MU「神様はいない」「片想い撲滅倶楽部」

◎「ビジネス」と「演劇」貫く世界の肯定
高木 登

「神様はいない」「片想い撲滅倶楽部」演劇はビジネスである。少なくともそのはずである。規模の大小にかかわらず主催者は数千円の入場料を観客から徴収している。劇場には決して安くない使用料を払い、スタッフにもギャランティを払い、公演ごとにはそれなりの金額が移動する。これは立派な商行為である。

けれどわれわれは演劇がビジネスにならないことを知っている。小劇場界は特にそうである。なにをどう足掻いても黒字にはならない。全公演が満席であっても利益は上がらない。役者は薄謝かノーギャラ、場合によってはノルマを課され、主宰の持ち出しは常套。これをビジネスとは到底呼べぬ。

愚痴が言いたいわけではない。こんな話からはじめたのは、「ビジネス」と「演劇」の間隙を埋めることがそのままMUとハセガワアユムを論ずることになるのではないかと思ったからである。以下、その隙を埋められるだけ埋めてみる。

まずMUのサイトを見てみよう。洗練されたデザインに、細かいフォントがびっしりとならぶ。書かれているのはアピールであり、惹句である。気取りもなく、気負いもなく、平明で素直な言葉でMUと自作を宣伝するハセガワアユムの言葉がつづられている。劇団関連のサイトは数あれ、ここまで過剰に言葉がならんだものはあまりない。かといって、この過剰さには嫌味も異常さも感じない。あるのはただ観客を集めたい、作品を観てほしいという、公演を打つものが誰でも願うシンプルであたりまえな思いの発露である。べつだん、めずらしくもないと思われるかもしれない。どこの劇団のサイトを見たって、惹句もあれば集客の意志もある。それはそうなのだが、たいがいのそれはなにかしらかまえすぎていたり、ズレていたり、はぐらかしていたり、決まっていなかったり、ようはどこか素人くさいものだが、MUのそれはハセガワアユムの作風と違和感なく伴走している。制作的言辞と創作的言辞の幸運な一致が見られる。これはもっと嫉妬されて良い。作品や集団の「売り方」にさんざん頭を悩ましてきた自分は、すくなくともハセガワアユムの在り方をうらやましく思う。

「神様はいない」公演

「神様はいない」公演
【写真は「神様はいない」公演から 撮影=石澤知絵子 提供=MU 禁無断転載】

ハセガワアユムの作風とはどういうものか。本年五月の短編二本立て、そして今回の長編二本同時上演を観たうえで言えば、きわめてなまなましい現代風俗や人びとの生態を、超虚構的な状況下で描いていくというものである。『神様はいない』のヒロインは「受賞歴なし」「重版なし」「トラウマなし」の小説家である。こういう人はいる。彼女の住む実家は新興宗教の勧誘を受け、ついにはそこの傘下となる蕎麦屋である。こういう蕎麦屋はある。ここには異教の神を信ずる外国人留学生が働いている。こういう人もいる。だが、これらすべての要素がひとつになったとき、こんな状況はそうそうありえないものとなる。

『片想い撲滅倶楽部』の舞台は結婚相談所である。女社長の元恋人が連れてきた愛人は人の「運命の赤い糸」を見ることができる霊能力者である。常連客には自殺未遂をし、抗うつ剤が手放せないアイドル声優がいる。そんな相談所はまず存在しない。それぞれのキャラクター、彼らの状況や内面は現代的でわれわれに近しいものだが、それらが組合わさったとき超虚構的物語が生じる。

「片想い撲滅倶楽部」公演
【写真は「片想い撲滅倶楽部」公演から 撮影=石澤知絵子 提供=MU 禁無断転載】

ハセガワアユムはおそらくリアルはリアルで重要だが、ただリアルなだけの演劇に違和感を覚えているのだと思う。リアルと虚構の危ういバランスを保ちながら、最後の瞬間には虚構を選択している。戯曲も演出もときにバランスを失し、あるいは演者の技量がそれを支えきれず、そうした試みのすべてが成功しているとは言えない。だが、そんなに「リアル」がよければ庭を眺めていればいいと考える自分は、ハセガワアユムの試みを素直に評価したい。

紙数が尽きそうなので結論を急ぐ。『神様はいない』のヒロインは、どしゃ降りの雨に宗教的な意味を見ている兄たちに「……雨は雨だよ、それ以外の意味なんてない」と言う。世界を否定し、あらたな価値観で見直そうとする視点こそを否定し、あるがままに世界を受け入れることを促す。『片想い撲滅倶楽部』のヒロインは運命の赤い糸が見える霊能力を受け継ぎ、自分を含めたまわりの人びとが意外や赤い糸で結ばれまくっていることを知る。だが元恋人の愛人である霊能者の女性は、実は元恋人とは赤い糸では結ばれていないという。それでも一緒にいたいからいるのだと。これはつまり赤い糸の否定である。ラストでは実体を持って表現される赤い糸にからまれまくっている俳優たちが愉快だが、ヒロインは「うわ、面白い。全然気付かなかった」と笑い、赤い糸が存在してもさしたる意味は持たない「あるがままの世界」を受け入れるに到る。両作は悲劇的結末と喜劇的結末に別れるが、根本的に描いているものはひとつ、それは「世界の肯定」である。

それがなぜ「ビジネス」につながるのか。ビジネスは世界を否定していてはできないからである。世界を肯定する意志において、MUの、ハセガワアユムの制作的言辞と創作的言辞は一致している。実作だけでなく、制作面においても作家性があらわれている。商魂ではなく、芸術作品をあたりまえに世の中に流通させようとする意志において、ハセガワアユムはたくましい。より強く、より攻撃的にその表現が深化されることを願う。さらにはその意志がより遠く、より広く伝播することを願う。
(初出:マガジン・ワンダーランド第162号、2009年10月21日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
高木登(たかぎ・のぼる)

1968年7月、東京生まれ。放送大学卒。脚本家。テレビアニメ「TEXHNOLYZE」「地獄少女」「バッカーノ!」「デュラララ!!」などを手掛ける。2009年8月より演劇ユニット「鵺的(ぬえてき)」主宰。旗揚げ公演「暗黒地帯」を作・演出する。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takagi-noboru/

【上演記録】
MU 長篇二本同時上演『神様はいない』/『片想い撲滅倶楽部』
2009年9月.10日─13日 新宿シアターモリエール
作・演出 ハセガワアユム

『神様はいない』出演
小林至(双数姉妹) 寺部智英(拙者ムニエル) 長谷川恵一郎(くろいぬパレード)杉木隆幸 橋本恵一郎 芦原健介 カトウシンスケ(、、ぼっち)足利彩

『片思い撲滅倶楽部』出演
堀川炎(世田谷シルク)佐々木なふみ(東京ネジ)石川ユリコ(拙者ムニエル)辻沢綾香(双数姉妹)大久保ちか(FuncAScamperS009)川本喬介(はらぺこペンギン)浅倉洋介(風琴工房)松下幸史(動物電気/乱雑天国)元吉庸泰
(エムキチビート)成川知也

舞台監督:松澤紀昭 照明:河上賢一(La Sens)
音響:佐藤春平
舞台美術:袴田長武+鴉屋
演出助手:浜松ユタカ(動物電気)
宣伝美術:イシイマコト [united.]
フライヤー・舞台写真撮影:石澤知絵子
制作協力:林みく(karte)
企画/制作:MU

前売3000円/当日3500円 全席指定席
2公演共通セットチケット5000円(数量限定)

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