◎「群衆」形成の力学の可視化から、「個」の承認へ
高嶋慈
ブラジル出身の振付家、マルセロ・エヴェリンの作品との衝撃的な出会いは、2011年にKYOTO EXPERIMENTで上演された『マタドウロ(屠場)』である。『マタドウロ(屠場)』は、仮面や被り物で素顔を隠したほぼ全裸の男女のパフォーマーが、約1時間にわたり輪になって走り続けた後、最後に仮面を取って観客を凝視する、という挑発的な幕切れの作品であった。そこでは、人間らしさを剥奪されて動物的な隷属状態に置かれること、そして肉体に過酷な負荷をかけ続ける行為を通して、政治的・文化的闘争の場としての身体が提示されていた。昨年の同舞台芸術祭でのワーク・イン・プログレス公演を経て、今年上演された新作『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』もまた、無防備に晒された身体の運動とその強度を通じて、暴力、狂気、力の行使、欲望、眼差し、そして人間としての承認について問いかける作品である。本作の鑑賞—より正確には「経験」は、観客という立ち位置の自明性や安全圏を手放す危うさをはらみつつ、見る者の思考と皮膚感覚を激しく揺さぶるものであった。以下では、前作『マタドウロ(屠場)』との比較も含めてレビューする(『マタドウロ(屠場)』のレビュー記事はこちら)。
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