山松 由美子
歌唱指導:満田 恵子
衣裳助手:小野 康子
稽古場助手:山本 了(同居人)
宣伝写真:塩谷 安弘
宣伝美術:鈴木 勝(FORM)
票券:橋本 あすか
制作:津田 はつ恵
プロデューサー:有本 佳子
協力:新潮社
SOMEYA・本舗
扉座
MY Promotion Inc.
大沢事務所
ヒューマンスカイ
賢プロダクション
アクセス・パブリッシング
大谷 薫平(ふぁーすとくらす)
杉山 祥
中野 良恵(team BooGie)
特別協力:平澤 和夫(東京カレンダー)
制作:プリエール
企画・製作:壱組印

【関連情報】
小林秀雄先生「再び」来る-大谷亮介・草野徹インタビュー


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