渡辺源四郎商店「オトナの高校演劇祭」

◎高校演劇と小劇場の架け橋
  片山幹生

高校演劇の挑戦

 東京公演の最初の演目、「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」の開演の40分ぐらい前に会場のザ・スズナリに到着したのだが、いつものザ・スズナリでの公演の開場前とは雰囲気が違う。ザ・スズナリの建物の周囲に行列ができている。高校生のグループや高校演劇関係者らしき人たちが行列を作っているのだ。そして小劇場ファンらしき人たちもそのなかに交じっている。

 今回、〈オトナの高校演劇祭〉で上演された3作品はすべて高校演劇で上演された作品である。渡辺源四郎商店店主の畑澤聖悟は現役の高校教員(ちなみに担当科目は美術とのこと)であり、高校演劇部の指導者として七回にわたって全国大会に出場した実績を持つ。

 畑澤は高校演劇に対する偏見に憤りを表明する。レベルの低い未熟な公演や演技を指して「高校演劇レベル」という言い回しがしばしば用いられているが、果たして高校演劇というのはそんなにつまらないものなのか。プロ野球に対する高校野球のように、高校演劇にも一般の演劇ファンにアピールする魅力があるのではないだろうか。〈オトナの高校演劇祭〉という今回の企画は、劇作家・演出家であると同時に高校演劇指導者でもある畑澤から小劇場の観客に対する問題提起となっている。

 高校演劇にはいくつかの特有の制約があり(60分という上演時間の上限、体育館、公共ホールといった広い上演空間、想定される観客層が学校関係者に限定されていることなど)、これらの制約が高校演劇独自の雰囲気を作り出している。こうした制約の中でも出演者の年齢が15歳から18歳の人間に限定されているという均質性は(それも女性が圧倒的に多い)、高校演劇の大きな特色となっている。こうした要素は高校演劇の特色を作り出すと同時に、高校演劇の世界にある種の閉鎖性をもたらしている。〈オトナの高校演劇祭〉はこの閉鎖性を打破し、高校演劇の可能性を世に問う挑戦となった。

多田淳之介演出「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」

 現在、高校演劇と中学演劇で最も上演機会の多い作品のひとつである「修学旅行」は、東京デスロックの多田淳之介が演出を担当した。

「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」公演から
【写真は「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」公演から。撮影=山下昇平 提供=渡辺源四郎商店 禁無断転載】

「修学旅行」は、修学旅行で沖縄に来ている青森県の高校生たちが過ごす旅館での一夜の物語である。同じ部屋の5名の女子高生が抱えていた思いが、修学旅行の最後の一夜にぶつかりあう。「修学旅行」は今の高校生の姿がユーモラスにかつリアルに表現されている青春群像劇である。しかしこの劇は別の次元も持っている。意地悪な生徒会長、生徒会長と犬猿の仲の新体操部の部長、バットを室内で振り回す野球部員、気遣いで神経をすり減らす班長、変わり者で皆から軽んじられているマン研部員の関係は、作品が書かれた当時勃発したイラク戦争を背景とする国際情勢を反映したパロディになっているのだ。高校生たちの恋をめぐる微笑ましい諍いが、閉塞感のある重苦しい世界の現実と二重写しになっている。

 高校生版の上演を見ていない私はオリジナル版との比較はできないのだが、「修学旅行」の原作戯曲を読んだ限りでは、今回の多田版の演出ではオリジナルの世界に強烈なデフォルメを加え多田独自の世界を作っていくのではなく、戯曲に内在していた社会風刺劇としての性格を演出によって効果的に引き出しているように感じた。高校生が自分たちと等身大の人物を演じることを前提にして書かれた作品を、さまざまな年代の〈オトナ〉に演じさせるという問題に多田はしっかりと向き合う。

 高校演劇は出演者の均質性のなかで、演劇的な嘘を提示していかなければならない。リアリティを確保するには、高校生が同年代の高校生を演じるというのがまず原則となる。オトナ役が必要な場合も高校生が演じなくてはならないという制約はあるのだが、「高校演劇なので」という観客との了解事項があることを前提にオトナ役は演じられるだろう。これは翻訳劇で日本人が西欧人を演じるときの「みなし」と同様のものだが、高校演劇でオトナが主人公となるような演劇作品を、説得力を持つ虚構として成立させるのはかなりの工夫が必要とされるはずだ。

 〈オトナ〉が高校演劇用の作品を上演するにはこれとは逆の問題が生じることになる。多田は、オリジナルにはない枠構造を設定することによって、さまざまな年代と属性の〈オトナ〉が高校生を演じるという虚構性をまずはっきりと提示した。最初、俳優たちは私服でぞろぞろと舞台に登場する。原作にはない学校での朝礼の場面が冒頭に置かれる。そこで各俳優たちが自己紹介を行い、実年齢と自分が演じる役柄について観客に説明する。先生役の役者による「起立、礼、着衣」の号令とともに、高校生役の俳優は舞台上でジャージ姿へと着替える。高校生役の俳優たちもあえて同じ年代で揃えられておらず、年齢にかなりの幅がある。この不均質性がそのまま各役柄の個性に生かされることにより、各人物の寓意性と権力関係が絶妙のバランスで強調された。俳優の実年齢と役柄年齢の齟齬によって、縮図としての世界で展開する事象の愚かさ、こっけいさはさらに拡大される。

 多田版の上演作品は、やはり原作にはない卒業式の場面で締めくくられる。卒業式で締めくくられるラストは、上演作品の枠構造を強調するだけでなく、高校生時代への追憶を観客に喚起させるあざとい効果を持っている。多田演出は、「修学旅行」が持っていた豊かな可能性を引き出した。失われた時代へのノスタルジー、今の高校生とオトナの私の対比、震災後の日本の状況、平和への思い、沖縄の状況などなど、極私的な思い出から現代の世界情勢まで幅広いレンジへの連想に誘われた。

工藤千夏 台本・演出「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」

 「あゆみ」は2008年の初演以来、数多くのバージョンが存在する。私は2008年のアゴラ劇場で上演されたtoiによる最初の長編バージョンを見て深い感銘を覚え(http://toizuqnz.exblog.jp/)、その後四バージョンの「あゆみ」を見ている。

「あゆみ」ではひとりの女性の平凡な生涯が、複数の女性によって分割され、再現されている。上演中、女優たちはひたすら舞台を横切り、歩み続ける。「人生を歩む」という言い方はもはや比喩とさえ感じられないほど熟し切った表現だが、「あゆみ」はこの手あかにまみれた陳腐な表現を文字通り演劇的に表現したものだった。私は「あゆみ」で提示されたシンプルな反復的な手法の斬新さに驚き、そしてこの手法で再現されるあまりに素朴で平凡な物語の美しさと切なさに心を揺さぶられた。

 今回上演された「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」は、柴幸男のテキストから直接翻案されたものでなく、弘前中央高校演劇部での上演用に畑澤聖悟が潤色した台本を、工藤千夏がさらに一人芝居として書き換えた台本に基づくものだ。

「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」公演から。
【写真は「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」公演から。撮影=山下昇平 提供=渡辺源四郎商店 禁無断転載】

 8人の女子高生によって演じられた弘前中央高校演劇部版の「あゆみ」を私は2010年8月に国立劇場で見ている。これは実に感動的な舞台だった。舞台袖までむき出しになったがらんとした殺風景な舞台空間で、女子高生たちがこれから演じる「あゆみ」について話合っている場面から始まる。高校生の少女が赤ん坊から老婆までを演じるという強引な嘘がこの冒頭部で強調される。彼女たちが覚悟を決めて「せいのっ」と初めの一歩を踏み出した瞬間から心を奪われた。子供の成長を見守る親の喜び、それと同時に意識せざるをえない自身の加齢へのとまどいを、女子高生の俳優たちがたどたどしく、不器用に、しかし健気に演じていくさまに、胸が締め付けられるような感動を私は覚えた。十代後半の彼女たちは、自分たちの年代が人生のなかで最も輝かしく、瑞々しい時代であることを認識していない。このかけがえのない時代の価値を彼女たちが本当に認識できるようになるのは、彼女たちがもっと年をとってからだろう。そして過ぎ去った時代が二度と戻ってこないことの意味も彼女たちにはまだわかっていない。青春時代のまっただ中にある彼女たちが、その本当の価値に無自覚なまま、無慈悲に着々と進んでいく人生のときを演劇という虚構のなかで再現していく切なさは、たまらないものがあった。平凡な人生の局面の幸福の美しさは、死へと一直線に向かっていく時の残酷さと対比されることで、さらにまばゆい輝きを放つ。弘前中央高校版の「あゆみ」はこの対比が鮮やかに示されていたのである。弘前中央高校演劇部が上演した「あゆみ」、2010年に全国高校演劇大会で優秀賞を獲得した。

 さて話を「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」に戻そう。一人の女性の誕生から死までを複数の女優が代わる代わるバトンを渡すように演じ続ける演出こそ「あゆみ」の根幹であり、この仕掛けによってあゆみは普遍的な存在となり、そこで提示される平凡な人生の局面の魅力が引き出された。この根幹となる仕掛けを裏返し、一人芝居で敢えて提示するというのは、いかにも大胆で面白そうな試みに思えた。

 あゆみを演じた女優の熱演ぶりは賞賛に値するものだったと思う。波乱万丈ではない一女性を劇的な存在とするために、女優は個性をもった存在を作り上げなくてはならなくなった。しかしその熱演によってあゆみが個性ある非凡な存在となることで、逆に作品は平凡な「女の一生」ジャンルの亜流となってしまった。多数のあゆみが絶えず舞台上を横断するという演出も、単独の役者だと上演中ずっと「歩ませる」わけにもいかず、物語の流れは停滞してしまった。

 会場からは終幕部のあゆみの晩年の場面ですすり泣きも聞こえたが、このひとり芝居版で得られた感動は、「あゆみ」という作品の本質を否定するものであり、平凡を非凡な着想で提示することで「あゆみ」が放っていた日常性の輝きは、この舞台からは消失していた。

◆畑澤聖悟作・演出「河童~はたらく女の人編」

 「河童」は青森中央高校演劇部が、2008年に全国高校演劇コンクールで最優秀賞を受賞した作品である。畑澤聖悟は差別といじめの問題を、直接的ではなくメタファーを使って高校演劇で扱ってみたいと思い、この作品を書いたという。オリジナルの高校演劇版の舞台は高校の教室だが、オトナの俳優が演じる今回のなべげん版「河童~はたらく女の人編」では、舞台が一般企業に変更されている。アフタートークでの畑澤の言によると、舞台を一般企業に移すことによって高校演劇では禁じ手となっている性的な要素を作品のなかに取り込みたかったとのことである。河童となった女性とまた高校演劇版では河童はユーモラスで記号的な扮装だったが、今回の〈オトナ〉版ではグロテスクでリアルなメイクで河童が表現されていた。

「河童~はたらく女の人編」公演から
【写真は「河童~はたらく女の人編」公演から。撮影=山下昇平 提供=渡辺源四郎商店 禁無断転載】

 カフカ「変身」にならって、ある日突然、河童と化してしまった女性を中心に、その周囲の人の戸惑い、反応がこの作品では描かれている。差別される対象は河童という寓意によって示されているのだが、集団のなかに突然現れた異物をめぐる周りの人間の反応、人間関係のヒエラルキーは極めてリアルでなまなましい。作品が提示した結末はハッピーエンドではなく、解決が示されないままの不吉で後味の悪いものだった。

高校演劇の可能性を小劇場の枠組みのなかで示す

 〈オトナの高校演劇祭〉高校演劇の指導者であると同時に、渡辺源四郎商店という小劇場ユニットの主宰者でもある畑澤聖悟だからこそできる企画だった。畑澤聖悟が顧問をつとめる高校演劇部部員が自分たちのために作られた作品をそのまま演じるのであれば、上演会場が下北沢のザ・スズナリであっても、その公演は高校演劇関係者の内輪のものに留まってしまう可能性が高かっただろう。〈オトナの高校演劇祭〉では、高校生が演じることを前提として書かれた演劇作品を「オトナの」演劇人が演じるかたちに変型させた上で上演することで、高校演劇の世界を拡大し、その可能性を切り拓こうとする試みとなった。

 高校生が演じることを前提とした作品を〈オトナ〉化させるにあたって、3作品でそれぞれ異なった方法が用いられた。その変換は必ずしもうまくいったとはいえない。個人的には「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」が作品のポテンシャルを引き出したという点で3作品のなかで最も成功していたように思う。「河童~はたらく女の人編」の後味の悪さは、作者の意図したものかもしれないが私の好みからは外れた。「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」については上述のとおり、私は厳しい評価となった。

 演劇を見たことのない学生から評論家まで、幅広い観客層を意識した畑澤聖悟の作品は間口が広い。題材は親しみやすいものが選ばれているし、物語も定型的で、説明的場面も多いが、劇作や演出上のギミックは練り上げられている。また露骨に前面にでないかたちで、ゆるやかな教育的配慮が作品に感じられ、それが作品にある種のバランス感覚をもたらしている。

 しかし個々の作品の出来がどうであったことよりも、私は〈オトナの高校演劇祭〉が高校演劇と小劇場という二つの演劇文化をつなぐ懸け橋となる画期的な試みであることを評価したい。毎回の上演後にゲストを呼んで行われたアフタートークの内容も充実したものだった。多様な観客で埋め尽くされた会場に〈祝祭〉にふさわしい熱気を作り出し、高校演劇の存在と可能性を、多くの小劇場観客に感じさせたのは、この企画の大きな成果と言えるだろう。

(観劇日:「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」(5/3昼)、「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」(5/3夜)、「河童~はたらく女の人編」(5/5夜))

【著者略歴】
 片山幹生(かたやま・みきお)
 1967年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学ほかで非常勤講師。専門はフランス文学で、研究分野は中世フランスの演劇および叙情詩。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katayama-mikio/

【上演記録】
渡辺源四郎商店第16回公演「オトナの高校演劇祭

△青森公演 アトリエ・グリーンパーク(2013年4月20日-4月28日)
料金:一般予約1演目1500円 一般当日1演目1800円;学生予約1演目500円 学生当日1演目800円;高校生以下 無料;3演目通し券4000円
△東京公演 ザ・スズナリ(2013年5月3日-5月6日)
料金:一般予約1演目2500円 一般当日1演目2800円;学生予約1演目1000円 学生当日1演目1300円;高校生以下 無料;3演目通し券4000円

■「修学旅行~TJ-REMIX Ver.」
作:畑澤聖悟
構成・演出:多田淳之介
出演:工藤由佳子、三上晴佳、山上由美子、工藤良平、柿﨑彩香、秋庭里美、田守裕子、音喜多咲子、奥崎愛野、松野えりか、佐藤宏之、斎藤千恵子、北魚昭次郎、山本雅幸(青年団)
■「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」
作:柴幸男
潤色:畑澤聖悟
上演台本、演出:工藤千夏
出演:工藤由佳子(青森・東京公演);音喜多咲子(青森公演のみ)
■「河童~はたらく女の人編」
作・演出:畑澤聖悟
出演:佐藤誠、三上晴佳、山上由美子、工藤良平、柿﨑彩香、田守裕子、奥崎愛野、小舘史、佐藤宏之、松野えりか、北魚昭次郎、斎藤千恵子、長崎南美

■スタッフ
音響:藤平美保子
照明:中島俊嗣
舞台美術:山下昇平
プロデュース:佐藤誠
ドラマターグ:工藤千夏
舞台監督:工藤良平
制作:西後知春、秋庭里美
宣伝美術:工藤規雄
協力:株式会社みどりや、青森演劇鑑賞協会、青年団、有限会社アゴラ企画、オフィスPAC、株式会社アールキュー、Griffe inc.、株式会社T.E.S、株式会社グルーヴ、NPO法人アートコアあおもり、ジパング、レトル
主催:渡辺源四郎商店、なべげんわーく合同会社
企画制作:なべげんわーく合同会社

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