◎アメーバ化したぞ「吾妻橋」
木村覚(ダンス批評)
3月の上旬に行われた「The Very Best of AZUMABASHI」の話をする前に、ひとつ寄り道をしておきたい。
もし吾妻橋ダンスクロッシングが存在していなかったら、日本のダンスシーンはどうなっていただろうか。
ちょっと現在と過去を振り返り、そんなこと考えてみたらどうだろう。「吾妻橋」以前すでにその兆候が如実にあらわれていたように、きっと、曖昧模糊とした「コンテンポラリー・ダンス」という言葉を曖昧なままに利用する有象無象の手によって、リアリティを欠いたまま何だか立派そうでアーティーな(芸術気取りの)存在として今日のダンスシーンは社会に位置づけられ(棚上げされ)、それによってわずかな例外を除いてどんどん時代から無視され取り残されていったことだろう。
2001年に初演されて以来、再演を重ねてきた三条会の「ひかりごけ」の公演を下北沢、ザ・スズナリで見る(2007年1月19日)。三条会の独創的な舞台についての高い評価はこれまで何度も目にしていたが、私が三条会公演を観たのは今回がはじめてである。
一時の暗転の後、どこの誰か分からない十人弱の一団(買い物かごを持った主婦?)が瞬時に舞台に上がると、一斉に白い棒をひたすら振りまわし互いの体をぶっ叩きはじめた。「白い棒」はよく見れば長ネギだった。三十秒ほどで一団が消え去った後に取り残され呆然とする満場の観客のなかでぼくは、裂けて飛び散り揮発して空気に入り交じったネギの汁のせいで涙が止まらず、まさにイチモクサンといった勢いで出口となるエレベーターに飛び乗ったのだった。
庭というのは自然そのものではない。むしろ妄想そのものだ。自然の内に押し込め入念にしつらえた妄想。庭とはまたひとを招く場所、庭が体現する妄想に客人が巻き込まれ吸い込まれる場所。時折迷いネコが通り過ぎたりする。庭劇団ペニノ(以下、ペニノ)の庭ではそんなネコのように役者は観客の存在を無視したまま、現れて消えていく。普通のセリフ劇がセリフとそれを口にする役者へ観客の注意を一元化するのに、ここでは庭とそこにいるすべてのものどもが等しく興味深い。
劇団から送られてきたDMの手触りと質感で「匂い」を思い出した。「ニセS高原から」では本家本元の脚本から全てのキャストの男女を入れ替えた演出が話題になっていたが、どうやら頭で覚えていた情報と肌で覚えていた感覚は違うらしい。作品中に出てきたスイカ、夏みかん、ブルーベリーを含め、皮をむくと瑞々しさが溢れ出すような台詞やしぐさに五感を刺激されていた部分が大きかったようだ。いまだ本公演を拝見したことがなかった私は、その「匂い」を確かめるために、今回劇場に足を運んでみることにした。
公演が終わって2カ月もたってからの紹介は気が引けるのですが、まあご勘弁願って、ポツドール特別企画「女のみち」を取り上げます。三浦大輔作・演出の本公演(本番!)も意見が分かれますが(例えば「