デス電所『音速漂流歌劇団~燃える帝都バージョン~』

喜劇って言うか、陰気な作品って言うか、 それとも感動モノって言うんだろうか。 デス電所の『音速漂流歌劇団』ぐらい、 見る人によって見え方が変わる作品は少ないと思う。 自分自身、どう書いたらいいのか悩んでいる。 と言うのも … “デス電所『音速漂流歌劇団~燃える帝都バージョン~』” の続きを読む

喜劇って言うか、陰気な作品って言うか、
それとも感動モノって言うんだろうか。
デス電所の『音速漂流歌劇団』ぐらい、
見る人によって見え方が変わる作品は少ないと思う。


自分自身、どう書いたらいいのか悩んでいる。
と言うのも、なんだか、
「一定のもの」を拒んでいるように見えたからだ。

劇自体に一定の雰囲気が流れることも、
話を一本の線で結ぶことも、
画一的な評価も拒んでいるような作品だった。

『不思議の国のアリス』と、中原中也の詩が、
話の世界観の軸になっている。
ドジスンという名前のぬいぐるみに物語を話す少女が、

『アリス』の世界観を背負う主人公。
中原中也は、学ランの息子とその父親と、
序盤からずっと登場する、一片の骨が背負う。

『アリス』が象徴する遊園地と、
中原中也が象徴する動物園が、
いちおう、
この物語の舞台になっていると言っていいと思う。

だけどこの舞台は、ずっと廃墟だ。
並行して語られるどの話の中でも、壊れている。

動物園は経営不振や戦争で動物がみんな死に、
ジェットコースターの事故が起こって
死者を三十名出した遊園地は、つぶれている。

作品の中に含まれている幾つもの話は、
どれも途中から他の作品に乗り入れている。

少女がドジスンに語るお話の中に
遺族に平謝りする遊園地の社長が登場し、
その少女は
アニメオタクの青年に殺されて冷蔵庫に詰められ、

架空の国の魔法使いに発見される。
架空の国の王様は
行方不明の息子を捜しているうちに

いつの間にか遊園地の社長になっていて、
廃墟になった観覧車のてっぺんで、
自分が首を絞めて殺した息子を発見する。

どこからが事実として語られるのか、
どの話が誰の妄想なのか、一切分からない。
役者も1人で何役も演じているので、
衣装も変えずに突然役割を変えることができる。

「遊園地、もう無いんだ」「動物園も、もう無いんだ」と
いうセリフも繰り返し登場する。
廃墟になったテーマパークは存在するとは言い難い。

要するに、確実に存在するものは登場しないのだ。
人形が重要な小道具として多用されているのも、
象徴的な例だと思う。

そして虚無的な世界観と対照的に、
絶え間なく歌とダンスが入る。
劇団のテーマソングを始めオリジナル曲が多数、
最後はメドレーまで入っている。

ギャグシーンの直後に
父親に性行為を強要される少女のシーンが有って、
場が凍りつくと大音量で歌とダンスが入る。

劇場の雰囲気も次々に変わっていく。
拒んでいるみたいだ、
と思ったのはそういう点だ。

一定の印象を与えられることを拒んでいる。
一面的な雰囲気で突っ走ることを、
照れている、ようにも見える。

遊園地やサーカスっていうのは、
絶望的な状況や狂気を描く舞台によく使われる。
アリスを幼女姦のモチーフに、っていうのも
割と有りがちな感じがする。

この作品が夢物語で終わってない理由は、
話が現実にも乗り入れてきてるからだと思う。
死亡事故を起こすっていう手段で
遊園地を廃墟にしてしまったこともそうだし、

殺されて遺棄された少女の体には蝿がたかる。
生々しい臭いが噴き出してくるのはこういう瞬間だ。
マッド・ピエロなんかよりよほど救いが無い。

「あの頃は確かにあった、楽しい時間まで戻りたい」
という登場人物の願いに応えて、
話は時間も場所も超えて駆け巡る。
だけど、

何年かかっても楽しかった時間には戻れない。
「それでも、まだ間に合う。
 死んで骨になって、石になって虫になって、
 いつか人になったときに」

楽しい時間を離さずにいよう、というのが結末だ。
要するに希望を失わない、なのだが、
中原中也の恰好をした遊園地の社長と
レイプされて殺された黒服の少女が、

社長の息子が差し伸べる手に向かって走っていく
ラストシーンは、白々しくも何ともない。
そのまま全ての話の結末として通用するところが、
すごいな、と思った。

舞台装置や音響や、アニメのキャラの描き方、
言及したいことは色々あるんだけど控えておく。
大学の講義の題材になりそうなぐらい、
一つ一つに濃いぃ意味が入ってるからだ。

しかも喜劇の要素があって、最後には救いもあって、
でも絶望的な話で、歌とダンスが有って
アドリブでもかなり無茶をしている。

よく二時間に詰め込んだよな実際、というのが
見終わっての感想だ。
エログロ猟奇漫画で有名な丸尾末広が好きな人は、
この作品、気に入ると思う。

高校とか中学に持っていって上演したら皆熱狂しそう。
十代が好きそうな要素が全部入っている。
そんなこと言ってるあたしも十代なのだが。
ええ、好きでした、とても。

重い腰を上げて観劇に行ってこんな芝居に会うと、
ぐずぐずしていた自分が恥ずかしくなる。
賛否両論有るだろうけど、個人的にはこの芝居好きだ。
12月の次回作も期待しています。

―上演記録―

デス電所東京公演
『音速漂流歌劇団~燃ゆる帝都バージョン』

2006.4/13(tue)~4/16(sun) 下北沢・駅前劇場

出演:山村涼子 豊田真吾 丸山英彦 田嶋杏子 

   米田晋平 福田靖久 松下隆 竹内佑

   奥田ワレタ/羽鳥名美子(毛皮族)

デス電所ホームページ(モバイル対応)

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