観客のあいだで考えつづけるということ
―「ワンダーランド」休止によせての覚書き

 堀切克洋

1.「面白い/面白くない」の二分法を超えて
 劇評は誰のために書くのか? 公演初日に書かれたものであれば、千秋楽までに劇場に足を運ぶ観客のための指針ともなるだろうが、大抵の場合は劇評を読んだ時点でその公演はすでに千秋楽を迎えている。では、読者が活字を通じてその未見の舞台を「追体験」することが目的かというと、必ずしもそういうわけではない。むしろ、読者が追体験するのは、書き手が「頭の中で考えたこと」のほうだろう。
 だから結局のところ、公演自体がいかに面白かったとしても、書き手が面白くなければ劇評はつまらないものになる。いかに素晴らしい食材を仕入れようとも、シェフが三流であれば、できあがる料理の質はたかが知れたものとなるのと同じことだ。
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―「ワンダーランド」休止によせての覚書き” の
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ポツドール「愛の渦」パリ公演

◎饗宴の外側にあるもの
 堀切克洋

 ポツドールの作品が、フランスで初めて上演された。上演作品は、2006年に岸田國士戯曲賞を受賞した三浦大輔の出世作、『愛の渦』(2005年)だ。

 ポツドールが、2010年に初めて海外公演(ベルリン)を行った際に選んだ作品は『夢の城』(2006年)であり、2011年夏にブリュッセル、ウィーン、モントリオールで、同年冬にミュンヘンで公演が行われた際にも同様であった。それは端的に、狭小かつ乱雑なアパートの一室で繰り広げられる若者たちの生態が「無言劇」というスタイルによって描かれているからであろう。

 同様の(無言劇的な)スタイルは部分的に見られるとしても、基本的に役者たちの台詞と演技によって構成される『愛の渦』が海外で上演されたのは、去年のベルリン公演が初めてのことだった。今回のフランス上演は、その流れにつづくものである。連日満員の客席には、日本とはやや様子が違って、比較的年齢の高いインテリ層の観客が座席を占めていたようである。
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ミナモザ「彼らの敵」

◎「敵」は自分のなかにいる
 堀切克洋

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「彼らの敵」公演チラシ

 ミナモザ(瀬戸山美咲主宰)のホームページに、2013年7月に上演された『彼らの敵』の舞台写真が掲載されている。
 ご覧いただけたであろうか。掲載写真は、実に120枚近くにも及んでいる。おそらく、劇団ホームページに掲載されている一公演の写真の点数としては異例の数であろう。これらの写真を撮影した写真家の名前は、服部貴康。本作の主人公のモティーフになった人物である。
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はえぎわ「ガラパコスパコス~進化してんのかしてないのか~」

◎男と女の「典型」を描き出す
 堀切克洋

公演チラシ
公演チラシ

 劇団はえぎわを主宰するノゾエ征爾は、今年2月に『○○トアル風景』で第56回岸田國士戯曲賞を受賞している。ノゾエを含めた三名に対する同時授賞は、審査員のひとりである野田秀樹の言葉を借りれば、「選考会の混迷ぶり」を示すものでもあった。が、同時に野田は、ノゾエが「去年、受賞するべき作家だった」から「ノゾエ氏の受賞そのものには異論はない」とも述べている。
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庭劇団ペニノ「大きなトランクの中の箱」

◎平成のオイディプス
  堀切克洋

公演チラシ
「大きなトランクの中の箱」公演チラシ

 2000年代の日本において、青山の自宅アパートを改造して舞台装置を作り込み、公演の準備を行うような真似をしていたのは、タニノクロウの庭劇団ペニノくらいだっただろう。
 維新派の松本雄吉の命名によって「はこぶね」という名を与えられたこの小さな部屋は、やがてわずか数十名の観客を招き入れ、いわゆるアトリエ公演を行うようになった。『小さなリンボのレストラン』(2004年)、『苛々する大人の絵本』(2008年)、そして『誰も知らない貴方の部屋』(2012年)の三作品がそれだが、建物の老朽化と大震災による障害によってこのアトリエが取り壊されることとなり、タニノはこの三つの作品をひとつの「箱」に詰め込んで上演することを決めた。それが、『大きなトランクの中の箱』(2013年4月12日-29日、森下スタジオBスタジオ)という作品である(*)。
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川口隆夫「逃げ惑う沈黙」「『病める舞姫』をテキストに-2つのソロ」

◎言葉とゲームを横断する男
 堀切克洋

 今更ながら、川口隆夫の「身軽さ」には驚きを禁じ得ない。細身で長身の身体が、ダンサーとしての身軽さを保証しているだけではない。川口はあらゆる局面において身軽なのであり、その一例として彼の活動は国境をたえず横断しつづけているし、また、テキストとパフォーマンスを横断しつづけている。逆から見れば、彼の公演は、さまざまなアーティストが通過していくひとつの「場」となっていると言っても過言ではない(石井達朗によるインタビューを参照のこと)。
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Port B 「Referendum – 国民投票プロジェクト」

◎いつか、トーキョーを離れるために
 堀切克洋

 2011年3月11日。この日を境にして、原発問題をめぐる膨大な発言が蓄積され、今日に至っている。けっして数は多くないが、演劇もまたさまざまなかたちでこの現実に応答しようと試みている。

 「非戦を選ぶ演劇人の会」による朗読劇『核・ヒバク・人間』(8月27-28日、全労済ホール)、劇団ミナモザ(主宰=瀬戸山美咲)の原発をめぐる私小説的なメタ演劇『ホットパーティクル』(9月21日-27日、Space雑遊)、F/T「公募プログラム」に参加しているピーチャム・カンパニーの『復活』(10月29日-11月4日、都立芝公園集会広場)、12月にはドイツの劇作家エルフリーデ・イェリネクが福島第一原発事故について描いた『光のない。』(9月初演)のリーディングが行われる予定である(12月16日-18日、イワト劇場)。

 これらの作品がすでに書かれたテクストの舞台上演を前提としているのに対して、高山明が主宰するPort Bの公演『Referendum-国民投票プロジェクト』(2011年10月11日-11月11日、都内各所および福島県内各所)には、通常の意味におけるテクスト(戯曲)、役者(俳優)、そして舞台(劇場)は存在しない。この公演は、端的に言えば、映像インスタレーションを内蔵したキャラバンカーで各所を巡るというプロジェクトであるが、主軸をなしているのは、「インタビュー」、「フォーラム」、そして「トラベローグ」という三つの要素である。
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