劇団チョコレートケーキ「サラエヴォの黒い手」

◎歴史に向き合う自然な演技
 (鼎談)芦沢みどり(戯曲翻訳)、チンツィア・コデン(演劇研究)、北嶋孝(編集部)

「サラエヴォの黒い手」公演チラシ
「サラエヴォの黒い手」公演チラシ

北嶋 今年は第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォ事件からちょうど100年になります。1914年6月28日、当時オーストリア=ハンガリー帝国に併合されていたボスニアの都市サラエヴォで、オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されました。犯行グループの青年たちをセルビアが支援したとみたオーストリアは7月28日に宣戦布告。それがドイツやロシア、フランス、イギリスなどを巻き込んだ戦争に発展しました。
 劇団チョコレートケーキの「サラエヴォの黒い手」公演はこの史実に正面から取り組みました。過去の公演では、第一次世界大戦後から第二次大戦にかけて、主にドイツで起きた歴史にスポットを当てた舞台が続いていました。今回はその源流をたどる趣もあります。
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SCOT「演劇人のための鈴木教室」

◎雑感:鈴木教室に参加してみた
 危口統之

 昨年12月、劇団SCOTによる「吉祥寺シアター公演と演劇人のための鈴木教室」が行われました。この鈴木教室とは「演出家・鈴木忠志が、将来のリーダーを目指す若い演劇人のために、『シンデレラ』の舞台稽古を見せながら、演出論、演技論について受講者と対話する企画」というもの。さらに今年2月にはSCOTの本拠地、富山県利賀村でその続きが行われました。そこに参加した、悪魔のしるし主宰・危口統之さんの報告記です。(編集部)

 ネットで開催の報を知り気になってはいたが最終的には友人からの勧めがダメ押しとなって参加することになったのが去年の師走で、すっかり時間が経ってしまったせいで、このときの自分が何を考えていたのかはもう思い出せない。何も考えていなかったのかもしれない。今となってはただ、参加したという事実があるのみである。吉祥寺シアターでの一連のレクチャーを終えたあと懇親会の場でいろんな人から「参加してよかったか」と訊かれ、そのときは勿論と答えたが、別に良い悪いで判断することでもないと思う。ところで藤子不二雄A氏はかつて大山倍達のもとで空手を学んだこともあったそうだ。
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文学座アトリエの会「信じる機械-The Faith Machine-」

◎人間はどのような機械なのか。
 北野雅弘

「信じる機械」公演チラシ
「信じる機械」公演チラシ

 『信じる機械』の作者アレクシ・ケイ・キャンベルはゲイであることをオープンにしている劇作家で、TPTが2011年に上演したデビュー作の『プライド』も、現在と50年前を対比することで、社会的偏見がどれほどゲイのアイデンティティを歪め苦しめていたのかを描いていた。今回は、ゲイ排斥を確認したイギリス聖公会のランベス主教会議が話題に出てくるし、魅力的なゲイが描かれるのだけれど、この作品の「人間とは何か?」というテーマは社会的というよりはむしろ哲学的だ。

 冒頭の場面は2001年9月11日のニューヨーク。911の直前の設定である。床一面に雑誌などのページが隙間なくまき散らされ、奥には戸口を塞ぐようにうずたかく積み上げられた舞台(美術:乗峯雅寛)が印象的だ。場面が変わってもこの印刷物のセットは変わらないので、それが登場人物には見えないことが分かる。そこに諍いのただ中にあるソフィとトムのカップルと、ソフィの父親エドワードが登場する。エドワードも、まき散らされた雑誌と同様、ソフィたちには見えていない。もう死んでいるのだから。
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DULL-COLORED POP「アクアリウム」

◎1982年生まれのレイアウト水槽
 小泉うめ

「アクアリウム」公演チラシ
「アクアリウム」公演チラシ

 1997年「神戸連続児童殺傷事件」(当時14歳)、2000年「西鉄バスジャック事件」「岡山金属バット母親殺人事件」(当時17歳)、2008年「秋葉原通り魔事件」(当時25歳)、2010年「取手駅通り魔事件」(当時27歳)、これらの事件の犯人は、いずれも「1982年度生まれ」という共通点を持っている。
 更に2013年に「パソコン遠隔操作ウィルス事件」(31歳)が起こり、再び世間を騒がせた。この事件では、容疑者が「1982年生まれ」が大きな犯罪を起こし続けてきたことを意識していたとも供述している。
 DULL-COLORED POP主宰・谷賢一は、これらの事件の犯人とされる者たちと同じ「1982年生まれ」である。

 決して、約150万人いる1982年生まれの全てがそうだということではない。だが、世間は継続して彼らを「キレる世代」と評してステレオタイプ化して扱ってきた。
 この作品で表現されたのは、それらの事件の犯人の異常性ではなくて、むしろそのような犯人と同類として括られて見られた者たちの心に生じた苛立ちと、同時に「ひょっとしたら自分もそうかもしれない」という自己への疑いである。
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劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン」

◎物語のけじめと感動する責任
 金塚さくら

劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ
劇団東京乾電池「そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜」チラシ

 木が一本立っている。骨ばって寒々しい、いかにもゴドーを待ちそうな木だ。ほとんど枯れたような枝に、申し訳ばかり三枚の葉がへばりついているが、この葉も開幕十秒ですべて風に吹き飛ばされて、物語の間中、木は丸裸のまま観客にさらされる。

 東京乾電池公演『そして誰もいなくなった〜ゴドーを待つ十人のインディアン〜』の会場にて、舞台上に立つこの木を目にし、「いかにもゴドーを待ちそうだ」と思った瞬間はたと、私は自分がこれまでに一度も『ゴドーを待ちながら』の舞台を観たことがなく、あまつさえ戯曲すら読んだことがなかったのだという事実に気がついたのだった。
 さらに言うと、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』は確かにかつて読んだはずだが、マザーグースの『十人のインディアン』の歌詞に見立てた連続殺人、という以上のディティールを問われると目が宙を泳ぐ。関係者全員が犯人——だったのは何か急行列車の話のはずだ。
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連載「もう一度見たい舞台」第5回

◎演劇集団キャラメルボックス「スキップ」
 片山幹生

 2003年の9月末、フランスに留学中だった私は心筋梗塞で入院し、手術を受けた。フランスの大学で博士課程の一年目に取得可能な学位であるDEA(専門研究課程修了証書)の論文を提出した直後だった。学位取得後、この年の12月に帰国。医学的他覚所見では順調に回復していると医者からは言われていたのだが、30代なかばで思いもよらぬ大病に襲われたショックは、自分が思っていた以上に心身に大きなダメージをもたらしていたのか、結局、一年間ぐらいは体調が思わしくなく、外出もままならぬ状態が続いた。
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流山児★事務所+楽塾「寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~」

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「寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~」公演チラシ

◎おばさまたちの「女の平和」
 北野雅弘
  
 流山児★事務所と、流山児が塾頭を務める「楽塾」の合同公演、『寺山修司の『女の平和』~不思議な国のエロス~』を見た。小屋は彼らの本拠であるSpace早稲田だ。「楽塾」は流山児が1998年に、同世代の普通の人々と一緒に演劇を作りたくなって、地域の人々に呼びかけて作った劇団で、今回は平均年齢六十代の「楽塾」の「普通のおばさん女優」(パンフ)たちに流山児★事務所の俳優たちが絡む。
 
 『女の平和』は、紀元前411年、スパルタとのペロポネソス戦争の末期に、多くの犠牲者を出し、敗北の予感が立ちこめていたアテネでアリストファネスが上演した喜劇だ。そこでは戦争を止めさせたい女たちが、アクロポリスの城壁内に立てこもり、セックスストライキをする。男たちは城壁への突撃を試み、また、女たちの説得のために手だてを尽くすが、結局は性欲に打ち勝てず、女たちの要求をのみ、最後はスパルタとの和平と平和の祝祭で終わる。
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春秋座サバイバーズ「レジェンド・オブ・LIVE」

◎演出家杉原邦生、市民参加型公演作品の深化、進展
 カトリヒデトシ

legend_of_liveチラシ 杉原邦生とのつきあいもそこそこ長くなってきた。
 最初は2009年4月にこまばアゴラ劇場で行われた1982年生まれの演出家5人と1984年生まれ1人が、それぞれの新作を発表した企画「キレなかった14才 りたーんず」だった。宮沢章夫『14歳の国』を演出した。それ以来折りにつけみている。自分の企画「カトリ企画UR4『文科系体育会』」の演出も12年にお願いした。そんな近しい関係であることを始めに明記してこのレビューを記す。

 今回は3月22日〜23日に京都芸術劇場春秋座で上演された「演じるシニア企画2013」の作品制作である『レジェンド・オブ・LIVE』を見た。
 杉原はここ4年ほど、一般に募集した人を集め、ワークショップを重ね、最後に作品を発表するという企画を続けている。その取り組みに以前から注目してきた。
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きたまり+NPO法人Offsite Dance Project「RE/PLAY(DANCE Edit.)」

◎演劇とダンスと人生−多田淳之介演出「RE/PLAY(DANCE Edit.)」をめぐって
 木村覚

フライヤーデザイン:加藤和也
フライヤーデザイン:加藤和也

 例えるなら、魚を水槽に放ったとして、その水槽と魚の関係がこの作品における演劇とダンス(ダンサー)の関係であった。多田淳之介の『RE/PLAY(DANCE Edit.)』は見終わった瞬間、いや見ている間も、非常に挑戦的な、ゆえに考察するに値する作品だとぼくの目に映った。演劇がダンスを取り込む。それは昔から行われてきたことではある。幕間で役者たちが踊るなんて使い方はかねてからありふれていたが、岡田利規が登場して、その独特な台詞回しのみならず役者たちの奇妙な身体運動に注目が集まり、果てはコンテンポラリー・ダンスの一大イベント、トヨタ・コレオグラフィーアワード(2005)に出場するなんてことが起きてからというもの、演劇とダンスは別物と考える思考は明らかに「古く」なった。
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板橋駿谷一人芝居「俺の歴史」

◎スピード感とリズム感のある心地よい作品
 カトリヒデトシ

【「俺の歴史」公演から。撮影=橋本倫史】
【「俺の歴史」公演から。撮影=橋本倫史】

 板橋駿谷を初めて見たのは、2009年2月の劇団掘出者第6回公演「誰」@サンモールスタジオであった( 因幡屋さんのレビュー)。「誰」は第15回劇作家協会新人戯曲賞最終候補にノミネート。その後、2010年には劇団昴(ザ・サード・ステージLABO公演)でも上演された。
 板橋とは以来のつきあいである。彼にはカトリ企画UR第2回「溶けるカフカ」と第4回「文化系体育会」とに出演してもらっている。その彼の作品を評するのは、ある種身贔屓の誹りを免れないのだが、その実力を評価し、ともに作品づくりをしたからこそ、彼の良さもダメさもよく知っている。そしてそんな関係の私でも今回の作品については書きたいと思った。

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