二騎の会「一月三日、木村家の人々」

◎訪れるものの形象、宙吊りの悲喜劇
柳沢望

「一月三日、木村家の人々」公演チラシ『一月三日、木村家の人々』は、介護に疲れた30代独身の娘が認知症の父親を巻き込んで心中をはかる場面から始まる。とはいえ、この戯曲をある種社会派的なリアリズムとして受け取るべきではない。そうすれば、中途半端な出来と評価するほかは無い。

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「キレなかった14才 りたーんず」

「キレなかった14才 りたーんず」、あるいは演劇の再起動
柳沢望

「キレなかった14才 りたーんず」公演チラシ1.「りたーんず」の企画趣旨

2009年4月16日から5月6日まで開催された「キレなかった14才りたーんず」(以下、「りたーんず」と呼ぶ)は、1982年に生まれた演出家5人と1984年生まれ1人が、東京駒場のアゴラ劇場でそれぞれに舞台の新作を発表した企画だ。

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河村美雪+伊東沙保+岸井大輔「play away」

◎複数的な創造プロセスを切り出すパフォーマンス
柳沢望

様々な舞台芸術を見続けてきて、良い舞台を見たときだけに生まれてくる、特有の感覚が私にはある。
それは、舞台の空間がしんと静まり返り、時間の感覚がどこまでも透明になって、意識の集中が空間全体に広がるような、そんな感覚だ。いつだって、その感覚を探して、舞台を追いかけてきた。
『play away』の上演中、まさに、その感覚に包まれた。そのゆえんを探ってみたい。

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#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て

 今春、散歩しながら見る演劇「ポタライブ」の新作2本がアゴラ劇場の「冬のサミット」参加作として上演された。作演出は岸井大輔。舞台となったのはアゴラ劇場がある駒場周辺と、アトリエ春風舎がある小竹向原駅周辺。2つの町からドラ … “#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て” の続きを読む

 今春、散歩しながら見る演劇「ポタライブ」の新作2本がアゴラ劇場の「冬のサミット」参加作として上演された。作演出は岸井大輔。舞台となったのはアゴラ劇場がある駒場周辺と、アトリエ春風舎がある小竹向原駅周辺。2つの町からドラマをすくいあげてみせたこの連続公演は見事な対照をなして、ポタライブの到達点を示し、その更なる可能性をも開いて見せた。(本稿はCutInに寄稿した原稿に加筆訂正したものです。投稿の際、伊東沙保さんの名前を伊藤と間違えていました。お詫びして訂正します。)

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手塚夏子・振付「関わりを解剖する二つの作品」

◎立体的な広がりの到達点と更なる可能性
柳沢望

「関わりを解剖する二つの作品」公演チラシ3月末、『関わりを解剖する二つの作品』と題して、手塚夏子の振付作品が2本上演された。手塚夏子は近年『私的解剖実験』と題したシリーズによってダンスの方法論を模索する試みを続けてきたが、今回の二作品では、今まで探求されてきた方法論が組み合わされ、立体的な広がりを見せ始め、手塚の方法論のひとつの到達点を示すと共に、更なる可能性を予感させるものになった。

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五反田団「さようなら僕の小さな名声」

◎布団の奥に広がる宇宙 普遍性への通路としての自己パロディ
柳澤望

「さよなら僕の小さな名声」公演のチラシ0.

五反田団の新作『さようなら僕の小さな名声』では、台本と演出を手がける前田司郎本人が自分役で舞台に登場する。岸田戯曲賞の候補になりながら受賞を逃した(二回も)という経験を踏まえた物語が始まる。

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中野成樹+フランケンズ「暖かい氷河期」

◎ドラマとギャグの間のミディアムテンポ
柳澤望

「暖かい氷河期」公演チラシ表先ごろ上演されたフランケンズの新作『暖かい氷河期』は、ゴルドーニの『二人の主人を一度に持つと』を取り上げた上演だった。フランケンズは、昨年『ラブコメ』と題して、モリエールの『女房学校』を上演していたが(注1)、この2作はコメディア・デラルテを起源としたヨーロッパ喜劇の歴史をたどる連作のようになっている(注2)。

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ポタライブ世田谷編「ヒナ」

◎「近所」のドラマを掘り起こす
柳澤望

「ポタライブ」というのは、岸井大輔さんが自身で生み出した演劇様式をあらわすためにあみだした造語で、ポタリングのポタとライブを組み合わせた言葉。観客は実際の街を散歩しながらそこで行われるパフォーマンスを見ていきます。

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#4.ARICAの『キャラバン』/白い空間

 たいていの劇場では、舞台の壁が黒く塗られていると思う。たとえば横浜のST Spotのように、壁が白く塗られた劇場もあるけれど、例外的なものだろう。  ARICAの公演『キャラバン』は、ギャラリー的なスペースで上演されて … “#4.ARICAの『キャラバン』/白い空間” の続きを読む

 たいていの劇場では、舞台の壁が黒く塗られていると思う。たとえば横浜のST Spotのように、壁が白く塗られた劇場もあるけれど、例外的なものだろう。
 ARICAの公演『キャラバン』は、ギャラリー的なスペースで上演されていて、真っ白な壁に囲まれた空間でパフォーマンスが展開していたのだけれど、この作品のテーマの核心は、この白い空間と密接な関連を持つものだったのではないだろうか。

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#3.ストロベリークリームと火薬/空間と自由

東京国際芸術祭の公演、ヤスミン・ゴデール振付作品、『ストロベリークリームと火薬』を見てきた(最終日の公演)。邦題では省略されてしまっているが、英語での原題は、YASMEEN GODDER & The Blood … “#3.ストロベリークリームと火薬/空間と自由” の続きを読む

東京国際芸術祭の公演、ヤスミン・ゴデール振付作品、『ストロベリークリームと火薬』を見てきた(最終日の公演)。邦題では省略されてしまっているが、英語での原題は、YASMEEN GODDER & The Bloody Bench Players present: “STRAWBERRY CREAM & GUNPOWDER”となるそうだ。終演後のトークで、この The Bloody Bench Playersという言葉が重要な意味合いを帯びているものだったと知った。ベンチに座ったままで、プレイヤーとしてフィールドにたってプレイしているわけではない、Bench Players。その傍観者的性格は、イスラエルに関する報道写真をベースに創造されたこの舞台の性格を端的に語るものだったらしい。そのことを知って、自分が舞台を見ながら考えたことが全く的外れだったわけではないと思った。

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