A.C.O.A.「-共生の彼方へI-霧笛」

◎犬吠埼灯台の霧笛舎と共演 6月に東京公演も
カトリヒデトシ

「-共生の彼方へI-霧笛」公演チラシ太古の恐竜の咆哮がカマボコ型の天井に跳ね返り、楼内に響く。その力、その哀切にこちらの琴線がかき鳴らされる。
音響的に「返し」がどうとか全く関係ない。すばらしい残響とは無縁でもその生の声による余韻こそ、今、ここでしか見られない演劇の醍醐味を確かに体感させてくれる。

5月9日、本物の「霧笛舎」でレイ・ブラッドベリのA.C.O.A.の「霧笛」を見てきた。
いろんなところでいっているが、劇場でやるのばかりが演劇ではない。極端にいえば必要なのは表現したいと思う人とそれを見たいと思う人だけであって、音響も照明も、さらには天井さえもなくたって、そこに表現さえあれば演劇は可能なんだと思う。

A.C.O.A.は栃木県那須に本拠を持つカンパニーだ。主宰の鈴木史朗は若き頃、SCOTに所属し俳優として活動した。退団後、一時東京で自らのカンパニーを立ち上げたが、那須に拠点を移し、今にいたる。田畑を耕し、魚を育て、地域に根付いた生活を送る。そこでの創作を携え全国を回る。東京ではこの数年、アトリエセンティオでのセンティバル公演が主である。現在、所属の俳優は一人、制作担当と三人でカンパニーを運営する。鈴木自身は役者と演出を兼ね、既成の文学作品などを構成、脚色し自ら演者として舞台に立つ。

鈴木の魅力はその身体の充実にある。その動きはミニマムなもので、ゆっくりしたものでありながら、その静かな動きからは充実した実質に満ちたエネルギーが放出されてくる。また、福島県出身の彼のもつ「声」は演劇的に高らかに朗誦するような、いわゆる「いい声」とは異なるが、聞いているものをふんわりと包み込む柔らかいサウンドを持つ。そのトータルな「身体性」は、他には匹敵する者がほとんどいない優れた俳優術を確立している。A.C.O.A.の作品は「演劇とは何か」を経験するために見事なサンプルとして提案できるカンパニーだ。演劇が一様のものでないことを頭ではなく、体で感じさせてくれる。ほとんどの場合役者は鈴木史朗一人か、カンパニーの佐久間文利と二人である(音楽家やダンサーとの共演も多いが)。演じるかたわら自分たちで照明や音響をスイッチすることも多い。

今回の公演は犬吠埼灯台の足下にある「霧笛舎」での1度限りの上演であった。
犬吠埼は九十九里浜にある太平洋に張り出した千葉の岬。埼は地点を表し、崎は地形を表すという。そこに立つ「犬吠埼灯台」は国内灯台50選にも選ばれる、日本に6つしかない第一等灯台(レンズが最大)だ。明治7年に建設されたレンガ造りの灯台は歴史的価値も高く、海上保安庁により保存が図られている。その岬に立つと、絶壁からは地平線が丸く見える。9日は快晴で太平洋が一望だった。

絶壁の上で風も強いのだが、海上保安庁主催の「灯台の日」で無料公開がされていた。「霧笛舎=霧信号所」とは航路標識の一種で音波標識として遠く達する音を発する機関が置かれるところだ。霧や吹雪などで視界が悪いときに船舶に対し音で信号所の概ねの位置やその方向を知らせる。現在ではGPSの発達やレーダーにより、2010年の3月ですべての霧笛がその役目を終えた。一足早く08年3月31日、犬吠埼霧信号所「霧笛舎」は100年の歴史にピリオドを打ち、閉鎖されている。犬吠埼灯台の霧笛は以下のサイトで聞くことができる(http://www.tokokai.org/archive/index02.html)。圧縮空気式のサイレンは珍しいもので不思議に郷愁といったものに触れる。セイレーン(=サイレン)の伝説、そのロマンチシズムは過去のものとなってしまった。現在、国登録の有形文化財に指定される灯台は「犬吠埼ブラントン会」という市民団体により動態保存運動とまちづくりへの寄与が行われているという。ブラントンとはお雇い外国人の技師で日本に洋式灯台を作った「灯台の父」の名だそうだ。

「犬吠埼灯台霧笛100年記念シンポジウム」チラシ今回、この公演が実現したのはブラントン会が開催した「犬吠埼灯台霧笛100年記念シンポジウム」の中で「これからの保存と活用」という一連の講演、シンポジウムの企画と共に「灯台に関する芝居」をと、会がサイトを検索して、A.C.O.A.を見つけ出したからだそうだ。ネットならではの正しい幸福な「出会い」だ。

ブラッドベリ「霧笛」という小説は「ウは宇宙のウ」という短編集に収録される15ページほどの作品。イギリスの寂寞岬に立つ灯台の「霧笛」がその音で太古の恐竜を深海から呼び寄せてしまうという筋である。老練な灯台守と若い守の二人が霧の深い夜にそれを目撃する、ふと起こしたいたずらな気持ちが悲しい結末を引き起こす。ブラッドベリらしいファンタジーあふれる佳品。海の神秘や夜の誘惑、「生」の孤独が充満する幻惑的な雰囲気を持つ。孤絶した環境下での人間心理も馥郁と匂い立つ。萩尾望都がかつてマンガ化したのを覚えている方もいるだろうか。

鈴木史朗はそれを脚色し、朗読と二人の灯台守シーンを交錯させ、最後に現れる恐竜とその「咆哮」へと高めていく。

原作があるので、ストーリーは明確であるけれど、ストーリーがあまり意味のない作品だ。太古の恐竜が深海に潜み生き延びているというファンタジーも現代の目から冷静にみれば、肺呼吸なのにどうするんだとか、突っ込みどころ満載ではある。しかし、この原作の持つ、気品の高さと命への畏怖、孤独の甘美と切なさには一切傷はつかない。それを誰もが安心して楽しむことができる、ストーリーある「お芝居」としての演劇にはしない。鈴木はテキストが舞台の部品のひとつにしかすぎず、登場人物への感情移入や物語によるカタルシスを越え、彼の「表現したい」という欲求が観客を強く貫き、つかんで離さない作品につくりあげる。

「霧笛」はまさにそういう舞台であった。原作のストーリーを辿りつつも、物語を再現/伝達するのではなく、そこに現れる恐竜や「気分」を表現した。

「気分」とは神秘としての夜だったり、恐ろしくも引き寄せられる夜の海だったり、恐竜という遙かな時間やイメージをかき立てる生き物のであったりする。そこに広がるイメージが観客にびんびんと伝わり、伝播し、浸食している。

「-共生の彼方へI-霧笛」
【写真は「-共生の彼方へI-霧笛」犬吠埼公演から。撮影・提供=オフィス瓢 禁無断転載】

「霧笛舎」には霧笛を鳴らして重機が据えられている。窓もなく、十分な照明設備もない。内部の空いている場所には、客席を設置したため、演技スペースは高さが3、4メートルほどの重機類の隙間で、幅2メートル奥行き3メートルほどの空間しかない。そこに机椅子を設置し、そこで座ったり、立ち上がったり、時に70センチほどの隙間をぬって前後に歩く。しかし歩くといっても、スズキ・メソッドのベーシックな歩みなので、心身は充実しきって緊張感に満ちたものだ。

まさにここでしかできない実物の「霧笛機関」との共演、協調である。もう使われない機器、もう使われることがない建物は、いってみれば過去の遺物である。そこで孤高の灯台と恐竜という太古の生き物の芝居が上演される。失われた生物と務めを終えた機械への鎮魂の劇であった。古き機械にも魂が宿るのものかと思わせる。その両者へのレクイエムが高らかにうたいあげられた。鈴木の肉体と声は、その崇高で敬虔な精神を高く掲げるのになんとふさわしかったか。霧笛の音も、恐竜の叫びも、鈴木の声によって表される。それを機械音と生物の鳴き声とに演じ分けるのではない。機械音を模す、巨大生物の声を模すという単純はない。それぞれにどうしようもない孤絶、生や時間の非永続に対する絶望がこめられたサウンドとして発せられる。そこに「リアル」を感じさせるのは鈴木の身体の充実であると同時へ物語の本質へ深く降ろされた錘のような鈴木の思いが確実に物語の底をうっているからに違いない。

しかし鈴木はそれを物語の豊穣として克明に描写して良しとするわけではない。恐竜のいた古代、灯台守たちが世間と切り離され孤絶する寂寞岬という時空、霧笛舎が作った日本の近代という時、そしてこの現実の今ここの霧笛舎という四重に重ね合わされた時間空間を鈴木は1時間という作品の時間の中で表現する。いってみれば、時間と空間の層を折り重ねることによって生じる厚みを表象化するのだ。

しかし、芝居は必ず終わる。息苦しく重厚な時間なるほどの濃密な体験も終わる。
そして外にでるとそこは岬の上である。さわやかな風が吹き抜け、広大な太平洋が眼前に広がる。振り返ると白亜の灯台がそびえる。夜の灯台の明かり、そして夜の海を夢想してしまう。虚実の皮膜などやすやすと越えてしまえるのだ。劇場ではありえない、外部の空間と密接に関係を持つ「演劇」がそこにはあった。その時、そこでしか、あり得ないものに立ち会えるこの演劇の喜びを多くの人に共有してもらいたいんだなぁ。
「ぼくはそのまま座っていた、なにかひとこといえたらいいのに、と思いながら」(「霧笛」の最後の一行)
(初出:マガジン・ワンダーランド第192号、2010年5月26日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
カトリヒデトシ(香取英敏)
1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校に勤務し、家業を継ぎ独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。個人HP「カトリヒデトシ.com」を主宰。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/

【上演記録】
A.C.O.A. 「-共生の彼方へI-霧笛」
犬吠埼灯台構内旧霧笛舎(2010年5月9日)(犬吠埼霧笛100年記念シンポジウム「残そう霧笛、活かそう霧笛」)
原作:レイ・ブラッドベリ「霧笛」
構成・演出・出演:鈴木史朗
入場無料(※申し込み制)

▽東京公演は次の通り。
「共生の彼方へI-霧笛」(2010年6月19日)
「共生の彼方へV-どんぐりと山猫」(2010年6月17日-18日)
いずれも会場は atelier SENTIO(アトリエセンティオ)

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