COLLOL「このままでそのままであのままでかみさま」

◎寒さと孤独、そして「ヨブ記」
鼎談(芦沢みどり、田口アヤコ、北嶋孝)

「このままでそのままであのままでかみさま」公演チラシ芦沢 今回のCOLLOLの公演『このままでそのままであのままでかみさま』について、最初に編集部からいただいたのは劇評を書かないかと言う話だったんですが、今回の作品は非常に色々な要素があるので、一人で書くよりは、鼎談にした方がいいと思ったんです。鼎談というより、私と北嶋さんが田口さんに質問する場になってしまうかと思うのですが。まずは会場のBankART Studio NYKですが、3月28日の夜、本当に寒くて使い捨てカイロを渡されて。その印象が強い。だだっぴろい横長の倉庫ですね。それでまずお聞きしたいのは、場所が先にあって、それに合わせて作品を作ったのか、それとも作品が先なんでしょうか。


田口 今の問題意識があって、それにあった場所があって、という順番です。
芦沢 なるほど、そうでしょうね。
田口 COLLOLはそもそも、かなり場所性が強いカンパニーなので。
芦沢 劇場から出よう、みたいなこと?
田口 もともと、1999年に指輪ホテルの女優4人で作ったんですが、指輪ホテルの飲み会の席で発起人のLobi.ちゃんという子が、「道で芝居をやりたいと思っている。誰か一緒にやらない」と言ったのに手を上げたメンバーで。旗揚げは『まさおくん ‘99 ミズコレ』という演目で、原宿ラフォーレ前交差点から原宿駅前広場までを歩きながら芝居して行く、野外でのゲリラパフォーマンスが最初なんです。原宿ラフォーレ前交差点で、ピアニカを吹きながら、セーラー服から全身タイツに生着替えしたり初期は劇場じゃないところでやろうというのがとても強くて。ライブハウスでバンドと「対バン」したりしました。
芦沢みどりさん芦沢 BankART Studio NYKはとにかく面白いスペースでした。入ったとき既に俳優が歩き回っていて、壁の何か所かに『サウンド・オブ・ミュージック』の映像が流れていました。どこに移動して見てもいいですよと案内があって。なんとなく美術館に行って美術展を見るような。映像や、観客がどこに移動してもいいということが、美術展に近い見せ方だなという感じでした。
田口 動き回るアイディアも、柱があるから、一か所に座ると見えないものがあるので、移動可にしようと思いました。その意味では場所が先ですね。今の問題意識みたいなものがずーっとある中で、それに引っかかってきた場所に合わせて、作品の形にするために具体化するということをやっているんですが、私だけでなくカンパニーメンバーの問題意識も、出演者の問題意識もあります。それを具体化する中で場所は重要ですね。具体的に言えば、BankART Studio NYKで3月にやると絶対に寒い。じゃあ、孤独の話をやろうと。
芦沢 それで孤独なんですか(笑)
田口 北国(岩手県盛岡市)の生まれなのですが、親が共働きなので、家で一人でいる時間が長かったんです。それで寒さと孤独がつながる感じですけど。
芦沢 感覚的にはわかります。それに、だだっ広いと拠り所がないという感じがあって、それが孤独につながるのかな。
北嶋 「問題意識」という言葉をひさしぶりに聞いたのでぎょっとしたんですが、そうしたら少女時代は「寒くて孤独」だって(笑)。それと問題意識はどうつながるのか聞きたいですね。
田口アヤコさん田口 孤独っていうのは、今何をやりたいのかという話をしたときに、私は孤独の話をしたいと思っていると。私が演劇をなんでやっているのかというと、世界をよくするためだと思うんですね。世界をよくするというのは、見た人が「あ、私の生き方、これでいいんだ」と思える、一人ひとりが今日の生活、明日の生活が正しいものだと思える。そういう人が一人でも増えるのが、世界をよくすることだと思っていて、演劇はそれに役立つツールだと思って演劇をやっているんです。私の人生これでいいのかという悩みを持っている人がいる、何を悩みだと思っているかが問題意識だと思うんですけど、今だったら婚活とかね。何でしょうね。雇用問題とかね。地球温暖化、環境問題、少子化、子供を育てること自体が大変なことだということとか…。
芦沢 悩みを持っている人への応援歌とか。それでいいんだよという。
田口 そういうものになればいいなと思っていつも作っているんですけど。そこから落ちないように作ろうといつも思ってます。
芦沢 今回『このままでそのままであのままでかみさま』というタイトルで、旧約聖書の『ヨブ記」に着想を得たと田口さんは書いていたし、実際、ヨブ記を数個所、引用していた。ほかに映画の『サウンド・オブ・ミュージック』の「マイ・フェイボリット・シングズ」やビートルズの『ノルウェイの森』も引用はされているけれども。
田口 『ヨブ記』と『ノルウェイの森』をイメージ・ソースということで、ただ、あまりそのテキストを好きになり過ぎないようにしようと思って。いかに距離を取るか。
芦沢 『ヨブ記』は、神さまがヨブの信仰心を試そうと、何の罪もないヨブを悲惨な目に遭わせる。すると三人の友人が出てきて、「お前はこういうことをしたから、こういう目に遭っている」と言うとヨブが反論する。ほとんどがその対論部分なんですね。最後に神さまが現れて、自分は世界を創った、こんなに偉い、お前わかっているのかと。ヨブが謝ると、神さまがすべてを二倍にして返してくれる。今回のパフォーマンスとつなげて読んでみて面白かったのは、神さま=創造主=作り手(芸術家)という関係が成立している。たいていの場合は、演劇は劇作家や演出家が神さまになって、一つの視点から作るわけですが、この作品は演出家が三人います。そのことと、見せ方、つまり観客がどこから見てもいい、複眼的ということが、作る方にも、見る方にも共通している。そこが面白かった。三人の演出家はどういう役割分担だったんですか。
田口 テキストを作って音なしで通すまでが私の仕事なんですね。そこに、どんな音が来るかについては、芸術家どうしのぶつかり合いなので、信頼関係です。ですから、音響・演出の江村桂吾とは、例えば「私の作品を邪魔している」というような話はしません。
芦沢 ここは変えてくれというような話はないんですか?
田口 細かいことはあります。お互い出してくるものについては信頼しあっていますが、細かい俳優の演技については話し合いをします。例えば、このシーンの間はもっと取った方がいい、とか、声の使い方とか。やっぱり「音響」という立場があっての発言ですね。いま世界中で何が問題だと思う、といった基本的なことについてはその前に話しておきますね。研究・演出の角本敦はもっと早い段階で入ってくるので、ぶつかりあうことは色々あるんですが、それは私の足りないところを埋めてもらっているんです。「これを読むと助けになる」とか、あるいは私の出演部分についてアドバイスしてくれる。私が書いたテキストと、それを稽古場で音なしで通したというものが、絵画で言う下書きにあたります。それを油絵にしていくときにはぶつかり合いはありますが、下書きが何かというのははっきりしているんですね。

左から田口アヤコさん、北嶋孝さん、芦沢みどりさん
左から田口アヤコさん、北嶋孝さん、芦沢みどりさん=世田谷区池尻地区会館

北嶋 孤独を作品の底流にするというときに、『ヨブ記』を使ったというのはどういうことですか。
田口 孤独をテーマにやりたいといったら、角本が「『ヨブ記』を読め」というので。ゲーテとかドストエフスキーがそこからインスパイアされて『ファウスト』や『カラマーゾフの兄弟』を書いたということは知っていたんですが、ヨブは本当に一人でいて、誰も自分の話を聞いてくれない状態があり、人類史上の文学の中でもっとも孤独に近い書物が『ヨブ記』だという。私としては『ヨブ記』だけだと重すぎるなと思いました。今の東京・横浜の、私と同じ30代を中心とする観客に対して、もっと軽くしたいと思って、それで『ノルウェイの森』を持ってきたんですね。
芦沢 『ヨブ記』と孤独は私には結びつかないし、実際のパフォーマンスも孤独という感じではなくて、特に映像の印象が強いじゃないですか。テキストのセリフ自体はそれほど重きを置かれていないと思った。
田口 そうですね、書いた文字に対するこだわりはそんなにないです。『サウンド・オブ・ミュージック』も角本のアイディアで。これもユダヤ人の物語だから。もっともそれはお客さんにはわからなくてもいいことなんですが。まず「マイ・フェイバリット・シングズ」を本編に使おうという考えがあって。それは、私が明日まで生きていくのに必要なものは私にしかわからない自分だけのお気に入りだという。それだけが私のきょう、明日を構成しているという、幸せ探しのメッセージだったりするんですけど。あなたの大事なものを大事にしましょうよという。
北嶋孝さん北嶋 幸せ探しのメッセージですか。相当直接的な狙いだと知って、ちょっとびっくりしています。『ヨブ記』を自分たちが考えていることと結び付けて、裏にある孤独を引き出すというのはよくわかるんです。古典のテキストを呼び出すときに、『古事記』や『源氏物語』では現代につながる孤独は鮮明に出てきませんからね。『ヨブ記』ならわかる。つまり、圧倒的に関係を断たれているんだけど、断たれている人から見ると周りの人間の関係が見えているということが孤独を深める道具立てとして有効なんじゃないか。こちらからすべて見えるけど、向こうからの働きかけがしにくい。そこに着目したのは理解できます。
もうひとつは、9人の出演者がいて、1人をのぞいてほかの8人はカップルを組んでフロアを移動するというスタイルですよね。そこで彼らはだいたい同じせりふをいたるところで話しているという、そのアイディアも狙いがよく伝わります。みんなが同じようなことを違うシチュエーションで話している。観客がどこへ行っても、見えているものは違うけど、結局は同じせりふを聞くという仕掛けが施されている。
会場のBankART Studio NYKは、劇が動いていく中で、何かが生じていく場所として機能していたと思います。言葉が反響して、よく聞き取れない。これが重要だったのではないでしょうか。明瞭に聞き取れなくても、「幸せですか」「信じます」「伝わらない」などのことばだけは切れ切れに聞こえてくる。逆にそれが耳に残る。そのうえ照明が当たる場所や当たらない暗がりを4組が動きながら話している。そういう、場所に即した仕組み、演出が印象的ですよね。
田口 言っても伝わらない、でもしゃべりたい。あなたと一緒にいるときに、伝わらないことがあるけど、でもしゃべりたい、という二つのことをずっと言っているんですけど。
北嶋 終わった後は、言葉の物語的意味内容はそれほど残らない。声が反響して暗いところで人が動き回っているので、せりふの指すストーリーというか物語の輪郭ではなくて、全体として「浮遊・漂流」「わびしい」というイメージが強く打ち出されていました。この作品はそうしたイメージを手掛かりに、公演の全体像を後で引き出したり考えたりできる。そういう意味で僕にとってはありがたかった。もうひとつは俳優の年代が割に似ていて、しかも会場が暗いので、際立った個性があるように感じられなかった。仮に外国人が入っていても、全体の印象は変わらなかったでしょう。でも年配の人が入っていたらちょっと印象が違ったかもしれないね。
田口 年齢は、もう少し上の人がいたら言葉に深みがあって面白かったかも、
ということは言われましたね。
北嶋 具体的な情景として浮かんでくるのは、山でも川でも原っぱでも海でもなく、薄暗がりのコンクリートの中、抽象化された都会の中で成立するパフォーマンス、イメージでした。これまでのCOLLOLの公演は割に、具体性があるようであまりない作り方をしていたので、今回はそれがよい方に出たのでは。
田口 照明の力が大きくて、倉庫に見えるという時間から幻想的な時間までのグラデュエーションを作ってくださいというのと、真ん中は蛍光灯がついて、現実的でオフィスのような、生な、舞台と現実の境がどこにあるのかというイメージのオーダー、また『ヨブ記』を読むところは海の中のようにしてくださいとオーダーしました。それをうまく流れにしてもらえた。場所の力を照明の関口さんに生かしてもらって、うまくいきました。
北嶋 野原とか、こういう建物という風に、具体的な情景と結び付くと、浮遊しているような感覚が出にくかったと思うので、そこは照明がうまく使われていましたね。ただ、孤独というモチーフの中で『ヨブ記』が出てくると、色々言う人はいるでしょうね。『ヨブ記』の孤独は神との関係から出てくるので、それを日本の今に置き換えると、どう作るかは難しい。
芦沢 セリフの中に神さまというのが結構あって、するとやはり一対一の関係が感じられる。そもそもタイトルが『このままでそのままであのままでかみさま』って、「みんなが神さま」みたいでしょ?
田口 英訳(As I am, as you are and as they are, we already are a god)は、そう取られるようになっているんですけど、もともとは「このままにして、そのままにして、あのままにして、お願い神さま」という神さまへの祈りの言葉のつもりだったんです。
芦沢 でも祈る相手も一神教の神でなくてもいいかもしれない。
田口 日本という国で神さまの話をするのはとても難しい。今回、8月にこの作品を韓国に持っていくんですけど、どんな反応が残ってくるのかちょっと怖い。韓国はキリスト教徒が結構多いですから。
芦沢 でも祈る気持ちは誰にでもあるじゃないですか。祈るって私結構好きで。どの神さまというんじゃなくて。祈ると気持ちがすっきりするというか。『ヨブ記』はいずれにしても遠景としてある感じですね。一方で、『ノルウェイの森』は近い感じがしました。
田口 そうですね。まさにそれが狙いです。『ヨブ記』に近づくのは難しいですから、近いものとして『ノルウェイの森』を使ったんです。でも、実はビートルズの『ノルウェイの森』という曲には違和感を持っていたんです。(村上春樹の小説)『ノルウェイの森』に登場する直子がどうしてこの曲が好きなのかわからなくて。あまりわからないのでぶちこんでしまった。お客さんに投影したらわかるかと思ったんです。それで(出演者の)金子裕紀さんに歌詞を読んでもらったら分かる気がしました。やはり孤独だ、孤独の話なんだって。
北嶋 聖書に出てくるヨブは裕福な人物だったけれど、築いた財産だけでなく息子たちも神に捧げて一切を失い、全身の皮膚がただれて誰からも見捨てられた存在です。そこで孤独というときに、例えばヨブを現代の都会のホームレスのような存在として具体的に、生々しい臭いのある存在としてとらえる方法もあると思うのですよ。でもそっちには行かなかった。頭のなかがヒリヒリするような、もう少し抽象化された方向を選んでいる…。ヨブ記は膿やただれが臭ってくる話ですよね。
田口 そういう形の孤独に関心がないわけではありません。親しい演劇人が、「演劇なんかやっていて、おれもいずれはホームレスかも」などと言って、私もそうかなあ、と思うこともありますし。でも、COLLOLの表現としてはそういうやり方ではないのかなと思うんです。
北嶋 それなら(ピナ・バウシュの)タンツ・テアターの流れを参照してもおもしろいですね。
芦沢 そのような抽象的な方法を取る場合、より鍛えられた身体表現を取り入れるべきかなあとも思うんですが。
田口 それよりは、「ガール・ネクスト・ドア」というか、観客が観たときに「自分の話であってもおかしくない」と感じることができる、そういう繊細な表現力を持った俳優を起用してきましたね。
北嶋 田口さんは、指輪ホテルの一員だったりストアハウス・カンパニー公演に参加したりするなど、激しい、なまなましい身体表現を伴う活動を経験してきました。つい先日は初期型の奔放なダンス公演に出演していましたよね。案外そっちの資質も可能性があるかもしれませんよ(笑)。ヨブ記を参照項にしたりする、頭脳に響くアカデミックな作品のラインはそれとして、もう一つ、よりストレートな、下から突き上げるような身体系の作品ラインを期待したいところです。(2010年5月12日、世田谷区池尻地区会館)
(初出:マガジン・ワンダーランド第192号、2010年5月26日発行。購読は登録ページから)

【出席者略歴】(発言順)
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。1982年から主としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッセルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ウェスト」(マーティン・マクドナー)、「フェイドラの恋」(サラ・ケイン)ほか。2006年から演劇集団・円所属。
・ワンダーランド寄稿一覧 :http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

田口アヤコ(たぐち・あやこ)
1975年11月12日生まれ。岩手県盛岡市出身。東京大学美学藝術学専修課程卒。演劇ユニットCOLLOL主宰。演出家/劇作家/女優。劇団山の手事情社・劇団指輪ホテル・劇団ストアハウスカンパニー等での俳優活動を経て、自身の劇作を開始。2005年より、劇作家岸井大輔氏に師事。blog『田口アヤコ 毎日のこまごましたものたち
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/taguchi-ayako/

北嶋孝(きたじま・たかし)
1944年秋田市生まれ。早稲田大学文学部卒。共同通信社文化部、経営企画室などを経てフリーに。編集・制作集団ノースアイランド舎代表。80年代後半から演劇、音楽コラムを雑誌に寄稿。TV番組のニュースコメンテーター、演劇番組ナビゲーターも。2004年創刊時からマガジン・ワンダーランド編集長を務め、2009年10月からワンダーランド編集発行人、代表。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/

【上演記録】
COLLOL『このままでそのままであのままでかみさま
BankART Studio NYK(2010年3月26日-30日)

cast:
東京ディスティニーランド
吉井俊輔
金子裕紀
廣瀬瞬(犬と串)
吾妻由日
千木良悠子
八ツ田裕美
大木裕之
田口アヤコ

staff:
劇作・演出:田口アヤコ
音響・演出:江村桂吾
研究・演出:角本敦

衣裳:rei(GRENADINE)
映像:片山春樹
照明:関口裕二(balance,inc.DESIGN)
舞台監督:吉田慎一(Y’s factory)
制作:COLLOL
制作補:守山亜希(tea for two)、高橋悌
宣伝美術:鈴木順子(PISTOLSTAR)
スチール:らっしー(GRENADINE)
広報協力:佐藤道元

◆アフタートーク&パフォーマンス
・3/26(金)トークゲスト:石神夏希さん(ペピン結構設計 劇作家・演出家)
・3/27(土)東京芸術見本市(TPAM)ショーケース参加作品 d’UOMO ex machina + COLLOL
『≪in solitudine secum loqui…≫ sive de Libro Iob Veteris Testamenti』(『旧約書のヨブ記から着想を得た1時間、あるいは、孤独こそ対話』)ミニパフォーマンス再演(上演時間45分)
・3/28(日)トークゲスト:矢作勝義さん(世田谷パブリックシアター 制作部)
・3/29(月)トークゲスト:大根健一さん(演劇集団tea for two主宰・劇作家・演出家)
・3/30(火)トークゲスト:佐藤道元さん(国際舞台芸術交流センター/東京芸術見本市)
◆前売・当日とも 3,000円、カップルチケット(2名) 4,000円、学生割引 2,000円、リピーター割引 1,000円

主催:COLLOL
協力:BankART1929

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