「キレなかった14才 りたーんず」、あるいは演劇の再起動
柳沢望
1.「りたーんず」の企画趣旨
2009年4月16日から5月6日まで開催された「キレなかった14才りたーんず」(以下、「りたーんず」と呼ぶ)は、1982年に生まれた演出家5人と1984年生まれ1人が、東京駒場のアゴラ劇場でそれぞれに舞台の新作を発表した企画だ。
「りたーんず」の出発点は、柴幸男、篠田千明、中屋敷法仁の三人が、アゴラ劇場の「2009年度春の主催・提携カンパニー」に名乗りを上げたことから始まる(注1)。発起人の3人が気になる演出家の名前を挙げて、残り神里雄大、白神ももこ、杉原邦生の3人が参加することになった。
アゴラ劇場の企画公募に若手演出家が共同で企画を立ち上げるという仕方で応募したとき、同世代の舞台表現を共通のテーマでまとめあげるという構想はすでにあって、そのようにしてより広い観客にアピールすることが意図されていたようだ。
柴幸男は企画趣旨についてこう述べていた「演劇と社会がより関係をもつこと、それがこの企画の目的です」(注2)。
つまり、それぞれの作家が単独で上演するだけでは結べないような一般の観客との関係を結ぶための選択として「キレなかった14才」というテーマがあった。
共通テーマとしては、既存の戯曲や、漫画家の作品などが候補として挙げられたが、モチーフを共有する力に不足しているために退けられたという。
結局、残された共通点として、かつて「世の中から『キレる14才』と括られた」経験が残ったということだ。酒鬼薔薇事件を共通テーマとすることは、6人の話し合いの中で決まったそうだ。
ここには、それぞれの作家がフェスティバルの成功に向けて退けるべきものを退け、選ばざるを得ないものを選んだ、演出家的な判断がある。この時点からすでに、フェスティバルは集団創作として始まっている。
ある殺人事件が社会問題化されたことを共通テーマとすること、それによって人の耳目を集めようとすること、そこにはためらいもあったようだ。
企画した彼らの中には、かつて安易に「キレる14才」というレッテルを貼られたことに同意できなかったという思いもあり、今回のテーマ設定が同じような安易なレッテル貼りにつながるかもしれないという危惧もあったという。
そうしたためらいや危惧を経てなされた判断は、だから、決して軽はずみなものではない。
このテーマを提案し、フェスティバル名を決めるにあたってイニシアティブを取ったのは、快快の篠田千明だったようだ。
「柴と中屋敷となんかやろーぜってなった時に、/これは、ずっとここ2、3年、自分の中でよくわからない、/というか位置づけられない『社会』を相手にできるかもしれない、チャンスだ、と思った」(篠田千明)(注3)。
他の演出家がどれだけ事件について考えたかはわからないが、篠田は、大宅壮一文庫で事件当時の資料を調査したそうで、事件についてしっかりと考えていることがうかがえる(注4)。
2.企画の具体化に向けた動き
フェスティバルの中核にあるのは、6人の演出家による舞台作品の上演である。それぞれが新作を上演したのだが、なじみの役者は登用せず、キャストは合同のオーディションによって決定された。応募者はプロの俳優から現役女子中学生までさまざまだった。
たとえば、同じ応募者を複数の演出家がキャストに希望した場合には、どのような作品を上演したいのか、そのキャストの必要性がどこにあるのかを、演出家のそれぞれが納得いくまで話し合って決めたという。
こうしたプロセスにおいて、それぞれの演出家は互いに演劇観を問い直さざるを得ない。上演というゴールに向けて、6人の演出家がそれぞれに刺激しあいながら、作品を作り上げていくプロセスは、合宿などの企画も交えて進められた。
スタッフやキャストが駅伝に参加したり、公開稽古が行われたりと、プロモーションにもつながるさまざまな企画が実施された。その様子が取材されたり、Webサイトに反映されて、フェスティバルの広報に生かされた。事前にプロセスが公開され、ウェブ上で話題を提供していったのだ。これは、演劇の外にいる一般観客を強く意識しているからこそ実現できたことなのだろう。
今回の企画は、2005年に同じアゴラ劇場で行われた「ニセS高原から」を先行事例として参考にしていたという(注5)。
「ニセS高原から」では、同じセットで複数の演目が入れ替わり上演されたが、今回の企画でも、同じ舞台装置で、入れ替わり複数の演目が上演された。一日二演目、三演目の上演がなされた日もある。舞台装置をどう設計するかも、演出家たちがミーティングを重ねて決めたそうだ。
鉄パイプが組まれて、舞台を囲む壁に、ジャングルジムのような、あるいは檻を思わせるような、立方体のフレームが積み重なる構造がつくられ、同じサイズの格子(グリッド)模様が床にも描かれる。
さまざまな解釈を許す抽象化された装置だが、ある場合には足場となり支持体となって舞台の可能性を拡張する建築的な構造として活用されもし、あるいは、そのフレームは、社会の閉塞感を観客に無意識に伝える隠喩的造形として活用されたかもしれない。
舞台装置の共有は、多演目の同時上演を進める便宜の上で求められただろう。だがそれに留まらず、企画のテーマを象徴するような同じ装置の共有は、それぞれの作品に共通する前提の明示となり、そこから生まれてくるそれぞれの創意の違いは、逆に、より際立つことになった。
そういう面からも、それぞれの演出家はフェスティバル全体を共同で作り上げていったのだ。
フェスティバルのパンフレットを雑誌という形で一般に販売し、あわせて演出家たちが本を選んでフェアを開くという、書店の店頭も巻き込んだプロモーションも行われた。
これらのさまざまに工夫され手間をかけたプロモーションが、十分な成果を上げたことは、フェスティバル全体でのべ3500人という観客動員の実績が証している。
また、演劇というジャンルにとらわれない外の視点も持った気鋭の若手ライターや編集者がフェスティバルに巻き込まれていった(注6)。
本来、舞台作品の演出は、広報から受付までを含んだ上演の実現の全体にまで及ぶべきだが、このフェスティバルでは、6人の演出家と、制作スタッフが、集団的なクリエイティブを現実化することに成功している。
フェスティバル終了直後の5月14日に行われた「劇談」というトークイベントもそのような流れの中で実現した(注7)。
「劇談」は、音楽ライターの土佐有明氏を司会に、発起人である3人と神里雄大がフェスティバルにいたる1年を振り返るものだったが、そこで披露された発起人3人の共作による短編作品は、フェスティバル開催にいたる1年間を凝縮して示すようなものだった。
そして、トークでは、準備を含めたフェスティバルの全体が持っていた演劇的な可能性が語られる時間が多かった。
準備期間から本公演までの、演劇と社会を新たに結び直すことを模索する、1年に及ぶさまざまな企画の全体を、6人の演出家を中心とした集団が長期にわたって実現したひとつの演劇作品として受け取ることもできるだろう。
3.各演出家の作品について
ここで、6人の作家それぞれの上演作品がどのようなものだったか、短く振り返っておこう(注8)。
篠田の『アントン、猫、クリ』は、「地域でかわいがられた猫」にまつわる人々のつながり、人々の世界への関わりが、猫の死に触れることで変容し、そして日常に戻っていくまでを、サンプリング音源を編集するような独特の手法で描き、単線的なナラティブやレッテルのような紋切り型の言葉が覆い隠してしまうリアリティを示して見せた。
中屋敷の『学芸会レーベル』は、虚構が時には人を犯罪にまで走らせる危険なものであることを寓意的に示しながら、新自由主義的な社会においてしぶとく演劇を続けていく意志を作品に託したもので、虚構の力の暴走として犯罪を捉える視線は、虚構の暴走を虚構の中で救済しようとする。
柴の『少年B』は、創造性への憧れが犯罪や暴力への憧れの抑圧と表裏をなすような自意識の構造を舞台化し、14才的なアイデンティティの危機が克服されないまま大人になった演劇人を描き、創造性が社会的現実や歴史から遊離してしまうという現代演劇の困難な条件を指し示した。
杉原の『14歳の国』は、かつて事件に応答しようとした宮沢章夫の同戯曲を上演することを通じて、演劇が社会的事件を意味づけ物語ろうとすることの困難と、その限界をはっきりと見せた上で、口語劇的な戯曲から逸脱するパフォーマンスの中に、脱社会性が生み出される社会のあり方をダイレクトに生き直すかのような舞台を造形した。
神里の『グァラニー ~時間がいっぱい』は、南米移民の血を引く自らの出自を参照するナラティブを、「帰国子女」的境遇から日本社会の自明性を異化してみせるメタ演劇的な構造として作品化することで、事件自体をまさに生み出しながら社会問題化する形でそれをやりすごそうとした日本社会と作家自身との距離を示し、その距離の中にあって希望を持って生きていくスタイルを示唆した。
白神の『すご、くない』は、男/女、日本人/外国人、正常/異常などなどの社会的意味付けの作用を逃れ、「どちらかであれ」と迫るような社会的現実から離れた生のあり方が可能性であることを舞台造形の中にダイレクトに提示した。
これらの作品は、あの事件が安易なレッテルによって社会問題化され消費させられたことによって見失われたものは何なのか、観客それぞれに問いを開くものだったろう。
作品それぞれが、それぞれに別の仕方で、「社会問題」を読み直す視点をもたらしながら、現代社会において演劇を続ける意味を問い直していて、その答えを別々に作品としてあらわしている。
4.ロビーの活用
「りたーんず」では、劇場ロビーは「KR14教室」として作品化された。学校で使うような机と椅子が持ち込まれ、仮設の黒板には当日の案内などが書かれ、備え付けの書棚には各演出家の蔵書が展示された。
ロビーでは、フェスティバルの関連企画として、ポタライブの実績で知られる岸井大輔(PlayWorks主宰)がインタビューやトークライブなど、連日誰かと話をするというパフォーマンスを継続した(注9)。岸井自身にとっては、インタビュー取材をもとに自身が創作するプロセスを見せるというものだったが、それは岸井自身の作品には留まらない展開につながった(注10)。
岸井は、2008年の「沈黙のトークショー」では8時間にわたるトークライブ自体を演劇として見せることを試み、09年2月の「百軒のミセ」では、10日間あまり同時多発的に作品が上演される状況を続けることを試みて、出入りする人々がその場を演劇的にポテンシャルの高い場にしていく方法を模索した。
そうした、ある種つかのまの共同性の輪が創発されるよう促すことに長けた岸井のノウハウが、少しずつ触媒として働いたようだ。
フェスティバルの後半になると、ロビーは、各演目の合間に、出演者たちがさまざまな企画を自分から発案して、幕間に披露するような空間になっていった(注11)。複数演目を見る観客も、幕間の小一時間を飽きずに過ごすことができた。
つまり、アゴラ劇場自体が、集団創造が自ずと生起するような、祝祭的な空間に変容していったのだ。そこから出会いが生まれ、舞台について語る輪が広がり、さまざまなパフォーマンスが生まれるような場がつかのま実現したのだ。
岸井大輔が今回ロビー企画を通して「りたーんず」に参加したのは、企画者の柴幸男の上演にアフタートークのゲストとして参加したのが縁だったということだが、岸井を巻き込むことがフェスティバルのポテンシャルを上げることにつながるという判断も、演出的に的確だったのだろう。ここからも、「りたーんず」の制作者と企画者がフェスティバルの全体を、祝祭的であるがゆえに創造的である、そういうものにしようとしたことがうかがえる。
「14歳の国」の最終公演が終わったあと、宮沢章夫と杉原邦生によるトークがロビーで開催されたことも、ロビー企画によって空間が暖められていなかったら、実現しなかっただろう。演出家たちも、それをフェスティバルのひとつの達成として認めているようだ。
「劇談」では、そうした祝祭的な雰囲気が内輪の盛り上がりに過ぎなかったのではないかという反省もなされた。
だが、それは単なる内向きの共同性だったわけではなく、確かに、その場に人々を巻き込むような性格のものだった。
名実ともに、「りたーんず」はどこまでも演劇フェスティバルとして成功したのだ。
5.「りたーんず」の演劇史的な意義について
最後に、フェスティバル全体の演劇史的な意義について、考察を試みたい。私には「りたーんず」の全体が、まるでフェリーニの『8 1/2』のようだという印象が残った。
『8 1/2』は、映画監督が、映画が作れなくて悩む様子と、完成できずに悩んでいる映画の構想のイメージが重なり合う、いわば「映画についての映画」だ。そこで、映画はどのようなものであるべきか、というジャンルの本質や時代性についての問いが、作家自身のアイデンティティの危機とその克服に重なり合っている。
ジャンルの意義を問い、作家が創作に取り組む姿勢が問い直され、最後には祝祭が肯定される。ひとつの演劇作品として見た「りたーんず」は、こうした問題系を『8 1/2』と共有している。おそらく、これは単なる偶然の一致ではない。
「演劇についての演劇」を作家たちが競作/共作したものとして「りたーんず」を考えられるとして、では、なぜ、今、若手演劇人が演劇を問い直し、その成り立つ根拠を新たに据えるような創作活動を共にすることが必要だったのか。
60年代に新劇に対抗する形で小劇場演劇が生起するとき、たとえば、新しく小さな劇場を設けることから演劇が始まった。そこでは、学生運動がそうであったと同様、若者が世界的な歴史を意識せざるを得ず、たとえば都市と農村、産業と文化の間にある矛盾がせめぎあう中で、若者が導かれるその場から、演劇が立ち上がる。そこでの共同性は、既存の文化や社会に抗する形で、社会や歴史に根を張った表現の基盤となる。
「アングラ」からポップに変容した80年代小劇場演劇も、高度資本主義が消費社会を完成させていく過程において、地域共同体が決定的に崩壊する最後のプロセスと併走していたはずだ。「80年安保」としてのサブカルチャー(橋本治)。
80年代的小劇場もアングラも新劇も同時代の表現としての意義を見失い、一般の観客は劇場から離れ、知的な緊張が演劇と他のジャンルの芸術や批評との間に結ばれることもない90年代。かりそめの盛り上がりのためだけに上演が繰り返される没歴史化が演劇というジャンル自体の信用を低下させる。
そんな状況において、「現代口語演劇」は、社会から距離を置いて反省という位置に徹することによって、逆説的に社会と関わろうとした。いわば限りなく実際の社会とは無縁であることによって社会の鏡となることが目指される(「都市に祝祭はいらない」)。その意味で、現代口語演劇もまた没歴史的であった。
第二次大戦後のイタリア。惨禍が残した廃墟において、リアリズムが自ずと有効性を持った(ネオリアリスモ)。しかし、その有効性は、いつまでも続くものではない。
バブル崩壊後の日本。いわば資本の運動に蹂躙された廃墟で現代口語演劇が新たな意匠となる。まるで、そこで演劇史が終わっているように見える。
かつて社会から直に演劇が立ち上げられていたことの代わりに、「りたーんず」では、フェスティバルという形で共同性を仮構することで、そこから演劇が立ち上がったようにみえる。フェスティバルを通じて意図的に生み出された熱気は、かつてなら歴史的な必然が用意した共同性という足場の代替物となっているかのようだ。
過去の意匠がちらばった瓦礫の山の中から、演劇を再起動するような作業。それは、一面では貧しさの現れに他ならない。しかし、それは高度資本主義の荒野でポテンシャルを秘めたさまざまな文脈を劇場に巻き込もうとする冒険でもあった。その点において、「りたーんず」の全体は、まぎれもなくひとつの演劇(虚構)だった。
「6人は全員演出家です。演出家、というのは目の前で何が起きたらわくわくするか、/ということをそれぞれのやり方で、ひたすら考える役割の人です」(注12)。
ここで私は、戸井田道三がかつて「演出家は舞台上のことだけではない。舞台が社会の存在である限り歴史の演出家でもあるのだ」と語ったことを思い出す(注13)。 戸井田道三がそう語るとき、そこに『子午線の祀り』の上演に触れた経験が響いている。『子午線の祀り』を歴史の表現であり、新たな歴史を生み出すものと見る戸井田道三は、演技は集団からしか生まれないとも言っていた。
戸井田道三のこの言葉は、りたーんずの6人にはなぜフェスティバルが必要だったのか、それを考えるためのヒントを与えてくれていると思う。
(初出:マガジン・ワンダーランド第140号、2009年5月20日発行。購読は登録ページから)
(注1) 次の記事を参照 http://fringe.jp/topics/2008/06/081.html
(注2) http://kr-14.jp/kr-14web/kikaku.html
(注3) http://kr-14.jp/kr-14web/kikaku.html
(注4) 宮沢章夫を交えて行われたキックオフミーティングでの篠田の発言から。これは事前チラシに掲載されている。
(注5) 「ニセS高原から」については次の記事にまとめた。http://www.wonderlands.jp/index.php?itemid=369&catid=9
(注6) 関連雑誌の編集はエクス・ポの編集なども手がける藤原ちから氏。『QJ』に同フェスティバルの告知記事を書いた梅山景央氏も合宿などを取材したという。
(注7) 「『キレなかった14才 りたーんず』とはなんだったのか!?」と題してUPLINK FACTORYを会場に開催された。http://www.uplink.co.jp/factory/log/003019.php
(注8) それぞれの作品についての詳論は、「白鳥のめがね」を参照のこと。http://d.hatena.ne.jp/yanoz/
(注9) その様子はブログ記事として残されている。http://14199702091982.seesaa.net/
(注10) ちなみに、今回のフェスティバルでの取材を生かした岸井自身の作品は、結局会期中には発表されることはなかった。
(注11) 「でぶ学講座」、生演奏、即興ダンスほか、さまざまな企画が会期中に実現し、フリーペーパーも誕生した。ロビー企画の記録の一部は次のアドレスから見ることができる。 http://kr-14.jp/kr-14web/2009/05/post-25.html
(注12) http://kr-14.jp/kr-14web/kikaku.html
(注13) 『劇場の廊下で』(麦秋社 1981年)p.177
【筆者略歴】
柳沢望(やなぎさわ・のぞみ)
1972年生まれ長野県出身。法政大学大学院博士課程(哲学)単位取得退学。個人ブログ「白鳥のめがね」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yanagisawa-nozomi/
【上演記録】
6人の演出家による連続上演「キレなかった14才 りたーんず」
http://kr-14.jp/kr-14web/
こまばアゴラ劇場(2009年4月16日-5月6日)
http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_04/kr14.html
○企画者:柴 幸男(青年団演出部)/篠田千明(快快)/中屋敷法仁(柿喰う客)
○参加作品
『少年B』作・演出:柴 幸男(青年団演出部)
出演:井上みなみ 大柿友哉(害獣芝居) 岡部たかし 玉井勝教 山田宏平(山の手事情社)
『アントン、猫、クリ』作・演出:篠田千明(快快)
出演:カワムラアツノリ(初期型) 中村真生(青年団)
『学芸会レーベル』作・演出:中屋敷法仁(柿喰う客)
出演:伊東沙保 今村圭佑(Mrs.fictions) 荻野友里(青年団) 川口聡 川田希 大道寺梨乃(快快) 武谷公雄 田中佑弥 永島敬三 三澤さき
『グァラニー ~時間がいっぱい』作・演出:神里雄大(岡崎藝術座)
出演:上田遥 菊島かずは 坂倉奈津子 宇田川千珠子(青年団) 高須賀千江子 寺田千晶 杉山圭一(北区つかこうへい劇団)
『すご、くない』振付・構成・演出:白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)
出演:川崎香織 池田義太郎 石松太一 重岡漠 清水嘉邦(SpaceNoid) 千田英史(Rotten Romance)
『14歳の国』作:宮沢章夫 演出:杉原邦生(KUNIO/こまばアゴラ劇場<サミット>ディレクター)
出演:真田真 菅原直樹 山崎皓司(快快) 鈴木克昌 小畑克典(青年団)
★:ポストパフォーマンストーク
4/16(木) 篠田20:00 篠田×中屋敷×杉原
4/17(金) 神里20:00 神里×篠田×白神
4/18(土) 白神19:30 白神×柴×神里
4/19(日) 柴19:30 柴×篠田×白神
4/20(月) 中屋敷19:30 中屋敷×柴×杉原
4/21(火) 杉原19:30 杉原×中屋敷×神里
4/23(木) 中屋敷19:30
4/28(火) 中屋敷14:00 白神19:30 りたーんず演出家全員集合!
5/01(金) 中屋敷19:30
5/05(火) 中屋敷20:00
チケット料金
一般:予約 2,500円 当日 2,800円 / 高校生以下:予約・当日共 1,000円
[平日昼割引] 一般:予約 2,000円 当日2,500円 / 高校生以下:予約・当日共 1,000円
○スタッフ
企画:柴幸男・篠田千明・中屋敷法仁/舞台監督:佐藤恵/舞台美術:佐々木文美/照明:伊藤泰行 富山貴之/音響:星野大輔/宣伝美術:天野史朗/web:加藤和也/制作統括:野村政之 宮永琢生/制作:木元太郎 山本ゆい/制作協力:佐藤泰紀/雑誌編集:藤原ちから 武田砂鉄/特別協力:熊井玲(シアターガイド)/協力:STスポット シバイエンジン
○関連企画
・雑誌『りたーんず』(仮題)刊行
・playworks#1.1『14=1997.02.09-1982』by 岸井大輔(playworks主宰)
○企画制作:キレなかった14才 りたーんず/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
○主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
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