大池企画「MOTHER II」

◎他者や関係性に変化を
 橋本清

mother2_0a 一枚のカードがあった。
 定期乗車券ほどの大きさのそれには、《双葉》を模したと思われるデザインのロゴが黒インキで小さく、左下角にプリントされている。二枚の葉の左側には、葉脈の代わりに、子葉の輪郭に合わせた二つの同心円が《瞳》のマークを形作っている。これから成長してゆく、という意味合いで《芽》とかけたのであろう。—《観ることが、育てること》のフレーズでおなじみの《こまばアゴラ劇場支援会員》のロゴだ。会員証の提示で、こまばアゴラ劇場、アトリエ春風舎での公演、その他の会場でのこまばアゴラ劇場主催・提携公演を観劇可能(*1)となるこの支援制度に、昨年秋、新たに《アーティスト会員・プロデューサー会員》が設置された。作り手が劇場へ通う機会を—ということで応募してみることにした。有り難いことに対象者に選ばれた。私事だが、自分の主宰する劇団の公演中止、活動休止などの問題と重なった時に、その会員証にずいぶんと助けられた。—正直言えば、観劇数は少ない。が、それでも、演劇とどう向き合っていいか精神的混乱に陥っていた時期、その何度でも使えるカードが自分にとって大きな支えになった。こちらに向かって《いつでも劇場においでよ》と、気さくに話しかけてくれているような気がしたのだ。そして、『MOTHER II』(@アトリエ春風舎)に出会えた。

 作・演出の大池容子は、平田オリザが主宰する青年団の演出部であり、アトリエ春風舎の芸術監督でもある。昨年十一月、就任が発表された。『MOTHER II』は、彼女が芸術監督就任後、はじめての企画だ。また、彼女が主宰する《うさぎストライプ》の公演とは異なり、《青年団若手自主企画》として上演された。青年団には、平田オリザ以外にも、多くの若手演出家、劇作家が所属しており、「劇場に劇団が本拠地を置き、そこに俳優が雇用され、多くの演出家が出入りする。(中略)劇団員誰もが公演企画を提出することができ、その中から審査を通ったものが若手自主企画として上演される」。(*2)以前、彼女が企画した『いないかもしれない』では、《うさぎストライプ》の特徴である《ラクガキのような絵コンテからつくる乱暴でコミカルな動きによって、俳優の身体の状態と、登場人物の心の状態を重ねる》という演出方法を用いた『いないかもしれない 動ver.』と、《日常的な会話のやりとりから登場人物の背景を浮かび上がらせる》—《静かな演劇》として、『いないかもしれない 静ver.』の2バージョンを上演した(*3)。

 『MOTHER II』は設定こそファンタスティックであるが、基本的には後者のスタイルを取る。大池容子は平田オリザ『隣にいても一人』をモチーフにしながら、原作が持つ《ある朝、目を覚ますと夫婦になっていた》という状況—《夫婦》の《横》のつながりを《母娘》という《縦》のつながりに置き換えている。

 朝、目が覚めると、お母さんがわたしと同い年になっていて、
 その日はわたしの誕生日で、ずっと付き合ってた幼なじみの男の子と、結婚式をするはずだった日で。

 27歳に戻ってしまったお母さんは、
 全然お母さんじゃなくて、すごく普通の女の人なんだけど、
 それでもお母さんはわたしを産んでわたしのお母さんになって、
 わたしもきっとそのうちお母さんになって、
 子どもと手をつないで、デパートの屋上の遊園地とかに行ったりして、

 そういう時、わたしは、
 子どもの頃につないでたお母さんの手のあったかさとかを、
 きっと思い出したりするんだろうなあっていうおはなしです。(*4)

 —さて、実際にご覧になった方はお分かり頂けると思うが、このあらすじにはいくつか朱筆を加えなければいけない。作品が完成してから情報を発信するのではなく、創作していきながら随時、あらすじやコンセプト、見所などを外部に公開していく性質が(演劇に限った話ではないが)あるからだろう。企画書やフライヤー、当日パンフレットに書かれている内容を追っていくと、変化が生じていることが多い。—『MOTHER II』では《誕生日》の主役が違う。《結婚式》の件も(厳密には)存在しないが、それに関してはレビューの最後の方で触れるとして、まずは《誕生日》からはじめていきたい。

 時計の長針がぐるりと一回転して、六十分。とちょっとの時間で『MOTHER II』は閉幕した。—と言っても、畳敷きの居間舞台に緞帳は垂らされていない。具体的に言えば、照明機材による溶暗がそのフィナーレを飾った。《暗やみ》は冒頭にも一度、開演の合図として使われ、そして、場面転換のため劇中で三度現れた。つまり、全体で四場構成の芝居である。

 1

 最初の溶明で、舞台中央に置かれたちゃぶ台を囲んで座っている三人の登場人物がぼんやりと浮かび上がった。

 《男の子》である浩之がちゃぶ台の中央にいる。—彼が《誕生日》の主役だ。浩之の両隣には《わたし》である直子と《お母さん》の佐和子が座っている。「親子」を演じる俳優たちの実年齢はそれほど離れていなかった。《お母さんがわたしと同い年になっていて》というシチュエーションを知らなければ、姉妹に見えるぐらいだ。
 直子は《お母さん》の書いた小説を読んでいて、佐和子から感想を求められるが、自分と同年齢の母親を前にそれどころではない。返事に窮し、困惑していた。浩之も表情を強張らせたまま黙している。二人と対照的に佐和子は《案外、今っぽく見えるよねえ?》と、昔の洋服を嬉しげに着直しながら、浩之の《誕生日》の準備を進めようとしていた。そして、次第に機嫌が悪くなっていく《わたし》を枕に、三人(と言っても浩之の口数は少ない)の会話は、あらすじに登場しない《父親》の話題に移る。ある冬の晩、《わたし》が《父親》と喧嘩をして制服姿のまま家を飛び出て行ったエピソードが語られた。—《直ちゃん》が投げつけたマウスパッドが《お父さん》の顔に刺さったんだよ。と、笑い混じりに佐和子が話す。《いつもより、記憶が、こう、鮮明な気がする》という台詞が話の結び近くであらわれて、直子と浩之同様、楽観的な《お母さん》の態度に観客(の僕)も戸惑ってしまった。
 ちなみに《父親》はすでにこの世にはいない。少し先の方でも触れるが《来週、七回忌を迎える》という設定だった。逆算すると直子が二十歳の頃、亡くなったことになる。

 —ああ、上手いな。と思った。

 『MOTHER II』は「母娘」を扱った作品であって、《わたし》たち《家族》についてあまり踏み込んだ展開はされない。けれど、佐和子が繰り言のように語る思い出に触れて、過去にも似たような《親子喧嘩》が起ったのだろうと、僕は《家族》のこれまで過ごしてきた時間について思い巡らすことができた。—後の直子の台詞で、《マウスパッドを投げた》のはこの時一回だけだと分かるが、それはそれで《普段はケンカなどしない家族》といったことも想像できる。つまり、一回だけの出来事が、その人(あるいは関係/集団)の習慣(を考えるキッカケ)を生み出していたのだ。ある一場面を切り取り、その前後に流れるものを観客に想像させるという意味で、非常に《現代口語演劇》然としていた。
 先に挙げた洋服や回想話と同じく、《お母さんがわたしと同い年になって》という情報も冒頭すぐには明示されない。奥の方に潜みながら、時折顔を出す。他にもこの場所が《わたし》が暮らしていた一軒家であること/そこに今は《わたし》がいないこと/かつて《お母さん》が小説家を目指していたこと/現在《わたし》が作家であること/といった《背景》が、家の間取り・登場人物たちの出入り・飲み物、茶菓子の小道具類から徐々に、霧が晴れるようにして少しずつ、その輪郭を浮かび上がらせていった。
 浮上するのはなにも《過去》だけではない。佐和子が冗談混じりに《親子喧嘩》のエピソードを語った後、《だから浩之君も気をつけてね》という台詞があらわれる。かつての《親子喧嘩》のような出来事が、直子と浩之の間柄にも起こるのではないかという心配からだった。「恋人同士」の《未来》が気にかけられていた。《前後に流れるものを観客に想像させる》と書いたが、その《後に流れるもの》に僕は心惹かれたのだ。
 そして、一場の終盤。話題が《父親》の七回忌になった時、《お寺さんに何て説明すればいいの?》と悩む直子に《まあ、なんとかなるでしょう》と軽く答える佐和子の、そこからあらわれる《前景》に殊更興味が湧いた。これまで、さまざまなやり取りから登場人物たちのプロフィールや関係性といった具体的な《情報》を追いかけていたのが、ここで突然、個人の《感情》について考えるようになったからだ。

 —佐和子はこの先、どうなっていくんだろう。

 佐和子は浩之の《誕生日》の準備のため、一人、買い物に出掛けて行く。残された直子との浩之の置かれている状況に、自分の心がスッと入り込んでいった。

 その時、ストンと見えない幕が—二度目の《暗やみ》が訪れた。

 2

 《27歳に戻ってしまったお母さん》についてはハッキリと説明されないと書いたが、実は一場に明らかな言葉で、正確に言えばある《文字》で伝えられていた。

 もう一人、あらすじに登場しない男—《叔父》の義雄がいる。『MOTHER II』は彼を加えた四人芝居だ。《父親》の弟にあたる人物で、中学の国語教師。佐和子とはメル友の仲だった。佐和子が義雄宛に送ったメールの内容を説明する場面で、《27歳に戻ってしまったお母さん》という情報が観客に伝えられる。—《夫》を亡くして《娘》も出て行った後、二十七歳の頃、嫁いだ家(舞台になっている一軒家と同じ場所かは言明されていない)に一人残された佐和子の、気持ちの拠り所としての《義兄弟》の存在が浮かび上がった。あらすじや当日パンフレットの配役欄などに《父親》が記載されていなかったからか、必要以上に僕は、この場所に今はいない、見えない人間を追いかけた。

 —さて、二場である。男同士の会話がメインだ。

 《誕生日》の買い出しに行った佐和子を、直子が迎えに行っていて、浩之が一人、家で留守番をしている。そこに《叔父》の義雄がやってくる。直子の様子を見るため浩之が出掛けようとすると、初対面の義雄に引き止められるところから二場がはじまる。
 浩之が二十六歳の《誕生日》を迎えたことを知ると、持っていた飴をプレゼントに見立てて祝ったり、《佐和子さん、若くなったからって、変なこと考えちゃダメだよ?》と、義雄もまた、佐和子と同じく《27歳に戻ってしまった》ことの深刻さが見えなかった。状況はおかまいなしといった感じで、あっけらかんとしている。佐和子が小説を書いていることについても触れてはいたが—その状態は《若返った》ことによる恩沢という意味で《万能感》と呼ばれている—《羨望》の気持ちからだった。
 昔の青春ドラマを引き合いに出して《俺がもうちょっと若かったらね、こう…もっと、お前らそれでいいのか、って言ってやりたいんだけどね》と語る義雄の姿は、典型的な《親父》だった。浩之が美大で油絵を学んでいること/直子が作家をしながら家庭教師などのバイトをしていること/といった二人の〈生活〉を訊いた後、直子と同棲中の浩之—《ずっと付き合ってた幼なじみ》かどうかは最後まで描かれない—に向かって、《これからは、それを支えるのも、あなたの役目だから》《だらだら同棲しているわけにもいかないでしょう》などと決まり文句も満載。
 二人の〈創作〉での関係も言及されていて、浩之は直子の小説を《言ってもらいたい感想と違う》ことから読ませてもらえないらしく、義雄が《恥ずかしいってゆうのもあるんじゃないの?》とフォローをすると《気に入らないから》と浩之は返答した。お互いの《領分》を忖度しながら関係し合う「恋人同士」のぎこちなさが描かれていた。

 その後、直子が戻ってくる。佐和子が区切りのいいところまで喫茶店で小説を書いているという。《お母さんがわたしと同い年になっていて》という特別な状況—《非日常》に覆われた《日常》が《どこへ転がっていくのだろう》と、《物語》そのものの行方が気になるようになっていった。

 3

 三度目の明かりが灯されると、終盤に向かって《物語》の焦点が絞られていく。

 喫茶店から戻ってきた佐和子は、今まで書いていた小説の感想を周りに求めるが、直子と浩之は意見が割れて、気まずいムード。《そうゆう、普通の女の人みたいになって、書かなくて良くなるの、ヤなんだもん。お母さんはさ、私とか生んでさ、そうゆうの、どうでも良くなって、書けなくなったんでしょ》と直子が突っぱね、《親子喧嘩》がはじまった。—今度はマウスパッドではなく座布団だった。佐和子が座布団を使って直子を殴った。この後の《わたし》と《お母さん》のやり取りは割愛するが、かつて小説家を目指していたもの/現在、小説家でいるもの/という《横糸》が、「母娘」という《縦糸》に交わりながら、〈創作〉することと〈生活〉することの《業》が描かれながら、織り出されたその綾が、加熱上昇していく《物語》の曲線を色取った。

 ここでようやく《結婚式》である。

 浩之は《親子喧嘩》の間、《煙草吸ってきても、いいですか》とその場から立ち去っている。ここだけ抜き出してみると少しばかり不自然な行動だ。しかし、これまで座り芝居の多かった作品に《座布団で人を殴る》という行為があらわれた後である。演出と劇作、どちらの範疇で作為されたかは想像するしかないが、作品における《虚構》のパーセンテージが徐々に高まっていっていることに興奮を覚えた。そして、戻ってきた浩之から《結婚してください》と、最大級の《台詞》が放たれた。
 場違いなプロポーズを受けた直子はカッとなり、座布団で浩之を殴った後、家を飛び出す。《だから浩之君も気をつけてね》という、一場の《親子喧嘩》の際に語られた佐和子の言葉が、ここでまさに実現した。かつて提示されていた《未来》が《現在》のものとして演じられたのだ。そして数秒後、それは《過去》になった。さらに《過去》は姿や形を変え、繰り返し誰かに向けて語られる《物語》—たとえば《お母さん》になった《わたし》がつぎの《世代》に語り継ぐ《未来》となる。

 四度目の溶暗が訪れた。

【写真は、「MOTHER II」公演から。提供=大池企画 禁無断転載】
【写真は、「MOTHER II」公演から。提供=大池企画 禁無断転載】

 4

 直子のことが気がかりな浩之は家を後にして、義雄もすでに帰っていた。寝間着姿の佐和子が居間で一人、自分の書いた小説を読み返している。すると、パジャマ姿の直子があらわれた。佐和子が優しい口調で《おしっこ?》と訊ねた。—ぼかされてはいたが、《過去》のある場面のようだ。変な夢を見て起きたらしく、眠たげな表情で直子がぼーっと立っている。《現在》の時間軸にいないはずの人物を登場させることで、これまで《暗やみ》というシンプルな場面転換を用いて少しずつ先に進ませていた《物語》の時間の動きが変化していた。
 そして、生み出されたフィクションの力は、寝室に戻っていく直子の動きに還元されていく。通常、直子が上手奥に去っていくところを、居間に敷き詰められた畳を持ち上げてその中へ、—あるはずのない場所へと直子が消えていくように演出されていたのだ。《現在》と《過去》だけでなく、《現実》と《非現実》の境も曖昧になっていた。
 その後、下手の戸口に立つ《誰か》の気配を感じた佐和子が《ケーキとっといたよ。…食べる?》と、客席からは姿が見えない人物に声をかけると、最後の《暗やみ》が舞台を埋めた。—《誰か》は具体的には分からない。浩之に連れられて戻ってきた直子だろうか。あの冬の晩、家を飛び出した《わたし》なのかもしれない。さまざまな時間が重なった。

 2

 《お母さんがわたしと同い年になって》という《非現実》的な状況を、浩之が義雄に説明する箇所がある。その道具立てとして《高校生の男の子が学校から帰宅すると、母親が自分と同い年の女子高生になっていて》という《ライトノベル》が引用された。

 最後に少しだけ、時間を遡って話したい。

 先の挿話が二場で紹介された瞬間、僕の中で《お母さんがわたしと同い年になって》という《不可思議》なシチュエーションが身近なものになった。《ありえない》ものと類似した《体験》を聞くことで、《非日常》が《日常》に—特別で固有な《体験》が、どこにでもある/誰にでも起こる話に変わったような錯覚に陥ったのだ。
 この《日常》という言葉は厄介で、たとえば今作で設定されている《誕生日》という《現実》も、ある人の目には《非現実》なものに映る場合がある。《お母さん》の家で《わたし》の恋人の《誕生日》を祝う。なかなかに特別な状況だ。憶測の域は超えないけれど、直子が浩之の《誕生日》を企画したとはあまり思えず、佐和子の提案を直子がしぶしぶ了解する形で生まれたものだと考えられる。登場人物たちの手で(意識/無意識に関係なく)《日常》のさまざまなシチュエーションは作られる。つまり、《作品》という皿に並べられた《誕生日》《親子喧嘩》《結婚》などの状況がすでに《虚構》なのだ。
 『MOTHER II』という作品では、《非現実》的な状況下で《縦》のつながりを揺さぶられた「母娘」と、その周りの人間たちが、苦しみながらも《誰か》と関わっていく姿だけでなく、綻びてしまった《現実》のなかで、他者やその関係性にさらに変化を加えていく姿もありありと描かれていた。—そもそも《どうすれば戻れる》というような話を最後まで誰もしていなかったりする。《日常》を取り戻すことよりも、むしろ新しく、登場人物たちが自らの力を使って、それぞれの《生活》を築き上げていく/いこうとしていた。

(*1)「こまばアゴラ劇場支援会員申し込み」ページより(こまばアゴラ劇場Webサイト内)
(*2)「青年団リンク・若手自主企画」ページより(青年団公式ホームページ内)
(*3)「若手自主企画公演履歴」ページより(青年団公式ホームページ内)
(*4)同上

【筆者略歴】
 橋本清(はしもと・きよし)
 1988年生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒。在学中の2007年にブルーノプロデュースを設立。2011年10月、横浜・STスポットで発表した『カシオ』で劇団化。以降、俳優たちの過去の記憶や体験をベースに演劇作品を構成する《ドキュメンタリーシリーズ》を展開。他者や空間に蓄積された記憶や情報を積極的に作品に取り込むとともに、かつてあった事実(記憶)からフィクションとしての風景を立ち上げる。2012年9月より「坂あがりスカラシップ」対象者。2013年12月で劇団活動を休止。主宰・演出である橋本清の個人ユニットに戻る。

【上演記録】
大池企画「MOTHER II」(青年団若手自主企画 vol.59)
アトリエ春風舎(2013年12月19日-29日)
作・演出:大池容子
出演:長野海 菊池佳南 山内健司 亀山浩史(うさぎストライプ)
スタッフ
舞台監督・照明:黒太剛亮(黒猿)
舞台美術:濱崎賢二
イラスト:にしぼりみほこ
宣伝美術:西泰宏
制作:金澤昭

料金 予約:2,000円 当日:2,300円

企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
助成:平成25年度文化庁 劇場・音楽堂等活性化事業
協力:うさぎストライプ 黒猿
総合プロデューサー:平田オリザ


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