日中共同プロジェクト公演 『下周村』

もうひとつのグローバル化への幕開け
  山関英人(演劇ジャーナリスト)

 日中共同プロジェクト公演の『下周村』(新国立劇場制作)は、舞台の受容の仕方に一石、を投じた。それは、国境を越える作品のあり方-普遍性の獲得-の理想像を示した、とも云えるだろう。そして、『下周村』はそれを自己言及的に(作品でもって)語ってみせた。

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『 サド侯爵夫人 』 (全3幕)

東京国立博物館の特別第5展示室は、今年7月にク・ナウカが『王女メディア』を上演し、残響のせいで、台詞が聞き取りにくかった、ということがあった。

今回もク・ナウカほどではないが、早口や高音になった時に、特に聞こえづらかった。私の経験では、座席が舞台の近くでは問題ないが(この点は強調しておきたい)、遠くになる(高くなる)ほど、その傾向は強くなるようだった。

今回は、演出家の意図として「言葉の音楽性に徹底的にこだわるという方法をとりたい」(パンフレットより)ということなので、意味より音響を重視したのかもしれない。

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二兎社 『 歌わせたい男たち 』

最初に書き下ろした劇評からの脱皮を何度も試みた。くり返せばくり返すほど、戯曲に引きずられる運動から逃れられなくなった。今が潮時と妥協して、脱稿することにした。

●〝もしも〟この劇評に興味を抱いたなら…
 観劇前に読むことは勧めません。観劇後に読んで、見方がどう違うのか、比較していただけると、幸いです。さらに、その結果を「コメント」していただけると、お互いにとって、批評眼を鍛えることになるかと想います。欲ばりではありますが。。。

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ユニークポイント 『脈拍のリズム』

結末に対する私自身の疑問をどう解消するか、で悩んだ作品だった。重いテーマではありつつも、人間の存在の不思議さについて沈思させた。布石の打ち方が巧妙な戯曲と、被害者の父親を演じた山路誠の演技を評価したい。

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猥雑な『天保十二年のシェイクスピア』

舞台の途中で拍手が起こり、休憩前にも拍手があって、と観客席が沸(わ)いた『天保十二年のシェイクスピア』。文字通り、シェイクスピアの作品を江戸期のバクチ打ちの日常に移し換え、ことば遊びも巧妙に盛り込んだ井上ひさしの妙味と、華美な演出から一転して今回は猥雑(わいざつ)さを前面に打ち出した蜷川の手腕が、エンターテイメント性の高い喜劇を生んだ。もしもシェイクスピアがいなかったら、で始まる歌を聴きながら、『ロミオとジュリエット』で商業演劇に転身することになった蜷川は、もし歌詞通りだったら今ごろどうなっていただろうか、という想像も働いて、奇縁を不思議がり、偶然の「産物」を享受した。

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再見 『戯曲 赤い月』

『赤い月』にこだわっているわけではない。観劇したのが初日であったのと、座席が舞台から離れていたのが、しばらく気になっていた。主演の平淑恵の演技を評価しなかった、というのも頭から離れず、もう一度、観劇することにした。自らの観劇姿勢を問う、という試みでもある。

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文学座 『戯曲 赤い月』

23日から、東京・新宿にある紀伊國屋ホールで、文学座が『赤い月』を上演している(来月2日まで)。映画やテレビ・ラジオのドラマにもなった、なかにし礼の小説『赤い月』を、主役の波子を演じる平淑恵が企画し、なかにし自らが今回新たに書き下ろした。初日を観劇したけれども、場面の描写が微妙に不調和で、展開も駆け足、主人公波子の情念が足りない、というのが率直な印象だった。

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蜷川 幸雄演出/大竹しのぶ主演『メディア』

 東京・渋谷のシアターコクーンで、蜷川 幸雄演出/大竹しのぶ主演『メディア』が上演されています。5月6日-28日の長丁場。いよいよ終盤に差し掛かっていますが、演劇記者の山関英人さんから蜷川さんへのインタビューを踏まえた劇評が届きました。ご覧ください。

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