タカハ劇団「プール」

◎特殊な状況に内包される、現代の心の普遍
小林重幸(放送エンジニア)

「プール」公演チラシ開幕時から漂う、この「気味の悪さ」は何であろう。薄暗い地下の詰所、どぶさらいにでも使うようなゴムの防護服、そして「高額時給」を謳うビラ。全てが『死体洗い』のアルバイトを連想させる。何の話なのか言葉で語る前から、既に薄気味悪さ満載である。さらに舞台上に水道があって本当に水が流れたり、消毒用とおぼしき液体を霧吹きで噴いたりと、そこで行われる作業は、なんとなく湿った感じがする。その高い湿度感からか、得も言われぬいやな臭いが漂ってくるようである。ひどく気持ち悪い情景の舞台というのは間々あるが、本当には存在しない臭いが、意識の中に立ち込めてくる舞台というのは特筆に価する。

にもかかわらず、冒頭その詰所にいる人たちは妙に明るい。これが不気味さをさらに増幅する。こういう「違和感」が芝居全編を通して常時醸し出されているのだ。このため観客は、常にすっきりしない不安定感に苛まれる。なんとも不気味な空間で腰が落ち着かないのである。否が応でも想像は、不安な方向、不気味な方向へ向かわざるを得ない。物語を語る前提として、観客の心をネガティブな方向に向けておくことに成功していると言えよう。これは、ホラーなストーリーを展開する上で、最も必要かつ最も効果的な状況作りである。とても手際良く設えられた、手練な演出である。

そこで展開されるストーリーは、謎かけと、その答えの提示方法が非常に巧みである。暗転を繰り返すことで同じ場所での日時の経過を表していくが、各々のシーンで、その特異な場所の「新事実」を提示するとともに、それがきっかけとなって、また新たな謎を呼ぶ仕掛けとなっている。その死体はどこへ行くのか、何でここにあるのか、ここにいる人たちは何者なのか、本当は何をやっているのか。一つの驚くべき事実の背後には、別の驚くべき事実がある。この連鎖が芝居全編を貫き通す。次々と明らかになる事実は、事態が常軌を逸したものとなっていることを繰り返し告げる。ただの気持ち悪さにはすぐ慣れてしまう観客も、波状攻撃で積み重ねられる想像を超えた状況に、飽きることなく舞台の世界に吸い寄せられることとなるのだ。

ここまでであれば、気持ち悪さを上手に提示しているの過ぎない。ある意味、お化け屋敷と同じだ。この物語が大きくハンドルを切るのは、終盤近く、登場人物自らが「怖さ」を語りだすあたりから。彼らは言う。「死体は怖くない」と。「怖いのは、死体が怖くない自分だ」と。ここにおいて、物語の視点は、今、眼前で起きている不気味極まりない事態そのものから、その不気味な事態に居合わせる人物へと、焦点を大幅に移動する。

この焦点の移動は重要である。そこに居合わせる登場人物は、やってみたら「死体は案外怖くない」からそのバイトをやっているし、おそらく、その感覚の延長で、そこで展開される様々な「ビジネス」に手を出していったのだろう。このような「やってみたら案外大丈夫」という感覚で、ちょっとした悪事やら、ギャンブルやら、犯罪やらに手を出して抜けられなくなるという事例は、実世界でも一般的なことだろう。描かれる人物の「心の弱さ」には誰しも思い当たる節があるはずである。「闇へ続く階段を下り始めた」と芝居中で語られるが、その心の闇は誰もが持っていて、そこへ続く階段を下り始める可能性は誰にでもある。そう思うと、表面的な「ホラー」とは別の意味で、この奇怪極まりない世界の中に人間の心のリアルを見たようで、ゾクッとする恐ろしさを感じさせられるのである。

つまり、ふと、登場人物の心に共感してしまえば、これまで、ある意味自分とは関係ない世界の出来事に思えていたこの怪奇な状況が、観客にとっても、自分とどこか関係ありうる世界、と現実感を帯びたものに見えてきたのではあるまいか。この芝居の尋常ならざる状況は、世の中に数多ある「怪しげな状況」がフラクタル的に縮約されたものであって、この物語は地下の死体が浮かぶ「プール」のことを描いているのではなく、世にある「いかがわしい事態」全般を描く、普遍性あるものなのではないか。その普遍性によって、物語の説得力が強く湧き上がっているのではないだろうか。

芝居のストーリーは、最後に「なぜこの場所を誰も知らないのか」という最初の謎を明かす事件により、全てがつながって完結する。そのラストで、舞台には高額時給を謳う「ビラ」が散らばっていた。そう、この芝居の主人公は、このビラを見たことから「心の闇へ続く階段」を下り始めてしまったのだ。こういう細かな作りこみからも、この芝居が舞台上の情景を越えて描こうとしていた物語が伝わってくる。それを観客に印象付けようとする演出の細かさ、的確さと同時に。

きわめて細かな芝居創りをしつつも、現代の、現実の人間が持つ心のリアリティを的確に捕らえるメタ的視点がストーリーの中に常に存在する。そのため、ほとんど地下の狭い場所のみを描きつつも、その場所の外部には日常のリアルな現実世界が広がっているように見えてくるのである。この構造が、この物語世界を魅力的で「リアリティ」のあるものとして成立させている最大の要因と言えないか。

単なるホラーと考えると、序盤からあまりに多くの情報を提示し続けているため、ラストは「さもありなん」な結末と言えなくもない。しかし、その納得し得る結末に至る過程において、特殊なことをしている登場人物たちが、実は誰でも持っている心の隙間にハマっているだけ、という人の心の共通点を捉えた描写となっている点が、この芝居を現実感のある物語にしていると思うのである。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第94号、2008年5月14日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
小林重幸(こばやし・しげゆき)
1966年埼玉県生まれ。早稲田大学理工学部電気工学科卒。東京メトロポリタンテレビジョン技術部勤務。デジタル放送設備開発の傍ら、年間200ステージ近い舞台へ足を運ぶ観劇人。
・wonderland寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kobayashi-shigeyuki/

【上演記録】
タカハ劇団第4回公演「プール
王子小劇場(2008年5月2日-6日)
脚本・演出 高羽 彩

CAST
石澤 彩美
井手 豊(安心くり太郎)
猪瀬 早紀子
浦井 大輔(コマツ企画)
岡本 篤(劇団チョコレートケーキ)
兼枡 綾
久我 真希人(ヒンドゥー五千回)
鈴木 ハルニ(劇団コーヒー牛乳)
高羽 彩
永山 智啓(elePHANTMoon)
西尾 友樹
(五十音順)

STAFF
脚本・演出 高羽 彩
舞台監督 藤田 有紀彦
舞台美術 稲田 美智子
照明 吉村 愛子 (Fantasista?ish.)
音響 角張 正雄(SoundCube)
小道具 木下 早紀
衣装 佐藤 愛
フライヤーデザイン サノアヤコ
演出助手 目崎 剛
制作助手 小林 由梨亜(the Square of y)
制作 安田 裕美(the Square of y)/
製作 タカハ劇団

TICKET(自由席・日時指定)
前売 2,000円/ペア 3,800円
当日 2,300円


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