上品芸術演劇団「まじめにともだちをかんがえる会の短い歴史」

◎「確かな芝居」の世界へ切り替わる 内閉した心情をぶつけるシーンで
藤原央登

「まじめにともだちをかんがえる会の短い歴史」公演のチラシ」上品芸術演劇団といういささか大時代がかったネーミングのユニットは、チラシには兵庫県のAI・HALLで長年開かれていた演劇塾の9期生(女優4人)にチーフディレクターであった劇団八時半主宰の鈴江俊郎が加わって成立したものであると書かれている。私は2月の劇団八時半公演『完璧な冬の日』で描かれた空港建設に反対運動を続ける登場人物に鈴江の演劇することの意味と倫理を感じ取り、また愚直なまでに演劇が成立する作業仮設としての劇団の堅持とその必要性を希求する姿勢に好感を持った。それは本当に今どき珍しいくらい演劇への直截な情熱を感じさせるものであるが、まさか自劇団の他に集団を持つとは予想外だった。

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前田司郎作・演出「ノーバディ」(演劇計画2006)

◎この舞台はちょっと凄いぞ 身体表現の新次元を開示
 藤原央登

 結論から言えばこの舞台はちょっと凄いぞというのが観劇後の率直な感想である。とにかく何はなくともそれだけは言っておきたい。これまで人間の不確かな存在を「死」という命題に照射させて表現してきたのが前田司郎だが、本作は登場人物がただ死んでいき、舞台上に累々と死体が増えていくという「死」そのものを描いた作品である。身体表現の新奇な領域を開示したという点で、そして前田司郎がやろうとしていることの一旦を垣間見ることができたという点でもこの作品は以後ターニングポイントとして記憶されてしかるべき公演である。

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維新派「ナツノトビラ」

◎自然への親和力喪う芸術作品に 果てしない世界を覗く無垢な感覚を

 今年の維新派公演は昨年メキシコ・グアナファトで開催された「セルバンティーノフェスティバル」にて初演後、ブラジル・サントスのセスキ劇場でも上演された中南米ツアー作品を上演(梅田芸術劇場)した。

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シベリア少女鉄道 『残酷な神が支配する』

◎残酷すぎる人々

なにやら近頃小劇場ブームらしい。『ユリイカ』が特集を組んだのが昨年の7月、今年に入っても『スタジオボイス』6月号は「演劇入門 小劇場ガイド2006」という題で特集を組んでいる。テレビメディアにもこの余波は流れており、『劇団演技者』(CX系)という番組は、ジャニーズ事務所のタレントと小劇場の俳優達が、これまた小劇場の劇作家の戯曲を4週間に渡って上演するというもので、ふれ込みは「期間限定劇団」である。若手劇作家が小説を発表すれば文学賞にノミネートされるといった格好で、破竹の勢いで駆け上がっているように見える。見えると書いたのは、そういった動きは全て東京でのことであり、私のように大阪の地に住む者は以上に挙げた媒体からの情報を基にしてそう察するしかない。そういう訳で本当に今、小劇場がブームなのかを肌身に感じていない以上、半信半疑の面がないわけでもないが、ためしに関西の劇団で有名なものを思い浮かべてみても、それらは東京公演を行っているものばかりだというのもまた事実であり、どうやら演劇の東京一極集中化はいつまで経っても変わらないようだ。

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桃園会 『もういいよ』

◎混沌で空白的な

今はやや沈静化しているだろうか。「静かな演劇」というタームが90年代前半以降、現代演劇の新たなジャンルとして持て囃された時期があった。アングラ芝居的、大仰な台詞や演技を舞台上から綺麗さっぱりと排除し、代わりに上げられるのは日常生活を切り取った動きが小さく、日常会話を淡々と喋る人間を通して関係性の機微を通して個人の暗部を暴路するような芝居がこまばアゴラ劇場を拠点とする平田オリザと青年団を中心として時代を席巻した、と一般には演劇史に刻印されている。その「静かさ」を全国的なものにしたのは関西、特に京都で主に活動する演劇人と劇団のある種の作風が似ていた為にそれを後押ししたともいわれている。その当時の京都系の舞台を観ていない私には果たして本当に「静か」だったのかは知る由もないが、少なくとも近年、そういった舞台を観るようになってから、私は平田オリザにも鈴江俊郎にも土田英生にもそのような思いを抱いたことはないし、そもそも演劇が日常生活を切り取ったからと言ってそれが我々が生きている現実そっくりのリアルな表現になるわけでなく、舞台表現として成立させるには観客を非日常空間に誘うための作為が必要である。それが例え異化的表現だとしてもそうならしめるための「演劇としてのリアル」さが前提とした上でのものである。

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劇団ジャブジャブサーキット 『亡者からの手紙』

◎日影丈吉の手紙

原作物を舞台化、映像化する際に重要になるのは、演出家がそのテクストを用いて何を対象化しようとしているのか,その批評性であろう。それは、劇作家や演出家自身が今現在において何を問おうとし、何を獲得しようとするのかにより、自身の仕事振りを見つめるための自己対象化のためかもしれないし、社会全体を対象化するためかもしれない。いずれにせよ、人間とそれを取り巻く主種の属性についての認識を外から取り入れることによる、自己の可能性の拡張であることに変わりはない。

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南河内万歳一座 『お馬鹿屋敷』

◎演劇馬鹿宣言

なにより関西劇界にとって事件だったのは、近鉄劇場・小劇場とOMS(扇町ミュージアムスクエア)がそれぞれ2004年2月と2002年3月に閉館したことだった。この2つの劇場は劇団☆新感線やM.O.P、リリパットアーミー等、今や全国的地名度を誇る劇団の成長を見守り続けたし、OMSは劇団事務所やぴあが拠を構えていたことも手伝い、様々な人が集うサロンの役割を担っていた。また、東京の劇団が大阪公演をする際によく利用した劇場でもあった。なぜそれほどまでに大阪の拠点劇場として長らく隆盛を誇っていたのか。

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青年団 『上野動物園再々々襲撃』

◎支え合いの青春群像劇

金杉忠男(97年死去)の『上野動物園再襲撃』を原作したこの舞台は、人を支え合うことの重要さを描いた希望溢れる作品であり、改めて群像劇の良さも示したものだった。

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関西芸術座 『心と意志』

◎新劇は死んでいない

新劇の舞台を観たのは数えるほどしかない。中・高校生の頃の学校観賞で一度ずつ観たのと、大学3回生の頃に教師からチケットをもらって観た計3回しかない。理由は単純と言えば単純で、60年代以降の現代演劇がいかに衝撃的で前衛的だったかを専門に学んできたため、これまで新劇を忌避してきただけである。しかし、今後劇評を書いていく上でそういった固定観念は自らの守備範囲を狭めるだけではないかと感じる所もあって、ちょうど公演を予定していた「関西芸術座」スタジオ公演『心と意志』(関芸スタジオ)に焦点を合わせたというわけである。また、近年その活躍が目覚しい坂手洋二(燐光群主宰)の作品を上演するということも足を運ばせる動機になったと言える。

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A級Missing Link 『決定的な失策に補償などありはしない』

この度、新しく参加させていただきます藤原と申します。関西で行われている舞台を中心に紹介してきますのでよろしくお願い致します。

さて、今回取り上げる舞台は劇団「A級Missing Link」です。作・演出の土橋淳志が主宰するこの劇団は、近畿大学の学生を中心として2000年旗揚げ。若手演出家コンクール2002最優秀賞を受賞しています。

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