Port B「東京ヘテロトピア」

◎〈アジア〉をキーワードに東京を旅する
 片山幹生

 [撮影=片山幹生]
[撮影=片山幹生]

 Port Bの「東京ヘテロトピア」は、まず東京芸術劇場の1階ロビーで、チケットと引き換えにガイドブックと携帯ラジオを受け取るところから始まる。ガイドブックには13箇所のスポットが、各箇所見開き2ページで紹介されている。参加者はこのガイドブックの記述を頼りに、ラジオを持って各スポットに向かう。立ち寄った現場でその場所に関わる「物語」をラジオを通して聞く。各地点でラジオから聞こえてくるのは、東京にやって来たアジアの異邦人に関わる物語である。

エスニック・タウンとしての東京

 東京都総務局の統計によると、平成26年1月現在の東京都の外国人登録者数は約40万人、そのうち23区内の居住者は33万人となっている。23区の人口は約900万人なので、全人口のうち外国人の占める割合は約3.5%ということになる。33万人のうち、中国人が一番多くて14万人、次いで韓国人が8万人、以下フィリピン人2万人、アメリカ人1万3千人、ネパール人9千人、ベトナム人8千人、インド人7千人、タイ人5千500人、ミャンマー人4千700人、イギリス人4千600人と続く。実際にはこの他に、観光客や外国人登録をせずに東京に住む外国人などもいるだろうから、東京に滞在する外国人の数はこれよりもだいぶ多くなっているはずである。

 東京の日常の多国籍化は否応なく進展している。新大久保のコリアタウンや新華僑の店が並ぶ池袋北口周辺などの外国人街以外でも、コンビニ、飲食店、学校などで外国人、とりわけアジア系の外国人と接する機会が増えてきた。東京で暮らす彼らに対し拒否反応を示し、あからさまに排除しようとする人たちがいる一方、町の国際化がもたらした活気を歓迎する人たちも少なくない。しかし東京の日本人の大多数は異国からやってきた彼らをどう受けていくのか覚悟ができておらず、戸惑っているように見える。態度を保留したわれわれの日常のなかでは、在日外国人は概念的で曖昧な存在となる。
 「東京ヘテロトピア」は、オリエンテーリング的手法によって、曖昧な存在であった東京に住むアジア系外国人を実体として提示する

「ヘテロトピア」とは何か?

 公演の名称としての「ヘテロトピア」という語は、どこかペダンチックな気取りが感じられるゆえに強い印象を残す。「東京ヘテロトピア」のガイドブックの記述によると「ヘテロトピア」の典拠はミシェル・フーコーの造語であり、「現実に存在しないユートピアとは異なり、現実に存在する絶対的に『他なる場所』のこと」を言う。

 Port Bのこの企画では「ヘテロトピア」は「現実の中の異郷」と解釈され、その対象となる場所はもっぱらアジア系住民と関わりが深いエキゾチックなスポットに限定されている。この解釈はフーコーが提示した意味をおそらく意識的に誤読し、もととは異なる限定的な意味で用いたものだ。フーコーが「ヘテロトピア」で指し示す場所は、より多様で広範囲にわたっている。フーコーの記述にそってここでその意味を確認すると次のようになる[ミシェル・フーコー/佐藤嘉幸訳『ユートピア的身体/ヘテロトピア』東京:水声社、2013年]。

 ヘテロトピアの概念は、ユートピアから派生した。「ユートピア」はトマス・モアが1516年に発表したラテン語の政治的空想物語で作り出した架空の国名(島名)であり、「どこにもない場所(ギリシア語否定辞 ou+「場所」topos) 」を意味する。モアの「ユートピア」以後、ユートピアは現実には存在しない理想的な世界を意味するようになり、理想郷、無可有郷(むかうのさと)などと訳されることもあった。
 ヘテロトピアとは「ある正確で現実の場所を持ち、地図上に位置づけられるような」「特定し測定できるような時間を持った」ユートピアであるが、日常的な生活空間とは独立した特権的な空間、他のすべての場所に対置され、他のすべての場所を無化してしまうような「反-場所」を指す。
 「ヘテロ」hétéro-という接頭辞は「他の、異なる、異種の」という意味を持つ。この世には存在しない場所であるユートピアを「不在郷」と訳するとすれば、ヘテロトピアは「異在郷」と訳すことができるかもしれない。今、こことは異なる場所、しかし実在する場所。現実の日常世界の別館、離れのような場所であり、ユートピアに由来する理想郷のイメージが重なることもあれば、日常の平安への脅威を遠ざけるために設けられた隔離された場所でもあった。具体的な例としてフーコーは「子供たちの屋根裏部屋、屋根裏部屋に組み立てられたインディアン・テント、木曜日の午後の両親のダブルベッド、庭園、墓地、避難所、売春宿、監獄、〈地中海クラブ〉村、軍隊、療養所、精神病院。劇場、図書館、美術館」を挙げている。ヘテロトピアとは、要するに、われわれの日常に揺さぶりをかけるあらゆる異郷なのである。

体感型ドキュメンタリー演劇

 Port Bが今回の企画で準備した13箇所のヘテロトピアは、地理的には東京に属しているけれど、東京住民の多数派を占める平均的日本人には、盲点となっているような小さなスポットである。その選定にあたっては相当綿密な取材が行われたことがうかがえる。ガイドブックの記述ではそれぞれのポイントに政治的・社会的・歴史的コンテクストが付与されており、ある種の旅であることは確かではあるが、単なる異国趣味を味わう観光旅行とは趣が異なる。

 今回の「東京ヘテロトピア」に限らずPort Bの公演は、台本を役者が舞台上で再現するという従来型の演劇ではない。「東京ヘテロトピア」で戯曲として観客に提示されるのは厚い紙にカラー印刷された33頁のガイドブックが一冊と各スポットでラジオから聞こえる語りである。ラジオの語り手は、声だけの存在ではあるが俳優の役割を果たしていると言えなくはない。しかしこの作品でより俳優に近い存在は、各スポットを巡る観客自身だろう。観客はまず東京芸術劇場の一階ロビーでガイドブックと携帯ラジオを受け取ると、11/9から12/8の一ヶ月の期間中に、ガイドブックに記されている13箇所のポイントを自由に回る。いつ行くかも、どの順番で巡るのかも観客に委ねられている。さらにそれぞれのポイントを訪問するかどうかの選択も観客に委ねられている。各訪問地では、この会期中の決められた日時(スポットによって異なる)にラジオで、そのスポットに関わるアジア人についてのテクストの朗読を聞くことができる。

 観客は、作者や演技者が提示する作品と対峙するのではなく、企画者が東京の都市空間のなかに用意した様々な仕掛けの中に、作品の一要素として取り込まれるという感じが強い。体験型ということでは、「東京ヘテロトピア」の作品は(作り手にとってはこうした比較は不本意かもしれないが)ディズニーランドなどのアトラクションと似ているところもある。ディズニーのアトラクションとの大きな違いは、作品の素材が現実社会の綿密な事前調査によってもたらされたものであることだ。ディズニーが体感型ファンタジーであるのに対し、こちらは体感型ドキュメンタリーである。

 私は過去に数回、Port Bのこの種の公演を経験している。Port Bが好んでとりあげるのは左翼的イデオロギーのもとでより問題提起されやすい社会問題であり、それを奇抜な演劇的な枠組みで提示する。このとき制作者側のイデオロギーが、少々強引であからさまに感じられるやりかたで作品のメッセージとして伝えられることがあった。例えば私が過去に体験したPort B公演のなかでは、『サンシャイン62』での反戦的言動、『国民投票プログラム』での福島の高校生インタビュー映像を使った反原発への誘導の露骨さには私は反発を感じた。体験プログラムの仕掛けが目新しいものであっただけに、いささか図式的ともいえるイデオロギーに最終的に作品参加を通じて誘導されることに、余計大きな抵抗を感じたのだ。
 Port Bの優れたプログラムは、ややもすれば洗脳プログラムへと応用可能であるように思える。演劇がもたらす集団の共感作用には、そもそも洗脳と重なりあうところがあるのだが、体験型プログラムであるPort Bの作品は、演劇のこの機能が一層強化、洗練されたかたちで取り込まれている。おそらくPort Bの制作者たちは、この危険性について自覚的なはずだ。Port Bは自作の誘導性を認識した上で、一歩踏み込んだ仕掛けを導入している。

異化される風景

 演劇作品と称するには特殊な形態ではあるけれど、作品の上演を通してこなた(此方)とかなた(彼方)の二つの異なる世界をつなぐという点では、「東京ヘテロトピア」も他の一般的な舞台芸術作品に通じるところがある。「東京ヘテロトピア」の劇場は、都内13箇所に分散されたスポットであり、そこで異なる物語が展開する。13箇所の属性は劇場、記念碑、お墓、レストランなど様々だが、一般的な観光スポットではない、ひっそりとした地味な場所が多い。この〈東京の中の異郷〉を訪問した観客は、その地で用意されている物語をラジオというアナログな装置を通して聞くことで、アジアの異邦人たちが東京にもたらした(そしてもたらしている)ダイナミズムを感じ取ることになる。ラジオのスイッチを入れ音声が聞こえ始めると、われわれの存在は回りの空間に溶け込み、ありふれた日常的な風景から未知の異郷が浮かび上がる。われわれを別の世界に誘う扉が開き、数十年前、そして今現在、その場所で生きていた、生きている異人たちの息吹を、町の風景のなかに感じ取ることができるようになった気がする。

 ラジオからの流れる「語り」はどのポイントでもおおむね10分から15分ほどの長さだ。それぞれの場と関わりの深い事柄が題材として選ばれているが、4人の異なる作家によって書かれたテクストの内容と語り口は、各ポイント同様に均質ではない[ラジオで朗読されたテクストは、『新潮』2014年2月号(第111巻第2号)186-254頁に掲載された]。ガイドブックの記述と現地で聞くラジオによって、そしてそこを訪問する観客たちによって、東京のなかの異郷〈ヘテロトピア〉は確実に異化された。池袋の西口公園の一角にひっそりと設置されたアルミの柵のようなものがバングラディシュの独立運動のモニュメントだと知っていた日本人がこれまでどれほどいただろうか? 高田馬場の古びたビルの一階にあるミャンマー料理店や新大久保の雑居ビルの二階の奥にあるネパール料理屋で飯を食べたことのある日本人はこれまでどれほどいただろうか?

【写真は、池袋西口公園、ショヒド・ミナール。撮影=片山幹生 禁無断転載】
【写真は、池袋西口公園、ショヒド・ミナール。撮影=片山幹生 禁無断転載】

 これらのポイントは知る人ぞ知る場所ではあっただろうが、「東京ヘテロトピア」は、こうしたスポットとはそれまで縁のなかった大量の人間(観客動員は総数でどのくらいだったのだろうか?)を、アジア系移民の〈異郷〉に結びつけたのだ。異化の相互作用によって、多数のデペイズマン (フランス語 dépaysement「(異なった環境・習慣の中に身を置いた者の)居心地の悪さ、違和感、とまどい」。語源的に「国」paysから離れることを意味するこの語は、「東京ヘテロトピア」がもたらす感覚を表すのにふさわしい)が各スポットで生み出されたに違いない。

 異国を一人で訪れるときに感じるような心細さを味わうには、公演期間の最初のうちにできるだけ多くのポイントを回っておいたほうがよかったかもしれない。「東京ヘテロトピア」は一ヶ月間という長期間にわたって「上演」されたため、各ポイントの混み具合は後になるほど増えていったようだ。私は13箇所あるポイントのうち9箇所しか訪問できなかったのだが、最初のうちはポイントに行っても、他の観客と遭遇することはあまりなかった。高田馬場のミャンマー料理店のイング・インレイは私が最初に訪問したポイントだったが、日本人の客は私一人だけだった。ミャンマー人の常連のなかで、私はひとり飯を食べながら、Port Bが提供する物語をラジオから聞いた。

【写真は、高田馬場ノング・インレイ。撮影=片山幹生 禁無断転載】
【写真は、高田馬場ノング・インレイ。撮影=片山幹生 禁無断転載】

 ヘテロトピアの体験にあたっては、自分が場違いな存在として居心地の悪い思いすることはことのほか重要だと私には思われる。この東京内の異郷のなかで、自分自身が異邦人となり、移民として東京に生活し、生活してきた彼らの居心地の悪さ、寄る辺なき身の不安を体感することができるからである。

 もっともガイドブックを眺めながら、携帯ラジオを手にした大量の観客が〈異郷〉に押し寄せることで作られる奇妙な雰囲気も悪くはなかった。台東区御徒町にある完全菜食インド・レストラン、ヴェジハーブサーガに私は週日の夜の開店時間直後、17時過ぎに行った。この時間帯ならば他の観客と遭遇する可能性は低いと思ったからである。ところが同じように考える人は私以外にも多くいて、この日の夕方開店直後のヴェジハーブサーガのテーブルは「東京ヘテロトピア」の観客で埋まってしまったのだ。私も含め、その多くは一人客だった。同じ目的で来店しているとはいえ、初対面の見知らぬ人間同士なのでテーブルで同席となっても話しかけにくい。互いに相手をなるべく見ないようにして、イヤホンでラジオを聞きながら本場のインド料理をもくもくと食べるという実に気まずい時間を共有するはめになってしまった。会期の最終日にあたる12/8(日)の正午すぎには、上智大学構内にある聖イグナチオ教会周辺に大量のヘテロトピアンたちが集合した。このスポットでのラジオ放送は日曜日の昼の1時間しかない。聖イグナチオ教会の日曜のミサには多くの在日フィリピン人たちが集まり、教会の周囲にはフィリピン料理の屋台が建ち並ぶ。ミサにやってきたフィリピン人たちは、日本人たちの異様な集団にぎょっとしたに違いない。

多民族共存の可能性を探る試み

 東京のなかの異郷を、アジア系移民をキーワードに訪問するという今回の作品は、コンセプトの面でも、手法の面でも、これまで私が体験してきたPort Bのどの作品よりも自由度が高い。プログラムによって観客が操作・誘導される感覚が少ないので、作品受容の幅が広くなっているように思う。ガイドブック、現地訪問、ラジオの三つの手段によって提示されるヘテロトピアは、アジアの異邦人たちによる東京のすがたを演劇的手法で顕在化させた。ヘテロトピアとしての東京は、個々の観客の記憶や想像力を刺激して、それぞれのなかに多数の物語を派生させたのではないだろうか?
 私はヘテロトピアの訪問を通じて、これまでに私が東京で出会った外国人のことを思い出さずにはいられなかった。娘の保育園、小学校時代の同級生の父親だったミャンマー人、娘の同級生には他にも韓国人、モンゴル人、レバノン人、バングラディシュ人がいた。大学の講師控室でしばしば雑談する中国人の教員、学生時代の友人がバングラディシュ人と結婚したこと、私の授業に出ていた韓国人、モンゴル人、フィリッピン人、中国人の学生たちのことなど。いずれの人たちともそんなに深い交流があったわけではないが、社交性に乏しい私でも、東京に住んで25年以上たつ間に、思いのほか多くの外国人とかかわりを持っていたことに気づいた。

 「東京ヘテロトピア」は過去だけでなく、将来のわれわれの社会のありようにも関心を向けさせる。少子高齢化による人口減が確実となった日本社会は、今後、これまで以上に大量の外国人労働者と留学生を受け入れることになるだろう。また2020年に東京で開催されることが決まったオリンピックは、東京の多国籍化を次の段階に押し進める契機となるかもしれない。観光客として「おもてなし」するのではなく、共生する隣人としてアジア諸国の人々とつきあっていく術をわれわれは模索していかなければならなくなる。彼らはいったいどのような人たちなのだろうか、どういう生活を送っているのだろうか、われわれとはどう異なるのだろうか、どのように共存することが可能だろうか? 「東京ヘテロトピア」は、来るべき移民社会としての東京についてのすぐれた問題提起にもなっている。

【著者略歴】
片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。2013年より《ワンダーランド》スタッフ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

【上演記録】
Port B「東京ヘテロトピア

構成・演出:高山 明
上演期間:2013/11/9(土)~12/8(日)
上演場所:都内各所
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【テクスト】
監修:管 啓次郎
執筆:小野正嗣、温又柔、木村友祐、管 啓次郎
【リサーチ】
一般社団法人Port観光リサーチセンター
監修:林 立騎
リサーチャー:田中沙季、深澤晃平、箭内聖司
協力:栗田知宏、高際裕哉、南 映子
【ガイドブック】
監修:高山 明
編集:深澤晃平
デザイン:大岡寛典、内田 圭(大岡寛典事務所)
テクスト:林 立騎(一般社団法人Port観光リサーチセンター)
地図作製:深澤晃平
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ラジオ・ディレクター:毛原大樹
音源録音・編集:宇賀神雅裕
技術:井上達夫
プロジェクト・アドバイザー:猪股剛
記録写真:蓮沼昌宏
制作:田中沙季
制作アシスタント:平沢花彩
協力:東京芸術大学・桂英史研究室、柿本ケンサク、高橋聡、望月章宏
特別協力:アンコールワット、漢陽楼、祥雲寺、新星学寮、タックイレブン高田馬場ビル、東洋文庫ミュージアム、ノング・インレイ、ヴェジハーブサーガ、ネパール居酒屋モモ
製作:フェスティバル/トーキョー、Port B
主催:フェスティバル/トーキョー


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