◎踊る肉体に表現の基盤を置いた作品が目立った
竹重伸一
今年横浜ダンスコレクションは記念すべき20年目を迎え、例年のようにコンペティション以外にも様々なプログラムが展開された。その内私はオープニングプログラムである 20th Anniversary Special Performancesと題された横浜ダンスコレクションの歴代受賞者の中から選ばれた2人、山田うんと伊藤郁女の過去の作品の再演、そして9カ国90組の中から選ばれた4カ国10組の振付家が2日間に亘って競ったコンペティションⅠを観た。
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この舞台は観客と共に、決して応答することのない沈黙する神に向かっても語りかけているように思えた。その意味ではDA・Mの仕事はS・ベケットの『ゴドーを待ちながら』に連なるものかもしれない。二年前の前作『Random Glimpses/でたらめなわけ』では映像や大量の椅子を使ったりしてまだスペクタクルな要素を多分に残していたが、今作はパフォーマーの肉体と空間との関係にフォーカスを絞ってよりシンプルでフラットな作品になった。そしてパフォーマーの動きも、特に前作では過剰な情念を感じさせた中島彰宏のパフォーマンスの変化がよく示しているように、よりニュートラルでイリュージョンや意味性を排除したものになっている。
「明晰」シリーズの前作、昨年2月の「明晰の鎖」では同じ吉祥寺シアターの舞台奥の搬入口を開いて裏の道路と繋げたり、バルコニー・床下の上下の空間も使うなどワイドでスペクタクルな空間創りをしていたが、今回は観客の一部を上演空間に入れて、親密さのあるとても凝縮されてコンパクトな空間になった。出演するダンサーも過去に大橋可也作品に出演経験のある勝手知った7人に絞り込んでいて、匿名性の高い振付からよりダンサーの「個」が浮き上がってくる振付への変化の兆しがはっきりと伺えた。この変化は微細だが重要な変化で私には非常に共感できるものだ。
舞台は横浜BankART Studio NYKの眼前を流れる運河に泊められた艀の上である。開始時間は夜の九時半を過ぎていて、みなとみらいや赤レンガ倉庫が望める180度大パノラマの美しい夜景が広がる中、最初大野一雄の出演した映画『O氏の肖像』の映像が10分程写される。上映が終わると下手側の運河から上杉満代を乗せた水上ボートが音もなく近付いて来て、彼女が舞台に崩れ落ちるように登場した。
1980年代以降日本の社会は資本主義の消費文化に全面的に支配されるようになったわけだが、実は消費社会が一番抑圧、管理しているのが身体である。