◎「芸術立国論」(平田オリザ著、集英社新書)
北嶋孝
「芸術立国論」が刊行されたのは2001年10月だった。
もともと平田演劇論は「演劇と市民社会」「参加する演劇」などの言葉をよく参照する。「現代口語演劇のために」(1995年)や「演劇入門」(1998年)では、「演劇世界のリアル」と「現実世界のリアル」が交差するには、作品と観客の出会いが重要だと繰り返し述べていた。社会にとって芸術は必要であり、芸術にとって社会の支持は不可欠だ、というのが平田理論の核心だった。そこから補助線を少し引けば、本書で展開される「芸術の公共性」や「国家の芸術文化政策」はすぐ間近に見えてくる。
本書「芸術立国論」は、たどり着いた「芸術の公共性」のコンセプトから逆に、現実の文化行政、教育分野への応用、劇場法への適用、公的助成のあり方などがアイデア豊富に述べられている。
まず序章はそのものずばり、「『芸術の公共性』とは何か」となっている。そのあと、社会は「芸術」を必要とすると説き、そのために芸術活動を育てる文化政策のあり方が語られる。さらに高度消費社会における産業構造転換の必然とメリットが指摘され、サービス産業としての芸術振興が国家として避けて通れない-などと構成されている。国と地方の役割、教育分野で芸術が要請されるわけ、劇場を核とした助成金制度の改革、劇場法の制定などなど、いま検討されている問題の原初形態がほとんどここに述べられている。
「芸術の公共性」を高く掲げ、芸術活動が社会に必要なのだから、公的助成を受けるのはむしろ当然だと声高に主張した演劇人は、本書の平田が初めてではないだろうか。しかも10年も前に、産業構造の転換を踏まえた国策として芸術振興を提唱したのだから、その見通しの確かさに驚く人も少なくないはずだ。いや、静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)を実現した鈴木忠志が先かもしれない。予算と人事権を併せ持つ芸術監督制を、一群の舞台施設、専属劇団とともに実現したからだ。それはともかく平田の著作は、文化政策、アートマネジメントに関心を持つ人は一度は読んでみるべき必読文献だろう。
そうは言っても無条件で礼賛しているわけではない。当時もいまも腑に落ちないことが少なからずある。その最たるものは、「芸術の公共性」を持ち出しながら、本書でその中身があまり鮮明に説かれていないことだ。
特に肝心の「公共性」の説明がしっくりこない。演劇活動が市場原理だけで担保されないという理屈は理解できる。しかし、そこから公的助成が必要だというには、まだ固めなければならない隙間が相当あるだろう。
「エンターテイメント」と「芸術」の区別もそのひとつ。多様性確保のためにさまざまな芸術への助成が必要というなら、エンタメも芸術も、演芸も芸能もみな雑居できる枠組みを明示しないと説得力を欠いてしまうだろう。
もう一つ、付け加えよう。「芸術」は演劇に限らず、文学、音楽、美術、映画、写真、舞踊などさまざまな領域を含んでいる。それらの分野と比較しながら、演劇の特質が詳しく説かれ、際だった「公共性」が指摘されるのかと思っていたら、本書はそこを素通りしてしまった。演劇には、美術や音楽、映画やダンスなどと比較して、どのような特質、共通性があるかが分析されていない。ここが手薄だと、現実に、目に見える形で影響が出てくるはずだ。
平田は本書の「あとがき」で、ここに述べた芸術文化政策は「私という一人の芸術家の妄想から出発している」と断っている。そのうえで「だとすれば、演出家ごと、劇団ごとに、アートマネジメントの理論があってしかるべきなのだ。極論すれば、演出家一人ひとりに、個別の文化行政政策があってしかるべきだし、そのくらいの構想力がなければ現代演劇の演出家としては失格だとさえいえる」と挑発している。
青年団にもアゴラ劇場にも、優秀有能な演出家、スタッフがそろっている。トップが挑発してから10年も経っているのだから、その挑発に乗って、新しい文化政策理論を披露、実施しようという人が出てきてもいいのではないか。いや、ぼくの目につかないだけで着々と力を発揮、地歩を築いている人がいるはずだ。
民主党政権になって実施された事業仕分けの影響で、この1、2年、劇場関連の公的助成が大幅に減額されたらしい。平田の拠点こまばアゴラ劇場・青年団の活動がそのため制約を受け、昨年は託児サービスを縮小、今年度は支援会員制度をスリム化した。来年2013年度は、大世紀末演劇展、サミット、そしてサマーフェスティバル〈汎-PAN-〉と受け継いできた演劇祭も休止せざるをえなくなり、2003年度から廃止していた貸し館業務を10年ぶりに再開するという。
平田オリザ名義で劇場Webサイトに掲載された「新年度のご挨拶」「2013年度 春夏の劇場使用カンパニー募集のご案内」などには、経営の危機状況が淡々と語られている。打つべき手は打つだろう。それは間違いないが、さらにこの苦境を抜け出すのに、周りの「個別の文化行政政策」があればとても心強いのではないだろうか。その全貌が姿を現わすときを、密かに期待している。
(2012年4月25日掲載、5月末補筆)
【筆者略歴】
北嶋孝(きたじま・たかし)
1944年秋田市生まれ。早稲田大学文学部卒。共同通信社文化部、経営企画室などを経てフリーに。編集・制作集団ノースアイランド舎代表。80年代後半から演劇、音楽コラムを雑誌に寄稿。TV番組のニュースコメンテーター、演劇番組ナビゲーターも。2004年創刊時からワンダーランド編集長を務め、2009年10月から編集発行人、代表。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ka/kitajima-takashi/
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