山下残「ヘッドホンと耳の間の距離」

◎広がりゆく、コレオグラフ
 中野三希子

「ヘッドホンと耳の間の距離」公演チラシ
公演チラシ

 山下残の作品は、訳が分からない。ある程度はもう覚悟ができているので、まずは我慢する。全力なのか適当なのか分からないシーンの連続に、そろそろ何か展開があるのではないかとつい期待する。期待は裏切られて、わりと何も起きない。のに、目が離せない。何も起きていないフリをして何かが起きているからだ。そして、訳が分からないフリをして、そこで起きていることは実はまぎれもない「ダンス」なのである。そう気付いて、嬉しくなってしまう。
 『大洪水』『庭みたいなもの』に続き、STスポットと山下の3作目の協働となった『ヘッドホンと耳の間の距離』。

 出演者二人が登場し、無音の中で間を取って向き合う。一人が一歩足を前に出して踏み込み、同時に両手を前にバッと伸ばす。驚かせるように見えて、本人も相手も無表情のまま、すぐに相手も対抗するように同じ動きを返す。
 そのままでしばらくの間向き合い、何かに石が当たったような、コン、という音が聞こえたらポーズを「解除」する。先に動いた方がまず手を緩め、身体を戻し、もう一方も直立に居直る。そしてまた同じ順番で同じ動き、同じく無表情の対峙がしばらくあって、コン、という音。ポーズの解除。
 何度も繰り返されてようやくその仕組みに確信を持つ。ごく単純で、何の変哲もない一つの動きとポーズの繰り返しなのだが、そこに緊張感が生まれていく。音と二人の身体との関係のせいだ。二人が腕を出し合って止まってから音が聞こえるまでのタイミングは一定しない。音が聞こえるまでの間も、完全にポーズが解除されるまでの速度もまちまちだ。足を踏み出す音と、踏み出し返す音と、「コン」。ここで、二人の青年の身体と音との駆け引きは既に始まっているのだ。
 観客の目と耳は、その三者の間に起きることを拾おうと引き込まれていく。何も起きていないような、無表情な二人の、はっきり言ってどうでもいい動きの、よく分からないやり取りの、そして聞こえたかどうか自信がないくらいの音の繰り返しに、である。
 二人の動きは別のシーンへと展開していく。強弱の変化を入れながらも同じモチーフが何度か繰り返され、そしてまた別のモチーフへ。その連続だ。
 貫かれていたのは、一方の動きが一方の動きを支配するような関係である。冒頭ほど顕著ではないものの、一人の動きがもう一人の動きに呼応するような動きの連なりがリズムを生む。一人がベースとなり、合いの手を入れるように一人が動く。喧嘩のように、じゃれ合うようにばたばたと動き、跳ねまわる。寝そべる。寝そべった上を片方がまたぐ。うつ伏せで、頭だけ上げて向き合ってひそひそと話す。床を指で叩く。リノリウムを足で打つ。

「ヘッドホンと耳の間の距離」公演1「ヘッドホンと耳の間の距離」公演2
【写真は、「ヘッドホンと耳の間の距離」公演から。撮影=松本和幸 提供= STスポット 禁無断転載】

 そして、ひたすらに繰り返され、パターンを変えてまた繰り返される動きの中で観客は気付く。音が彼らの動きから生まれる以上のものに増幅しているのだ。もともと彼らが指先で床を叩いていた音が、観客である自分の周囲に満ちている。足で打っていただけの音が、STスポットの小さな空間全体、360度の方向から私たちを包む。彼らの声は、エフェクトがかかって長く、あるいは何度も、遠くに響いている。そういえば最初のシーンの「コン」という音も、なんだか不思議なところから聞こえていた。わたしの頭の斜め後ろ、上の方から。
 よく見ると、舞台のかみしも両方の壁に、客席の周りに、そしておそらく客席の後ろにも、高低いたるところにスピーカーが設置されている。床面にはマイクが仕込まれており、出演者の動きが生む音はこれで拾われる。舞台の奥端に立っていたマイクスタンドを引っ張って出演者が発する声もある。いろんな音や声が、コンピューターを通し、各所のスピーカーを通して、広がっていく。あるいは既に作られた無機質な電子音が入り込むこともある。STスポットの小さな空間に、執拗ともいえるほどに作りこまれた音の環境。福田拓人による音響システムを通して立体的に届けられる様々な音は、観客の耳に、というよりも直に肌に働きかけてくるようだ。

 出演者の二人は明らかにダンサーの身体ではなく、舞台上で起きる動きも、ひとつひとつを取ってみればいわゆる「踊り」ではない。それでもこの作品がまぎれもなく「ダンス」になっているのは、作品の中で見つめられているものが身体と音―そしてこの2つの関係性―以外の何物でもないからである。
 一人の動きがもう一方の動きを呼び、そこから出る音や声が、だんだんと立体的に観客を取り巻いていく。目の前で鳴っていたはずの音が、上から、正面から、遠くから、斜め後ろから、響いてくる。観客は、自分の周りに飛び交う音と出演者たちの動きとの関係を受け止めようとすることしかできない。動きだけでは正直べつに面白くないのだ。しかし音との関係をつかもうとすればするほど、緊張感と期待でそわそわしてくる(そしてたまに、それを裏切って笑いを吹き出させる脱力のパフォーマンス)。
 動きに反射するように音が広がり、音に反射するように動きが展開されていく。音と動きの反射。あるいは、出演者二人の身体と音との三者間で起きている、信号のような伝達。その信号が伝わる空間に私たちは座っている。つまり、作品のタイトルにある「ヘッドホンと耳の間」とは、いま観客が置かれている場所なのではないか。

 山下が「音に関することを劇場の中でじっくりやりたい」(注i)といって始まったというこの作品では、STスポットという劇場は「ヘッドホンと耳の間の距離」になったのだ。実際にはあるのかないのか分からない「ヘッドホンと耳の間」も、山下と福田の手にかかってずいぶんと大きな「距離」を持ったものである。
 連なる動きの中ではいくつかの言葉も発せられたが、その単語に明確な意味が乗せられていたとは思わない。どれも、記号としての言葉だろう。「労働、労働、過酷な労働」と客席に向かって繰り返されても、具体的に労働と結びつくような描写があるわけではない。ただ急き立てるような音の響き、言葉の意味の大きなイメージばかりが観客を攻めてくる。無表情で必死に動きまわる出演者二人を前にこらえていた笑いを誘うネタにもなれば、訳の分からない動きにさらに訳の分からないイメージを付加し、見えるもの以上の想像をさせるアクセントにもなる。
 『庭みたいなもの』でもそうだったが、山下は、何が起きているかを観客の中に決定づけるような安易な説明には絶対に言葉を使わない。ただ、言葉を用いることで絶妙に「煙に巻いてくれる」のだ。言葉が投入されることで、作品はゆるやかな混沌を生んでいく。山下残の言葉選びはそこがすばらしい。
 そして作品の終盤。二人の動きと音が盛り上がってきたところで、出演者一人が突然の「変顔」で立ちすくむ。アゴが外れそうなほどぱっくりと開けられた口、視線は白目をむきそうなほど思いっきり上。もう一人はそれを眺めて止まっている。暗転し、しばらく音だけが響く時間が初めて生まれ、このまま幕となるのか…と思いきや、再び照明が入り、立ちすくむ変顔が二人に増えているのを見せられてから、幕である。
 彼らは暗転の中、圧巻の音の中で、ずっとあの変顔で明かりが点くのを待っていたのだろうか。いやそんなことはどうでもいいのだが、ものすごく、おかしい。動きと音とが生んでいた不思議な緊張感が、最後の最後で静止する変顔に持っていかれるとはどういうことか。それもまた音と身体の対話だったのか云々というよりももう、あっさりと期待を外してくるこの裏切りがまた、山下残らしいと思う。

 『大洪水』『庭みたいなもの』と今回の『ヘッドホンと耳の間の距離』の三作品を観た限りでしかないが、山下の振付はいわゆるダンス的な動きからどんどん離れている。『庭みたいなもの』では動きよりもたくさんの言葉があったし、『ヘッドホンと…』は、動きこそ多いものの、「ダンス」と聞いて想像される類のものではない。しかし、手段は様々ではあっても、言葉との関係、音との関係、あるいは空間との関係を通して見つめられているのは、身体の動きそのものだ。そこを見据えているからこそ、今回のように作りこんだ音響システムがあっても、『庭…』のように度肝を抜く舞台美術があっても、それに頼った作品になりはしない。むしろ山下残は、ダンスというものを切り拓き、拡張していく中で、ダンスの本質をよりシンプルに、明らかに、提示しているのである。

 この作品の一週間後には山下自身によるパフォーマンス『大行進』が続いた。横浜市民ギャラリーあざみ野の「あざみ野コンテンポラリーvol.3 ART×DANCE2012」の中で、2010年初演の同作をロングランで再演しているものだ。
 カミイケタクヤが「海に沈んだ世界」(注ii)を作ったという廃墟のような美術の中を、山下が一人で歩く。彼は、廃墟の中に眠っている物たちをそのままに呼びながら自由に動き回る。魚。リス。熊。しばらくして、ふとつぶやく。「なかなかダンスが生まれませんねー」。山下は、そこにあるものを見つめ、その場にある自分の身体を見つめ、その関係の中でダンスを生もうとしているのだろう。この作品とこの台詞にどれほど即興性があるのかは分からないが、彼がダンスを創る過程を伺うことが出来た瞬間であった。
 直後、観客は「ダンスが生まれる」瞬間を観る。「じゃんけんぽん!じゃんけんぽん!……じゃんけん、ダーンス!」と声をあげて歩き始めた山下の、なめらかで美しい手の動き。舞台を斜めに横切って置かれた線路の上を進む、ほんの短い間を遊ぶように片手が舞う。この美しいワンシーンをさえも飄々と「ちょうちょ」と呼び、また廃墟の中を歩き始める山下。終盤、束の間の強さが現れる。山下が地面を激しく踏みながら堰を切ったように繰り返す言葉は、「大洪水」、「大行進」、「大震災」、「大火災」。私たちは、一時はロマンティックな光景さえも見せてくれたこの場所が、薄暗い廃墟であるということに再び気付く。ここはどうしていま「海に沈ん」でいるのだろうか?
 山下のパフォーマンスによって、彼が立つその場所の表情が変わっていく。彼は天井のライトを「月」と呼び、「太陽」と呼び、苺のど飴を取り出して種まきのように床に放り投げては「大地の恵み」であると言う。様々なものが、見える形以外のイメージを湧き起こしていく。この空間は、何にでもなれるのだ。身体でもって踊るのみではなく、空間全体をひとつの詩にしてみせる。山下残の「振付」は、この言葉から単純に考えられる意味よりもうんと広い。

 作品の性格もパフォーマーの性格も異なるとはいえ、『大行進』の密度の高さに比べると、『ヘッドホンと耳の間の距離』には勢いにまかせたやや散漫な部分もあったかもしれないと思えてしまう。『ヘッドホン…』のアフタートークで山下本人は再演の希望を語っていたが、それが実現する際には、より削ぎ落とされながらも広がりを持つダンスを見せてくれることを期待したい。

注i 『ヘッドホンと耳の間の距離』公演当日パンフレットより引用
注ii 展示キャプションより引用

【筆者略歴】
中野三希子(なかの・さきこ)
 1984年、福岡市生まれ。2010年よりSPAC‐静岡県舞台芸術センター制作部所属。東京大学文学部卒業(美学芸術学専修課程)、第15、16回日本ダンス評論賞佳作入賞。上京後にクラシック・バレエを中心に劇場通いを始めるが、だんだんとコンテンポラリー・ダンスや演劇など他ジャンルにも魅かれ魅かれていまに至る。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/na/nakano-mikiko/

【上演記録】
山下残新作公演『ヘッドホンと耳の間の距離
STスポット横浜(2012年10月10日-14日)

演出・振付:山下残
出演:川名俊生、木下毅人
音響設計:福田拓人
フライヤーデザイン:岡部正裕(VOIDS)

料金:前売一般2500円、前売学生2300円 当日2800円(全席自由)、高校生以下無料(要予約)

主催:特定非営利活動法人STスポット横浜
共催:横浜市 横浜アーツフェスティバル実行委員会
助成:公益財団法人セゾン文化財団 芸術文化振興基金
   公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団
特別協力:急な坂スタジオ

「山下残「ヘッドホンと耳の間の距離」」への9件のフィードバック

  1. ピンバック: STspot Yokohama
  2. ピンバック: 小川智紀
  3. ピンバック: コンドウヒロミ
  4. ピンバック: Sakiko NAKANO
  5. ピンバック: Sakiko NAKANO
  6. ピンバック: Takuto Fukuda
  7. ピンバック: 鬼島/KIJIMA Daisuke
  8. ピンバック: 薙野信喜
  9. ピンバック: テツ

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