春秋座サバイバーズ「レジェンド・オブ・LIVE」

◎演出家杉原邦生、市民参加型公演作品の深化、進展
 カトリヒデトシ

legend_of_liveチラシ 杉原邦生とのつきあいもそこそこ長くなってきた。
 最初は2009年4月にこまばアゴラ劇場で行われた1982年生まれの演出家5人と1984年生まれ1人が、それぞれの新作を発表した企画「キレなかった14才 りたーんず」だった。宮沢章夫『14歳の国』を演出した。それ以来折りにつけみている。自分の企画「カトリ企画UR4『文科系体育会』」の演出も12年にお願いした。そんな近しい関係であることを始めに明記してこのレビューを記す。

 今回は3月22日〜23日に京都芸術劇場春秋座で上演された「演じるシニア企画2013」の作品制作である『レジェンド・オブ・LIVE』を見た。
 杉原はここ4年ほど、一般に募集した人を集め、ワークショップを重ね、最後に作品を発表するという企画を続けている。その取り組みに以前から注目してきた。

 そのようなワークショップ公演の記録を聞いた。

【2010年9月】
こまばアゴラ劇場〈夏のサミット2010〉
KUNIO07『文化祭

【2010年10月】
KYOTO EXPERIMENT 2010フリンジ “HAPPLAY”
杉原邦生『文化祭 in KYOTO

【2012年2月】
実践ステージクリエーター養成講座・舞台発表公演(市民参加型)
舞鶴ボンバーズ『MYヅル青春なう

【2012年11月】
愛知芸術文化センター 開館20周年記念 パフォーミングアーツ公演
金の文化祭 in AICHI 〜Golden Anniversary〜

 また、それとは別に2010年3月には今回の先行作となるシニア世代とのダンス作品も作った。舞台芸術フェスティバル〈冬のサミット2009〉での『青春60デモ』である。アトリエ春風舎でのその作品は公募に応じたシニア三人にヒップホップダンスを踊ってもらい、脇を若いダンサーたちが固めるという趣向で、前後に出演のシニアたちの初恋や人生のシーンを織り込むというものだった。私が見た回では舞台の最後に演者たちが「一緒に踊ろう!」と声をかけると客のほぼ全員が舞台上で踊るという祝祭空間も出現した。

 さて、今回の「演じるシニア企画」は2013年に京都造形芸術大学が、“春秋座の舞台に立つ”を目標に舞台経験を問わず、60才以上の一般の方を公募したものだ。そこに応募した人たちは昨夏から毎月1回のワークショップを重ね半年以上を費やした。講師は元東宝プロデューサーの橘市郎や、照明家岩村原太、ティーファクトリー主宰の劇作家・演出家川村毅、能楽師河村博重、ダンサー・コレオグラファー山田せつ子といった京都造形芸術大学の教授、客員教授、講師ら舞台芸術のさまざまな分野のエキスパートである。うらやましいほどの指導者によるワークショップで舞台について学んだ後。目標である舞台作品の創作を担当したのが卒業生である杉原邦生であった。

 公演前の演出家のコメントに「春秋座サバイバーズにはカッコいい人たちしかいない。/僕はそう思っています。だって、60歳を過ぎてもなお、新しいことに挑戦していこうとする人たちの集まりだから。」またハンデや不安を抱えながらも参加者は「全部取っ払って、とにかく、新しい場へ飛び込んでいく。そういう人たちの姿を、僕はただ素直にカッコいいと思う。」とあった。だから参加した30名のシニアたちを杉原は「春秋座サバイバーズ」と名付けまとめあげた。

 京都造形芸術大の春秋座は先代の市川猿之助が教授だったころに完成した、大きなプロセニアムを持ち、固定花道、廻り盆が設置された本格的な大劇場である。「宙乗り」までもができるのである。杉原はここで初演出の teuto vol.2『アドア』以来、学生(院生)時代に3回、通算6回も作品を発表しているそうである。恵まれた経験をもっている。その経験を援用して、冒頭から花道を使い、宙乗りを見せ、盆を回す。本領発揮である。廻り舞台に合わせてセリの種類を紹介し、「現在の速度は時速1.27㎞1周を約122秒で回っており、消費電力は24kwでございます」というアナウンスまでもが流れたりする。

 杉原本人がおしゃれな長身のイケメンであるだけでなく、杉原作品をご覧になったことがあればおわかりかと思うが、作品もまさに青春の賛歌に満ち、エネルギーに溢れている。そこには全方位的に明るく、生気が横溢している。鬱屈し悩み、一方自己肯定されたくて仕方がないというような若者にありがちな内向性や厭世感は一切ない。
 見た人を幸せな気分にしてくれる作品を作るのが杉原である。エンターテイメントというだけでなく、人を笑顔にさせる喜びに満ちている。先ほど紹介した『青春60デモ』の様に人を乗せ、人を夢中にさせ、みなが喜びながら参加してしまうような作品を作ることを得意としているのだ。それは杉原本人が屈託のない純粋な人間であることに基づいている。

 しかし、創作の局面ではそういう「純粋さ=単純さ」は敬遠されることも多い。人間は複雑な生き物なのだからそんなに単純には割り切れないという見解に基づくからである。単純は時にバカっぽく見えるし、時に純粋は無遠慮に陥る。また、その無遠慮は時に暴力的な振る舞いに写ることすらある。育ちの良さや無限定な明るさが、それですべてがOKとはならず、引き起こされた無神経が、人を傷つけることもあるかもしれない。

 私がかつてとても嫌だったシーンがある。京都の『文化祭inKYOTO』で、小学生のグループ風景を描写する場面でのことである。男子が集団で特定の女子の容姿、あるいはちょっと独特な彼女の反応をことさらにあげつらって、からかい、差別的な用語ではやし立てるシーンがあった。ただの小学生のいじめであった。こういう純粋とはかけ離れてしまう、無神経のなせる業、配慮に欠ける創作を苦々しく思ったのである。

 たとえば、一般論としていうが、私は演技としてエキセントリックなものを要求された時、身体にハンディのある人のような振る舞いをすることに大きな抵抗を持っている。痙攣したり、傾いだり、わざとバランスを崩した動きでもって「普通でないもの」で表象するのは安易過ぎると感じるのと同時に「生」に対する配慮にかける無意識に辟易とするのだ。
 単純すぎる解釈であるというだけでなく、「普通と特殊」という普通あまり認識されないからこそ余計慎重にとりあつかわねばならないナーバスで、襟を正すべきである繊細な領域に対する想像力のなさが露呈してしまうからである。過剰に反応しているのかもしれないのだが。私の神経を逆撫でする。無神経、配慮のなさは創作の敵であると思っている。

 だから溌剌としたエネルギーがみなぎり、明朗快活な彼が今回シニア世代という個々の背景も経歴も境遇も異なる30人とどのように出会い、作品を築くのだろうか、いつもの彼の作品のように周りすべてを幸せにすることができるだろうか、と多少の懸念を感じて臨んでいたのは否めない。シニアという「老い」の世代とどのように向き合ったのか? いつも各地各機会で参加者たちとhappyな世界を作り、生き生きと活動させた舞台を作った実践してきた杉原は今回どの様な作品を作ったのだろうか。

 この何十年の間長く消費社会や社会の動向の中での流行やトレンドというものが若者中心に行われ、若くなくなっていくこと老いることが「かっこのわるいこと」であり、「イケていないこと」だという間違った考えが主流を占めてきた。人口比率だけでの判定とはいえ、また少子化と背中合わせのことがらでもあるが2007年に日本は65歳以上の老年人口が21.5%を超え、「超高齢社会」となった。その中で老いていくことが決して「リタイア」で社会から引退することではなく、シニアたちの経験値や思慮、さらには苦しみといったことを社会活動に還元しなければ若者たちが減少する未来に社会、文化の担い手がいなってしまう。また、演劇に限っても若年層の減少は作る方も見る方も減少し、衰退していくだろうことが自明である中でシニア層を巻き込んでいくことは喫緊の策でもある。

 今回の公演には開演前に既にいくつかの仕掛けが仕組まれていた。また、見ている最中には気付きようもない最後の仕掛けにいたっては上演終了後2週間たった4月 9日になって明かされた。
 それは公演スタッフが運営する「レジェンド」のブログで最後の種明かしがされたのだ。
 今回はチラシにも出演者全員の写真が掲載され笑みを浮かべたシニアたちが紹介されていた。しかし、そこには二人の出演者の名前が公表されていなかったのである。ブログには「舞台の演出上出演者であることを伏せるため」とある。なぜこの二人の名前、つまり出演は隠されねばならなかったのか。
 実はこの二人こそがこの作品の重要な筋を担当していたからであることは最後までお読みいただければ分かっていただけるだろう。

 開場から開演までの間にも二つの仕掛けがあった。
 開場中から緞帳があげられ、立て込みのない舞台が見える。舞台上手奥の搬入口はあけられそこには舞台のスタッフたちがおのおのくつろぎ、来る本番に備える様子が見える。スタッフルームだろうか。いるのは大道具さんや舞台監督だろうか。声は聞こえない。見えるのはくつろぐ姿で笑い交わしたりしている様子である。
 舞台上は照明や幕などを吊ったバトンがすべておろされている。舞台面は見えない。
 すると下がっていたバトンが間隔をおいてひとつずつあがっていく。
 「1ベル」(開演5分前)までにはすべてのバトンがあがる。控え室にいたスタッフたちもゆっくりと舞台上を片付け始める。
 そこはなんの装置もない空の舞台面。大きな舞台だけに寂寥感すら漂う。舞台面のがらんとした空間にはパイロンとコーンバーで囲われているところがある。通常それは舞台の使用がない時に、セリの位置をしめして、安全対策とする処置である。スタッフがパイロンとバーを片付ける。これで舞台の上にはなにもなくなった。

 開場時に舞台上にバトンが下ろされていて、それが間隔をおいて上がっていくというのはF/T09春での飴屋法水演出『転校生』での記憶が鮮明だ。開場とともに場内にはNTTの時報がながれ、舞台上の機材を吊ったままさげられているバトンが一つ一つあがっていく。そこにはひな壇と誰もが知る学校用椅子が並べられていた。
 そこから18人の女子高校生によるクラスルームの作品が始まるのである。時報、スライドとともに緊張感、臨場感が高まる演出であった。時報が正時を打つとともに開演する『転校生』は印象的だった。

 しかし、今回はそういうなんらかの明確な狙いを感じさせるようなものはない。淡淡と開演までの時間が経っていく。大きな歌舞伎小屋である春秋座は開演前の客席という、いいようのない高揚感やさざめきを減じることもない。このがらんとした「空間」こそがこの作品の意図のひとつであることに気付いたのはすべて見終わって、この原稿を書き始めてからである。

 もう一つの仕掛け。
 開場時、下手側通路を行き来する老女がいる。800を超えるキャパシティを誇る劇場なので開場前の客の動きがかなりある中で彼女に気づかないのは普通だろう。皆が指定席に急ぐ中、ことさらにゆっくり歩く。そして舞台前の椅子に座りこんでしまい係員にうながされている彼女に私は気をとめた。場内の係員は座席に導こうとするが老女は意に介さず再び歩み始める。やがて彼女はまた階段に座る。歩みよる劇場係員が「座席はどちらですか」であるとか、「チケットを確認させていただけますか」とか話しかけている。彼女は係員のことばを全く聞かず、開演間際にはとうとう舞台上に上がってしまう。この辺りで彼女が演者であることに気付く人もいただろう。舞台監督と覚しき人が飛び出してきて「お席に戻りましょう」と説得する。手間取るのを見て演出家自身も現れ、客席に開演の遅延をわび、上演の進行に支障がないように、事態を収めようとするのである。

 私はここでちょっと嫌な感じになった。「徘徊老人」はまずかろう。と。今回の企画では素人であるシニアが舞台にたつというのが眼目だがその当人たちが「老人」を演じる必要はない。わざわざ配慮を必要とすべきことを取り上げる必要があるのか、私は疑問に感じた。

 老女は舞台上で舞台から下ろそうとするスタッフと少しもみ合う。「お席に戻りましょう」とスタッフ。
 「いやーーー!!」と彼女が絶叫した瞬間、動きが静止し、爆音でダンスミュージックがかかり、お盆(廻り舞台)が動き出す。”LIVE”という文字が電飾で浮かび上がる。
 そこで一気に舞台が立ちあがる。オープニングである。
 この派手な転換と導入は杉原の真骨頂だ。

 登場人物がお盆の周囲に現れ、するとスタッフだと思っていた男が見えなくなり、老女が一人でお盆の上にたたずむ。直後、スタッフの衣装から着替えた男が「宙乗り」して空間に引き上げられる。男は「おーーーい!」と空中で呼びかける。誰への呼びかけだったのか? この女性とこの男性、二人の名前が公演後しばらく経るまで伏せられていたのは、決してここまでのオープニングの一連を偶発的に起こったことのように見せたかったというばかりではなかったことを述べておく。

 空中まで使うことにより、観客にこの作品では「大きな空間」が必要なのだということの手がかりが示されるのである。開場時にバトンが降り、それが徐々に上げられていくのも劇場の天井の高さと場内の広さを感じ取らせておくものだった。またあえてがらんとした舞台にすることにより演者たちは舞台に剥き身で晒される。巨大な舞台上に「老いた身体」を隠すことなく晒すのは演者、観客双方にこれからおこることがシニアたちの「挑戦=サバイブ」であることを予感させるのである。

 舞台は9つほどの場面にわけられ演者たちはそれぞれのパートを任されている。
 始まりは登山服を着た老女二人が下手奥の扉を開け、バックライトで暗い舞台をのぞき込むところからである。覗くという行為は「見るなのタブー」を犯す行為で相手の正体や隠されていた真実を露わにしてしまう。パンドラ、オルフェウス、プシュケー、イザナミ、スサノオ、鶴の恩返し、源氏物語の垣間見までをいれれば、枚挙にいとまのない侵犯と越境の行為である。老女たちが越境し、「大きな空間」に入り込んでくるところから始まるのである。後から思い直せばここからシニアたちが折々に実感している「死」という世界との邂逅を示していたといえる。

【写真は「レジェンド・オブ・LIVE」公演から。撮影=清水俊洋 提供=京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 禁無断転載】

 次にはブレヒトの「肝っ玉おっかあとその子どもたち」を彷彿とさせるリアカーを引く「コーラ女」と「コーラ息子」と呼ばれるコーラ売りの親子が現れる。このあたりからサバイバーズたちのご本人の過去の記憶や趣味特技がエピソードに反映されていくようになる。コーラに対するこだわり、都市伝説は昭和30年代風である。
 中学生の合唱の練習と女子の初恋の思い出。このシーンの最後は皆でのAKBの群舞で終わる。フロントラインにはかなり上手いメンバーを揃え、後ろに行くにしたがって、さほどでもなくなっていく。配列に神経がくばられている。
 車いすの祖母をつれた母息子の散歩のシークエンス。ここでもおかしみをいれつつ、文句を言い合いながらも信頼しあう、家族が描かれる。

 間に挟まれるシーンで、ようやく冒頭の老女とスタッフ風の男の二人が夫婦であったことが示され、また舞台の掃除人たちとのやりとりで夫はすでに鬼籍に入っていることが分かるようになる。元夫は死んだことが認識できず彷徨っていたのであり、女性の徘徊は亡き夫を慕い求めていたものだった。「追想と恋慕」こそが生前夫婦だった二人をそれぞれに歩ませ、さまよわせていたのである。

【写真は「レジェンド・オブ・LIVE」公演から。撮影=清水俊洋 提供=京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 禁無断転載】
【写真は「レジェンド・オブ・LIVE」公演から。撮影=清水俊洋 提供=京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 禁無断転載】

 その後、プロポーズや家庭の荒廃などのシークエンスを通して紡がれていくのは、幸せなことばかりがあったわけでないシニアたちの人生の長さである。けれどその膨大な時間の経過こそが「生きてきたこと」であり、時間の「堆積」こそが人を構成しているのだという認識につながっていく。世間は広い、宇宙のように広い、一人一人が生きてきた世界は何も置かれていない舞台のようにがらんと広いのである。でもそこには数しれぬいきさつがあり、思い出がある。

 終末近くさまよう老女は自分が追い求めたのが亡夫であることを自覚し、その自分が義理の娘たちに探され心配されていたことを知る。彼女自身が属しているのが、今はまだ現世であり、夫とはまだ異なる世界にいることを認識する。彼女は生きている。

 シニアたちの、決して幸福なことばかりじゃなかった、年を取るのは辛いこともあるよという掛け値なしの本音に向き合い、「老いること」の真の姿に杉原は出会った。それは口を開けば「happy!」といい、なにかと言うと「青春」と言ってきた彼にとって見たことのない世界の広がりであったことは想像できる。その上で彼はシニアと、いつもとは同じではないがこれもまたhappyな世界を作り、生き生きとした舞台をつくった。それは今までのワークショップから得た経験で手慣れた風に作品をつくるというものではなかった。そこには「老い」というものに真摯に対面する気概があった。老いた彼ら彼女らにエールを送り、そして感謝を捧げることをした。そこに生きることへ厳粛な気持ちで頭を垂れる普遍的な姿がある。

 30歳を超えた杉原はシニアと過ごした時間によって、「老いること」という逃れられない宿命に向き合うことに至った。そこで彼は持ち前の正しさ、素直さで「老い」というものをすべて包容し、参加したシニア30名全員を抱擁した。それができたのは彼の優しさからだけではない。彼の「全てを肯定する強い力」の発揮こそがそこに到達することを可能にしたのだ。そしてその真剣な格闘と到達点が人生という蓄積する時間の総体への敬意と愛着を生んだ。

 さまよっていた老女は家族の元にかえった。そして家族に、思い出に見守られながら眠るように生を終える。すると再び初めと同じ暗い舞台に下手奥の扉が開き、目つぶしのような光が差し込みそこから夫が現れる。寝ている老女の傍にゆっくりと歩みより、彼が静かにたたずむのがラストシーンである。
 メッセージを持つ舞台は必ずしも成功するとはいえないが、今回は愛すべき作品になった。私はこれからも杉原邦生を見続けようと思う。

【筆者略歴】
カトリヒデトシ(香取英敏)
 1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校に勤務し、現在は家業を継ぎ独立。2011年より「カトリ企画」を主宰し、プロデュース公演を行う。5月の「紙風船文様5」で14回目の公演になる。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/

【上演記録】
京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催 演じるシニア企画2013
春秋座サバイバーズ『レジェンド・オブ・LIVE』
京都芸術劇場 春秋座[京都造形芸術大学内](2014年3月22日−23日)

構成・演出・美術=杉原邦生
出演=石田和子、上田 遙、上田弘子、大西芳江、小川彪雄、加藤和子、熊本マリ子、桒弘子、後藤春美、
後藤美津子、千田輝雄、高見潤子、田畔多實子、田中賢一、谷野修子、中田貞代、長田美穂、中西もねこ、
中野朝子、西口節子、登典子、濱地廣光、松本美智子、美濃部尚子、三輪めぐみ、元岡恒子、森 悦子、森川 稔、
山田吉勝、山田麻理、山村みどり
坂下美波、嶋本禎子、田渕詩乃、室田敬介、山田健人、河井 朗、稲川悟史

スタッフ
舞台監督=大鹿展明
照明=魚森理恵
音響=齋藤学
演出助手=大石達起、楠 海緒
宣伝美術=西村
宣伝写真=堀川高志
広報=今井尚美
制作=井出亮、土屋和歌子

後援=KBS京都、京都新聞社、京都市教育委員会
企画・製作・主催=京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
平成25年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
京都芸術センター制作支援事業


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