民俗芸能調査クラブ「バリ島合宿」

◎空間を広げていく可能性
 萩原雄太

 旅行パンフレットに「神秘の文化」とか「芸術の島」といった宣伝コピーが踊っているのには、思わず「本当は芸術とか興味ないくせに……」と揶揄の一つも言いたくなるのだけど、バリ島にはとても魅力的な伝統芸能が数多く残されているのは確かだ。「ケチャ」「ガムラン」「バリ舞踊」「ワヤンクリ」などなど、他の地域には見られないバリの伝統的な文化は観光産業と結びついて、世界中から300万人あまりの観光客を誘致することに成功している(2012年)。
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連載「もう一度見たい舞台」第7回 坂東玉三郎「鷺娘」

◎美しさの極み、至福の時
堀越謙三(ユーロスペース代表)

もう一度見たい舞台7回program0a
『書かれた顔』プログラム表紙

 国内の若い監督やヨーロッパの監督と、これまで25本ぐらいの映画を製作してきたけど、ダニエル・シュミット監督(1941-2006)のドキュメンタリー映画『書かれた顔』がいちばん印象深いかな。板東玉三郎が主演だしね。と言っても、普通のドキュメンタリーじゃない。玉三郎の舞台も撮ってるけど、武原はんや舞踏の大野一雄の映像、それに杉村春子のインタビューも入ってる。玉三郎をめぐる男二人のさや当てみたいなフィクションもあって、不思議な映画、シュミットならではの映像になったと思う。
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Company SJ and Barabbas『芝居 下書きI』『言葉なき行為II』

◎言葉と身体――路上からベケットへ
藤原麻優子

 アイルランドの劇団Company SJ and Barabbasによるサミュエル・ベケット『芝居 下書きI』『言葉なき行為II』の公演が早稲田大学演劇博物館前で行われた。同博物館では『サミュエル・ベケット展―ドアはわからないくらいに開いている』が開催されており(註1)、今回の公演はこの展示の一環として企画された。Company SJ and Barabbasはベケットやウィリアム・B・イエイツの作品を屋外で上演する劇団で、アイルランドでは高い評価を得ているという。これまでにアイルランドのほかイギリス、アメリカでも上演を行い、今回の招聘公演が日本での初上演となる。演目は『芝居 下書きI』『言葉なき行為II』の二作品であった。
この公演の特徴は、なんといってもベケットの演劇作品を野外で上演する点にある。ベケットの演劇作品のト書きは非常に緻密なもので、秒数まで指定しているものもある。また、常に自身の書くメディアについて先鋭な意識をもつ彼のテキストは、劇場という空間で上演されることに自覚的なものも多い。つまり「ベケットの野外上演」というのはそれだけで大胆な試みなのだ。次に、上演場所と取り結ぶ固有の関係もこの公演の特徴である。いわゆる「site-specific」(特定の場所で上演されるために制作される作品)とは少し異なるかもしれないが、単に屋外で上演するというだけでなく、上演される場所その一点から世界を何層にも照らしかえす批評性を探る点でも意欲的な試みだったといえる。さらに、演出家のサラ‐ジェーン・スケイフは二作品の登場人物をホームレスとして想像した。「不条理演劇」と称され難解さで知られるベケットの登場人物に現実と地続きの実在性を取りだしてみせる明確なビジョンもこの公演の大きな特徴であった。
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蓮沼執太フィル 「音楽からとんでみる4」全方位型フィル

◎「ステレオ」のパフォーマンス空間
 ラモーナ・ツァラヌ/井関大介/廣澤梓

「音楽からとんでみる4」公演チラシ
「音楽からとんでみる4」公演チラシ

 TPAMへの2度にわたる招聘や快快への楽曲提供など、舞台芸術との関わりも深い音楽家・蓮沼執太。彼による15人編成のオーケストラ「蓮沼執太フィル」は2010年の結成以来、ライブベースの活動を行ってきました。そこでは集団性や観客を含めた場の創造という観点において、今日の演劇を考える上でのヒントを与えてくれるように思います。この度、4月27日(日)の「全方位型フィル」と題されたライブに立ち会った3名によるライブ評を掲載します。(編集部)

解放感のサウンドスケープ—蓮沼執太フィル公演『音楽からとんでみる』
 ラモーナ・ツァラヌ
作者をこれ聖と謂ふ—音楽共同体への憧れと蓮沼フィル—
 井関大介
もう一度、集まることをめぐって
 廣澤梓

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新国立劇場「テンペスト」

◎テンペスト、希望の婚礼
 鉢村優

【新国立劇場「テンペスト」公演チラシ】
【新国立劇場「テンペスト」公演チラシ】

 シェクスピア最後の戯曲。彼が長い劇作の末に行き着いたのは、理性で感情を制し、他者を赦す人間の気高さを称えることである—テンペストをしてそのように語る人は多い。しかし演出を手がけた白井晃は、そこではない何かを見つめていた。

 実の弟の奸策によってミラノ大公の地位を追われ、娘と二人、絶海の孤島に追放されたプロスペロー(古谷一行)。彼は魔術を身につけ、空気の精エアリエル(碓井将大)を従えて妖精を操る。プロスペローは嵐を起こして船を難破させ、彼の政敵を孤島に集めた。いまやミラノ公となった弟ゴンザーロー(長谷川初範)、共謀してプロスペローを追放したナポリ王アロンゾー(田山涼成)とその従者たち。彼らはプロスペローの魔術に幻惑され、おびえて逃げ惑っている。一方、父王とはぐれたナポリ王子ファーディナンド(伊礼彼方)は、プロスペローの娘ミランダ(高野志穂)を一目見て恋に落ちる。ミランダはやさしさと好奇心にあふれ、目を輝かせている—。
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大池企画「MOTHER II」

◎他者や関係性に変化を
 橋本清

mother2_0a 一枚のカードがあった。
 定期乗車券ほどの大きさのそれには、《双葉》を模したと思われるデザインのロゴが黒インキで小さく、左下角にプリントされている。二枚の葉の左側には、葉脈の代わりに、子葉の輪郭に合わせた二つの同心円が《瞳》のマークを形作っている。これから成長してゆく、という意味合いで《芽》とかけたのであろう。—《観ることが、育てること》のフレーズでおなじみの《こまばアゴラ劇場支援会員》のロゴだ。会員証の提示で、こまばアゴラ劇場、アトリエ春風舎での公演、その他の会場でのこまばアゴラ劇場主催・提携公演を観劇可能(*1)となるこの支援制度に、昨年秋、新たに《アーティスト会員・プロデューサー会員》が設置された。作り手が劇場へ通う機会を—ということで応募してみることにした。有り難いことに対象者に選ばれた。私事だが、自分の主宰する劇団の公演中止、活動休止などの問題と重なった時に、その会員証にずいぶんと助けられた。—正直言えば、観劇数は少ない。が、それでも、演劇とどう向き合っていいか精神的混乱に陥っていた時期、その何度でも使えるカードが自分にとって大きな支えになった。こちらに向かって《いつでも劇場においでよ》と、気さくに話しかけてくれているような気がしたのだ。そして、『MOTHER II』(@アトリエ春風舎)に出会えた。
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ナショナル・シアター・ライヴ「コリオレイナス」

◎トム・ヒドルストンと悲劇の向かう先
 藤原麻優子

 辻佐保子氏が『ワンダーランド』390号に寄稿した通り、2014年に入って英国のナショナル・シアターによる舞台作品の上映「ナショナル・シアター・ライヴ」がTOHOシネマズで開催されている。第一作が辻氏の扱った『フランケンシュタイン』、そして第二作が本稿にて取り上げる『コリオレイナス』である(註1)。同作はシェイクスピアの『コリオレイナス』に基づき(註2)、300席に満たないドンマー・ウェアハウスの小劇場空間での新演出による上演であった(註3)。ドンマーの芸術監督ジョシー・ルークによる演出、『アヴェンジャーズ』『マイティ・ソー』への出演で世界的なスターとなったトム・ヒドルストンのコリオレイナス、人気ドラマ『シャーロック』のマーク・ゲイティスらも出演する話題の舞台であり、劇場には連日早朝から券を求める列ができたという。
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マームとジプシー「塩ふる世界。」「モモノパノラマ」ほか

◎ロングスカートの少女たち—マームとジプシーにおける身体性
 藤倉秀彦

 マームとジプシーの身体性について書く。

 身体のリアルの低下—つまり、自分にはカラダがある、という実感の希薄化というのが、80年代くらいから進行していたのではないか、というふうに個人的には感じている。こうした身体の希薄化は、90年代以降の所謂「静かな劇」においては、平田オリザ的な「動かない身体」というかたちで表現されてきたのではないか。つまり、90年代から00年代は、80年代的な「躍動する身体」みたいなものを提示するのは、古い、ダサい、恥ずかしい、という感覚が作り手の側にも、受け手の側にもある程度共有されていたのではないか、と。これは自己が身体から疎外されている—あるいは逆に、身体が自己から疎外されている—という感覚の反映なのかもしれない。
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連載「もう一度見たい舞台」第3回

◎庭劇団ペニノ「アンダーグラウンド」
廣澤 梓

 22時の東急東横線の車内で、わたしの隣に座り眠っていた若い女性がケロリ、と嘔吐した。「ん、ん」とかわいらしい声をあげ、女性のからだが大きく2回波打ったのちのことだ。ゆっくりと目を覚ました彼女は自分に起きた異変を察して、口元に手を当てて指先の湿り気を確認すると、タイミングよく停車した電車から降りて行った。
 からだ全体が揺さぶられるほどの出来事を、女性は触覚という別の回路を使ってしか理解ができなかった。驚きと恐怖が混ざった感覚はいつまでも残り、すれちがう人たちひとりひとりの腹部に水をたたえた袋があることを想像して青ざめながら、わたしは過去に見たある芝居について思い出していた。
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中野成樹、長島確「四谷雑談集」+「四家の怪談」

◎幽霊は鼻歌に乗って
 廣澤 梓

 パフォーマンスの全日程が終了した2013年11月24日の夜、Twitterの中野成樹+フランケンズのアカウントによって、作品の公式応援ソングだという「あ・お・ぞ・らDestiny」の配信がスタートしたことが知らされた。上演中に何度か聞いた「待ってて」が繰り返されるサビの部分と、決して上手いとは言えない女性ボーカルは耳に残っていた。
 それが今ではわたしのパソコンのデスクトップ上にあって、アイコンをクリックすればいつでも聞くことができる。またその歌詞を口ずさみ、この物語を「降ろす」ことができる。

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