民俗芸能調査クラブ「バリ島合宿」

◎空間を広げていく可能性
 萩原雄太

 旅行パンフレットに「神秘の文化」とか「芸術の島」といった宣伝コピーが踊っているのには、思わず「本当は芸術とか興味ないくせに……」と揶揄の一つも言いたくなるのだけど、バリ島にはとても魅力的な伝統芸能が数多く残されているのは確かだ。「ケチャ」「ガムラン」「バリ舞踊」「ワヤンクリ」などなど、他の地域には見られないバリの伝統的な文化は観光産業と結びついて、世界中から300万人あまりの観光客を誘致することに成功している(2012年)。

 昨年、「STスポット横浜」が主催するアーティスト育成支援のためのプログラム「民俗芸能調査クラブ」参加者の有志で、バリ島の民俗芸能を見学に訪れた。2週間の滞在期間で、毎日毎日バリ島のあちこちに行き芸能を見続けた。おなじみのケチャやバリ舞踊から、原住民たちが住むトゥガナン村の儀式、そして東部では「ゲンジェ」と呼ばれる宴会歌、どうにも胡散臭さしか感じられなかったトランスの儀式・サンヒャン……etcと、かなり稀有な体験をさせてもらった。ここで見たさまざまな民俗芸能のいくつかについてレポートするとともに、これらのバリの芸能と、僕らがやっているパフォーミングアートとの関係性についてもちょっと考えてみたい。

風葬の村

 バリと言えばフランス演劇界最大の異端児であり、残酷演劇の提唱者、泣く子も黙るアントナン・アルトーだ。

「バリ島の人々は、最も極端な厳密さをもって純粋演劇という観念を現実化している。そこではすべてが、発想も実現も、舞台上での客観化の度合いに応じてしか価値もないし、存在さえしない。バリ島の人々は、演出家の絶対的な優位と、その想像力が言葉を排除することを、誇らかに証明しているのである」(「バリ島の演劇について」『アントナン・アルトー著作集Ⅰ 演劇とその分身』(白水社)所収)

 そこまで言われたら、見に行かないわけには行かない。いったい、「純粋演劇」とは何なのだろうか?

 バリ島は特殊な島である。16世紀、ジャワ島にイスラム王国が建設された際、大量のヒンドゥー教徒が隣島であるバリ島に逃れてきた。そのため、国民の90%がイスラム教徒というインドネシアにあって、バリ島では、住民のほとんどがヒンドゥー教徒。「インドネシア人」よりも「バリ人」というアイデンティティのほうが強い。ただし、同じヒンドゥー教でもインドのように厳格なものではなく、カースト制度もゆるゆるなので、バリのヒンドゥー教は特に「バリヒンドゥー」と呼ばれている。

 カーストこそゆるいけれど、バリ人はとても信心深い。バリ島の町を歩くと、至るところに葉っぱでできた四角い皿の上に、花と線香が置かれたお供え物が嫌でも目に飛び込んでくる。これは、毎日神様に捧げるお供え物。多神教であるバリ島では、町のあちこちで神様に対する捧げ物が行われているのだ。田舎の農村だけでなく、都市部でも行われており、宗教と生活との密接な関係をうかがわせる。花びらを人差し指と中指ではさみ、聖水を振りかける所作は、それだけでもちょっとした美しさすら感じさせる。

【写真は、バリ島で。撮影=筆者 禁無断転載】

 バリ人の宗教観を支えているのは、日本でもおなじみの「輪廻転生」だ。けど、「なんとなくそうだったらいいな」という程度の日本人とは異なり、バリ人は半ば本気でその生まれ変わりを信じている。彼らは「私はひいおばあさんの生まれ変わりだ」「私の子どもは死んだおじいさんの生まれ変わりだ」と、ほとんど断定口調で自分が誰の生まれ変わりかを話している。その前世は、シャーマンのような人に見てもらって判明することもあるし、顔つきや性格が似ているからということで、家族内、近所の人々が決めていくこともある。

 輪廻転生がその基盤になっているから「死」に対する感覚も日本とはだいぶ違う。死は嘆き悲しむものではなく、受け入れるようなものである。映像で見せてもらった葬式の様子では、バリ人は夫婦や親子といった近親者以外が泣くことはなかった。参列する村人の顔からは、「次にどのような形で生まれ変わるのか?」という希望にあふれているようにすら感じられる。

 それがビビッドに感じられたのが、バリの原住民「バリアガ」の村、トルニャンだ。ここには、「風葬」という弔いの方法が残されている。文字通り、遺体を埋めることもせず、白骨化するまで風雨にさらす。たいへんな腐臭が辺りを覆いそうなものだが、香木のそばにあるので臭いはしない。柵を立てて、遺体を置いておく(安置するという感じはしない。放置しておくという言葉がぴったりだ)のだけど、湖のほとりの切り立った崖の一隅に作られたトルニャンの墓所は、決して広い場所ではないから、置ける遺体は5体程度。そこで、新たな死者が出て、その遺体が入ってくると、古い遺体を無造作に「どかす」のだ。墓所には、過去に葬られた人々の骨が散らばっている。輪廻転生をするから、もはや、遺体には何の価値もないというのが彼らの考え方なのだ。……とはいえ、雑すぎじゃないだろうか。遺骨を大事にする日本人は、大腿骨みたいな骨を踏んでちょっと不安になった。

生まれ変わりの儀式とゲンジェ

 バリでは、平日も土日も関係なく、至るところで祭りを開催している。石を投げれば祭りにあたるとは言いすぎだけど、車を走らせていると10分ごとに祭りをやっているのが見れるから、日本でコンビニを見かけるくらいには当たり前の風景だ。

 中でも印象深いのが、「生まれ変わり」の儀式。たまたまコーディネーターであるCさんの人の知り合いの親族が行うということで見せてもらった。コーディネーター氏曰く、「とても貴重な機会」ということ。

 バラモン(僧侶)階級の家で行われていた高僧になるための儀式は、これから高僧となる夫婦が一晩を部屋の中で過ごし、生まれ変わるというもの。家の敷地内にある「家族寺」の中で、親戚や近所の人々など100人以上に最後の別れを告げたり、儀式を行ったりする。泣きながら最期の別れを告げている人もいて、さながら本当の葬式のようだ。一方、家の敷地内、別の場所では、みんなでお菓子やら食事やらを飲んだり食べたりしている。特に、舞踊や囃子のようなものはなく、がやがやとただしゃべっているだけ。この辺りは、日本の法事に似ているかもしれない。何時間かした後、生まれ変わるための部屋の中に2人は入っていく。生まれ変わりの重要な儀式であるはずなのに、特に盛り上げることもなく、とてもあっさりと部屋の中に入ってしまった。

 そして翌朝、午前2時起きで彼らが出てくるのを見に行く。けど、とてつもなく眠い中ベッドを這い出て見に行ったのに、待てど暮らせど出てこない。ようやく出てきたのは日も昇りきった8時頃。しかも、またしても待った甲斐を感じさせないようなあっさりとした出現だ。普通もうちょっともったいぶるんじゃないかな、と思いつつ、車に乗り込んだ2人を追いかける。一晩かけて「生まれ変わった」2人は、近くの寺に移動し、再び、高僧から儀式を授けられる。ここでは、仮面劇やガムランの演奏などが催されており、ひどく賑やかな感じ。長老のような人から聖水を振りかけてもらったり、足で頭を踏まれたりする儀式などがなされる(これが、この儀式の一番の見どころらしい)。寺は、これぞ祭りといった祝祭感に包まれていた。晴れて、高僧として生まれ変わった夫婦は、本当に生まれ変わってしまったかのようにつるつるの肌をしている。今後、子どもですら、彼らを父親・母親と言ってはいけない。

 おそらく20歳くらいであろう、彼らの子どもと話していたのだが、「将来は両親のように高僧になりたい」と言っていたのが印象的だった。僕らからすると「伝統=しがらみ」と感じてしまうけど、彼らにとっては決してそういうことでもないらしい。

 また、東部にあるカランガッサム県という場所では、「ゲンジェ」と呼ばれる、もはや「芸能」というよりも「風習」と言ったほうがいいものも見た。それは、ただ、男たちが車座になって酒を飲みつつ、歌ったり踊ったりしちゃうというもの。ヤシの実で作ったどぶろくを持参して混ぜてもらったのだけど、一本の笛の伴奏で、参加した男たちは伝統なのかそうじゃないのか分からないような歌を合唱+合いの手を入れる。ちょっとしたカリスマみたいな主宰者のおじさんはテンションが非常に高く、やけに声がでかい。サビの部分では、必ず立ち上がり、まるでジェコ・シオンポ(インドネシア人の振付家)みたいな動物系のダンスを踊る。

【写真は、高僧になる儀式(上)と、ゲンジェ(下)撮影=筆者 禁無断転載】

 日本で出会ったら、まず同じテーブルには着きたくないマッチョなタイプの人だけど、ここはバリであり、こちらは好んでゲンジェを見せてくれと言っている立場なので、そんなことは言っていられない。飲め飲めと飲めない酒を勧められながら、したたかに酔いが回ってくると、だんだんと国道沿いの倉庫みたいな場所で行われているゲンジェの空間が心地よくなってきて、少しずつ彼らとチューニングが合ってくる。いつしか、簡単な合いの手を合唱し、汗まみれの上半身裸の男たちと抱き合うほどには分かり合っていた。彼ら共同体の中心には歌がある。けど、日本人にはそういう歌はなくなってしまっている。

「タクスゥ」という本質

 バリ人の生活には、バリ・ヒンドゥーという宗教と、ゲンジェのような村の共同体が密接な関わりを持っている。21世紀の現在、バリ人はスクーターを乗り回し、スマホを使いこなしているけれども、祭りや儀式がいまだにリアリティを持って執り行われるのは、この2つがとても大きい要因を占めている。けれども、そんな「素朴さ」だけでは語れないのがバリの面白いところだ。前述の通り、300万人もの外国人観光客が来訪する観光地なのである。

 1930年代、オランダの植民地となったバリには、欧米各国から観光客が相次いだ。東南アジアの島に、自分たち文脈とは全く異なる文化が根付いているのを見て、西洋人がオリエンタリズムを掻き立てられたのは想像に難くない。そして、そんな観光客たちの影響を受けながら、バリ人は外国人のお気に召すように、自らの芸能をアレンジしていったのだ。今でこそバリ島を代表する芸能とされる「ケチャ」も、元々は土着芸能に感銘を受けたドイツ人が「演出」した芸能。ケチャ以外の芸能も、上演時間が短縮されたり、ストーリーにアレンジが加えられたりと、より外国人に対応するように変化している。現在も、バリ芸能の中心地であるウブドという街では、観光客に向けた興行が毎晩行われている。決して、伝統芸能として「純粋培養」されてきたわけではない。

 例えば、僕らがウブドで見たケチャは、火の玉サッカーをしたり、火の上を歩いたりと、まるで電撃ネットワークのような、まじめに言うと、「土人性」を強調した舞台だった。またいくつか見た「ジャンゲール」という舞踊は、もともと来賓を歓待する踊りだったものだが、(金を持っている)外人観光客を喜ばせようという魂胆が透けて見えるようなものもあった。もちろん、そういうものばかりではなく、宗教的に誠実に取り組んでいる芸能も多いし、前述の「高僧になる儀式」のようなインナーサークルで行われる祭りでは、外国人の目など気にすることはない。

 だが、それらのどちらも「バリの民俗芸能」なのだ。

 そして、それらをつなぎとめているのが、バリ島の芸能者にとって最も重要な「タクスゥ」という概念。微細なニュアンスまでは分からないが、おおまかに言えば「徳」とか「魂」のようなものだろう。彼らにとって、芸能とは神様に対する捧げものであり、観光客が喜ぶのは二の次(あくまで建前上かもしれないけど)。「タクスゥ」が基底にあることで、彼らは芸能の本質のようなものを掴み続けることができている。

ワヤンクリ

 少し、バリを離れて日本について考える。

 日本には「芸能」と「芸術」という2つのジャンルがある。よく考えたら、これはとても変なことだ。同じような舞台芸術作品なのに、あたかも全くの別ジャンルのように取り扱われている。これらを分け隔てるのは「日本っぽさ(土着性)」や「歴史(時間性)」の有無だ。

 明治近代の輸入概念である「芸術」は、時間や土地と切り離された普遍的なものと考えられている。だから、金を払えばどんなアイデンティティを持つ人が見てもいいし、どんな人が上演してもいい。端的に言って、とても自由なジャンルだ。一方、「芸能」はどうか? そこには受け継がれた「伝統」とか、その土地の特定の人しか上演することができないといった不条理にも感じられる規律がある。けれども、では本当に芸術が「自由」で「普遍的」、芸能が「不自由」で「限定的」なのかと検討してみると、ちょっとそれは違うんじゃないかと考えている。少なくとも、パフォーミングアートが複製芸術ではなく「今、ここ」である限り、「今」と「ここ」のローカリティを前提とせざるを得ず、それは「自由」でも「普遍的」でもない。

 そういった「近代」の枠組みでは、捉えきれないパフォーミングアートとは何なのか? を、バリや日本国内の芸能を見ながら考えている。とはいえ、「反近代だ!」と息巻いても仕方がない。僕らは紛れもなく近代国家の枠組みの中で育ち、近代の教育を得ている。この近代的な身体に嘘をついても仕方がない。

【写真はともに、影絵芝居「ワヤンクリ」上映風景。撮影=筆者 禁無断転載】

 前述のように、バリ島はオランダによって植民地とされた。それは、領土としてだけではなく、その芸能も西洋近代の要請によって「植民地化」されようとした。けれども、彼らはしたたかにその「近代」を受け入れていくことで、彼らの文化を守りぬいた。けれども、日本人はそんなしたたかさを持っていなかった。僕らは、「芸能」と「芸術」を厳密に区分することによって「前近代」と「近代」を分離させ、その交流を断ち切ってしまう。その結果、植民地化を免れたというのはとてつもなく大きな功績だけど、まるで西洋人であるかのようにダンスや演劇をつくったり、生活をしなきゃならなくなった。

 バリで、「ワヤンクリ」という影絵芝居を見た。

 キンタマーニ高原という、珍名マニアなら知らない人がいない場所にある小さな村では、火葬の前の晩に「ワヤンクリ」を上演する(バリでは、死んでからしばらく土葬して、金が貯まってから豪華な火葬をするのが一般的だ)。そこでは、葬式で使用される聖水をつくるために、そのワヤンクリが演じられている。影絵人形で神話を上演することによって、その聖性を人形に乗り移らせる。この人形で水をかき回せば、聖性が宿るという理屈だ。

 子どもから大人まで、50人くらいはいただろうか。多分、「桃太郎」程度に、ストーリーを知っているはずなのに、影絵芝居師が演じるラーマヤーナ物語を、みんながこれでもかというくらい爆笑しながら見ていた。スマホをいじりながら、途中、寝落ちしてしまいながら、その村の中心には確かに物語が存在していた。

 すると、どうだろう。なんだか、周囲の人から、人格が剥奪され、幽霊が周りにいるような変な気分になった。それは全然オカルトめいた話じゃなく、単純にこのラーマヤナ物語を中心軸として祖先から孫子の代までつながっているという意味なんだけど、そんな空間の広がりを生み出す効果が、この芸能にはあったような気がしてならない。そこに、僕はアルトーの言うのとは違うけれども、「純粋演劇」のようなものを感じたのだ。

 主に「劇場」で「芸術」の「作品」をつくる僕らは、そのコンテンツを研ぎ澄ますことに腐心してきた。けれども、その芸術がどんな空間を広げていく可能性を持っているかについては、ほとんど一顧だにしてこなかった。

【筆者略歴】
萩原雄太(はぎわら・ゆうた)
 1983年、茨城県生まれ。劇作家・演出家・フリーライター。2007年、演劇カンパニー「かもめマシーン」を旗揚げ。主な作品に愛知県文化振興事業団主催の「第13回AAF戯曲賞」を受賞した『パブリックイメージリミテッド』、STスポット共催の『スタイルカウンシル』、『ニューオーダー』など。2011年、福島県双葉郡の路上で上演した『福島でゴドーを待ちながら』は、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙や、イタリア・ローマ演劇記念館の『Waiting for godot today?』、早稲田大学演劇博物館『サミュエル・ベケット展 ―ドアはわからないくらいに開いている』にて紹介される。

 


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