山下残「ヘッドホンと耳の間の距離」

◎広がりゆく、コレオグラフ
 中野三希子

「ヘッドホンと耳の間の距離」公演チラシ
公演チラシ

 山下残の作品は、訳が分からない。ある程度はもう覚悟ができているので、まずは我慢する。全力なのか適当なのか分からないシーンの連続に、そろそろ何か展開があるのではないかとつい期待する。期待は裏切られて、わりと何も起きない。のに、目が離せない。何も起きていないフリをして何かが起きているからだ。そして、訳が分からないフリをして、そこで起きていることは実はまぎれもない「ダンス」なのである。そう気付いて、嬉しくなってしまう。
 『大洪水』『庭みたいなもの』に続き、STスポットと山下の3作目の協働となった『ヘッドホンと耳の間の距離』。
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山下残「庭みたいなもの」

◎庭よりも広い「庭」
 中野三希子

「庭みたいなもの」公演チラシ
「庭みたいなもの」公演チラシ

 チケットを提示し、案内の矢印に従って進む。どうも既になんだかおかしい。観客が通るにしては、ここは暗いし雑然としている。無頓着に舞台裏を通らされているような気がしつつ、スタジオに入る。目に入ったものは、「庭みたいなもの 営業中」と書かれた、古ぼけて汚れた看板…はまだいいとして、板張りの、ステージと思しきばかでかい箱である。足元に気をつけて進んでください、といわれても正直意味が分からない。私はどこに行くんだろう。促されるままに数段の階段を踏み、入口をくぐって箱の中に入った先に広がっていたのは、…なんなんだろう。錆と埃の匂いがするような、作業小屋の廃墟、だろうか。
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シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー「聖なる怪物たち」

◎身体と言葉によって語る、美しき2人の「怪物」
中野三希子

「聖なる怪物たち」公演ダンスにおいて、舞台上で言葉を用いることは難しい。ダンサーは、言葉ではなく身体を表現の媒体として選んだ者たちだからだ。まして、相手は世紀のバレリーナ/ダンサーと言われるシルヴィ・ギエムである。誰もが最高の「身体による表現」を期待するであろうダンサーに、「言葉」を語らせること。この壁をアクラム・カーンは見事に打ち破り、言葉と身体とが密接に絡み合う素晴らしい舞台を見せてくれた。

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