風琴工房の「砂漠の音階」公演が東京・下北沢のザ・スズナリで開かれました(4月5日-12日)。昨年の「機械と音楽」公演(2005年3月)は「革命後のロシアで『新しい社会・新しい芸術』に挑み続けたアヴァンギャルドの建築家にスポットを当てた」作品だったそうです。その過程で「政治がもたらした社会と個人のあいだの軋轢ではなく、革命という青春の時代を生きた芸術家たちの原初的な魅力に満ちたその創造の物語」に胸打たれ、作者の詩森ろばさんは「芸術の持つ、ゼロからなにかを生み出すエネルギー」が「やはりたったひとつの逞しい希望であることをわたしは身を持って知った」(企画書より「機械から砂漠、音楽から音階へ」)と言います。これが最新作のモチーフなのでしょう。例えば、次のような受け止め方に、舞台の手応えが表れているのかもしれません。
「暖かい眼差しに溢れた劇世界に惹きこまれました。じんわりと胸に響いて、じんわりと良い余韻が心に残る・・・・・そんな素敵なお芝居です」(藤田一樹の観劇レポート)
「理系(でも工学ですが)、という立場で生きてきたあたしにとってはすこし面はゆいように感じるほど暖かい視点」(休むに似たり。)
中谷宇吉郎は東京大学の物理学科を卒業後、恩師寺田寅彦の理化学研究所研究室へ。さらに英国留学を終え、北海道大学で助教授、教授になりました。戦前のエリート科学者の一人です。
舞台設定は1936年3月12日の中谷研究室。雪結晶の人工精製に成功した1日が、中谷のほか、2人の助手、助手見習いの学生、庶務・秘書役の女性、米国プリンストン大に留学しながら夢破れて帰国した同期生、それに中谷の妻らを通して描写される一幕芝居です。
物語には、ウサギの毛を使って成功した雪の完全な結晶製作、自由学園の霜柱研究、花火の研究など師・寺田寅彦に教えられた生活に根ざす発想など、随筆に書かれたいくつかの挿話が凝縮して折り込まれています。
舞台上に現れた研究室の空間は純粋な科学的関心に満たされ、現世の実利にあおられたり実業界に引きずられたり政治に掻き乱されたりすることはありません。どろどろした嫉妬や反感とはほど遠く、構成メンバーは基本的にはみな善き人々ばかりです。中谷は恩師のことばをしばしば引用し、日常生活のさまざま現象に疑問と好奇心を持つことが科学する心の基本姿勢だと教え諭します。いわば学問研究の純粋理念型を生きていると言っていいかもしれません。麗しい師弟関係も含めて、舞台にはかっこよくて優しい中谷の人柄があふれていたようです。「しのぶの演劇レビュー」はこんな風に描写します。
「のっぱさんの観劇日誌」は余韻の残る舞台作りに触れて、次のように書いています。
舞台の時代設定は1936年3月ですから2.26事件のすぐ後。日本はこの後、アジアを巻き込んで、取り返しのつかない戦争に急速に傾斜していきます。劇団webサイトで「太平洋戦争開戦まであと5年、原子力の雨が長崎・広島に降る日まであと9年、35歳の中谷宇吉郎ほか助手や学生たちは、今日も北海道大学の常時低温実験室である研究に没頭していた」とあらすじを紹介しているので、時代背景を知りつつ意図的にこの時期を設定したようです。
学問研究を無邪気に信じることのできた希有な時間であり空間だったのでしょうか。ポスト・パフォーマンス・トーク(4月8日)で作・演出の詩森さんは、「機械と音楽」で政治に打ち砕かれたロシアのアバンギャルド建築家たちの姿を描いたので、今度は芸術の明るい希望を描きたかった、という趣旨の話をしていました。その狙いにぴったりだったのが中谷宇吉郎の雪氷研究だったというのです。別のインタビューでも、中谷の人となりを調べるにつれ、「夢中になってしまった」と言います(BackStage A「詩森ろば インタビュー」)。砕いて言うと、すっかり惚れ込んでしまったのでしょう。先に引用した「機械から砂漠、音楽から音階へ」でも次のように述べています。
惚れた相手の人物像に横からあれこれけちを付ける野暮を承知で言ってしまうと、実在の中谷宇吉郎は妻に優しいイメージとは異なって「結構な亭主関白だった」との指摘(茨木孝雄「『立春の卵』のことなど」)があり、1970年代に同じ北大理学部に赴任した研究者が「北大の名を上げた低温物理学の開拓者である中谷宇吉郎であるにもかかわらず、当の北大において彼の影が薄く(中略)不思議に思った」(池内了「寺田寅彦と現代」)という記述もみられます。
でもこれらはどうでもいいでしょう。気になるのは、中谷の戦時研究が舞台設定の枠外とはいえ、まったく触れられないことです。いや、こういう表現は問題を切断してしまうような気がします。肝心なのは、中谷の研究姿勢が、戦時研究とどのようにして接続しているのかと設定し直した方がよいと思われます。
中谷らは戦時中、航空機の着氷防除、飛行場の霧消散方法、鉄道線路の凍上防止のプロジェクト研究を組織しました。ニセコ山頂に零式戦闘機(ゼロ戦)を運び込んで研究し敗戦後はその飛行機を谷底に突き落とした、などと地元で語り継がれています(雪の科学者「中谷宇吉郎」)。
彼は戦後、いくつかのエッセーで戦時研究に触れているので隠しているわけではありません(「鳥井さんのことなど」)。全集にすべて目を通したわけではありませんが、主な著作から伺えるのは、むしろ戦時研究も、現実に根ざした研究姿勢が通る当然の道筋だったと理解するのが自然だと思えます。弟子筋に名を連ねる東晃は戦時研究に関して「これらはいずれも現場の調査、観測を重視し、ニセコ山頂、根室海岸、斜里岳山頂、北海道各地の鉄道線路上で『現象をよく視る』という寺田寅彦ゆずりの指導原理に従って遂行され、基礎研究の立場が貫かれていた」(「中谷宇吉郎 経歴と業績」)と評していることでもある程度裏付けられるのではないでしょうか。
中谷の名を一躍広めた「雪」(岩波新書)の初版は1938年11月発行です。舞台設定の半年後になります。その最初の一章は、人工雪や結晶精製の話ではなく、日本海側の深刻な雪害のようすや対策研究の重要性が、「北越雪譜」もひもときながらしっかり書かれています。彼の面目躍如、研究の大本を表しているような気がします。戦前も戦時も研究姿勢に変りがない点に中谷の「科学」の特質があるような気がしてなりません。
こうしてみてくると、学問研究の純粋理念型を想定するのはあり得ることですが、「時代の希望」「創造のパワー」として中谷宇吉郎の研究を取り上げるなら、純粋型というより、もっと別のタイプとして扱うのがふさわしいのではないかと思えてきます。理念型は中谷よりもむしろ、ロシア・アバンギャルドこそふさわしいのではないでしょうか。アバンギャルドは現実を突き抜けるからこそ先鋭的理念としてアバンギャルドであり、だからこそアバンギャルドが自己実現すると、逆にいまある現実を情け容赦なく切り裂くからです。それが理念型の美しさであり、恐ろしさなのでしょう。
こういう感想は、実像と舞台造型をごっちゃにしているとの指摘を生むかもしれません。ただこう考えるのは、詩森さんが劇団のサイトに載せた次の文章に触発されたからです。
社会派と自ら名乗る意志はありません。しかし「パーソナル イズ ポリティカル(個人的なことは政治的なこと)」という言葉があるように「ポリティカル イズ パーソナル」という逆もまた真であって、その双方に対し、個人であるところの詩森ろばの興味と問題意識は拡がっており、両者に対し、明確な区別をあえて設けません。社会的な問題を社会的な問題として語るのではなく、個人的な問題として捉えなおしていく視点、そのための想像力こそ、今、演劇にもっとも必要な眼差しである、と風琴工房は考えています。(風琴工房とは)
こういう考えに変わりがなければ、おそらく次の作品が用意されることになりそうな予感がします。まず「理念」が現実に打ち砕かれる破壊の現場に立ち会ったあと、物語を逆に振って「理念」を純粋型として輝かしく取り出してみせてくれました。だからその後にに来るのは、「理念」がさまざまな形で現実化する話のような気がします。夢が破れ、希望が掲げられたら、あとは現実が待ちかまえています。三部作の、とりあえずの完結編です。
モチーフにこだわりすぎたかもしれません。舞台から立ち上がる光景を記録したいと思いつつ、その前段で膠着しているとも思います。しかし作者自身も、芸術理念型が「どこにでも行ける」がゆえに不安定であることを知っていました。希望を描くことは、夢なしには成立しないけれど、夢を紡ぐことと同じではありません。その微妙なずれから芸術の創造力が生まれるとするなら、純粋型ではない、現実の光と影もまた同根と言うべきなのではないでしょうか。ホップ・ステップ・ジャンプの着地を願うゆえんです。
(北嶋孝@ノースアイランド舎、5月14日補足追加)
[上演記録]
風琴工房「砂漠の音階」
下北沢ザ・スズナリ(2006年4月5日-12日)
作・演出:詩森ろば
出演:
杉山文雄(グリング)/岩崎裕司/増田理(バズノーツ)/宮崎新之助
松岡洋子/宮嶋美子/笹野鈴々音/浅倉洋介(以上 風琴工房)
(宮内善夫役の山ノ井史、急病のため降板し、宮崎新之助が代役)
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