女魂女力「しじみちゃん」

◎告発し続ける「想像力の欠落」
高木登

女魂女力「しじみちゃん」公演チラシAVにさしたる興味もなく、したがって持田茜の存在も知らず、作・演出のニシオカ・ト・ニールがどのような才能かもわからず、ただ自分のところの次回公演に出演してくれる女優が出ているからという理由だけで観に行った女魂女力 其の壱『しじみちゃん』は本年最初の佳作だった。これを拾い物という。

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MU「神様はいない」「片想い撲滅倶楽部」

◎「ビジネス」と「演劇」貫く世界の肯定
高木 登

「神様はいない」「片想い撲滅倶楽部」演劇はビジネスである。少なくともそのはずである。規模の大小にかかわらず主催者は数千円の入場料を観客から徴収している。劇場には決して安くない使用料を払い、スタッフにもギャランティを払い、公演ごとにはそれなりの金額が移動する。これは立派な商行為である。

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龍昇企画「モグラ町」

◎ダメな男たちが奏でる、ユルい漱石的シェイクスピア的日常
高木 登(脚本家)

「モグラ町」公演チラシ男がダメだと思う。統計を取ったわけでもなんでもないが、それはもうけっこう以前からの実感で、自分自身が相当ダメだと思っているのに、そんな自分から見ても相当ダメな男が多いのだ。妬む、やっかむ、ひがむ、拗ねる。それが露骨に透けて見えるから、こちらも疲れる。そうした連中への憎しみをもって何本か芝居を書いたこともあるが、そうそう現実が変わるわけもなく、ダメな男は依然ダメなままだ。

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パラドックス定数「東京裁判」

◎物語へのアンビバレンツを超克 成熟と未来を示唆する重要公演
高木登(脚本家)

「東京裁判」公演チラシ先般、NHK-BS2の「深夜劇場へようこそ」に出演したチェルフィッチュの岡田利規はこう言った。
「坂手(洋二)さんみたいに(社会的な問題に)コミットするのは自分にとって嘘になっちゃうんで」
林あまりから坂手洋二や鐘下辰男などの先行世代にくらべ、岡田の社会問題のとらえ方、表現の仕方が相当異なっているという話を振られてのことである。

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THE SHAMPOO HAT「その夜の侍」

◎現代の不幸に敏感な作家が描く不幸と成長
高木 登(脚本家)

「その夜の侍」公演チラシ初見は第十一回公演『蠅男』(2001年10月)である。チラシが素敵だったのと、遊園地再生事業団の制作者だった永井有子が同ユニット活動休止中に制作をしていると聞いた劇団だったので、これはまちがいなかろうとスズナリに足を運んだのだ。結果は当たりで、正気と紙一重の狂気、現実と紙一重の虚無をシニックな笑いで包んだ傑作だった。虚無の深淵を垣間見せることのできる才能は少ない。それはたとえば作家でいうと深沢七郎とか色川武大らのことであり、才能というよりはむしろその実存に拠るところが大きい。赤堀雅秋はその種のひとなのだった。

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ブラジル「天国」

◎「社会」を喪失した社会人の悲喜劇
高木登(脚本家)

ブラジル「天国」チラシ舞台上には地方都市の居酒屋のセットがリアリズムで設えられている。美人のマヤ(山田佑美)という若女将が営むこの店に訪れるのは、近くの自動車工場で働く期間工たちである。彼らは実に他愛ない話で盛り上がり、子どものようにはしゃぎあう。だが労働の実態は過酷で、彼らがそれぞれに抱えた事情もなにかと複雑のようだ。期間工のサトウ(西山聡)は、マヤがかつての自分の知り合いの女・カズミが整形した姿ではないかと疑っており、物語が進展するにつれて、それはどうやら事実であることがあきらかになる。サトウはかつておなじ期間工のトモノ(辰巳智秋)と共謀し、カズミの亭主殺害の隠蔽に手を貸したことがあるようなのだ。そして偶然の出来事であるかのようにされていたその殺人は、実は保険金目当ての計画的なもので、サトウもトモノもカズミにいっぱい食わされたのであるらしい。

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東京デスロック「再生」

◎身体によって発想された身体による物語
高木 登

「再生」公演チラシ(表)多田淳之介は「今回見つめ直すのは『物語』」であると書く(本公演チラシ裏)。「僕としては希望を描いたつもりです」とも書く(当日パンフレット)。だがここには一般的に期待されよう「物語」も「希望」もない。見えない。すくなくとも表層的にはそうで、ならばそれはどこにあり、どこに込められているというのか。

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