東京芸術劇場「God save the Queen」

◎新しい女性性を巡って(鼎談)
 落雅季子+藤原央登 +前田愛実

 2011年に大きな話題を集めた芸劇eyes番外編「20年安泰。」。ジエン社、バナナ学園純情乙女組、範宙遊泳、マームとジプシー、ロロの五団体が、20分の作品をショーケース形式で見せる公演でした。それに次いで今年9月に上演されたのが、第二弾「God save the Queen」です。今回の五劇団を率いるのは、同じく若手でも女性ばかり。そのことにも着目しながら、この舞台について三人の方に語っていただきました。(編集部)
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ままごと「スイングバイ」

◎ロマンティストとしての柴幸男
藤原央登

「スイングバイ」公演チラシ『わが星』『スイングバイ』と、柴幸男が紡ぎ出した2つの劇世界に触れた私が抱いたのは、この人は壮大なロマンティストなのではないかということである。
27歳という若さで岸田國士戯曲賞を受賞したことにより、過大な評価を背負って今後の演劇活動を続けねばならないだろうということは容易に想像がつく。表象された劇世界を一見すれば分かるように、ラップ音楽の取り入れと、そこから派生するループやサンプリングを発語や場転にも利用し、リズムを湧出させる演劇手法は発明だといえる。今回の受賞は、こういった方式が演劇の基本構造を転換させ、新たな段階へと舞台芸術を進めるのではないか、という願望が込められたものでもあろう。もちろん、単なる目新しさで終わる可能性もある。その目新しさに、一時的に目が眩んだだけだったという様に。

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東京デスロック「演劇LOVE 2009~愛のハネムーン~」(LOVE 2009 Kobe ver.)

◎自足的世界から現在に投企する 前後半を結ぶ「LOVE」
 藤原央登

 舞台作品を創るために、その担い手達の関係性がいかに濃密で、意思疎通の取れたものであるかどうかは非常に重要である。その成果は、制作面での効率の良さや、舞台での均整のとれたアンサンブルとして表れる。だが濃密な関係は、外部性が欠如し自足した小宇宙を形成する悪しき方向へ進むことがままある。そして、それを優しく承認する受け手が馴れ合いという意味での他者不在の単一自己を完成させてしまう。プロかアマか。演劇に限らず芸術に胎胚し、分かちがたく関連するこの背反要素からは逃れることができない。だからこそ創り手には、自己満足的に完結しがちな劇集団という制作工房を常に今現在と切り結ばんと進んで投企する意思が必要となる。加えて受け手側、少なくとも劇評をものする者は創り手の意思を丹念に掬い上げ、時に方向を修正し自覚させるくらいの気概がなければならない。

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七味まゆ味一人芝居「いきなりベッドシーン」(柿喰う客企画公演)

◎「あえて」演劇を引き受ける背反的意思
藤原央登(劇評ブログ「現在形の批評」主宰)

チラシ写真撮影:内堀義之幕開け、素舞台で「清水の舞台から飛び降りた」とテンション高くアクション付きでカットイン。以後およそ50分に渡って鷲津神ヒカルというケバケバしいメイクを施した女子高生の、入学時から2年生の修学旅行までの高校生活の顛末を、速射砲のようにギャグを交えながら話し続ける。終始、冒頭のテンションを崩すことなく、言葉に憑かれたように小気味よいテンポと節回しで駆け抜けた女子高生を演じたのは、柿喰う客という集団の女優、七味まゆ味。大阪は一日だけ公演されたこの一人芝居は、久しぶりに役者体の魅力を余すところなく体感できた舞台であった。

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Monochrome Circus「The Passing01-03 WASH」

◎内と外が激しく渦巻くイメージ 全体を貫くのは意味世界かダンスか
 藤原央登 (劇評ブログ「現在形の批評 」主宰)

 己が身体を拠り所に世界のある断面を切り取り、そこに全てを凝集し且つ抽象化を施して、舞台上に書き付ける。パフォーマンスやコンテンポラリーダンスの担い手とはいわば身体を一つの焦点に、世界全体のバイアスを進んでまるごと引き受ける者のことを差す。時として文字(台詞)の意味内容から構成されるテクストが紡ぎ出す文脈以上の直截性を持ち得るのは、身一つで茫漠とした荒野にそれでも立ちつくそうとする意志を滲みだす身体の純化された姿があるからだ。その身体が書き記す様々な手つきが批評となるからこそ、「同時代」と冠されたことの価値へと接続されるのだろう。京都を拠点に海外でも活動するモノクロームサーカスの公演を、この点から即してみると、いまひとつ納得し難いように思われた。

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悪い芝居「なんじ」

◎相互理解への疑義と不信 観客の挑発から次なるステージを
藤原央登(「 現在形の批評 」主宰)

「なんじ」公演チラシ開演前の劇場で流れていた尾崎紀世彦の『また会う日まで』。客入れ音楽のみならず、随所に挿入歌として使用される歌謡曲が未経験のノスタルジーを喚起し、それと共に原色鮮やかな照明と有り余る身体の力をバカバカしい笑いとギャグへ接続して駆け抜けてゆく悪い芝居の劇世界は、そのセンスの良さに反し、演劇を志向する自己と刹那の享楽を求めて観客席に座る我々への冷めた視線によって早くも一つの文体を獲得している。この根底に流れる基本テーゼこそ、この集団が他の若い集団と峻別した意識の高さの発露となっているのだが、舞台を観ながらではなぜ彼らは演劇というジャンルで表現活動をしているのか、なぜ演劇でなければならなかったのかということを考えさせられた。

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地点「話セバ解カル」

◎痛ましい精神風景としての身体 過剰さを自覚的に受け続ける
 藤原央登(『現在形の批評』主宰)

 「話セバ解カル」の惹句は、5.15事件で海軍将校に暗殺された宰相・犬養毅最後の言葉であったことは広く知られている。夢想するイデオロギーを胸に秘め盲目的に駆られた者にとっては、対話による第三の道を導き出そうとする知的営為など存在しない。我が命を救うことが大命題だったはずだが、犬養はこの一瞬間後に射殺さるやもしれぬ状況においても泰然たる構えで、言論による真正面からの説得を試みようと懐柔策に打って出たという。この時の逼迫した緊張状態とは、離反する互いの思惑が支えとなったまさに命を賭した対立のドラマである。だが結局、何を「話シテモ解カラナイ」結果を生み出した。とりわけ今の時代に演劇を志向しようとすれば、この困難な認識からしか何も生まれなく、また始められないのではないかと思わされる点でこの題目はとりわけ重要な意味を持っていると私は思う。

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悪い芝居「ベビーブームベイビー」

◎社会=他者関係を結ぶ鍵を模索 演劇と自分を思想する志の高さ
 藤原央登(「現在形の批評 」主宰)

 山崎彬が率いる悪い芝居の紡ぎ出す劇世界は極めてリアリスティックであるという一点においてこの集団は重要である。

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悪い芝居 『イク直前ニ歌エル女(幽霊みたいな顔で)』

◎徹底したドライな視線

バカバカしい。なんともバカバカしい。観劇しながら常に思ったことである。それは、今年で三年目を迎える若い劇団にありがちで、挑発的でポップなチラシに充満するふざけ具合の通りの印象なのだが、その徹底的なバカバカしさが最高でしかも意外にしたたかな手つきをしていることにちょっと驚かされたのだ。それがこの劇団のいつものスタイルで且つ実力によるものなのかは初見であるが故に判然としない。舞台をから感得したこととは、キャラ作りは達者でも演技のアンサンブルという面ではお世辞にも決して上手いとは言えない俳優、我々若い世代の虚構のノスタルジックを喚起させて止まない布施明や尾崎紀世彦といった昭和歌謡の劇中使用、演劇的約束事を平気で異化せんがためのパロディと映像を用いたギャグ(『となりのトトロ』の、雨の日にカンタがサツキに傘を貸すシーン映像にアテレコすることで生じるズレた笑い等)である。こういったくだらなさが全編とおして速射砲のように繰り広げられるダイナミズムさに私はとにかく底知れぬパワーを皮膚感覚で体験したのだ。俳優達と共に汗を流すほどに熱さが充満した要因は確かに気候だけによるものではなかった。

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dots「MONU/MENT(s) for Living」

◎人間存在の表裏を可視的にする鮮やかな手法
藤原央登(「現在形の批評 」主宰)

「MONU/MENT(s) for Living」公演チラシ我々が自明のごとく見聞きしたり用いる言説は多く、こと舞台芸術に関してはパフォーマンスがその一つに挙げることができるが、改めて吟味すると何とも曖昧模糊としている。演じ手が居てそれを見る者が同席することで共に生成するその時、その場の唯一無二の親和的宇宙を開示する見せ物が演劇の原初的な在り処である。ならばパフォーマンスもそういった演劇の枠内に収まるものであるはずであるがそうならずに別の印象を自動的に誘発されてしまう。すなわち身体言語を上位概念と捕えてなされる演劇の解体であり、そこから容易く前衛的なるものの匂いを嗅ぎ取ってしまうのだ。今作が所見のdots『MONU/MENT(s) for Living』もパフォーマンス・グループと自らを位置付けているようにしっかりパフォーマンスを展開していた。

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