横浜ダンスコレクションEX2015

◎踊る肉体に表現の基盤を置いた作品が目立った
 竹重伸一

yokohamadance2 今年横浜ダンスコレクションは記念すべき20年目を迎え、例年のようにコンペティション以外にも様々なプログラムが展開された。その内私はオープニングプログラムである 20th Anniversary Special Performancesと題された横浜ダンスコレクションの歴代受賞者の中から選ばれた2人、山田うんと伊藤郁女の過去の作品の再演、そして9カ国90組の中から選ばれた4カ国10組の振付家が2日間に亘って競ったコンペティションⅠを観た。
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大橋可也&ダンサーズ「グラン・ヴァカンス」

◎歩行の底に潜む根元的なリズムと時間
 竹重伸一

「グラン・ヴァカンス」公演チラシ
「グラン・ヴァカンス」公演チラシ

 私は舞台芸術には社会に対する思想的な批評性と美的強度が必要だと思う。どちらかならば備えている舞台を時折散見するが、両方となると極めて稀である。その両方を兼ね備えている「グラン・ヴァカンス」は私にとって今年日本で上演されたコンテンポラリーダンスで最も大きな収穫の一つであり、日本のコンテンポラリーダンスの真のオリジナリティーを示すものとして海外ツアーなども望みたい所だ。
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高嶺格「Melody Cup」

◎民主主義的演出へのアンビバレンス
 竹重伸一(舞踊批評)

 最前列の客席より一段窪んだ所一面に、四面を板で囲まれてブルーシートが敷かれている。奥の壁には白いスクリーン。スクリーンと舞台後方の板の間の通路もパフォーマンス空間である。この1時間45分の作品のラスト、舞台前面の板の前に一列に並んだ12人のパフォーマー全員でビージーズの「メロディ・フェア」を歌うのを聴いている内に舞台作品としては久し振りに幸福な感情に襲われたが、一方で作品全体からは拭い難い違和感を感じる部分も私の中にあることは否定できない。その辺りの感情の曲って来る所を考えてみようと思う。
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DA・M「夜がやってきてブリキの切り屑に映るお前の影をうばうだろう」

◎沈黙する神に向かって語りかける-待つこと
竹重伸一

「夜がやってきてブリキの切り屑に映るお前の影をうばうだろう」公演チラシこの舞台は観客と共に、決して応答することのない沈黙する神に向かっても語りかけているように思えた。その意味ではDA・Mの仕事はS・ベケットの『ゴドーを待ちながら』に連なるものかもしれない。二年前の前作『Random Glimpses/でたらめなわけ』では映像や大量の椅子を使ったりしてまだスペクタクルな要素を多分に残していたが、今作はパフォーマーの肉体と空間との関係にフォーカスを絞ってよりシンプルでフラットな作品になった。そしてパフォーマーの動きも、特に前作では過剰な情念を感じさせた中島彰宏のパフォーマンスの変化がよく示しているように、よりニュートラルでイリュージョンや意味性を排除したものになっている。

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大橋可也&ダンサーズ「深淵の明晰」

◎影が踊り始める
竹重伸一

「深淵の明晰」公演チラシ「明晰」シリーズの前作、昨年2月の「明晰の鎖」では同じ吉祥寺シアターの舞台奥の搬入口を開いて裏の道路と繋げたり、バルコニー・床下の上下の空間も使うなどワイドでスペクタクルな空間創りをしていたが、今回は観客の一部を上演空間に入れて、親密さのあるとても凝縮されてコンパクトな空間になった。出演するダンサーも過去に大橋可也作品に出演経験のある勝手知った7人に絞り込んでいて、匿名性の高い振付からよりダンサーの「個」が浮き上がってくる振付への変化の兆しがはっきりと伺えた。この変化は微細だが重要な変化で私には非常に共感できるものだ。

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ヤン・ファーブル「寛容のオルギア」

◎「人間的な、あまりにも人間的な」ヤン・ファーブル
 竹重伸一

 観劇後というか観劇中から当惑した苛々とした気分が湧いてくるのを抑えることができなかった。8年のインターバルがあるとはいえこれがあの刺激的な「わたしは血」と同じヤン・ファーブルの作品なのだろうかという思いである。

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BATIK「another BATIK~バビロンの丘にいく~」(構成・演出・振付:笠井叡)

◎神話的ヴィジョンの魅惑と個としての肉体の不在
 竹重伸一(舞踊批評)

 今迄のBATIKの作品を観てきて踊りのディテールが欠如しているという印象を受けてきた。唯一ディテールを感じたのは「SHOKU」のラスト、数人で横並びになって白い下着姿のお互いの肉体をまさぐりながらゆっくりと前に歩んでくるシーンだけである。ディテールがないということは、つまりダンサーの個としての肉体が感じられないということであり、個としての生(記憶)が感じられないということでもある。代わりに思春期から大人の女性になる微妙な移り目にしか発しないような独特な熱っぽい生理的エネルギーが集合的になって渦を巻くように奔出してくるのである。そして速度。黒田育代の振付の目的はダンサーから余計な自意識を奪い、速度と生理的なエネルギーの美にひたすら奉仕させる抽象的な存在にすることである。

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上杉満代「Metal Red Woman」

◎舞踏の様式性と即興性の融合へ、そしてエロティシズム
竹重伸一(舞踊批評)

「大野一雄フェスティバル2008」チラシ舞台は横浜BankART Studio NYKの眼前を流れる運河に泊められた艀の上である。開始時間は夜の九時半を過ぎていて、みなとみらいや赤レンガ倉庫が望める180度大パノラマの美しい夜景が広がる中、最初大野一雄の出演した映画『O氏の肖像』の映像が10分程写される。上映が終わると下手側の運河から上杉満代を乗せた水上ボートが音もなく近付いて来て、彼女が舞台に崩れ落ちるように登場した。

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大橋可也&ダンサーズ「明晰の鎖」

◎消費社会と明晰さへの抵抗 慎重かつ根底的なアプローチで
竹重伸一(舞踊批評)

「明晰の鎖」公演チラシ1980年代以降日本の社会は資本主義の消費文化に全面的に支配されるようになったわけだが、実は消費社会が一番抑圧、管理しているのが身体である。
一つ例を挙げよう。ここ最近マスコミでは若者の凶暴化を騒ぎ立てる声が喧しいが、統計的なデータによると事実は正反対で、若者の凶悪犯罪は例えば1960年代以前と比べて明らかに減っているし、他の先進国の若者と比べても著しく少ないらしい。「日本の若者は、おそらく世界一、人を殺さない若者だ」と進化生物学の立場から殺人の研究をしている長谷川真理子・早大教授はいっている。(註)

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