#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て

 今春、散歩しながら見る演劇「ポタライブ」の新作2本がアゴラ劇場の「冬のサミット」参加作として上演された。作演出は岸井大輔。舞台となったのはアゴラ劇場がある駒場周辺と、アトリエ春風舎がある小竹向原駅周辺。2つの町からドラマをすくいあげてみせたこの連続公演は見事な対照をなして、ポタライブの到達点を示し、その更なる可能性をも開いて見せた。(本稿はCutInに寄稿した原稿に加筆訂正したものです。投稿の際、伊東沙保さんの名前を伊藤と間違えていました。お詫びして訂正します。)


 小竹向原を舞台にした作品『界』(さかい)では、演劇集団「ひょっとこ乱舞」の女優、伊東沙保が散歩コースの案内役を務める。10名ほどの参加者一行は案内役に連れられて集合場所の地下鉄有楽町線小竹向原駅を出発し地上への階段を上がって住宅街へ向かう。「このあたりには古くからの農家も残っている」という案内を聞きながらついてゆくと、小竹村の歴史をこの上演のために調べたいきさつが語られてゆく。
 なんでも、徳川家の二代将軍秀忠に嫁いだお静という娘が昔このあたりに住んでいたらしいが、周辺の旧家に訊ねてみても「昔村から外に嫁ぐことは無かったはずだ」という答えしか返ってこないという。「何か隠し事がありそうなとき取材を進めるための秘訣は神社に詣でる人を待ち構えることなんです。それで、素盞嗚尊をまつるこの神社の前でずっと待っていたら、ひとりの若い女性にたまたま出会って『その話お母さんから聞いた』って『お静の方』が居た場所に案内してくれたんです」・・・・そんな風に、実際に神社を通りながら案内する伊東の言葉は、いつしか語りに登場した女性の「子どものころはまだあの道路はできていなくて」といったモノローグにうつりかわっていく。ポタライブでは、中心的な作家である岸井大輔本人が案内役を務めることも多いが、今回は岸井が案内役の言葉すべてを伊東に当て書きしたということだ。
 小竹向原周辺に住んでいたという女性のモノローグは、伊東の素と見える案内と切れ目無く入れ替わり、町を案内する語りはいつのまにか、お静の方と秀忠の出会いを娘に語り伝える母親の言葉になってしまっている。そして、その母親が向原の団地で暮らす戦後の物語は、秀忠とお静の物語と重ね合わされ、さらに秀忠の物語は秀忠の夢をめぐる語りの中でスサノオ神話と二重写しになる。伊東の語りは町の案内からそこに住む女性、その母や父、そして秀忠へと主体をゆるがせてゆき、物語の神話的な類型は時代それぞれに装いを変えてそれぞれの物語に化身していく。
 同じ核を共有しながら複線的に進行する物語が、今は暗渠に埋められた川の痕跡を辿る散歩に重なって進行してゆくと、土地にちなんだドラマは歴史の古層から立ち上がり、戦後の痕跡を残した風景はつかのまの舞台として転生する。

 今回「冬のサミット」をディレクションした岡田利規は「野外に負けないために強いパフォーマンスを行う野外劇一般の手法とは逆に、弱い表現を挿入してまちに眠るドラマを感じさせていくのがPOTALIVEの方法」と書いていた。
 『界』では、ジョギング中のように散歩の一行を追い抜いたり、公園で傘を洗ったり、座って本を読んでいたり、直接物語とは関わらないようなさりげないパフォーマンスの積み重ねが風景を際立たせ、むちゃくちゃにバットを振り回すようなパフォーマンスが、スサノオの戦いや秀忠の苦悶に折り重なる。
 語りの断片から物語の核となる原型的イメージが引き出されたあと、ラストシーンでささやかながら毅然とした生活の希求へと結実されてゆく語りは、コンクリートの護岸で固められた石神井川にかかる橋の上で、大昔の関東平野に広がる原野のイメージと溶け合って終わる。町の風景を舞台と化する試みと、壮大な物語とが見事に結びつき、ポタライブの到達点を示す佳作となった。

 『界』での語る主体の入れ替わりはチェルフィッチュの手法を思わせもしたが、自分の住んでいた場所の記憶を語るという設定の伊東の演技に連れられてその場を歩いていると、まるで物語りのなかの人物が直接自分に語りかけてくるかのようだ。客席と舞台との線が踏み越えられることはないチェルフィッチュの方法論とは幾分か異なる仕方で、フィクションが立ち上る場に観客は巻き込まれている。そんな、ポタライブが持つ観客参加の可能性をより強く押し出したのが駒場編『museum』だった。
 ポタライブでは案内人に連れられて参加者一行が固まって歩くことになるが、『museum』では、岸井が案内する作品と平行して別の案内人に連れられて同時進行するもうひとつのポタライブ上演の様子を役者達が演じるという劇中劇的でトリッキーな構成で作品が進行する。予告されていた『museum』というタイトル自体が作中作の名前とされてしまうのだから仕掛けは込み入っている。
 ポタライブでは、参加者それぞれが、案内を聞いたりパフォーマンスを見たりしながら、幾分かお互いをパフォーマーとしても見ているものだが、そういった観客参加的なポタライブの構造そのものが作品に取り込まれて反省的に明示されていることになる。
 『museum』では、かつて駒場にあった帝国陸軍の拠点の跡を辿ってゆく間に、戦前の政治史のひとつの大きな転換点が主題化されてゆくことになる。戦争をめぐる記憶と向き合うことは難しい。戦争をめぐるドラマに正面から向き合うためには、その立ち位置のあり方が問われる。
 岸井の弁によれば、いままでもポタライブの観客から「戦争を扱わないのか」と問われることがあったという。東京の市街に取材したドラマを作ろうとすれば、第二次世界大戦の痕跡に否応なしに出会ってしまうことになる。いままではその困難さからはっきりと取り上げることの無かった戦争というテーマに初めて本格的に取り組んだのが今回の『museum』だったという。
 現在の東京は、戦争があったからこそ今こうしてある。その姿に批判的に対峙することを通じてこそ、賛美とも平謝りとも違う回路を戦争の記憶と痕跡との間に結ぶことができるのではないか。そのような課題を果たすためにこそ、トリッキーな劇中劇という仕掛けが要請されたのだろうか。

 『museum』では、歴史の奔流にわけもわからず巻き込まれてしまうことと、行く先もわからず上演に立ち会ってしまうことがどこかで照応していたかのようだ。しかしそこでは同時に、作品構成の入れ子的な相対化の企てにおいて、神話的な原型の力に巻き込まれるようにドラマに没入することは許されない。観客は一見でたらめで作品自体を笑い飛ばすかのようでもある作品のメタフィクション的構造の突飛さに戸惑いながら、情緒を宙吊りにされ、どこかで冷静な目を保つように促される。

 ポタライブの持つ観客参加の構造そのものを歴史という大きなドラマに向き合う装置として機能させるという面では、まだ未消化な部分も大きく残っていると思われた。ファシズムにおいて機能するドラマの危うさに迫りつつそれを相対化するという両義的な試みは、あらかじめ死産するように仕向けられることで安全性を担保されていたかのようにも見える。

 観客参加を促すポタライブの試みそのものに、新たに歴史を開く回路が秘められている。しかし、こう言ってしまっては幾分乱暴かもしれないけれど、そこには最悪のものを呼び込む可能性も常に隣り合ってあるのではないか。あるいは、だからこそポタライブは貴重な試みとなりえているのかもしれないけれど・・・・。いずれにせよ、ポタライブの未開拓の可能性がどこにあるのかをはっきりと感じさせてくれた『museum』は、日本の現在の姿に迫ろうとするものだった。

CutIn掲載原稿に加筆訂正。

『堺』 3月4日、『museum』3月11日、所見


「#5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て」への3件のフィードバック

  1. wonderland 劇評

    #5.ポタライブの『界』/そして『museum』を抜け出て – wonderland 劇評サイト wonderland で、柳澤望さんによる『界』『museum』の劇評が掲載されました。

  2. ピンバック: yanoz
  3. ピンバック: 黄色い勢力

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