die pratze「授業」フェスティバル

◎イヨネスコの不条理劇はどう料理されたか?(上)
 芦沢みどり

「授業」フェスティバルのチラシ
「授業」フェスティバルのチラシ

 イヨネスコの『授業』を10団体が連続上演するという催しが、ゴールデンウィークとそれに続く1週間、神楽坂die pratzeであった。「如何に『授業』を料理するか?」という香辛料を利かせたサブタイトル付きのフェスティバルは、2団体を一組にして、それぞれ4回(組によっては2回)『授業』を上演するというメニュー。学校の時間割ふうの公演チラシの表現だと、最初のひと組が01・02限目で4月27日から29日まで。そのあと一日空けて、つまり休み時間があって、次が03・04限目。これが順次繰り返され、最終組の09・10限目は5月11日から13日にあった。このスケジュールは観客にとってもゴールデンウィークに他の予定を入れ易く、結果、筆者は全公演を観てしまった。もっともそれはタイムテーブルのせいばかりではない。10団体のどれもこちらの不勉強で初めて観る団体だったのだが(4団体は地方からの参加、と言いわけしておこう)、ネットで事前に予備知識をインプットする時間の余裕もなく(と、また言いわけ)、いわばまっさらな状態で舞台と向き合うことになったのが、とても新鮮に思えたということもある。

 10通りの『授業』を観終わってもう一度チラシを見たら、「観ることを考える演劇祭」という言葉があった。そういえば開演と終演を知らせるベルも毎回、ウェストミンター・チャイムだったっけ。観客も授業を受けに来た生徒ということね。それならこの際せっかくだから、こちらもお勉強しながら個々の舞台を振り返ってみることにしよう。

 イヨネスコの『授業』(1951年パリ初演)が日本で初演されたのは1972年だった。パリのユシェット座でロングランしていた舞台を観た俳優の中村伸郎が、日本に持ち帰ったのが始まりだ。場所はかつて渋谷の山手教会地階にあったジァン・ジァンという小さな劇場。これが「十時劇場」として週一回、足かけ十一年も続くことになる。彼が『授業』を始めた動機とやめた理由につては、如月小春の『俳優の領分』(新宿書房)に詳しい。その部分を要約させてもらうと、中村は最初に翻訳を読んで「さぞ前衛的演技でやるんじゃないかと思って」パリへ行ったところ、パリでは写実の演技でやっていた。当時彼は自分の写実演技を磨くために、それまでやっていた芝居とは違う傾向の作品を捜していた。『授業』を観てこれだと思い、老教授を演じ始めた。ところが演技を磨くべく長年やっているうちに、『授業』はイヨネスコのものというより中村伸郎のものになっていることに気づく。イヨネスコの作品はもっとドライなはずなのに、自分のは情が入って日本的に湿っている。これは違うと思って変えようとしてもうまく行かない。その頃中村は、イヨネスコと同時平行的に別役実の芝居も始めていたが、どうもそっちのセリフの方が自分で満足の行く演技ができる。そう気づいた彼は、イヨネスコから離れて行く。

 ここに初演時のエピソードを長々と引いたのは、先人の感じた≪違和感≫は解消されたのかどうか、フェスティバル参加作品に即して考えてみようとしているからだ。というのは、フェスティバル参加団体の年齢層はおそらく1970年以降の生まれだろうから、世代的には中村の≪挫折≫と断絶しているはずなのだが、イヨネスコを独自の視点から咀嚼したとは思えない舞台もあったのだ。中村が感じた≪違和感≫は、平たく言えば≪頭で理解してもカラダが納得しない≫系テキスト問題とでも呼ぼうか。俳優がテキストの言葉をそのまま気持ちも含めて身体で表現することを写実演技と呼ぶなら、イヨネスコに限らずどんな翻訳劇もまず無理でしょう、というのが筆者の写実演技の解釈だ。

 これが正しいかどうかはこの際棚上げしておくとして、この観点から見た場合、中村伸郎ほどに言葉と格闘することもなく、まして『授業』を≪料理≫することもなく舞台化してしまったような作品が二、三あった。一つだけ例を挙げたい。

劇団つばめ組の舞台から
【写真は、劇団つばめ組の舞台から。 撮影=前澤秀登 提供=die pratze 禁無断転載】

 劇団つばめ組の舞台。最初に登場した生徒がイマドキ高校生の制服姿で現れたので、これは現代日本社会と地続きのイヨネスコかと期待した。ところが次に現れた女中は今では学校の先生でさえ着ていないような質素な服装だったので、考えを修正。そのあとテキストの写実的再現が続いて、最後の生徒殺しに教授がカッターナイフを使っているのを見て、またまた考えを修正。やはりこれはイヨネスコに現代日本の閉鎖的な学校社会を重ねた舞台だったのかと気づいた。筆者が最初から最後までそう思って舞台を観ていられなかったのは、おそらく枠だけ作って中身は旧態依然の写実主義舞台だったからだろう。枠を作ったのならもっと大胆な演出と演技でもよかったのにと惜しまれる。これではイヨネスコも俳優も生煮えだ。

 初演から30年経ってなおテキストを自分のものにできないとは、『授業』はそれほど手ごわい作品なのだろうか?

 そう思ってもう一度本を読み返してみた。安堂信也・木村光一共訳版で、中村伸郎はこれを使い、意図的かどうかフェスティバルでもこれを共通定本としていた。話の筋はいたって単純だ。女中と2人で暮らしている老教授の元へ若いはつらつとした女の子が個人授業を受けにやって来る。―ちなみに女中は今では差別用語だ。さっきも断りなしに使ったけれど、彼女にはマリーという名前がある。でも役名が女中なのだから使わざるを得ないので、悪しからず。―さて初対面の挨拶を済ませると、教授は生徒の知識はどの程度だろう、という感じで質問を始める。内容は小学生でも答えられるような簡単なものだ。それを教授はもっともらしく訊ね、生徒も真面目に受け答えする。(じつに馬鹿馬鹿しい!)足し算はできるが引き算ができない生徒に匙を投げた彼は、言語学の講義を始める。すると女中がやって来て「言語学は災難の源」だからおやめなさいと忠告する。算数(訳語は算術)の時も彼女はやめろと忠告したのだが、教授は聞く耳持たず。しかも言語学に入ってしまうと、彼は狂乱の態で支離滅裂な自説を開陳し、生徒が歯痛を訴えても叱りつけるだけ。最初は内気そうに見えていた教授が、ここに至って性欲も露わな暴君と化し、ついに生徒を刺し殺してしまう。が、こんなことはこの家では日常茶飯事で、女中によれば今日はこれで40人目だという。我に返って自分のやったおぞましい行為におののいている教授に、女中はナチスのハーケンクロイツふうの腕章を渡して、これを腕に巻いていれば怖いものなしですよと教授を勇気づけてやる。やがてドアベル(訳語では呼び鈴)が鳴り、41人目の犠牲者が到着して…幕。

 本を読んで気になった点が二つある。筆者は中村伸郎の舞台は見逃したが、その後を継いだ仲谷昇の教授は観ている。その時の印象は鮮烈ではっきり覚えているが、老教授が性欲も露わな暴君と化したという記憶はない。卑猥な目つきくらいはしていたと思うが、それが殺人に至るほどの歪んだ性欲を表現していたかどうか。むしろ歯痛を訴えるばかりで自分の講義を聞かない生徒に腹を立てて刺し殺してしまうという構図だったと思う。このフェスティバルではその辺はどうだったろう? イヨネスコのテキストに漂う性欲の暴力性に注目した舞台はいくつかあった。

一徳会/KGAの舞台から
【写真は、一徳会/KGAの舞台から。 撮影=前澤秀登 提供=die pratze 禁無断転載】

 一徳会/KGA(千葉)は男女2人ずつの4人芝居。同じ水色の作業着のような服装の男優2人が出て来て、正面を向いて『授業』のト書きから発話し始める。句読点やセリフの切れ目を無視して2人が交互にテキストの言葉を言う話法がイヨネスコのセリフを際立たせる。やがて2人の女優が出て来て舞台奥で着衣を脱ぎ、ブルーの揃いの衣裳に着替える。スカートの前が極端に短くて後ろが長く、胸を大きく開けたセクシーな衣裳。彼女たちはめったに発話しないが、生徒のセリフの中の「先生」と呼びかける部分だけ女声が響くと、男優2人の棒読み風に押さえたセリフの中で、ひどく肉感的に聞こえる。聞こえて来るのはイヨネスコの言葉だが、舞台上の俳優たちの動きはテキストをなぞっていない。かといってダンスでもない。2組の男女の誰が教授で誰が生徒かあいまいだが、やがて女生徒役が教授役を誘惑するような動きをする。そして殺される。ここでは教授の性欲をオンにするのは生徒の方だが、まあ、そういう解釈があっても構わない。一歩街へ出れば、そういう状況はいくらでもあるだろう、恋人同士だとしても。ただこれだと、なぜ殺されるかも男女の風景に溶けて行ってしまう。それが狙いかもしれないが、少々安っぽい気もする。でもテキストの呪縛から離れた分、イヨネスコに迫った感はあった。

サイマル演劇団の舞台から
【写真は、サイマル演劇団の舞台から。 撮影=前澤秀登 提供=die pratze 禁無断転載】

 サイマル演劇団の『授業』もやはりこれと似た構図だったと思う。金髪に素足、ピンクの短いワンピースの小悪魔的な生徒に車椅子の教授。中腰で鈴木メソッドふうのセリフ術を使う女中。様式的で美しい舞台ではあったけれど、なぜ教授は車椅子のロリコンでなければいけないか、観ていて説得はされなかった。

 もう一点、本を読み返して気づいたのは、ハーケンクロイツのくだりだ。前に読んだ時は読み落としていたが、作品[注]によるとハーケンクロイツのような腕章を渡す箇所は、「リズムをゆるめないためにカットされた(原注)」とある。パリの舞台にハーケンクロイツが出て来なかったのは、セリフのリズムのためだと作者自身が言っているわけだが、それではなぜ出版されるテキストにこのくだりを残したのだろう。言葉命のイヨネスコが、セリフのリズムのために舞台でカットしたのなら、出版される時にもカットしてしかるべきだろう
に。

「風蝕異人街」の舞台から
【写真は、実験演劇集団「風蝕異人街」の舞台から。 撮影=前澤秀登 提供=die pratze 禁無断転載】

 フェスティバルではこの部分を復活させたグループがあった。実験演劇集団「風蝕異人街」(札幌)で、キャストは全員女性。エスニック風の衣裳と美術は、どこのいつの時代とも分からないが、強いて言えばアジアの植民地ふう。1950年代のフランスではないことは確かだ。棒読み風のセリフ術の舞台にはずっと緊張感が漲っていたのだが、最後にハーケンクロイツが出て来た時、こちらはふっと引いてしまった。ここでなぜ1940年代のヨーロッパに戻るのかが分からない。どうせなら大日本帝国軍人でやってくれたらよかったのだが。

 以上、本を再読して気になった2点を中心に、フェスティバルの舞台を振り返ってみたが、じつはこれに回答してくれている舞台がもう日本で上演されていたことを、遅まきながらこの原稿を準備している最中に知った。2007年のウジェーヌ・イヨネスコ劇場(ルーマニア)の来日公演がそれだ。その舞台とフェスティバルで筆者が注目した4つの舞台については次回(マガジン・ワンダーランド第296号掲載予定)で。

【筆者略歴】
 芦沢みどり(あしざわ・みどり)
 1945年、天津(中国)生まれ。演劇集団円所属。戯曲翻訳。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
ウジェーヌ・イヨネスコ「授業」フェスティバル-如何に「授業」を料理するか?
神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)
4月27日(金)-29日(日) 千賀ゆう子企画+双身機関(名古屋)
5月1日(火)-2日(水) Super Steam Through+劇団つばめ組
5月4日(金)-6日(日) crossroad project/交差点企画(茨城)+サイマル演劇団
5月8日(火)&9日(水) 一徳会/KAG(千葉)+『永久個人』
5月11日(金)-13日(日) 実験演劇集団「風蝕異人街」(札幌)+長堀博物館◎プロデュース

スタッフ
舞台監督/佐藤一茂、田中新一
音響/齋藤瑠美子、松木優佳、佐藤春平
照明/三枝淳、富山貴之、久津美太地
映像/workom
協力/相良ゆみ、山口ゆりあ、アマヤフミヨ、中村麻美、OM-2、JTAN(ジャパン・シアターアーツネットワーク
宣伝美術/林慶一
記録/田中英世(写真)、前澤秀登(写真)、船橋貞信(映像)、大久保由利子(写真)
監修/真壁茂夫
制作/金原知輝、吉村二郎、林慶一

主催/die pratze
助成/EU ジャパンフェスト日本委員会
著作権代理/(株)フランス著作権事務所


「die pratze「授業」フェスティバル」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: die pratze
  2. ピンバック: 薙野信喜
  3. ピンバック: 矢野靖人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください