劇団チョコレートケーキ「サラエヴォの黒い手」

◎歴史に向き合う自然な演技
 (鼎談)芦沢みどり(戯曲翻訳)、チンツィア・コデン(演劇研究)、北嶋孝(編集部)

「サラエヴォの黒い手」公演チラシ
「サラエヴォの黒い手」公演チラシ

北嶋 今年は第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォ事件からちょうど100年になります。1914年6月28日、当時オーストリア=ハンガリー帝国に併合されていたボスニアの都市サラエヴォで、オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されました。犯行グループの青年たちをセルビアが支援したとみたオーストリアは7月28日に宣戦布告。それがドイツやロシア、フランス、イギリスなどを巻き込んだ戦争に発展しました。
 劇団チョコレートケーキの「サラエヴォの黒い手」公演はこの史実に正面から取り組みました。過去の公演では、第一次世界大戦後から第二次大戦にかけて、主にドイツで起きた歴史にスポットを当てた舞台が続いていました。今回はその源流をたどる趣もあります。
“劇団チョコレートケーキ「サラエヴォの黒い手」” の続きを読む


die pratze/寺山修司「青森県のせむし男」フェスティバル

◎いかに「青森県のせむし男」は料理されたか?
 芦沢みどり

aomoriken0a 寺山修司が亡くなって今年で31年。この固有名詞は一定の年齢以上の人にとって、ある時代を思い出させるなつかしさに満ちているのではあるまいか。60年代の初めに「家出のすすめ」といういささか物騒なキャッチフレーズで登場して以来、たちまちメディア(当時はマスコミ)の寵児となった寺山修司は、歌人・放送作家・劇作家・演出家・映画監督・競馬やサブカルの評論家、その他あれやこれや。怪人二十面相みたいに(市川浩・三浦雅士『寺山修司の宇宙』)多方面で活躍したこの多面体の才能は、60年代から70年代を一気に駆け抜け、80年代の初めに47歳でこの世を去った。
“die pratze/寺山修司「青森県のせむし男」フェスティバル” の続きを読む


マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

◎ジャンルをまたぎ、、、こっきょうをこえて、、、
 芦沢みどり

 「マームとジプシーが初の海外公演をするそうだ。その作品が横浜で上演されている」という話を聞いて、4月27日夕、勇んで横浜・吉田町まで出かけて行ったのであった。

 そもそも私が日本の演劇の海外公演に関心を抱くようになったのは、『Theatre Record』というイギリスの劇評誌を定期購読し始めた10年くらい前からだ。この雑誌はロンドンおよびイギリスの地方都市で上演された舞台の新聞評をコピペしただけ、と言っては失礼だけれど、まあ、あまり編集の手間がかかっていなさそうな紙媒体だが、網羅的なのがすごいと言えばすごい。2週間おきに発行されている。
“マームとジプシー「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」” の続きを読む


die pratze 「授業」フェスティバル

◎イヨネスコの不条理劇はどう料理されたか?(下)
 芦沢みどり

「授業」フェスティバルのチラシ
「授業」フェスティバルのチラシ

 さて。マガジン294号に掲載された()の続きである。
 前回の文章を読み返してみたところ、実験演劇集団「風蝕異人街」の舞台の記述が言葉足らずだったことに気づいた。このグループはフェスティバルで唯一、テキストのハーケンクロイツのくだりを復活させていた。それについて「どうせなら大日本帝国軍人でやってくれたらよかった」と書いた。そのあとに、「そうすれば日本の加害の歴史が見えてきたはずだ」と補足しておきたい。
“die pratze 「授業」フェスティバル” の続きを読む


die pratze「授業」フェスティバル

◎イヨネスコの不条理劇はどう料理されたか?(上)
 芦沢みどり

「授業」フェスティバルのチラシ
「授業」フェスティバルのチラシ

 イヨネスコの『授業』を10団体が連続上演するという催しが、ゴールデンウィークとそれに続く1週間、神楽坂die pratzeであった。「如何に『授業』を料理するか?」という香辛料を利かせたサブタイトル付きのフェスティバルは、2団体を一組にして、それぞれ4回(組によっては2回)『授業』を上演するというメニュー。学校の時間割ふうの公演チラシの表現だと、最初のひと組が01・02限目で4月27日から29日まで。そのあと一日空けて、つまり休み時間があって、次が03・04限目。これが順次繰り返され、最終組の09・10限目は5月11日から13日にあった。このスケジュールは観客にとってもゴールデンウィークに他の予定を入れ易く、結果、筆者は全公演を観てしまった。もっともそれはタイムテーブルのせいばかりではない。10団体のどれもこちらの不勉強で初めて観る団体だったのだが(4団体は地方からの参加、と言いわけしておこう)、ネットで事前に予備知識をインプットする時間の余裕もなく(と、また言いわけ)、いわばまっさらな状態で舞台と向き合うことになったのが、とても新鮮に思えたということもある。
“die pratze「授業」フェスティバル” の続きを読む


ピーチャム・カンパニー「復活」

◎地霊が呼び寄せた野外劇
 芦沢みどり

「復活」公演チラシ(表)
「復活」公演チラシ(表)

 観劇の夜(10月31日)、友人二人と御成門駅の出口で待ち合わせ、会場の芝公園23号地を目指して歩き始めて道に迷った。三人が揃いもそろって方向音痴だったわけだが、そのお陰でこの作品が依拠したという中沢新一の『アースダイバー』の世界を部分的ながら実地検分することができた。本の中で東京タワーは「死霊の王国跡」に建てられた電波塔と位置づけられている。増上寺と東京プリンスホテルの間の細くて薄暗い道へと迷い込んだわたしたちは、水子地蔵が立ち並ぶ墓地を横目で見ながらそこを足早に通り抜け、ライトアップされた東京タワーに導かれるようにしてようやく会場に辿り着いたのだった。明るい塔の周辺は、思いのほかひっそりと闇に沈んでいる。芝東照宮のすぐ近くには前方後円墳跡があり、芝丘陵一帯は東京大空襲で一面の焼け野原になったという。中沢は東京タワーを「死のなかに復活の萌芽をふくんだタナトスの鉄塔」と呼んでいる。
“ピーチャム・カンパニー「復活」” の続きを読む


サンプル「ゲヘナにて」

◎哄笑のディストピア
 芦沢みどり

「ゲヘナにて」公演チラシ
「ゲヘナにて」公演チラシ

 会場に入って舞台を真正面から見た時、その存在感にまず圧倒された。住宅の屋根ほどの傾斜がついた八百屋舞台は、プロセニアムの中に造り込まれた八百屋ではなく、一個の構築物としてホールのスペースにどんと置かれている。したがってそこには袖もないし幕もない。その斜面の上に、布団、椅子、扇風機その他、細々とした家財道具が、どれも学生四畳半下宿ふうの安っぽさで散乱している。この舞台面を、下手客席側に設置された二段構えの照明の列がかっと照らし出しているので、席に就いた観客はいやでも舞台をまじまじと見ることになる。<こんな急斜面で芝居ができるのかしら。それにしても汚いなあ>と思って見ているうちに、そこには生活用具だけでなく土管ふうの物体や天窓のような開口部があることに気がついた。―この光景をどこかで見たような、という思いがふつふつと湧いて来る。そうだ! 3.11の大津波で流されてゆく家々の屋根と、津波が引いた後の瓦礫の中に残された靴の片方、おもちゃ、電気炊飯器などなど・・・あれそっくりじゃない? あの日以来繰り返し映像で見せられた光景なのにすぐに気づかなかったのは、たぶん、屋根は屋根、瓦礫は瓦礫として別々に見ていたからに違いない。もちろんこの装置と「あの日」を結びつけるのは早急すぎる。創り手はそんなことは考えていないのかもしれないから。でも、いったん抱いてしまった印象は、錯覚であれ妄想であれなかなか消えるものではない。そんなわけで筆者は「あの日」を引きずりつつ『ゲヘナにて』の舞台を見ることになった。
“サンプル「ゲヘナにて」” の続きを読む


五反田団「迷子になるわ」

◎前田司郎はどのようにして迷子になったか。
 芦沢みどり

1.「迷子になるわ」公演チラシ
 10月末から11月末にかけての30日間、豊島区の劇場を中心に繰り広げられた「F/T10」が閉幕した。<演劇を脱ぐ>というキーワードを掲げて開催された今年で3回目の演劇祭。そのプログラム・ディレクターの相馬千秋は冊子の中で「今回唯一、自らが書き下ろす戯曲を演出する前田司郎は、敢えて『うまい劇作』の王道から離れ、『迷子宣言』をするという。これら(三浦基の作品も含めての意味:筆者補足)の上演を通じて、戯曲、俳優の身体をベースとした演劇創造の現在地点を再確認していきたい」、と『迷子になるわ』について前説している。
  “五反田団「迷子になるわ」” の続きを読む


鳥の劇場「白雪姫」

◎ 子供だって残酷の意味は分かるのに
 芦沢みどり

 「白雪姫」と聞けばたいていの人はグリム童話よりディズニー・アニメか子供向けにリライトされたお話の方を思い浮かべるのではないだろうか。かく言う筆者もその一人だったので、グリム童話をほぼ忠実に再現したという鳥の劇場の『白雪姫』を観て大いに驚き、かつ誤解してしまった。まずは原作と、一般に膾炙されていると思われるお話との違いをいくつか挙げてみたい。

“鳥の劇場「白雪姫」” の続きを読む


COLLOL「このままでそのままであのままでかみさま」

◎寒さと孤独、そして「ヨブ記」
鼎談(芦沢みどり、田口アヤコ、北嶋孝)

「このままでそのままであのままでかみさま」公演チラシ芦沢 今回のCOLLOLの公演『このままでそのままであのままでかみさま』について、最初に編集部からいただいたのは劇評を書かないかと言う話だったんですが、今回の作品は非常に色々な要素があるので、一人で書くよりは、鼎談にした方がいいと思ったんです。鼎談というより、私と北嶋さんが田口さんに質問する場になってしまうかと思うのですが。まずは会場のBankART Studio NYKですが、3月28日の夜、本当に寒くて使い捨てカイロを渡されて。その印象が強い。だだっぴろい横長の倉庫ですね。それでまずお聞きしたいのは、場所が先にあって、それに合わせて作品を作ったのか、それとも作品が先なんでしょうか。

“COLLOL「このままでそのままであのままでかみさま」” の続きを読む