蜻蛉玉「へ音記号の果物」

◎果実の香り立ち上る 五感で描く女と生命の姿
葛西李奈

劇団から送られてきたDMの手触りと質感で「匂い」を思い出した。「ニセS高原から」では本家本元の脚本から全てのキャストの男女を入れ替えた演出が話題になっていたが、どうやら頭で覚えていた情報と肌で覚えていた感覚は違うらしい。作品中に出てきたスイカ、夏みかん、ブルーベリーを含め、皮をむくと瑞々しさが溢れ出すような台詞やしぐさに五感を刺激されていた部分が大きかったようだ。いまだ本公演を拝見したことがなかった私は、その「匂い」を確かめるために、今回劇場に足を運んでみることにした。

HPを拝見したところによると、蜻蛉玉は2001年に脚本・演出の島林愛氏をはじめ桜美林大学総合文化学科の学生を中心に旗揚げした劇団であるとのこと。女が生きていく上での葛藤を描く作風、劇団員は女性が中心。会場が醸し出す空気感を含めて作品の内容を紡いでいるのだろう。廃校になった小学校などの特異な場所や存在感のある劇場での公演を行っているのだそうだ。今公演の会場である中野テルプシコールも、独特の空気感を持って私達を出迎えてくれた。

劇場に足を踏み入れると、一面コンクリートの壁とあたたかく照らされた舞台の視覚的なギャップに驚く。下手のピアノの下ではヒトが横たわっており、中央奥のオルガンの上には本が並べられている。下手奥に並べられたいくつかの椅子を除けば、他にはほとんど何もない空間だ。不思議と無機質だけれど決して冷たくはない、まるごと包み込まれているかのような安心感がある。すでに感じられていた蜻蛉玉の「匂い」を強めたのは島林氏の前説だ。自身の近況報告を兼ねた一つのエピソードから次第に彼女は物語を紡ぎ語り出した。
本当のことなのか創作話なのか分からないまま聞き入る観客に対し、物語の展開と関連させて携帯の電源を切るよう観客に促す島林氏。最後に「携帯のツーツーという音はソの音なんです」と言い「ハニホヘトイロハ」と歌いながらはけていく。島林氏から伝染して口々に「ハニホヘトイロハ」と口ずさむ劇団員。私達は自然と目の前の風景から紡がれる内容に入り込んでゆく。

今作品の題材は「妊婦」。
お腹の中に居る子供に芸術を根付かせるために集う四人の妊婦と、指導の男の先生のやりとりが全編を通して描かれる。先生の指示のもと妊婦達はマッチ売りの少女の絵本を読んだり、先生がオリジナルで作成した体操をしたり、カント[cunt]の絵を描いたりする。そんな中で、それぞれの妊婦の性格と背景が静かに浮かび上がってくるのだ。お腹の子供が奇形児と発覚し動揺する坂井、タバコをやめようとしない渡部、感情表現が激しくすでに教育熱心な上川、そして、なかなか子供が出来なかった吉村は、他の妊婦が居ない時に先生を誘惑し自身の手で快楽を求める。

印象に残ったのは自分達のカント[cunt]を描く場面と、果物のダンスの場面だろうか。アフタートークを拝聴したところによると、島林氏はもともとカント[cunt]を題材とした話を書きたかったらしい。そこから妊婦という題材を掘り起こしてきたのだと言う。先生から当たり前のように指示を受け、熱心に、もしくは、すかした調子で画用紙に向かう様子がおかしくも共感を呼ぶ。照れくさいけれど、向き合ってみたいという思いが私の中にもあるんだなと気付く。

果物のダンスは劇中で自然と織り込まれ、三人の妊婦がそれぞれ洋なし、ざくろ、いちじくとして果物の役割を取りながら動き、一人の妊婦と対話をするという不可思議で美しい場面を形作っていた。コンテンポラリーを想起させるなと思ったら、モモンガ・コンプレックスの白神ももこ氏が振り付けで参加しているとのこと。残念ながら私はモモンガの公演を拝見したことがないが、身体全体を使って曲線美をつくるというよりは、くいっと手首を曲げた時の美しさや、ヒトがふらついた時の足の動きなど、身体が持っているリズム感から引き出された振りが多かった印象がある。それが果物と合わせて妊婦の不安定な心の動きを表現しているようで想像が膨らんだ。従来の会話の流れから劇中劇等の場面に持っていく演出はスムーズで幻想的であり、不自然な気持ちを抱かせないのは一つ、この劇団のこだわりどころと見てとれた。

以前、この劇団の作風を「平田オリザ氏の影響を受けすぎている」と評した文章を目にしたことがあったけれど、私は平田氏の作風よりもヒトが追い求めている郷愁に満ちた作品づくりを島林氏が目指し、実現しようとしていると感じた。ここで言う郷愁とは、母性に近いものかもしれない。劇中の妊婦である女性達は、目に見えるものも見えないものも含めてプレッシャーを抱えている。坂井のお腹の子供が奇形児と発覚した際の他の妊婦の動揺は、実際にその現場に居たら私はどうするだろうと考えさせられるものだった。またヘヴィスモーカーの渡部の行動や言葉は、妊婦として求められることが多すぎる社会への警鐘であると感じた。そして吉井が一人で絶頂を迎えた後につぶやいた「どうして一人でしちゃいけないの」…描かれていた人物と同世代であった者としては、身につまされるものが多かったのは事実だ。そして同時に、抱えている不安は私だけが持ち合わせているものではないのだという事実も、認識することが出来た。

しかし、この世界観を興味本位でなく男性の共感を呼ぶものとして描くのであれば、男の先生の背景を際立たせる台詞、もしくは女性に翻弄され苛立ちを覚えたり苦悩する身として存在させても良かったのではないだろうか。もちろん女性の心情描写に焦点をあてた作風はそのままに、私は蜻蛉玉の「匂い」を崩さずに観客が受け止められる視点に広がりを持たせることは可能だと思う。

時には衝突し合い、苦言を呈しながらも最後は集って語りながら梨をシャリシャリとかじり続けた四人の姿が何より女の強さなのだと感じた。シャリシャリという音は耳に心地良く残り、まるで実際に口の中に果汁が広がったみたいになり「食べたいなぁ」と思いながら帰宅した。するとタイミング良く母親が梨をむいてくれていたのだ。リンクする出来事に感謝しつつ、女について改めて考えた。繊細に、しぶとく、図太く、強く生きる女の姿を私はこれからも見たいと思った。

日常生活の中で、ささくれだった思いを「私だけなのだろうか」と感じている女性、および女性が見ている世界の味わいを体感したい男性は、一度蜻蛉玉の世界をご覧になってみてはいかがだろうか。

【筆者紹介】
葛西李奈(かさい・りな)
1983年生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒業。在学中より、演劇の持つ可能性を活かし『社会と演劇』の距離を近づけたいと考え、劇評とプレイバック・シアターというインプロの要素を含んだ心理劇の活動に携わる。wonderland 執筆メンバー。

【公演情報】
蜻蛉玉第12回公演 『ヘ音記号の果物

中野・テルプシコール(9月15日-17日)
作・演出 島林愛

出演
打田智春
神林裕美
佐藤恵
安村典久
島林愛

スタッフ
振り付け 白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)
舞台監督 藤本志穂(うなぎ計画)

島林とゲストによるアフタートーク。
15日 19:30 の回のゲスト 白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)
16日 15:00 の回のゲスト 岩井秀人(ハイバイ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください