◎忘れえぬ「時」が来て「作品」を生きる 公演史・劇団史・個人史の交点で
-三条会版「失われた時を求めて」の解説にかえて
後藤隆基
そしてある日、すべてが変わる――。
三条会の「失われた時を求めて~第7のコース『見出された時』~」は、こんな言葉で幕をあけた。公演からひと月が経った今なお、この一言のはらむ〈意味〉が、これほど重く感じられるとは予想もしなかった。もちろんその〈意味〉とは、原作小説の解釈などではなく、舞台をみている自分が勝手に付与していたものなのだけれど、この「ある日、すべてが変わ」ってしまうということは、三条会アトリエにいた誰もが共有しえた感覚だったのではないだろうか。もしかするとそれは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』とはまったく関わりのない価値観である。けれども、三条会の「失われた時を求めて」にとっては、欠くべからざる価値観であったようにも思われる。とすると、それは同時に、三条会を媒介として、私たちがプルーストとつながりうる瞬間であったかもしれないのだ。
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ある演劇人の名前がアチラコチラで目につく年がある。その意味で2008年は、じつにマキノノゾミの一年だった、といっても過言ではないだろう。
ここに一枚の地図がある。右上に大きく「道のり」と印刷された地図には「千葉公園内特設三条会劇場」までのモデルコースが三種ほど記されていて、たとえばJR千葉駅西口からの最短距離を急ぐのもよし、東口から緑の歩道をたどってみたり、あるいは快速の止らぬ西千葉駅で下りて一寸のんびり歩いたっていい。むろん以外のルートをさがしてみても一向かまわないのである。特設三条会劇場にいたる「観客の散歩道」はそのまま千葉という都市の描写であり、地図を手に歩くわたしたちは仕掛けられた前提をたどりながら劇場へと向かうだろう。それはもう、観客が「三条会の『レミング~世界の涯てへ連れてって~』」と出会うための〈第一場〉なのだった。