親子演劇ガイド

◎小劇場ファンのための親子演劇ガイド
 片山幹生

1.発端

 2005年12月に演劇集団円のこどもステージ『おばけリンゴ』を、両国のシアターχで娘と一緒に見たときのことはいまだはっきりと覚えている。舞台上で生成するあらゆる出来事に目を輝かせて見入り、いちいち律儀に反応を示す子供の様子をそばで眺めるのは、芝居そのもの以上に私の気分を高揚させる体験だった。娘が5歳になるころから12歳になった現在まで、平均すると大体、一年に10回ぐらいは子供と芝居を見に行っている。子供と一緒に見る演劇は、私の観劇生活のなかでも重要なものになっている。
 子ども劇場などの観劇団体に関わっている方などには、子供向けの演劇作品に長年にわたり数多く接し、私などよりはるかにその世界に精通している方が多いはずだ。この記事は東京に住む一小劇場ファンの観点からの私的で主観的な子供向け演劇の世界の紹介にすぎないことを最初にお断りしておく。

2.いつ何をどこで見るか

【子ども劇場】
 質の高い親子向きの作品と出会う最も簡単な手段は、子ども劇場あるいはおやこ劇場と呼ばれる非営利の観劇団体に加入することだろう。子ども劇場は全国各地に600カ所以上ある。会員は毎月会費を払い、演劇の鑑賞活動とキャンプなどの交流会などの自主活動に参加する。全国の子ども劇場についての情報は、子ども劇場全国センターのウェブページで得ることができる。

 子どもに豊かな文化的環境を提供することを目的に1960年代後半に福岡からはじまった子ども劇場の運動は、1970年代から80年代にかけて全盛を迎えるが、少子化、習い事などの多様化、そして会員が協同し、ボランティアで活動を運営していく活動スタイルが時代とは合わなくなってきたため、近年は全般的には活動規模は縮小傾向にあるようだ。

 しかし地方では子ども劇場は、親子が演劇へアクセスすることができる数少ない機会となるはずだ。熊本に在住していた私の弟夫妻は子ども劇場の会員だったが、学校で配布された公演案内を見た子供にせがまれて、子ども劇場主催公演を見にいったことが加入のきっかけとなったという。子ども劇場は、乳幼児から青年まで幅広い年代に合わせた公演をプロデュースしている。長年の活動実績があるため、その選択は信頼できる。子ども劇場主催公演は基本的には会員向けだが、会員以外にも開かれた公演が行われることもある。公演だけでなく、ワークショップなどの活動も合わせて行われることが多いようだ。親子向け演劇を専門とするカンパニーや演者には、全国各地の子ども劇場主催公演を中心に活動続けるものが多い。

【日本児童・青少年演劇劇団協同組合(児演協)のフェスティバル】
 児童・青少年向きの演劇活動を行う諸団体の組合である。上述した子ども劇場を中心に公演を行う団体の多くがこの組織に加盟しているようだ。毎年7月から8月にかけてと、1月から3月にかけての時期に、都内数カ所を会場に就学前の幼児から小学校高学年ぐらいまでの子供を対象とした親子向けの演劇フェスティバルが、この協会に参加する団体によって行われている。内容は演劇だけでなく、演技や人形作りなどのワークショップ活動も含まれた多彩なプログラムとなっている。

人形劇団プーク
 人形劇団プークは1929年に創設された長い歴史を持つ人形劇団だ。プークは新宿にプーク人形劇場という常設劇場を本拠地として持っていて、この劇場でほぼ毎週末、人形劇の公演を観ることができる。プーク人形劇場は収容人数100名ほど、舞台の間口が5メートルほどのこのこじんまりしたサイズで、人形劇を楽しむのには最適の劇場だ。プーク人形劇場での公演は二本立てで、週末の午前と午後に公演がある。一公演の時間は休憩を入れて90分ほど。作品の多くは定評のある絵本を人形劇に翻案したもので、三歳ぐらいから楽しむことができると思う。

座・高円寺
 2009年春に開館した杉並区の公共劇場、座・高円寺は、地域の文化拠点として演劇公演に限らない幅広い活動を行っている。座・高円寺が提供する子ども向け活動が「あしたの劇場」である。「あしたの劇場」は複数のプログラムから構成されている。毎週末に開催される「絵本の旅@カフェ」、「みんなの作業場」というワークショップの他、毎年7月には海外からいくつかの劇団を招聘して親子向きの演劇フェスティバルが開催される(「世界を見よう!」)。
 秋に上演されるイタリア人作家・演出家テレーサ・ルドヴィコの『旅とあいつとお姫さま』は、劇場の重要なレパートリーとなっている(ただしルドヴィコのこの作品は優れた幻想的童話劇ではあるけれど、子供よりはむしろ大人の観客が喜びそうな、大人が「子供に見せたいな」と思いそうな「子供劇」だと私は思う)。
 座・高円寺は毎年4月末に高円寺駅周辺で行われる《高円寺びっくり大道芸》の拠点でもあり、劇場内外でパントマイム、ジャグリング、アクロバットなどの大道芸が行われる。大道芸のある4月末から5月の連休にかけては「みんなのリトル高円寺」という企画が行われ、劇場空間が子供たちのためのアトリエとして開放される。この期間、いくつかのセクションにわかれて様々な工作やゲームが行われる。会期中にどんどん子供たちの作った工作物によって埋め尽くされ、劇場が混沌とした異空間へ変貌していくさまが面白い。

3.小劇場と親子向け演劇

 このほかにも7月から8月の夏休みの時期には、日生劇場ファミリーフェスティヴァルがあるし、劇団四季も親子向きのプログラムには力を入れている。『ライオンキング』などのミュージカルは親子で楽しめる演目だし、四季の子ども向けのレパートリーである『王様の耳はロバの耳』、『はだかの王様』の脚本は寺山修司で、子供向きの定型に沿いつつもディテイルに寺山っぽいひねたところもあって案外面白かった。

 以上は親子向け演劇の定番的なものであり、公演の質も安定しており、いわゆる親子向け演劇の類型から外れたユニークな作品にもしばしば遭遇することもある。しかし正直に書くと、これらの「親子向き」をはっきりと冠した公演に共通して漂う《子供観》のステレオタイプにはどうも馴染めないところが私にはある。子供と演劇に対する見方が善意に満ちていて、それがゆえにかえって欺瞞と後ろめたさを感じてしまい、微妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。

 それでは小劇場系の演劇人たちが作る親子向け演劇作品はどうか。にしすがも創造舎では毎年夏に「アート夏休み」という企画が行われ、そこでは様々なワークショップとともに「子供に見せたい舞台」が上演される。この子供向き演劇公演の構成・演出はOrt-d.dの倉迫康史で、私は『オズの魔法使い』と『青い鳥』の二本見ている。どちらも私の好みではなかったのだけれど、一緒に連れて行った子供は喜んで見ていた。五歳の息子が『青い鳥』の最後に感動して(?)泣いていたのには驚いた。滑稽さを強調した大げさな演技や観客に呼びかけて劇内に参加させる趣向など、親子演劇の常套的手段はうまく取り入れられていたが、私には演出家が過剰に「子供向け」を意識してしまったために、結果的に凡庸で類型的な子ども向き演劇になってしまっているように思い不満を感じた。これは小劇場系の作家が親子向き演劇を作る場合、陥りがちな陥穽に思われる。

 青年団のレパートリーとなった平田オリザによる子ども参加型演劇『サンタクロース会議』は、個人的には前述の倉迫康史作品より楽しんで見ることもできた作品だったが、題材、演出、趣向は子供向き演劇の定型に沿ったもので目新しさを感じなかった。平田演劇の根幹である現代口語演劇スタイルは、この子供演劇では導入されていない(さすがに無理かもしれないが)。つまらない作品ではないけれど、平田オリザでさえ子供向き芝居となるとこんなにありきたりの作品を作ってしまうのかと、少しショックだった。一緒に連れて行った子供はこれも喜んで見ていたのだけれど。

 平田の子供向き作品は他に『舌切り雀』を見ている。こちらは山内健司のひとり芝居で、フランスの学校などで百回以上上演されている作品だという。人形劇が導入されているが、子供向き演劇として画期的なアイディアは用いられていない。ごく標準的な民話劇という感じだった。座・高円寺では佐藤信作・演出の『ピンポン』を見たが、これの作品は、私にとってはまったく面白くなかった。

 「子供向き」芝居ということで子供に目線を合わせた表現を作ることはもちろん重要ではあるけれど、上にあげた三人の小劇場系の作家たちの作品はいずれも、この「子供向き」の縛りが表現の類型化につながっているような気がして私には物足りない。作り手の「子供向き芝居ってのはこんなもの」という考えが透けて見えるような気がした。

 私としては「子供向き」の芝居だからこそ、逆にこの縛りを利用して、より自由で奔放な表現の創造を期待したい。日本児童・青少年演劇劇団協同組合(児演協)のフェスティバルのなかの上演を見たシアター・トライアングルの『Four Seasons』はそういう作品だった。この作品については、また後で言及する。他に独創的な趣向で印象に残った作品をあげると、F/Tで『神曲』三部作が上演されたロメオ・カステルッチのソチエタス・ラファエロ・サンツィオに所属するキアラ・グイディ演出による『親指こぞう ブッケティーノ』がある。この作品は特殊な形態の座席を使った劇場空間の仕掛けが面白い。『親指こぞう ブッケティーノ』は2005年以降、断続的に公演が続けられている。SPAC(静岡県舞台芸術センター)主催の「ふじのくにせかい演劇祭 2011年」で上演されたティム・ワッツの人形芝居『アルヴィン・スプートニクの深海冒険』も素敵な作品だった。人形の繊細な動きと円形の白いスクリーンに映し出されるアニメーション、そして洒落た音楽の見事なコンビネーションによって表現される寓意的な夫婦愛の物語だった。この二月に行われたせんがわ劇場が主催する第4回人形演劇祭 “inochi”で上演された人形劇団ココンの幻想的なレビュー『繭の夢』も実に面白い作品だった。この作品で提示されるユーモラスで奇抜なイメージは、人形劇の表現の可能性の豊かさを示すものになっていた。「子供のためのシェイクスピア・カンパニー」も、「子供向き」の制限を逆手にとって、原作を大胆に切り込むことでスピード感のあるシャープな舞台を実現し、洗練された現代のシェイクスピア劇を創造することに成功している。ただし「子供のための」と冠してはいるものの、シェイクスピアの芝居は人物関係が複雑なものが多く、このカンパニーの上演は小学校高学年以上でないと楽しんでみることは難しいかもしれない。

4.親子で見た演劇のベスト5

 ブログに記録している観劇の記録によると、私はこの七年間に子供と80回ほど演劇(あるいはそれに類する催し)に出かけている。このなかで親子での観劇体験として特に印象深かった作品を五本挙げると以下のようになる。

第一位 柴幸男 作・演出『川のある町に住んでいた』(観劇日:2008年11月3日)
第二位 くすのき燕 構成・演出、シアター・トライアングル『Four Seasons』(2009年2月8日)
第三位 柴幸男 作・演出『わが星』(観劇日:2011年4月17日)
第四位 みやしろ演劇パーティ 平原演劇祭2011 第一部移築民家とアタラシイ「ゲキ」vol.8 旧加藤家「ほぼ」200年祭「その日、東海村に隕石が落ちた──!」(観劇日:2011年8月7日)
第五位 劇団前進座『三人吉三巴白浪』(観劇日:2013年1月2日)

 〈ままごと〉を主宰する柴幸男は、特に親子を観客として想定した作品を作っているわけではない。しかし彼の作品には子供時代や家族などを主題とする日常を描いた明朗な雰囲気の作品が多く、音楽や言葉の反復を効果的に用いた感覚に訴えかける仕掛けが巧みに導入されていて、小学3、4年生ぐらいの子供なら十分楽しむことができる。また性や暴力の描写が強調されていないので、安心して子供に見せることができる芝居でもある(もっとも私は必ずしも性や暴力描写を親子で見る芝居から排除すべきであるとは考えていない)。ここで第一位に挙げた『川のある町に住んでいた』は、柴幸男の作品のなかでも、イベント性が強く、ユニークな上演形態の作品だ。この作品は2008年の多摩川アートラインプロジェクトのなかの一企画として上演された。東急多摩川線の車両で、蒲田駅から多摩川駅までの約10分の走行中に短い芝居を上演するという試みで、柴幸男のこの作品の他、中野成樹、山下残の作品も同時に別の車両で上演された。

「川のある町に住んでいた」から
【写真は「川のある町に住んでいた」から。撮影=安齊重男 提供=多摩川アートラインプロジェクト実行委員会】

 作品のレビューは私の >> 個人ブログに詳しく記している。
 『川のある町に住んでいた』は車両内で擬人化された登場人物が出てくる寓意劇を見た後、多摩川駅到着後に、観客参加の趣向を取り入れた続編が上演された。上演車両に乗り込むまでの多摩川線沿線を途中下車しつつの散策、全篇終了後の多摩川付近の散歩も含め、娘と充実した演劇の時間を過ごすことができた。娘はこの時、小学2年だった。この公演は私がこれまで経験したあらゆる観劇体験のなかで最も印象深い公演の一つである。この多摩川アートラインプロジェクトは残念ながら2009年以降、行われていないようだ。

 第二位にあげたシアター・トライアングルの『Four Seasons』は、パントマイム、人形遣い、ピアノ奏者という異なる属性の三人の演者のアンサンブルが、様々な大きさの三角形のオブジェを組み合わせて四季の移り変わりを、象徴的に表現する台詞のない芝居だ。牧歌的な雰囲気の子供を観客として想定した作品だが、大小様々な三角形の組合せで変幻する表現の幻想美には大人も魅了される。シアター・トライアングルは解散してしまったので、この作品を今後見ることは難しいだろう。Youtubeに公演の抜粋映像がアップロードされている。

シアタートライアングル「Four Seasons」公演から
【写真はシアタートライアングル「Four Seasons」公演から。提供=人形芝居燕屋 禁無断転載】

 この作品の構成・演出を担当したくすのき燕氏は、人形芝居の演者としても活動している(人形芝居燕屋)。一人で演じられる彼の人形芝居は、脚本、演出とも練り上げられていて完成度が高い。ユニークな仕掛けが満載のサービス満点の芝居で、小さい子供から大人まで楽しむことができる芝居だ。こちらも多くのひとに見て欲しい。彼の腹話術芝居の傑作『ハロー! カンクロー』の紹介映像がyoutubeにアップロードされている。

 第三位に挙げた柴幸男作・演出『わが星』は、2011年4月の再演時の舞台である。この公演の劇評を私はワンダーランドに投稿している(片山幹生「ことばと音によるノスタルジア」)。この再演を私は二度見に行ったのだが、そのうちの一度は当時小4の娘と見た。『わが星』初演を見たときには違和感を感じ、私はその世界に入り込むことができなかった。しかし震災後の混乱と不安のなかで再演を見たときは、この作品の底抜けの日常性の賛美を素直に受けとめることができた。そして作品のなかで描き出される成長していく少女たちの姿に、自分の娘の姿を重ねずにはいられなかった。私にとって11歳の娘とこの作品を楽しむことができたのは本当に大きな喜びとなった。再演がまたあれば、できればまた娘と一緒に見に行きたい。長大なラップとも言える戯曲は朗読しても楽しい。娘は公演を観たときに購入した戯曲をよく音読していた。

 第四位の平原演劇祭は、埼玉県宮代町に居住する劇作家・演出家、高野竜氏が「こどもと地域」をキーワードに2000年から毎年開催している演劇祭で、古民家や野外など劇場でない場所で上演され、観客に食べ物が供されることが多いという特色がある。私は2011年にはじめてこの演劇祭を見に行った。会場の雰囲気もそこで上演される作品も、他のあらゆる演劇公演とは一線を画すユニークな催しだった。
 2011年8月に行われた第一部では、築二百年の古民家で、電力を一切使わずに(つまり自然照明だけで)公演が行われた。上演される作品は親子向けに作られているわけではない。しかし古民家の会場には乳児も含めた子供の観客もたくさんいた。上演作品の内容はしばしば文学的、詩的であったりするし、表現は前衛芸術に近いものもある。退屈したり、泣いたり、うろうろしたりする子供が当然出てくるが、古民家という開放的な場が会場なので、適宜会場外に移動したりしてそれぞれ好きなように過ごしている。

平原演劇祭20111
平原演劇祭20112
【写真はいずれも「平原演劇祭2011」から。撮影=上温湯 正 提供=宮代NOW フォトアルバム 禁無断転載】

 こうしたルーズな場の雰囲気も含めて、ある種の地域芸能的な場を作り出す演劇祭だった。この年の秋に行われた平原演劇祭第三部は「鰤(ブリ)の会」と称され、調理師でもある高野氏が巨大な鰤の解体調理の実演する他、いくつかの料理を観客に供し、出される料理を何回か挿入される幕間に食べながら、芝居や朗読、合唱などを楽しむ会だった。演劇の枠組みを超えた破格の演劇祭であり、借景演劇としては平原演劇祭ほど効果的に周りの環境を利用した舞台作品を私は知らない。この演劇祭のレポートも私のブログに掲載している。>>
 また宮代町在住の方が作成しているブログ「宮代NOW」でも写真入りのレポートが掲載されている。

 第五位に何を挙げるかは迷ったが、この正月に見た劇団前進座の歌舞伎、河竹黙阿弥作『三人吉三巴白浪』を挙げることにした。
 これはもちろん子供を鑑賞者として想定した作品ではない。それどころか強盗、殺人、売春、近親相姦に同性愛と内容は教育的に好ましくない作品なのだが、もうすぐ中学生となる娘と親子観劇の締めくくりとなるかもしれないと思い、私が大好きなこの名作を一緒に見ておきたかったのだ。この公演は吉祥寺の前進座劇場で行われる最後の公演でもあった。前進座のテキストレジは作品のドラマ性を重視し、スピード感のある展開のわかりやすいものだった。また最後の前進座劇場公演に賭ける役者たちの熱気がほとばしる充実した舞台だった。表現の内容だけでなく、歌舞伎の様式的な美しさを、娘が味わうことができるまで成長していたことを確認できたことが私にとって大きな喜びだった。劇団前進座は子ども劇場などでの上演を想定した親子向きのレパートリーも持っている。親子向き作品も何本か見ているが、古典落語「井戸の茶碗」を翻案した『くず~い 屑屋でござい』(台本・演出=鈴木幹二)は特に印象深く、私も娘も気に入った作品のひとつだ。

5.親子観劇の意義

 言語能力が発達し、ものごころつく4、5歳の頃から思春期に入り親から離れて行く12、3歳の頃までの十年ほどが、親子関係の「黄金時代」であるように私は思う。親子で演劇を楽しむことができるのもこの時期だ。この期間、アウトドア派の親だったら、キャンプや山登りに子供を連れていくだろう。音楽好きだったら、コンサートに一緒に行くかもしれない。そしてもし演劇好きだったら、ぜひ子供と一緒に芝居を見に出かけてみて欲しい。観劇を通じて子供の成長過程を確認できる喜びを味わうことができるだけでなく、親もまた子供との観劇を通じて新しい世界を知る機会となるはずだ。私の場合、親子で観劇する体験がなければ、人形劇、パントマイム、大道芸、さらにサーカスといった世界へ関心を広げていくことはなかったかもしれない。親子が仲良く時間を共有して過ごせる期間はおそらくそんなには長くない。この貴重な期間に、娘と演劇という特別な時間と空間を共有し、ともに成長できたことを私は本当に幸福に思う。

 作り手、特に小劇場の作り手には、これまでの親子向け演劇の枠にとらわれない自由な発想の奔放な作品の創造を期待したい。子供の観客を意識しすぎて、それぞれが持っている特色を封印してしまうのはもったいない。子供に舞台上で起こっていることすべてを理解させる必要などないのだ(大人の観客でも同じことだが)。わけのわからぬままであっても「すごい」という感覚を子供たちが味わうことができれば、それで成功だと言えるのではないだろうか。それに子供はわからないことを、大人よりはるかに柔軟な発想で消化してしまうことも多い。

 子供向け演劇の観客は子供だけではない。子供を引率する大人もまた観客であることを意識することも重要だろう。親子が見る演劇には、子供だけでなく大人も魅了するような趣向も当然必要となる。親が面白いと思えば、また子供と一緒に見に行こうとするだろう。親子演劇は将来の観客を掘り起こす大きな可能性を秘めているのである。

【著者略歴】
 片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。
 ・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

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