◎命を使い切る老女の姿が感動的 二人のベテラン女優が描き出す
芦沢みどり(戯曲翻訳家)
讃岐うどんと団扇で知られる香川県の丸亀で芝居を観た。盛夏の数日を旅に出たいと思っていた矢先、四国で再演される舞台があるという話を耳にした。2005年2月に紀伊国屋サザンシアターで初演された劇団文化座の「二人の老女の伝説」で、私は観そびれていた。タイトルロールの二人の老女を佐々木愛と新井純が演じると聞き、ぜひ観てみたいと思った。そこで旅は四国と定め、この芝居の観劇を旅程に加えた。さいわい出発までに間があったので、つてを頼って上演台本を送ってもらった。台本の表紙には<コーラスと音楽を伴うドラマ:二人の老女の伝説:ヴェルマ・ウォーリス『ふたりの老女』、星野道夫『森と氷河と鯨』他による。脚本・詞・演出=福田善之>とたくさん文字が並んでいる。これは大変。そこで今度は図書館へ走り、ウォーリスと星野道夫の本を借りてきて読んだ。両方ともこの夏の猛暑を忘れるほどの面白さだったが、芝居に対する興味と同時にまた疑問も膨らんで来た。
まずウォーリスの本。これはアラスカ先住民である著者が、母親から聞いた祖先の伝説を文章に起こしたものだ。一方の星野道夫の本は、著者がアラスカの森に滞在して、そこに生きる先住民と交流しながら動植物や自然をカメラに収め、そこでの思索を文章に綴ったものだ。どちらも舞台はアラスカなのだが、どこか別世界という感じもある。生命感に溢れた骨太な伝説と、現代文明に警鐘を鳴らす哲学的散文。物語と観念の世界を台本はどう結び付けているだろう?
脚本・詞・演出の福田善之は、1962年の「真田風雲録」で一世を風靡した劇作家・演出家だ。「真田風雲録」は豊臣方に属して大阪夏の陣で討ち死にした真田幸村に使えた伝説の十勇士の活躍を扱った音楽劇で、60年安保直後の社会状況が色濃く反映されているとして高い評価を得た。こんな作品を書く劇作家が日本にいるのなら自分の出番はないと、井上ひさしが言ったというエピソードが角川文庫版『真田風雲録』の解説で紹介されている。「二人の老女の伝説」はそれから40年後の脚本ということになる。台本のストーリーラインはウォーリスの本をほぼ踏襲していて、まことにシンプルで力強い。
<昔、昔、アラスカで寒い冬が続いた。食糧となる獣がまったく獲れないある部族が、共同体存亡の危機に見舞われる。グループの長は足手まといになる二人の老女を捨てて別の場所へ移動するという苦渋の決断をする。捨てられた80歳と77歳のおばあさんたちは、悲しみ、怒り、絶望するが、一人が偶然ウサギを射止めたことをきっかけに、「死ぬならとことん逆らってから」死んでやろうじゃないかと腹をくくる。さいわい二人はこれまで積んできた経験が違う。片方は「女ならできるくらいのこと」は何でもできる。が、もう一人は「いつも男たちと一緒に狩をして」きた活発な女性で、女の手仕事はできないが狩猟の名手だ。二人はお互いの足りないところを補い合い、老いの身に残された力をかき集め、知恵を絞ってどうにかひと冬を生き延びる。そして夏の間にせっせと魚を獲って保存食を作り、冬に備えて衣類の用意も怠らない。こうして一年が過ぎ、また冬がめぐって来る。
二人の老女を捨てた集団は、相変わらず飢えに苦しみながら元の場所へと戻って来る。二人を捨てたことが気になって仕方のない長は、部族の長老に二人の探索を命じ、やがて老女たちは発見される。老女がたった二人で冬を越しただけでも驚きなのに、豊かに暮らしているらしいのを見て、部族の者たちは二度びっくりする。最初は捨てられた恨みを口にしはするものの、再会できたことがうれしくないなずがない。二人は部族の詫びを受け入れ、食糧なども分け与えてやる。
おばあさんの一人は子供の頃、魚がたくさん獲れ部族全員が飢えることなく暮らしていた入り江があったのを、いまだに覚えている。二人の老女は若い世代の将来を思い、彼らがもう二度と飢えないことを願って、一か八かの賭けに出る。二人はみなが寝静まっているあいだに、その入り江を目指してひそかにカヌーを漕ぎ出して行く。二人の冒険は成功する>。
会場の丸亀市民会館は客席数1300。美術(石井みつる)は簡潔そのものだ。舞台は中央と左右の3つの演技空間に分けられ、中央部分は中ほどから奥へかけてゆるいスロープになっている。中央奥の中空に木製のヴェネチアンブラインド風の吊りものが2つ下がっている。固定装置はこれだけで、あとは必要に応じて小道具が随時運ばれては捌けてゆく。
ストーリーの最後の部分。元になった伝説では二人の老女が集団と合流したところで終わっている。それ以外は老女の造形も含めて、台本はほぼ伝説を踏襲している。
福田善之が劇構造として持ち込んだ最大の要素は、大都会(たぶんニューヨーク)のスラムを極北の大地と併置させたことである。幕開きに英語のフォークソングが流れたあと、星野道夫を思われる青年(小野豊)が現れて、これからお見せするのは自分が若い時にアメリカへ放浪の旅に出て、そこで出会った人の話だと説明して引っ込む。すると舞台は大都会のスラムに転じ、賭け事に興じる若者や浮浪者が点描される。やがて舞台奥からアラスカ先住民の衣服を着た少女(前田海帆)が現れ、スラムの連中に向かって、どうしても聞いてほしい話があると言い、母親から聞いた祖先の伝説を語り始める。すると舞台中央奥が大昔のアラスカになり、少女の祖先である部族の人々が集まって何事か相談している姿が薄闇に浮かんで来る。
こうしてアラスカの伝説の世界と、少女がいる70年代の大都会のスラムの描写は終幕まで往還し、二つの世界はこの少女によって繋がれる。上演パンフレットの中で福田善之は、「1万5000年の昔、ベーリング海は地続きで、モンゴロイドすなわちわれわれの祖先はアラスカに渡り、アメリカ大陸を南下、2000年ほど前にポリネシアにいたる。その地点に立ちたかった」と書いている。つまり壮大な地理的・歴史的スケールで、アラスカ先住民の伝説と星野道夫の世界を結びつける劇構造なのだ。日本からアラスカへ、アラスカからニューヨークへとつながるモンゴロイドの道。スラムの場面に登場するのもモンゴロイド系の底辺生活者であり、黒人やアラスカ先住民の警官たちである。
だが舞台が進むにつれて、ウォーリスと星野道夫の本を読んだ時に感じた違和感と似たような違和感が頭をもたげて来た。二人の老女が絶えず生命の危険に晒されながら、持てる力を出し切って生き延びて行く姿には説得力があるのに、70年代の都会のスラムの情景は私たちから遠すぎるのだ。遠い国の過去の人種問題の定型を見ているような味気なさ。なぜここにセピア色の世界が必要なのか、最後まで理解できなかった。大昔よりも数十年前の世界を古く感じてしまう時間のねじれ現象が、ここで起きていた気がする。
ところで、旅の楽しみの中に旅先での読書がある。非日常の空間と時間の中で何を読もうかと、あれこれ考えるのは楽しい。今回私は宮本常一の『女の民俗誌』(岩波現代文庫)をかばんに入れた。これは日本の女たちが男社会の中で忍従のうちに生きてきた、という一般常識に風穴を開けた内容の本である。女に忍従を強いたのは武家社会と近代社会であって、そんな時代でさえ農漁村や炭鉱で働く女たちは生き生きと暮らしていた。その様子が聞き取り調査によって綴られている。じつは先述した伝説のストーリー説明のところで、<力をかき集め知恵を絞って>というような表現を使ったが、これに似た言葉は宮本常一の本の随所にあった。
舞台の上の雲雀ばあさん(佐々木愛)はテントの中で絶えず手仕事をしていたし、星ばあさん(新井純)も体が痛いと言いながら嬉々として猟に出かけて行く。この姿は『女の民俗誌』の中の女たち、つまりは私たちの祖先の姿とダブって見えた。もちろん劇として、二人の老女が集団と再会する場面や、最後に二人が船出する場面などがクライマックスとして用意されてはいる。船出のときに歌われる「死ぬのにもってこいの日」は、若い世代に対する老女たちの深い想いが込められていて感動的だ。だが私にとって最も印象的だったのは、細部を省略した空間の中で、二人のベテラン女優たちが描き出す老女たちのたんたんと仕事をする姿だった。
たしかに現代文明は危機的状況にあり、それを大きなスケールで捉えることも重要だが、それとは別に一番弱いはずの生活者の視点からも世界を捉えなおしてはどうだろう。この舞台からはそんな思いを受け取った。
観劇当日(8月23日)の観客は700人くらいだった。前日、駅前に2つあるアーケード商店街がシャッター通り化しているのを見たばかりだったので、この数はむしろ多いと感じたくらいだ。地方の鑑賞団体の苦労と努力を目の当たりにした思いだった。終演後、隣に座ったお年寄りの「わたしらも何かせにゃ」という言葉に共感した。誰だって若い世代のために何かしたいものね。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第61号、2007年9月26日発行。購読は登録ページから)
【筆者紹介】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。1982年から主としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッセルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ウェスト」(マーティン・マクドナー)、「フェイドラの恋」(サラ・ケイン)ほか。2006年から演劇集団・円所属。
・wonderland掲載劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/
【上演記録】
劇団文化座公演「二人の老女の伝説」
香川県・丸亀市民会館(8月23日)香川市民劇場第324回例会
原作 ヴェルマ・ウォーリス「ふたりの老女」(草思社刊)
星野道夫「森と氷河と鯨」(世界文化社刊)他より
戯曲・詞・演出 福田善之
CAST:
<伝説>の中の登場人物
雲雀(部族の集団から見捨てられた老女) ・・・・・ 佐々木愛
星(部族の集団から見捨てられた老女) ・・・・・ 新井純
熊(放浪の犯罪者) ・・・・・ 青木和宣
ダーグー(雲雀の集団の長老) ・・・・・ 伊藤勉
お頭(雲雀の集団の長老) ・・・・・ 阿部勉
若者A ・・・・・ 後藤晋
若者B ・・・・・ 沖永正志
オジー・ネリー(雲雀の娘) ・・・・・ 岩崎純子
シュルー・ズー(曾孫の少年) ・・・・・ 小林悠記子
<都会>の登場人物
少女(先住民の祭りの様な姿) ・・・・・ 前田海帆
少年(ヒッチハイクでアメリカ横断を目指すような) ・・・・・ 小野豊
スラムの少年 ・・・・・ 沖永正志
スラムの少年 ・・・・・ 後藤晋
老人(ホームレスのような) ・・・・・ 橘憲一郎
警官A ・・・・・ 津田二朗
警官B ・・・・・ 鳴海宏明
警官C ・・・・・ 田村智明
先住民 ・・・・・ 姫路実加
・・・・・ 長束直子
・・・・・ 高橋未央
【関連情報】
・アラスカ舞台に生命力描く 女優・佐々木愛さん(インタビュー)
・二人の老女の伝説(2005.02.25 紀伊国屋サザンシアター)