この度、新しく参加させていただきます藤原と申します。関西で行われている舞台を中心に紹介してきますのでよろしくお願い致します。
さて、今回取り上げる舞台は劇団「A級Missing Link」です。作・演出の土橋淳志が主宰するこの劇団は、近畿大学の学生を中心として2000年旗揚げ。若手演出家コンクール2002最優秀賞を受賞しています。
ドラマの始まり方は、観客を非日常の舞台空間へ引き込む求心力を持たなければならない。蜷川幸雄が派手な舞台装置・音響・照明を使い、冒頭から一気に畳み掛けるのも、そういった理由からである。「最初の3分間が勝負」と考える蜷川幸雄の演劇哲学は、徹底して観客を日常から隔絶させるためにはどうすればいいかが優先される。結果、エンターテイメント色が前景化された舞台が生み出されるのは根底にそういった志向があるからである。
手法としてのそれが、視覚と聴覚に強烈に訴えるものかそれとも一人の俳優が静かに佇む緊張感に求心力を持たせるのかは、2時間あまりの観劇体験を良くも悪くも決定付けると言ってもよい。私はいつも開演前の暗転の一瞬間に、冒頭シーンがどういったものなのかに期待を寄せる。
だから、畳敷きで襖がある典型的な大学下宿に男と女が立っている様が溶暗後に見えた時、それがいわゆる最近の「小劇場」的日常風景のひとコマであったために気落ちさせられたのだ。程なくして部屋の住人である大学2回生の林智宏(幸野影狼)と同居人で、元劇団員の結城佳世子(横田江美)の会話からこの舞台が劇中劇の手法を採っていることが了解される。結城は既に死亡している。彼女はかつての劇団仲間を再び集めるべく、林に憑いて『決定的な失策に補償などありはしない』という作品を書かせるのである。つまり、そのものずばり劇中劇作品がこの舞台全体の作品ということなのである。
しかし、いまいち劇中劇手法が舞台を引っ張っていかないのは、この手法にあらねばならない批評的視点がないためである。劇団解散後の再会、そして彼らに見知らぬ男(林)から送られてきた戯曲を巡ってのドラマを大枠にして、レズビアンの恋愛者を中心とする大学生達のドラマ・売れない芸人とその彼女と妹によるドラマが入れ子として含まれているのだが、個々のドラマ共通に意図する主眼と連関が要請する必然性が存在するがために螺旋的上昇が展開され、織り成していくはずのその肝心な部分が見当たらないのだ。いや、過去において自らが引き起こした結果としてある現在を悔やんだ所で救いはどこにも見当たらなく、そのために悩む人間が多く登場する点が共通するものとして繋がってはいる。身近に死んだ人間がいる元劇団・破たん気味のレズビアンの関係・恋愛下手な男・夢を追いかける芸人と金を貢女いった具合だ。
ただ、そこには個々の人間が対峙させられた関係における人物の掘り下げ方が今一歩であるためにそれぞれのドラマ部が大きく盛り上がることがない。終始展開がさほどなく平面的に進むためにどこか表層的に映る。それは台詞に力がないということと同義である。役者が概ね力があるだけに残念だ。観客の笑いを誘い、盛り上げるのが売れない芸人の弦巻征二(内藤隆)の一発芸である点からも、かえって表層さを強く印象付けることになっていた。
劇は進み、戯曲の作者が同じ劇団の橋本博也(泉寛介)であることが発覚する。橋本博也の名前を分解して並び替えれば林智宏になるこいうカラクリである。ここで一つの混乱が浮上する。では、林なる大学生は存在しない人物なのだろうか。舞台上には確かに存在もし、結城や読書友達である堀之内佑美(新城アコ)とも話もしていた。それを言えば、幽霊の結城が舞台上に実在していること自体ありえないことなのだが、演劇が虚構のフィクションとして成立するものだという前提と、その無理を成り立たせる俳優の力が相まってそれを可能にさせる。しかし、林と橋本が同一人物であったという設定はいくら演劇のフィクション性をもってしてもいささか無理があろう。なにしろ演じる俳優が全く別人なのである。顔かたちが異なった人物を同一の者と見ること難しい。後々に明かすためのトリックだとしても、少なからず伏線を張っておかなければ観客はこれまで追いかけてきた劇内容から疎外されてしまうだけである。この作品において役者は何役も演じる。ならば、林と橋本も同一人物が演じた方がよほど納得のいくネタばらしになったはずだ。これでは「実は犯人はもう一人いた」とラストで突然言いのけるミステリー小説と同じである。
ラスト近くで「本日は橋本博也プロデュース『決定的な失策に補償などありはしない』にお越しいただきありがとうございました」と劇は一応締め括られる。これはもちろん劇中劇の終了を告げる台詞である。その後の暗転明け、林と結城のシーンになる。2人はこの戯曲は盛り上がりに欠けるということを話す。まるで自己弁護をしているかのようだ。
この舞台の作者は林でも橋本でもなく、劇団を主宰する土橋淳志であることに間違いはない。舞台上で行われていることが、人間関係の修復それ一点のみならば、あえて入れ子スタイルで提示することはなかったのではないか。創作の工夫は重要だが、既に述べたように作者の主眼=批評性がどこにあるのかが明確でなければ小手先にしか映らないだろう。
( 4月16日 ウイングフィールド マチネ)
(藤原央登・現在形の批評)
[上演記録]
A級Missing Link 『決定的な失策に補償などありはしない』
ウイングフィールド(4月14日-17日)
【作・演出】
土橋淳志
【出演】
横田江美
松原一純
内藤隆司
幸野影狼
高依ナヲミ
岡本真生子 (しかばんび)
泉寛介(abish)
矢田雅美(GiantGrammy)
新城アコ(チャパティチャパティ)
大林剛士
【スタッフ】
舞台監督:今井康平(CQ)
舞台美術:西本卓也(GiantGrammy)
照明:海老澤美幸
音響:楠本智
宣伝美術:伊藤太一郎
写真:坂田貴広
制作協力:高下なほみ
企画・制作:A級Missing Link
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