忘れられない1冊、伝えたい1冊 第5回

◎「マッチ売りの少女/象-別役実戯曲集」(三一書房、絶版)
 松田正隆

「マッチ売りの少女/象-別役実戯曲集」表紙 戯曲というものを知ったのはこの本があったからだろうし、今でも、私にとってきわめて重要な戯曲である。「マッチ売りの少女」の場合、舞台に老夫婦が現れて、そのあと、姉弟が入ってきたときに、内にいる人と外から来る人の違いが出るのだということが、ものすごいことに思えてならなかった。ひとまず、そのことがこの戯曲の最大の奇妙さである、と思った。舞台で戯曲を上演するということはこれほどまでの虚構を成立させることができる。そこにそれまで住んでいた人とそこにやって来る人の「差」がたちどころに出現し、なにかがなに食わぬ顔で始まるのである。そのことになによりも驚いたのだった。「家の中の人」も「外からの人」も同じように「舞台のそで」から現れているにもかかわらず、である。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第4回

◎「芸術立国論」(平田オリザ著、集英社新書)
 北嶋孝

「芸術立国論」表紙 「芸術立国論」が刊行されたのは2001年10月だった。
 もともと平田演劇論は「演劇と市民社会」「参加する演劇」などの言葉をよく参照する。「現代口語演劇のために」(1995年)や「演劇入門」(1998年)では、「演劇世界のリアル」と「現実世界のリアル」が交差するには、作品と観客の出会いが重要だと繰り返し述べていた。社会にとって芸術は必要であり、芸術にとって社会の支持は不可欠だ、というのが平田理論の核心だった。そこから補助線を少し引けば、本書で展開される「芸術の公共性」や「国家の芸術文化政策」はすぐ間近に見えてくる。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第3回

◎「チェーホフの『桜の園』について」(宇野重吉著、麦秋社)
 都留由子

「チェーホフの『桜の園』について」表紙 劇団民藝の俳優で演出家だった宇野重吉が、チェーホフの『桜の園』を演出した際の上演台本と演出ノートを整理して出版したのがこの「チェーホフの『桜の園』について」である。注釈は不要だろうが、劇団民藝といえば新劇の老舗、宇野重吉といえば、1988年に亡くなるまで、滝沢修と並んでその民藝の重鎮だった人である。

 1978年に出版され、そのときに読んだ。当時、話題になったのだと思うが、それはあまり覚えていない。ただ、読んでびっくりしたことだけはよく覚えている。あまりにびっくりしたので、その後、学校を卒業し、身辺の変化と何回かの引越しを経てなお、この本は手元にあるほどである。
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忘れられない1冊、伝えたい1冊 第2回

◎『道具づくし』(別役実著、大和書房)
 大泉尚子

「道具づくし」(大和書房)表紙
「道具づくし」(大和書房)表紙

 大きな声じゃあ言えないが、演劇やダンスに本は要らないと思って久しい。やっぱり舞台は「やる」か「見る」しかないっしょ。不勉強の言い訳でもあるけど。とはいえ「犬も歩けば」で、出会うものはある。

 さて、劇作家が自らの作品を読み上げる「芸劇+トーク―異世代劇作家リーディング『自作自演』」はどの回も面白かった。なかでも印象深かったのが、第3回に登場された別役実さん。
 直前に腰を痛められたとか、脇を支えられ、やや覚束ない足取りで登壇。心なしか、朗読の声も力がないようで「大丈夫かしら…」と思いきや―。
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忘れられない一冊、伝えたい一冊 第1回

◎『誰か故郷を想はざる』(寺山修司著、角川文庫)
 水牛健太郎
「誰か故郷を想はざる」
 寺山修司のことは何も知らない。
 ワンダーランドに書評欄というか読書欄を作ることになり、編集長という名の切り込み隊長、一番槍を仰せつかった。はて何を取り上げようと愚考するに、戯曲でも演劇雑誌でもいいのだそうだ、しかし折角だから高名な、しかし読んだこともなければ芝居を見たこともない、かの「テラヤマ」にしようと思ったわけです。
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