東京芸術劇場「God save the Queen」

◎新しい女性性を巡って(鼎談)
 落雅季子+藤原央登 +前田愛実

 2011年に大きな話題を集めた芸劇eyes番外編「20年安泰。」。ジエン社、バナナ学園純情乙女組、範宙遊泳、マームとジプシー、ロロの五団体が、20分の作品をショーケース形式で見せる公演でした。それに次いで今年9月に上演されたのが、第二弾「God save the Queen」です。今回の五劇団を率いるのは、同じく若手でも女性ばかり。そのことにも着目しながら、この舞台について三人の方に語っていただきました。(編集部)

||| うさぎストライプ「メトロ」

−それでは芸劇eyes番外編第2弾「God save the Queen」について、各作品についてうかがってから、この企画全体についてのご意見をうかがいます。まず、うさぎストライプの「メトロ」についていかがですか。

藤原央登:ツイッターで「メトロ」が強く否定されているツイートを読みました。大池さん自身がそれをリツイートしてて、偉いというかけなげだなあと感じました。件のつぶやきにはいろいろ引っ掛かったんですが、一番分からないのは「同じことをやってるからだめ」だという旨の意見。やってることがいつも同じだから評価しないというのは、批判の根拠にはならない。

—批判の根拠にならないというのは…。

藤原:僕は「シアターアーツ」52号(2012秋)の小劇場時評で、うさぎストライプの「おかえりなさいII」(アトリエ春風舎、2012年5月)を評価しました。それぞれ別の人生を歩んでいた人たちが、たまたま同じ飛行機に同乗してフランスに行く。でも、飛行機が墜落してみなが死んでしまう。で、残された人たちがいる。公演があった少し前に、高速バスの事故とか京都祇園のひき逃げ事故があった。僕たちはニュースなんかでそれを知るわけですが、その悲しみや喪失の感情はなかなか身に迫ったものとして受け取れないわけです。うさぎストライプがやっているのは、私とは関係のない特定の個人の死に、いかに共感し共有することができるかということ。それが例えば、登場人物全員が一斉に劇場の壁を押すという行為として顕れる。決して人力で動くことはない壁を懸命に押し返そうとする役者の身体を通して、観客は喪失に直面した人の身体の在りようを想像する。うさぎストライプは、このように、身体性を通して道徳や倫理を提示する。これは、劇の文体というものを獲得できているんじゃないかと思って肯定したいです。創作するたびに表れるものがその人が持つ固有の文体です。だから、それをもって批判されるのはちょっと違う。
 確かに本企画で上演された「メトロ」は、空間の広さをうまく使えていなかったとは思う。だから、李そじんの声が音楽にかき消されて何を言ってるか分からなくなった。第一声をハズしたのは手痛かった。アトリエ春風舎のように小さな劇場で、まるで箱庭のように作られるからこそ共有できる文体なんだとは思います。小さな空間だとささいな、喪の感情がうまく伝わるんだけどね。そういう意味では失敗しているなとは思ったけれど、独自の劇の文体というのを一番持っているのは、うさぎストライプだと僕は思う。

落雅季子:確かに音が割れて、俳優の声が聞き取りにくいところがありましたね。私が前にアゴラで見たときは、切実さの表現は伝わってきました。私も、毎回手法が同じという批判には納得していませんが、それは作品ごとの切実さが摩耗していなければいいと思っているからです。

前田愛実:おっしゃるように、あの空間での表現としては失敗していたんでしょうね。壁を押す動きも、ものすごく形骸的に見えてしまって、藤原さんがおっしゃるようなものは、私には全く伝わらなかったですね。

【写真は、左から前田愛実さん、落雅季子さん、藤原央登さん(後ろ向き)、都留由子・大泉尚子(ワンダーランド編集部) 撮影=ワンダーランド 禁無断転載】
【写真は、左から前田愛実さん、落雅季子さん、藤原央登さん(後ろ向き)、都留由子・大泉尚子(ワンダーランド編集部) 撮影=ワンダーランド 禁無断転載】

藤原:壁押しはほぼ毎公演あります。それを「お約束」にさせないためにはどうすればいいか。それは、獲得した文体をどのように昇華していくのかという問題になるんだと思います。

前田:毎回やるんだったら、それは再現性を問われるところですよね。さりげない日常の中の切なさみたいなのが、ふんぷんとしているのだけど、残念ながらまったくピンとこなくて、私は全然いいとは思えなかった。ただ、作家は何回同じことをやったっていいと思うんですよ。飽きるまでやればいい。だって、見つけた表現なのだから。それを、同じだからって止める方がおかしいわけで、そのことは全然構わない。

落:まあ、台詞が聞こえる、聞こえないっていう点で批判するのもちょっとずれているのかもしれない。聞こえるように演出すればいいのかというと、必ずしもそうとは言えない場合があるし。私はうさぎストライプの手法そのもの、藤原さんが言われた劇の文体とか、共有のさせ方としての手法は、評価したいと思います。

藤原:「メトロ」での悲劇は、地下鉄に乗り合わせた乗客がサリンで死ぬというもの。言ってみれば我々には関係ない話。事件・事故の当人にとっては大事だけど。今回の企画でも、当事者以外に、とても大切な倫理観を受け渡そうとする作品を創っていました。

前田:これサリンの話だったんですか。全然気づきませんでした。どこがそうだったんですか。

落:ほんとの最後の最後に出てきましたね。ビニール袋を傘で突いたみたいなことを背の高い男の子が言って、その子はいなくなっちゃった。

藤原:そのほのめかしも、18年も経つと気付きにくくなる…。

前田:それじゃあ、やはり成功していないかな。あれがサリンだとわかったら印象はちょっと違いましたよ。時間の問題だけじゃないと思うんですよね。事件ってそれが起きた時に、どこに暮らしていたかで当事者感覚が全然違いますよね。私は当時東京にいなかったので、土地勘とかもないし記憶のとっかかりが当時首都圏にいた人とは違うんですよ。気付くのは難しかったかな。

藤原:無差別テロで死んだ悲劇性が重要ですからね。

||| ワワフラミンゴ「どこ立ってる」

前田:今回の企画では、ワワフラミンゴに出会えたことが、私にとっては大きかった。すごく面白かったんですけど、こうこうこういう理由でよかったって言葉でうまく表現できないです。でもそこが実はポイントで、ポストパフォーマンストークで豊崎由美さんが「全てをフラット化する」と言われていて、まさにそういう感じを私も受けた。優劣とか勝ち負けが一切関係なくて、価値そのものを骨抜きにする感じが好きでした。久しぶりに夢中になれる劇団に出会えた気がします。

落:作家がすごく充足して作っている感じは一番ありました。ファンシー、メルヘンチックでかわいいけど、あの笑いが起きるのは、間が緻密に作られているからですね。

前田:そうですよね。役者さん、実はみんなすごくうまい。それをああいう絶妙に下手な感じに仕立てるのは相当だと思うんですよね。

落:一番肩の力が抜けていながらも、やっぱり自分の作る物とか世界っていうものは強く持っているから、私は大いに笑ったし、楽しむことができたと思います。

藤原:僕はシベリア少女鉄道みたいになればいいんじゃないかなって思った。ゆくゆくはテレビの構成とかコントを作ったりして。

前田:私はテレビに合うっていう感じは全然しなかったかな。

藤原:あれをずっと演劇でやり続けると疲弊していきませんかね。

前田:やり続けられたらすごいと思います。私はむっちりみえっぱりを連想したんですよ。大好きだったんですけど、もう自然消滅的に消えちゃったんですが。

落:ああ、私も思った。女性だけの集団創作の団体だったんですよね。今も個人で活動を続けている女優さんはいらっしゃいますが、公演は2010年が最後だったかな。

藤原:自然消滅ということですが、女性が集団を維持していくことの難しさには、たぶん男にはないような女性特有の問題がありそうですね。

前田:きっとあるでしょうね。妊娠中や子供が小さいうちは仕事ばかりするわけにはいかないですから。

—前田さんの主宰するおやつテーブルには、お子さんがまだ小さくて子育て中の方もいらっしゃいますが、そういう方に合わせて、公演の間隔を空けたりするんですか。

前田:稽古時間を調整したり、その人が参加できる方法を考えたりします。ただ、子育てに時間が取られるという問題以外にも、作り手としての女性の意識の問題もある。その人がやりたければやるし、もうやらなくてもいい、充足していると言うんだったら、それはしょうがない。ただアーティストにやりたい意志があるときに、周辺の人、例えばアートマネージャーとかプロデューサー的な人が、そこをどうサポートできるかというのはポイントだと思いますね。母親となったアーティストの表現意欲を、否定しない環境があればいいですよね。演劇に限らず、日本の社会、世間の問題ですけれど。それに今の日本には“母”のアートが必要だと思います。

落:今回の若い女性の作家たちが、そういう、これからあるかもしれないライフイベントを潜り抜けたときに、どう変わってどういうものを作るのか、最近よく想像します。環境面など不安がたくさんあるのが正直なところですが、年齢を重ねて彼女たちが作家としてどう変化するかは、何があっても丁寧に見ていきたい。

||| 鳥公園「蒸発」

−鳥公園の「蒸発」についてはいかがでしょうか。

落:私は今回のショーケースの中でも一番よかったと思います。なぜかというと、他者に対して開き直ってないから。当日パンフに「理解できない、したいとも思えない他者がいる感覚を知らなかった」ことを考えたいと作った作品だと書いてあって、その言葉通り、西尾佳織さんの忍耐強さが出た作品だったと思います。野津あおいさんの独特の手の動き、妖艶さなど俳優さんたちもよかったですよね。

藤原:僕はまだ判断保留です。最初、双眼鏡で女が男を見てるでしょ。女が男を意識的に見るというのが印象的で、そこに、何かがあるのかなと思った。でも結局、だめな干物女(森すみれ)がリア充の女(野津あおい)と対になっていて、だめな女の悲哀みたいなものでまとまってしまった。つまり、干物女がリア充に相対化されてしまう。女性が持つ問題を突き出しているように見えながら、最後は男性優位のところに収まったように見えました。

落:男性優位というのは、どういうことですか。

藤原:双眼鏡で覗くことには、女が男を攻撃するという意味での批評性が提示されていると思う。干物女をバカにしているリア充の女は、最後に仕事に行き、そしてその後は男とデートに行くらしい。そう告げられた干物女がポツンと残されて終わる。そしてそれら一切を観客がみる。だめなヤツはやっぱりだめなんだという通俗的な状況をです。最初は女性から見られるという不安を与えられていたのに、最後はやっぱり男の僕は見返して終わる。ここには今の問題はなく、一般通念的に安定したものがあると思ったんですね。この構図って安定してるじゃないですか。

前田・落:そういうふうには捉えなかった。

前田:それって“男”視点に捉われすぎなんじゃないですか。

藤原:確かに男視点ですね。ただ作品としてはまとまっているけど、女性の問題として何か新しいものが出てないと感じました。

前田:私は、今まで見た鳥公園の中で一番よかった。さっきワワフラミンゴで、勝ち負けがない感じと言いましたが、もし五団体の中であえて順位をつけるとすれば、ここがいろんな意味で一番うまかったんだと思います。戯曲・構成・演出、役者の演技の質などもバランスよく考えられていたし、洗練されていた。確かに普段見られる側の女性が、覗き見をしているというところは、作・演出の西尾佳織さんの批評性が出ていると思います。でもそもそも森すみれさんの役が干物女で、野津あおいさんがリア充だと捉えなかったので、シンプルな対立構造、安直な優劣だとは思わなかったですね。

藤原:最後に相対化されることで、分かりやすい図式に導かれているように感じたんですよね。何事も相対化されるというのは当たり前であって、だめな奴をどう描くのか、そこに西尾さんの思想を見たかった。あの終わり方だと、二者二様の生き方を冷淡に提示するという印象ではなく、勝ち負けのように見えてしまう。

落:私は、一方の女が、置き去りにしたのかどうか、帰ってくるのかどうかもわからないと思ったんですね。舞台に残った女が肉を食べていた場面には、相対化というより、ただそこにとり残された強烈さを感じました。それで、干物対リア充という対立構造ではなく、一人がもう一人を可愛がっている、飼っているという、優位に立っている感じというのはありましたね。

前田:ところで、男が獣姦してるのを、女が覗き見して実況中継するわけですが、この覗き見の場面には男の生態があからさまに表現されているじゃないですか。それに不愉快さを感じる人もいると思うんですが、藤原さんはどうですか。

藤原:うーん、男の行為自体には別に何とも思わなかった。

落:嫌悪感も面白さも感じなかったんですか。

藤原:ええ、倒錯的な性の欲望は誰しも持ってると思いますし。森さん演じる女は、自意識過剰な感じはよく分かりますけどね。

落:私は自意識過剰とは思わなかった。だから飼われているのかなって。

前田:私もあの女は、自意識のむしろ全くない人、むちゃくちゃ無邪気なのではと思ったんですけど。

藤原:鳥公園の持っている特異性って何でしょうか。構図が特徴的なんですか。

前田:構図は、舞台美術としてもよくできていて、人間関係の表象になっている。舞台上にいる二人プラスあちらにいる男ヒロキとの関係性があれで示されていて、巧みだなと思いましたが。

藤原:そのバランスは、超越的な男を頂点にして三角形を形成しているという意味で安定していると感じるんです。額縁の中に一枚絵として納まっている感じ。だから、男の存在が観客のそれに移行して、安心して見られる。

落:額縁の中から手を伸ばしてくる不穏さみたいなものは、あまり感じないということですか。

藤原:西尾さんはそれをやりたいのだと思います。生理的な、皮膚感覚に触れるゾッとするようなものを出したいということはよく分かります。あの作品に関して言うと、西尾さん特有の表現になっていたか。ただ、やろうとしていることは必要なことだと思います。鳥公園の判断を保留にしているのはそういう意味ですね。

前田:西尾さんは以前、乞局に出演していて、とてもいい役者さんだったんですよね。これまで乞局の影響は感じなかったんですけど、今回ああ、やっぱりと…。私は、サンプルの初期や乞局みたいに、生理的に嫌悪感をもよおさせる、ザラっとするような遺伝子を感じました。女性がそれをやるのか、意外だなと思いました。

落:男女によって見方が全然違うのかもしれない。隣りに座っていたおじさんが、ことあるごとにすごく笑っていたのが印象的でした。それは、不可解で未知なるものに対する反応として笑いなのかなと思います。やはり男性の方が、受け止め方がナイーブというか。藤原さんは相対化と言われましたが、構造を与えられることで、不穏なものに対して安心したいのかもしれない。

藤原:じゃあ、僕は西尾佳織にしてやられたわけか(笑)。作為的に、あえて見せたのだったら「オッ」と思う。「ばかな男にもわかるように、うまく構図にはまるものを見せてあげました」という悪意があるんだったら、十分挑発的だし攻撃的で刺激があると思います。

||| タカハ劇団「クイズ君、最後の二日間」

−ではタカハ劇団の「クイズ君、最後の二日間」についてもうかがいたいのですが。

落:作品としては印象が弱かった。2ちゃんねるの書き込みをせりふにして演劇で読む必然性がないと思いました。舞台美術で、箱状のものを組んで最後に落とすっていう、あれさえできればよかったのではないかと思います。

前田:私は、これは20分の尺でやるものではなくて、1時間くらい必要な感じがしました。2ちゃんねるの書き込みを元に作ったり、最後にドサっと物を落とすという発想はいいけど、それがはっとする面白さにつながったかというと、それほどでもなくて、ここで面白いはずなんだな、という感じだけが残ってしまった。普通にストーリー性のあるものを作ることは、20分という尺で諦めたんじゃないでしょうか。自殺する人を時系列で追っていくというミステリーな雰囲気は、イキウメっぽかったですね。おそらくそういうことをちゃんと書いたらうまい人なんじゃないかな。

藤原:本公演でも社会問題系なんですか。

落:私が最初に見たのは座・高円寺の「モロトフカクテル」(2009年10月)で、この作品では、学生運動の問題が扱われていました。

藤原:FUKAIPRODUCE羽衣の深井順子が出演した「完璧な世界」(Gallery LE DECO4、2011年7月)は社会問題系ではなく、自意識の問題だったような記憶があります。それこそ徳永京子さんが「演劇最強論」(徳永京子・藤原ちから著 飛鳥新社)で言うように子宮で考え、子宮で感じるような。

前田:その“子宮で考える”ってフレーズはたびたび目にするけれど、人によって定義が違う気がします。今回のだってみんなそうだよとも言えちゃえませんか。

藤原:何で徳永さんはタカハ劇団を今回選んだんでしょうね。物語をちゃんと書く女性作家は他にもいる。演劇ユニットてがみ座の長田育恵さんや青☆組の吉田小夏さんなどは、徳永さんの持っている演劇の地図からはずれているのでしょうか。

−「演劇最強論」の徳永さんの「さよなら、子宮で考える女性作家たち。」では長田さんに触れて「スタンダードなドラマで幅広い層の支持者を増やしている」とあります。

落:吉田さんはやはり“女性的な柔らかい感性”で書いている作家だと思う。

藤原:先行する女性演劇人、例えば如月小春や岸田理生を、徳永さんはどう評価しているのかな。80年代、NOISEを主宰していた頃の如月小春はビデオアートを採り入れ、都市を観察する活動を展開していた。92年にはアジア女性演劇人会議を発足させ、岸田理生と共にアジアの枠で女性の自立を考えた。けれどもゼロ年代の女性演劇人は、本谷有希子に代表される、自意識過剰の檻にとらわれた「私性」にフォーカスを当てている。そういう劇作は「子宮」ではないのか。今回取り上げた五人を、このような流れを踏まえて徳永さんはどのように位置づけようとしているのでしょう。

落:「演劇最強論」の「反復とパッチワーク—小劇場史50年」という年表に、如月小春から矢印が引かれて、Q主宰の市原佐都子につながっていたので、それはとても納得して読んだ覚えがあります。

||| Q「しーすーQ」

−それではQの「しーすーQ」はいかがだったでしょうか。

藤原:褒めているひとが多かったですね。

前田:私は生理的にダメだったんですよね。何が嫌だったんだろう。

藤原:Qは女性に好かれると思ってたけど、違うんですかね。

落:私はこの作品を好きかと言われると、そういうわけでもないんですが…。獣姦という、鳥公園と同じモチーフが出てきましたが、用い方が全然違いますね。鳥公園では、理解できず、越えられもしないものに相対したときの態度が語られていたけど、Qは人間と魚類の種の断絶をも越えて行くところに突破口を見出す、その先にエネルギーと希望を託していると思いました。

前田:イカとかエイとか、異形で、人間でないものを演じてるわけですよね。その表現の仕方が稚拙に感じました。狙ってやったんだろうけれど、設定も気持ち悪いし、演技も気持ち悪い。その気持ち悪さが、よい気持ち悪さになってくれない。人間とエイとの間に生まれた娘がイカを食べちゃってイカが恍惚とするという、ものすごく荒唐無稽な設定なのにまじめにやってるところが、なじまないのかな。もう少し脱力感とか他の何かがあれば、受け入れ態勢も整うんだけど。

落:私自身は、今回の「しーすーQ」はよかったとも悪かったとも思わないけれど、ミラーボールを駆使したり、映像がキラキラ変わったり、ああいうのは全部本筋には関係ない過剰さで、それをわかってわざと突き放すように作り込んでいると思いました。先ほど少し出た如月小春の話の通り、NOISEの系譜を感じる。この作品は女性しか出てきませんが、男性の俳優が出ている作品はまた印象が違うと思います。

藤原:語るときのとっかかり、ステップにするような入口がないから難しい。鳥公園の、双眼鏡で見るといったようなことが。

前田:説明になるような大事な部分を端折っちゃった感じなんですよね。フルレングスだったらだんだん分かってくるような、実は土台になる時間のかかる部分を端折って20分にしたのかもしれないですよね。

落:最後に、エイとイカちゃんを料理して、お隣にお裾分けに行ったら断られたじゃないですか。「嫌いッ」て言われてそれで終わるんですよね。それが鳥公園の最後に野津あおいさんがいなくなって森すみれさんだけがとり残されるときのザラッとした感じと、共通点があるように思う。だからモチーフとかじゃなくて、ああいう後味の悪さみたいなものを見た人に残そうとしているとは感じました。

藤原:そう聞くと、やっぱり鳥公園のやり方は上手いんだなと思わされる。

前田:食べられちゃうというところが、女性的な性の感覚の隠喩になっているところは面白いと思った。イカちゃんも食べられることで恍惚とするじゃないですか。

落:欲望がドロドロ渦巻いている感じがして、性欲、食欲みたいなのが渾然一体になって襲いかかってくるようなパワーは、確かにQにはある。

藤原:アトリエ春風舎で上演された「虫」(2012年12月)ってそういう話じゃないんですか。1回目は本当にレイプされて、2回目は犯してほしいと主体的に待つ体になってしまった女性って思ったのだけど。

前田:私は「虫」を見てないけど、今回の公演でも途中から多少そういう感覚はありました。でも表現として強度が弱いからこの点についてはそんなに嫌な感じはなかった。女性としては、逆にこれで強度があったら嫌かもと思いました。昔から犯されてそれを待つようになる、男に都合のいい女の物語の系譜って、古典や民話の中にいっぱいあるじゃないですか。女性の性欲は肯定するべきだと思うけど、その描かれ方に不愉快さを感じることもあります。市原さんはこのあたりのことをどう思っているんだろう。

落:それはやっぱり、開き直って「だってこうなんだもん」という提示の仕方にならないように作る必要はあります。犯される弱さの反転が、それを待ち伏せするだけでは不十分だし、断絶を描くならつながりが見える余地が必要だと思う。少なくとも、つながりを無視していないことを滲ませるだけの余地。

藤原:例えば食虫植物は、待っていると見せかけてやってきた虫を食いますね。そういった反転が見えるとまた違った感触を受けるんじゃないかなと思いました。

前田:そうですよね、そうなればいいですけど。犯されたいという願望は女性にはあると思うけど、それを男主体のこれまでと同じ構図を踏襲して、安直にすげ替えて表現するのは危険をはらんでいると思うんです。今回のでは逆手にとれてはいなかったかな。

||| 企画について

−最後にこの企画全体について何かありますでしょうか。

藤原:この五組のセレクションから何が見えるのか、徳永さんが何を見せたかったのかが、僕にはよくわからなかったです。あとやはり20分の公演では、各団体の特徴はよくわからないですよ。僕はワワフラミンゴ以外は全部見たことがあったのですが、単独の公演を見たとき以上の印象はなかった。当日パンフには、「女性性」を問題にしているというようなことが書いてありましたが、この企画で女性性について新しい認識を得たということもありませんでした。

前田:私は、短い時間の中でいくつかの作品が紹介されるショーケース的な企画だととらえていたので、全体として何かひとつのテーマ性が必要だとは思っていませんでした。それに女性の作家だけをピックアップすれば、すなわち新しい女性性が見えてくるということはないと思う。作品を分析して、そこに新しい女性性を指摘するのは批評家の仕事のような気がします。若い世代の女性作家が台頭するのはやはり大変なことなので、このような企画でセレクションして紹介するというのは、有効なサポートだと思います。

落:観客の中には、本公演に行ったことないけど、五つ全部見られるなら来るっていうような人もいたんじゃないかと思います。私は、すでにすべての団体の公演を見たことがありました。個別には面白いものはありましたが、この企画で突出して新しい魅力を打ち出したっていうのはそんなにはなかった。全部通して見ると、閉塞感みたいなものを感じました。

−初日の公演終了後の初日乾杯で、鳥公園の西尾さんが、「今日はじめてすべての作品を見たんだけれど、結果的に似てしまっていた。それをネガティブに捉えたくはないんだけれど少し苦しく感じている」と言われたのですが、落さんの閉塞感とは、その似ているという共通項ということでしょうか。

落:はい、そのポイントだと思います。全体の企画意図に関しては、2010年の芸劇eyes番外編「20年安泰。」が行われた頃とは、男女問わず20代若手作家の活躍の仕方も存在感も変わっているわけで、あの頃の若手作家の認められなさに比べれば、そもそもショーケースに期待される役割が変わっていると思うんです。だから、爆発的に「この若手すごいじゃん!」っていう発掘のされ方は今は起きないと思う。若手の作品を見ることが、ある意味で日常化したと言えるから。

前田:徳永さんのオーダーはどんな感じだったんでしょうね。上演時間の指定はあったとは思いますが、テーマの部分でも要求はあったのかどうか。藤原さんは「徳永さんが何を見せたかったのか分からない」とおっしゃいましたけど、コーディネーターがどういうリクエストを各団体にしたのかがわかれば、キュレーションの責任の部分がすっきりするんじゃないですか。

藤原:でも今回の企画、彼女たちにとってあまりプラスになってないと思う。

前田:これがきっかけで観客が増えるところもあるでしょ。そうならないところもあるかもしれないけど。

藤原:結局責任を取らされるのは彼女たち自身です。お二人がおっしゃるように、主催者側は広く若手の作品が見られる場を設けたということになって、その任が曖昧になる。どんな作品にするかは任せると言われて、細切れの作品を作らされたとすれば、うさぎストライプのように強く否定された団体は不憫だと思う。せめて「演劇最強論」に書いた文章くらいのことはパンフレットに載せて、見る人に企画意図や五劇団を選んだ理由などを、徳永さんにはしっかりと説明してほしかった。

−ワワフラミンゴで、タヌキさんが誰かの手を引っ張ると声だけで「私はこんな広い所に出る者じゃありません」みたいなことを言う場面があります。徳永さんは初日乾杯の挨拶で、「こんな広いところに出たくない人たちを引っ張り出したんじゃないかと思って、そのせりふがすごくしみました」と言われましたね。

前田:でも本当にそうなら、劇団側は出演を断ればいいんですよ(笑)。「そんな広い所に出たくなーい。やめまーす」って言えばいい。そこはアーティストが責任持つとこですよ。別にだまされたわけじゃないし。

藤原:劇場に使われているという感覚はないんだと思う、やっぱり。もっとしたたかにならないと、大人にそそのかされて終わっちゃうよってことは言っておきたい。最近は、東京芸術劇場が一人勝ちしてる印象があって、そこに注目が集中するけど、他にもそういう存在って必要だと思う。新国立劇場が弱い分、世田谷パブリックシアターなんかがもっとがんばらなければいけない。目立つところがひとつだけだと、それが正解になってしまう。そうなると危険ですから。

−逆に言えば、存在感があるからいろいろ言いたくなるということもあるのでしょうか。

落:存在感イコール影響力になってはいけないですよね。今回の作家には皆、大人にそそのかされない自律性が備わっているとは思うし、私は心配はしていません。それより私が気になったのは「God save the Queen」のチラシのデザイン。セーラー服の女の子の下半身が下着なんですよね、一人は寝そべっていて。このチラシがすごく嫌だったんですよ。「そういう女性性みたいなものからは自由だよ」と言ってるのかもしれないけど。女性性から自由になろうとしてると言いつつ、やっぱり抜け出しきれなかった葛藤がこのチラシのデザインに表れているように思える。
 それは、発信側や観客の受け止め方だけの責任ではなく、こうしたものの見方を示したり企画を立てるにあたって、さらに社会が成熟していかなければならないことが示されているように思います。一冊の本や一回のショーケースでは変わらないかもしれないけど、批評者としても長期的な視点を持って、もっといろいろな例に出会いたいです。

−それでは、この辺で終わりたいと思います。今日はどうも有難うございました。

(聞き手:ワンダーランド編集部 構成:片山幹生 協力:伊藤昌男、栗原弓枝、小林まき、馬塲 言葉)
(2013年10月6日、新宿の喫茶店)

【略歴】(五十音順)
落雅季子(おち・まきこ)
 1983年生まれ、東京育ち。会社員。2009年、横浜STスポット主催のワークショップ参加を機に劇評を書き始める。主な活動にワークショップ有志のレビュー雑誌”SHINPEN”発行、F/T2012BlogCamp参加、藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQでの“マンスリー ブリコメンド”執筆など。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ochi-makiko/

藤原央登 (ふじわら・ひさと)
 劇評家。1983年大阪府生まれ。近畿大学文芸学部卒業。劇評ブログ『現在形の批評』主宰 。他にAICT関西支部発行『act』・『Corpus—身体表現批評』等に劇評執筆。演劇批評誌『シアターアーツ』(晩成書房)編集部。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター会員。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/fujiwara-hisato/

前田愛実(まえだ・まなみ)
 英国ランカスター大学演劇学科修士課程修了。早稲田大学演劇博物館助手を経て、現在はたまに踊る演劇ライターとして、小劇場などの現代演劇とコンテンポラリーダンスを中心に雑誌やwebなどに執筆。ダンス企画おやつテーブルを主宰し、20代〜60代の階段状、歳の差メンバーたちと活動。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/maeda-manami/

【上演記録】
東京芸術劇場「God save the Queen」(芸劇eyes番外編・第2弾)
東京芸術劇場(2013年9月12日-16日)

(以下、参加団体は五十音順)
うさぎストライプ「メトロ」
作・演出:大池容子
キャスト 亀山浩史(うさぎストライプ)、李そじん、緑川史絵(青年団)、水野拓(青年団)
ダンストゥルク:木皮成
照明協力:黒木剛亮(黒猿)
制作・ドラマターグ:金澤昭
宣伝美術・ブランディング:西泰宏

タカハ劇団「クイズ君、最後の 2日間」
作・演出:高羽彩
キャスト 橋本淳、伊藤直人
音響協力:角張正雄、照明協力:吉村愛子(Fantasista?ish.)
制作協力:嶌津信勝(krei.inc)
プロデューサー:池田智哉(feblabo)

鳥公園「蒸発」
作・演出:西尾佳織
キャスト 森すみれ(鳥公園)、野津あおい(サンプル)
衣装:桑原史香
演出助手:福島真(東京のくも)

ワワフラミンゴ「どこ立ってる」
作・演出:鳥山フキキャスト
キャスト 北村恵、菅谷和美(野鳩)、多賀麻美、名児耶ゆり、原口茜
衣装:原田美和子、

Q「しーすーQ」
作・演出:市原佐都子
キャスト 飯塚ゆかり、坂口真由美、吉岡紗良、吉田聡子
制作:有上麻衣、渡邊由佳梨

舞台監督:谷澤拓巳
企画コーディネーター:徳永京子

企画制作:東京芸術劇場
主催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
東京都/東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)

料金:前売2,500円、当日2,800円、高校生割引1,000円


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