KYOTO EXPERIMENT2013「使えるプログラム」

◎「劇は使える」という限定解除 ―『2013使えるプログラム記録集』から
 柳沢望

【表紙写真=©Satoshi Nishizawa 提供=使えるプログラム】
【表紙写真=©Satoshi Nishizawa 提供=使えるプログラム】

 国内でフェスティバル/トーキョーに次ぐ規模とも言われている京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)だが、そのフリンジ企画として、昨年に引き続き、「使えるプログラム」が今年も実施される(注1)。
 そのプログラムディレクターは「けのび」と名乗るグループの活動を積み重ねて来た実績はあるものの、まだ作家として評価が定まっていたとは言えない羽鳥嘉郎だ。むしろ、この20代の若手作家の評価は、KYOTO EXPERIMENTによる起用によって方向付けられたと言うべきかもしれない。その判断には、舞台芸術の未来に向けて舞台をめぐる状況を更新し続けるべきだという認識があっただろう。

(注1)「表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉20」の江口 正登「『使えるプログラム』のこと―『インストラクション』としての上演」参照。
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ARICA「しあわせな日々」

◎翻訳劇を翻訳の劇として明示する
 柳沢望

arica_happydays0a ベケットの「しあわせな日々」は、「ゴドーを待ちながら」のように二幕の戯曲である。一幕がはじまると、奇妙にも腰まで地面に埋まった中年女性のモノローグが続き、ニ幕がはじまると女は首まで地面に埋まっていて、歌で終わる。ベケット自身が英語で執筆し、フランス語に翻訳した。フランス語で書いて英語に翻訳したゴドーと、あらゆる点で好対照をなしている。
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雑貨団「.」←dot

◎シアトリカル・プラネタリウムはいかに演劇を拡張するか
 柳沢望

雑貨団「.」←dot公演チラシ 長野市立博物館のプラネタリウムでおこなわれた雑貨団の公演を見に行った。タイトルは「.」(ドット)という。
 雑貨団のことを知ったのは、最近たまたまプラネタリウムでの仕事を始めたからなのだが、長野市立博物館は、雑貨団がプラネタリウムを活用する演劇公演を始めた場所だったそうだ。活動の原点となる場所で、新作の初演がどのように披露されるのか、興味を抱きつつ出かけた。
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パスカル・ランベール作・演出「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」(SPAC版)

◎踊る世界の足元を示す
 柳沢望

「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」公演チラシ パスカル・ランベール作・演出の「世界は踊る~ちいさな経済のものがたり~」は、2010年1月にフランスで初演された時にも一般市民多数が参加して上演されたということだが、富士見市、静岡市、宮崎市の三ヶ所で行なわれた日本での上演は、それぞれの地域から多数の一般市民が舞台に参加、さらに、多田淳之介(富士見)、大岡淳(静岡)、吉田小夏(宮崎)の三人が、それぞれの地で共同演出者として参加し、別々のバージョンを上演するという意欲的な企画だった。
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スミイ企画「日常茶飯事」

◎すれ違うことで出会い直す
柳沢望

今回上演された『日常茶飯事』に限らず、佐々木透によるテクストが2010年の日本における劇作のひとつのエッジであることは紛れも無い。リクウズルームを主宰する佐々木透は、既に堤広志氏が注目し(注1)、川崎市アートセンター・アルテリオ小劇場のクリエイション・サポート事業に抜擢されたことさえあるものの、まだ評価が固まっているとは言えず、未だに「無名」であると言っても誇張ではないだろう。

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快快「SHIBAHAMA」

◎酷薄な皮肉さを肯定すること  柳沢望  快快の『SHIBAHAMA』は、古典落語の『芝浜』をモチーフにしながら、天井と四つの壁すべてにせわしなく映像を上映しつつ、断続的に多様な場面が入れ替わる、極めて同時代的な舞台作品 … “快快「SHIBAHAMA」” の続きを読む

◎酷薄な皮肉さを肯定すること
 柳沢望

 快快の『SHIBAHAMA』は、古典落語の『芝浜』をモチーフにしながら、天井と四つの壁すべてにせわしなく映像を上映しつつ、断続的に多様な場面が入れ替わる、極めて同時代的な舞台作品に仕上げられた上演だったと思う。

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チェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか?」、中野成樹+フランケンズ「スピードの中身」、Nadegata Inst

◎政治と劇場の間 ミュージアムで公開された3つの劇作品をめぐる時評的断章
柳沢望

「わたしたちは無傷な別人であるのか?」
チェルフィッチュ公演チラシ

『私たちは無傷な別人であるのか?』の公演を横浜美術館に見に行ったのは3月8日で、これはブレヒト的と言って良い舞台なのだろうな、と見ながら考えた。少なくとも、観客に問いを投げかける上演だった点でそう言えると思う。
ただ、その問いかけのなされ方についてはいろいろ考えてみる余地はあるだろう。それこそ、十分に思考を貫いた上での問いなのかどこかで思考停止した問いに過ぎないのかによって、問いかけの意味も違ってくる。そこに立ち返って考えたいのだけど、その上でこの記事では、中野成樹+フランケンズと、そしてNadegata Instant Party(ナデガタインスタントパーティー)の近作についても言及していく。

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二騎の会「F」

◎閉ざされた世界の底にわずかに残る演劇の希望
柳沢望

二騎の会「F」公演チラシ宮森さつきの脚本による『F』は未来社会を舞台にしたSF仕立ての二人芝居で、設定上、ある少女とその世話をするアンドロイドがホテルの一室のような場所にほとんど閉じこもって過ごす一年に満たない日々を、四季をたどる四つのシーンで描いていく。設定の突飛さを除くと、アンドロイドと少女二人の会話によって描かれていくシーンは、ごく日常的な情景と言っていい。今回の初演では、端田新菜が少女を演じ、多田淳之介がアンドロイドを演じた。演出は木崎友紀子。

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東京デスロック「ROMEO & JULIET」KOREA ver.

◎コンテクストを宙吊りにするゲームの可能性
柳沢望

「ROMEO & JULIET」公演チラシ東京デスロックを主宰する多田淳之介が演出し、韓国人俳優たちと作り上げた『ROMEO & JULIET』KOREA ver.を見た。これは、韓国で制作されて評判を呼び、再演もされた舞台作品の「キラリ☆ふじみ」上演版だ。多田淳之介は埼玉県富士見市の公共劇場「キラリ☆ふじみ」の次の芸術監督に決まっている。今回の上演は、いわばそのお披露目的な意味合いもあるのだろう。

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劇団どくんご「ただちに犬 Deluxe」

◎美しく正確な演劇
柳沢望

「ただちに犬 Deluxe」公演チラシ今年の5月から、移動テントで全国各地をツアーしている劇団どくんごによる舞台作品「ただちに犬 Deluxe」。その、埼玉(浦和美園)での公演を見た(9月20日)。私などは、テント芝居なんて聞くと、一昔前のものという風に思ってしまいがちだけれど、移動するという条件において研ぎ澄まされるものもあるのだ、と直に見せつけられた感じだ。

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