木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談−通し上演−」

◎南北原作の魅力引き出す
 中西理

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 フェスティバル/トーキョー2013(F/T13)で私が個人的にもっとも期待していた舞台が木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談−通し上演−」だった。今春東京に引っ越したが、それ以前に住んでいた関西でここ数年、もっとも注目している若手劇団が木ノ下歌舞伎だからだ。昨年は東京デスロックの多田淳之介を総合演出に迎え「義経千本桜」の通し上演を行った。私はそれをwonderlandの年末回顧でベスト1に選んだが、この「四谷怪談」もそれとは方向性の異なる公演ながらも、匹敵する水準の好舞台だった。ポストゼロ年代の若手劇団でトップランナーの一角を占めていることを改めて示したといえよう。
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SPAC「天守物語」「野田版 真夏の夜の夢」

◎演劇は祝祭である-宮城聰小論
 中西理

ふじのくに⇔せかい演劇祭 1995年の阪神大震災とオウム事件以来の日本の現代演劇の流れを形成してきたのは平田オリザの現代口語演劇を中心とした「関係性の演劇」(*1) であった。この流れは2000年代に入り、代表的な作家としてポツドールの三浦大輔や五反田団の前田司郎らを生み、チェルフィッチュの岡田利規の超現代口語演劇へと受け継がれた。90年代半ば以降の日本の演劇を振り返るとそんな系譜が見えてくる。そのことはこれまでもいろんなところに折に触れ書いてきたが、実は90年代には「関係性の演劇」と並んで身体表現を重視するもうひとつ重要な現代演劇の潮流があった。それは「身体性の演劇」で代表的な作家がク・ナウカの宮城聰だった。

 「演劇は祝祭でなくてはならない」。都市生活を営む私たちに必要なのは祭りではなく、この世界がいかにあるのかを静かに見つめなおすような時間・空間であると「都市に祝祭はいらない」という著書で持論を展開した平田に対し、宮城は対照的な演劇=祝祭論を提唱(*2)。感情的な反発ではなく理論的な視座において平田の演劇を批判できる数少ない論客でもあった。
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快快「SHIBAHAMA」in OSAKA

◎震災と「SHIBAHAMA」
 中西 理

 2010年初めの柴幸男「わが星」の岸田國士戯曲賞受賞以来、「ポストゼロ年代劇団」の台頭が目覚ましい。なかでも国内外での活発な活動ぶりで柴のままごと、中屋敷法仁率いる柿喰う客などと並んで、主導的な役割を果たしているのが「快快(faifai)」である。「演劇における遊び・ケレン的な要素の重視」などポストゼロ年代演劇に共通する特徴を持ちながらも快快のあり方はきわめてユニークだ。ひとつの特徴は活動内容が演劇のみならず、ダンス、映像、パーティ、イベント等の企画・制作などと多岐に渡っていることだ。つまり、単に演劇を上演する集団、すなわち劇団ではなく、雑多と思われるそのほかの活動も彼らにとっては単なる余技ではなくて演劇制作と同等の価値を持っているのだ。
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チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」

◎表現の領域、さらに広げる
中西 理

「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶」公演チラシ「ゼロ年代(2000年代)」の終わりから、「テン年代(2010年代)」の初めにかけて、演劇・コンテンポラリーダンスに顕著な傾向は2つの領域の境界に位置するボーダレスな表現が増えたことだ。最近のwonderlandレビューでも音楽家・ダンス批評家の桜井圭介氏がダンスの側から神村恵カンパニー「385日」を素材(*1)に「演劇なんだかダンスなんだか分かんないよ」的な演劇やダンスの流行現象を取り上げているが、さらに演劇側の例として快快、東京デスロック、ままごとなど「テン年代」と言われる若手劇団の舞台を挙げることもできる。

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維新派「ろじ式」(フェスティバル/トーキョー09秋)

◎小劇場演劇としての可能性垣間見せる
中西理

「ろじ式」公演チラシ維新派の新作「ろじ式」(松本雄吉作・演出)を大阪・難波の精華小劇場で見た。維新派はこのところ野外ないし大劇場の空間で「<彼>と旅をする20世紀3部作」と題して、「nostalgia #1」(2007、大阪・ウルトラマーケット、さいたま芸術劇場)、「呼吸機械 #2」(2008、長浜市さいかち浜野外特設舞台)を連続上演してきた。それは南米や東欧の動乱の歴史を取り上げ、20世紀という壮大な時間の流れをモチーフに物語性を強く打ち出したものであった。今回の「ろじ式」は本公演とは位置づけられてはいるものの、その続きというわけではない。

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珍しいキノコ舞踊団 ×plaplax 「The Rainy Table」

◎ファンタジーの世界を描き出す ダンスと映像の掛け合いの面白さ
中西理

「The Rainy Table」公演チラシ珍しいキノコ舞踊団 の新作「The Rainy Table」を山口情報文化センター(YCAM)で観劇した(3月1日観劇)。珍しいキノコ舞踊団とメディアアートのplaplax、そして音楽にはBuffalo Daughterの大野由美子、衣装にAOMIといつもとは少し違う組み合わせによるコラボレーション(共同制作)作品である。YCAMに長期滞在して現地制作した。

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桃唄309「おやすみ、おじさん3 – 草の子、見えずの雪ふる」

◎「メタ関係性の演劇」の開拓 カット割り構造の舞台化も
中西理(演劇・舞踊批評)

「おやすみ、おじさん3 - 草の子、見えずの雪ふる」公演チラシ群像会話劇の形でその背後に隠れた人間関係や構造を提示する「関係性の演劇」は1990年代以降の日本現代演劇で大きな流れを形成してきた。桃唄309の長谷基弘もその一翼を担う重要な劇作家だが、長谷には平田オリザや岩松了、松田正隆、長谷川孝治らと比較したときにスタイルに大きな違いがある。

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マレビトの会「血の婚礼」

◎松田正隆の「演出家宣言」
中西理(演劇・舞踊批評)

マレビトの会は劇作家、松田正隆の率いる劇団である。今回は初の試みとして松田戯曲以外の上演に挑戦した。シリーズ「戯曲との出会い」vol.1と題しガルシア・ロルカの「血の婚礼」を松田が演出、上演したのである。

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五反田団「偉大なる生活の冒険」

◎「内部」に閉じる世界を躊躇なく肯定する 前田ワールドの特徴と凄さ
中西理(演劇・舞踊批評)

「偉大なる生活の冒険」公演チラシ岸田国士戯曲賞を受賞したばかりの前田司郎(五反田団)の新作である。受賞後第1作となるが、相変わらず「ダメ男」を描かせたら日本一という前田らしさを存分に発揮した舞台に仕上がっていて、思わずニヤリとさせられる。
芥川賞候補となった自作の小説「グレート生活アドベンチャー」の舞台版なのだが、小説と舞台を比較すると主人公の男(前田司郎)の「ダメ」ぶりは一層グレードアップした感がある。

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MIKUNI YANAIHARA PROJECT「青ノ鳥」

◎世界のノイズ化とアンコントロール いまのリアルを舞台に上げる
中西理(演劇コラムニスト)

「青ノ鳥」公演チラシMIKUNI YANAIHARA PROJECT*1「青ノ鳥」*2(吉祥寺シアター=9月24日マチネ)を観劇した。インターメディア・パフォーマンス集団、ニブロールを率いる振付家・ダンサーである矢内原美邦はそれ以外にも最近はoff nibrollなど別働隊的な公演を行うことでその活動範囲を広げている。そのうち「演劇を上演しよう」というプロジェクトがMIKUNI YANAIHARA PROJECT(ミクニヤナイハラプロジェクト)である。

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