チョイ・カファイ「“Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”」

◎フィクションとしての「憑依」から浮かび上がる豊穣さ
  高嶋慈

 『Notion: Dance Fiction(ノーション:ダンス・フィクション)』(以下『N:DF』と略記)は、土方巽やピナ・バウシュといったダンス史上に名を残すダンサーや振付家の動きを、映像を元にデジタル化し、筋肉への電気刺激を通して生身のダンサーの身体に「移植」することで、その「再現」を行うというパフォーマンス作品である。コンセプトと演出、マルチメディアデザインを手がけるのは、シンガポール人のメディア・アーティスト、チョイ・カファイ。今年第3回目を迎えるKYOTO EXPERIMENTでの上演は、ダンサーの寺田みさこの身体で「実演」する第一部の『N:DF』と、contact Gonzoの塚原悠也とカファイの対話、及びその技法を使っての実践/実戦からなる第二部の『Soft Machine(ソフト・マシーン)』という、二部構成から成っていた。本評では、第一部の『N:DF』を中心に、カファイのアプローチが仕掛ける様々な問い―テクノロジー、身体、記憶、オリジナルとコピー、歴史の受容、そして「ダンス」とは何かという根源的な問い―について考えてみたい。

 『N:DF』は、カファイ自身によるレクチャーの前半と、寺田みさこの身体を用いたデモンストレーションの後半から構成される。舞台上には、パソコンやコードなどの機器類とスクリーンが用意されている。まず最初に、寺田自身の自己紹介―バレエのバックボーンがあることなど―と、最近踊ったソロ作品の一部が披露される。その後、カファイによる前半のレクチャー部分では、18~19世紀の科学史を概説し、人体は電気を帯びており、電気信号が神経線維を通って伝達されることで筋肉が動く仕組みについて説明がなされる。続けて、こうした科学的成果を応用した現代のアーティストの例として、ステラークの《Third hand》や真鍋大度の《copy face》が紹介される。例えば後者の作品は、顔の筋肉の動きを電気信号に変換・伝達することで、他人がリアルタイムで同じ表情を強制的にさせられる、というものである。このアイデアを被伝達者の身体全体へと拡張し、さらに「ダンス史上の動き」の「再現」という企てを組み込むことで、オーソライズされた歴史、「オリジナル」の正統性、さらにダンサー自身の身体の自己同一性に対して挑発的な問いを投げかけるのが、カファイの『N:DF』なのである。

 後半のデモンストレーション部分では、身体の様々な部位に電極を貼り付けた寺田が、背後のスクリーンに流れる「オリジナル」の映像の前で、イヴォンヌ・レイナーに始まり、イサドラ・ダンカン、ピナ・バウシュ、マース・カニンガム、土方巽といった様々なダンサー達の動きを「再現」してみせる。対象となるのは、歴史的なダンサーだけにとどまらない。オハッド・ナハリン、タイの古典舞踊をベースとするピチェ・クランチェンといった現在活躍中の、また非欧米圏のダンサーや振付家の動きも、寺田の身体へと「移植」される。一つ一つは、記録映像から数秒~数十秒ほどの短いスパンに切られた動きでしかないが、その背後には、過去100年以上に渡るダンスの歴史が積み重なっていることが示唆される。カファイは、映像として記録されたダンサーの動きをデジタル化し、電気信号として保存することで、ダンスの巨大なデータベース化を形成する試みであると述べる。

 そして、「演出」を疑わせる「システムエラー」が挿入された後、悪ふざけギリギリの過激さを見せるのが、身体を2分割し、上半身/下半身、左半身/右半身にそれぞれ異なるダンサーの動きを「移植」する、という次の段階である。上半身にイヴォンヌ・レイナー/下半身にピチェ・クランチェンの動き、あるいは左半身にピチェ・クランチェン/右半身にマース・カニンガムの動きを流し込まれる寺田の身体は混乱し、もはやダンスとは言えない様相を呈する。さらに、右上半身/左上半身/下半身に3人の異なるダンサーの動きを接合して「移植」する、という事態に至っては、いかに科学的根拠に基づいていようとも、「オリジナルな筋肉の動きの伝達・再現」をもはや素朴に信じる訳にはいかないだろう。

 だが、最後にカファイは寺田に、電極やコードの装備を外すように指示する。そして、この後は、電気刺激による筋肉への伝達なしで、身体に移植された記憶を元に踊るようにと指示を出す。ゆっくりと、一つ一つの動きを呼吸し反芻するように踊る、寺田のソロ。そこでは、先ほど「移植」されたピチェ・クランチェンやバウシュ、土方らの短いムーヴメントが時折現れつつも、冒頭で見せた寺田自身のソロ作品の動きも交じり合い、個々のムーヴメントの境界が判然とし難い、しかし全体としては静謐さと緊張感をはらんだ美しいソロダンスになっていた。

チョイ・カファイ公演から
【写真は、チョイ・カファイ「“Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”」公演から。撮影= Ka Fai Choy 提供=京都国際舞台芸術祭 禁無断転載】

 ここで注意したいのは、カファイの『N:DF』は、単に生理学的/テクノロジカルな興味に基づいたデモンストレーションではない、という点である。つまり誤解されがちだが、テクノロジー神話を盾にした、伝説的ダンサーの動きの正確な「再現」が重要なのではない。単にそうした再現性の度合いや成否が主眼であれば、プロのダンサーである寺田の身体ではなく、全くダンス経験のない素人の身体で「実演」した方が、効果的だっただろう。むしろ、「歴史」の受容、身体とテクノロジーの関係、そしてダンスの本質をめぐる問いを喚起するところにこそ、この作品の意義がある。

 映像に記録されたダンスの歴史を情報に還元し、個々のピースからだけでなくその歴史的文脈からも切断し、任意にコピー&ペースト可能な対象として受容する手つき。電気信号の入力によって制御可能であるとする、機械論的な因果律に支配された身体観。両者の接合点にある『N:DF』におけるカファイのアプローチは、暴力的であると同時に極めて両義的でもある。

 ここでダンスの歴史は、個々のピースや歴史的文脈から暴力的に切断され、解体/再接合がいかようにも可能な情報として、つまり全ては等価な記号としてデータベース化されている。カファイの試みは、そのように操作可能な情報に還元されたダンスを(装置さえ付ければ原理的には誰でも)「再現」可能であると扱うことで、オリジナルを脱神話化し、大文字のダンスの歴史を解体する一方で、背後のスクリーンに流れる映像と完全には同期・同化しえない生身の身体は、逆説的にオリジナル(の映像)の正典化に与してしまう。だが注意したいのは、ここで用いられているのが、記録映像から得られたデータである点だ。このことは、上演芸術と記録映像の関係についての問題を投げかけるとともに、歴史をどう受容するか、という問いとも関わっている。つまり、映像情報としてしか受容できず、歴史と接続されていない身体から、どのようにダンスを始めることができるのか、という切実な問いである。

 また、上述のような情報としてコピー&ペースト可能なダンスの歴史、という『N:DF』のアプローチは、機械論的な因果律に支配された身体観とも密接に関わっている。『N:DF』を支えているのは、巨大なデータベースから任意に切り貼りした情報を、テクノロジーを介して(ノイズなしに)入力→出力が実行されうるとする身体観であり、そこで身体は情報のアップデートによっていかようにも改変可能なマシーンとして見なされる。だがそれは、テクノロジーによって伝説的ダンサーのスーパーボディと融合した身体、という夢を描く一方で、「ダンス」を筋肉の動きの情報に還元してしまう、非常に貧しいものでもある。ダンスという営みが持つ情動的な要素に加え、音楽(音響)や空間との対話、他のダンサーの身体との対話、表情や指先の繊細な動き、時としてリズムさえ刻む息遣い、さらには即興的要素や身体的ノイズ、といったダンスを構成する様々な要素が排除されてしまうのだ。例え完全な「再現」が出来たとしても、それは痩せ細った貧しいダンスでしかないだろう。『N:DF』が逆照射するのは、ダンスとは何か、私たちを惹きつけるダンスの持つ豊かさとは何か、という問いである。

 以上、カファイのアプローチとその両義性について概観したが、ここで本公演の2つのタイトルを振り返るなら、『Notion: Dance Fiction』とは、ここでの「再現」が虚構であることの告白であるとも、大文字のダンスの歴史自体がナラティヴに過ぎないことへの批判であるとも読める。また、第二部に冠された『Soft Machine』は、既存の小説を切り貼りして作られたウィリアム・バロウズのポストモダン小説のタイトルに由来するとともに、アプリをインストールするように改変可能なマシーンとしての身体を示唆している。

 では、このようなアプローチに基づき、実際に寺田みさこという固有のダンサーの身体を用いた上演によって見えてきたものとは何か。

 筋肉の動きを電気刺激として「移植」する電極を身に付け、スクリーンに映る土方やバウシュの前で彼らの動きを「再現」する寺田―ここにあるのは、その信憑性をテクノロジーによって担保しつつも、スクリーン上に召喚された亡霊としてのダンサー達が次々と寺田の身体に乗り移る「憑依」である。(極論すれば、テクノロジーの介在は、「憑依」という超科学的な現象に見かけの正当性を与えるためでしかない。従って、「本当に」電気信号を送っているのか、筋肉を正しく動かすための電気刺激を果たしてどの程度の正確さで「伝達・移植」できるのかは重要ではない)。「憑依」、すなわち物故/存命に関わらず、いま・ここにはない身体、映像の中にのみ存在する身体を、観客の目の前に存在する寺田の生身の身体の中に召喚することが賭けられているのだ。

 だが実見して興味深かったのは、映像の中の身体と生身の身体の同期・同化ではなく、むしろ齟齬や乖離、情報を流しこまれた時の「異物」感である。そしてそれは、西欧のダンス技法に基づくダンサーの動きよりも、土方やピチェ・クランチェンなど、西欧の身体理論とは別の方法論に基づくダンサーの動きを流しこまれた時の方が、より大きく感じられた。つまり、上演冒頭で語ったように、バレエ出身である寺田の身体にとって、西欧のダンス技法に基づくダンサーの動きは比較的滑らかに接合されるが、自らの身体的記憶にない動きが伝達された場合、外部からの情報は内部の記憶にとってまさに「異物」として衝突を起こし、寺田本来の滑らかな動きは阻害され、ギクシャクとしたぎこちない動きになってしまうのだ。ここでもまた、『N:DF』のはらむ両義性として、「移植」される身体が持つ固有性(個々の身体的記憶、性差や年齢、またどういう文化圏に属すか等)は消去可能と見なされる一方で、実際に現れる齟齬や乖離を通して、「移植」される側の身体の固有性は滑らかな接合を妨げるものとして立ち現れてしまう。外部からの電気刺激/身体内部に蓄積した記憶とのせめぎ合いや不接合。だがそれらは、「再現」としては失敗であっても、『N:DF』という作品の本質的な部分ではないだろうか。

 ここで最後に、電極装置を外して踊った寺田のソロについて考えてみたい。寺田が最後に見せたソロダンスは、デモンストレーションで行ったピチェ・クランチェンやバウシュ、土方らの短いムーヴメントに加えて、冒頭で披露した寺田自身の作品の一部、どちらでも見せていない動きが滑らかにつながって混じり合い、いくつものイメージが何重にも重なり合って融合していくような、不思議なものだった。それは身体に内在する記憶の層を一つずつ解きほぐしながら新しい動きを作り出していくプロセスの開示のようであり、除々にうずくまりながら最後にゆっくりと静止した姿は、記憶の奥底まで潜っていった後、静止の中にあらゆる動きが内包されているようにも見えた。それは、身体的鍛練による獲得かテクノロジーの介在による移植かをもはや問うことさえなく、ダンスが、身体に内在する記憶の層が幾重にも編まれて駆動するものであることを、静かに告げていたのではないか。

【筆者略歴】
 高嶋慈(たかしま・めぐみ)
 1983年大阪府生まれ。京都大学大学院在籍。美学、美術批評。ウェブマガジン PEELER、『明倫art』(京都芸術センター発行紙)にて隔月で展評を執筆。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ta/takashima-megumi/

【上演記録】
KYOTO EXPERIMENT2012
KYOTO EXPERIMENT 2012フリンジ“PLAYdom↗”

チョイ・カファイ『“Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”

“Notion: Dance Fiction”
【コンセプト・演出・マルチメディアデザイン】 チョイ・カファイ
【振付・出演】 寺田みさこ
【通訳】 塚原悠也(contact Gonzo)
【照明・テクニカルディレクター】 リン・アンディー(stage ’LIVE’)
【特別協力】 STUK Art Center
【デザイン・インタラクション】 英国ロイヤルカレッジオブアート

“Soft Machine”
【コンセプト】 チョイ・カファイ
【創作・出演】 チョイ・カファイ、塚原悠也(contact Gonzo)
【共同製作】 KYOTO EXPERIMENT
DANCE BOX Residency Program2011参加作品

「Soft Machine Project」
【助成】 The Arts Creation Funds、National Arts Council, Singapore
【主催】 KYOTO EXPERIMENT

公演日時
10 月13 日(土)20:00-
   14 日(日)17:00-
※受付開始→開演の60分前
※開場→開演の10分前
上演時間:80分

チケット料金
一般      前売2,500 円/当日3,000 円
ユース・学生  前売2,000 円/当日2,500 円
シニア     前売2,000 円/当日2,500 円
小・中・高校生 前売1,000 円/当日1,000 円
※ユースは25 歳以下、シニアは65 歳以上。
※全席自由
会場:京都芸術センター フリースペース

『Soft Machine』映像バージョン展示
会期:10月8日(月・祝)-14日(日)10:00-20:00
会場:京都芸術センター 和室「明倫」
※入場無料

「チョイ・カファイ「“Notion: Dance Fiction” and “Soft Machine”」」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 武藤大祐
  2. ピンバック: 田中均
  3. ピンバック: 薙野信喜

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