◎ありふれた言葉で凝縮された関係を描く
小畑明日香(慶応大、wonderland執筆メンバー)
脚本の設定のことから話すのがいいだろうか。
脚本家の処女作を大幅改訂しての上演である。北海道のある場所、花が散った後の桜がぽつぽつと生える場所が舞台になる。客席との段差なし。
中央奥に大きな灰色の柱があって、その奥は墓地に続いていることになっている。
家族を扱った話は多いが、『五月の桜』に登場する「家族」はなんと言うか、密度が濃い。嫁姑、再婚、連れ子二人の交流、昔の男と今の男の三角関係、失踪した妹と姉の再会、これが一つの家族の物語として織り込まれている。
1991年から毎年1回上演している舞台、である。今年で17年目になる。
人間、うれしいことばかりではない。楽しいことばかりでもない。ちょっと憂鬱だったり、人を見たら泥棒だと叫びたくなったり、たまには犬も歩けば棒にガンガンぶち当たるような辛さもあり、つまり劇場に行くのがどうにもおっくうなこともあるものだ。
新国立劇場はどこへ行くのか。演劇部門の芸術監督が栗山民也氏から、鵜山仁氏に変わった最初の企画、「三つの悲劇 ギリシャから」はどうも迷走しているようにしか思えない。前号で葛西李奈氏が好意的にとりあげているが、私としては、第一弾の「アルゴス坂の白い家」は鵜山氏自身の演出作にもかかわらず、あまり感心しなかった。
マンションの一室で、まるで田舎の寄合所であるかのようなにぎやかな家庭で繰り広げられる「永年の友人」と「知り合ったばかりの友人」が夫婦に降り注ぐ些細な事件を大きな妄想により大事件に拡大させている、まさに、狂気の階段を昇っていく2時間の舞台であった。
劇団サーカス劇場・・・どこか郷愁を感じさせる蠱惑的な名前に惹かれて、雨の夕方、下高井戸の「不思議地底窟 青の奇蹟」へ出かけて行った。「隕石」は2001年に東京大学のキャンパスで旗揚げされたグループの14回目の公演だが、筆者はこれが初遭遇。
讃岐うどんと団扇で知られる香川県の丸亀で芝居を観た。盛夏の数日を旅に出たいと思っていた矢先、四国で再演される舞台があるという話を耳にした。2005年2月に紀伊国屋サザンシアターで初演された劇団文化座の「二人の老女の伝説」で、私は観そびれていた。タイトルロールの二人の老女を佐々木愛と新井純が演じると聞き、ぜひ観てみたいと思った。そこで旅は四国と定め、この芝居の観劇を旅程に加えた。さいわい出発までに間があったので、つてを頼って上演台本を送ってもらった。台本の表紙には<コーラスと音楽を伴うドラマ:二人の老女の伝説:ヴェルマ・ウォーリス『ふたりの老女』、星野道夫『森と氷河と鯨』他による。脚本・詞・演出=福田善之>とたくさん文字が並んでいる。これは大変。そこで今度は図書館へ走り、ウォーリスと星野道夫の本を借りてきて読んだ。両方ともこの夏の猛暑を忘れるほどの面白さだったが、芝居に対する興味と同時にまた疑問も膨らんで来た。
広々と何もない舞台奥の暗闇から現れる行列。まるで地平線のかなたから歩み出たかのようだ。照明で作られた大きな円に沿って、輿に乗った怪物のような巨体の祖母(瑳川哲朗)に、極端に長い柄のこうもり傘をさしかけた貧弱な徒歩のエレンディラ(美波)、そして使用人たちが家財道具を運んでいく。作品の舞台となる南米コロンビアの広大な砂漠のイメージだろう。登場人物たちが現れ、消える地平線の遠さが実感できるスケールの大きさだ。舞台の両サイドには物語の語り手たちを配置させる。縦横に広がる舞台空間を堪能するには舞台正面、そしてむしろ後方の座席のほうがよい。
ダムタイプのダンサー川口隆夫とホーメイ歌手山川冬樹が2004年の初演以来国内外で再演を重ねてきた作品「D.D.D.」の日本ファナル公演。パフォーマー二人の実力に対する絶対的な信頼とカリスマ性、そして「封印宣言」というべきか「解散ライブ」というべきか、いずれにせよ伝説化を匂わせる事前の触れ込みが相まって、観客席は開演前から異様な興奮に包まれていた。