◎アジアという「もの」
高橋宏幸
アジア・ミーツ・アジア(Asia Meets Asia)という、アジアとアジアが出会うとは何か、という問いを、舞台を通して行っている団体がある。1997年に始まって以来、それは継続的に、アジアのさまざまな地域の、そのなかでもとくにインディペンデントで、体制に迎合せず、ポリティカルなイシューを作品に取り混んでいる、といくつも言葉を足すことができる集団の作品を招聘して、フェスティバルを開催していた。
もしくは、それらの劇団のパフォーマーたちを集めて、コラボレーション作品を作っている。そして、いくつかのアジアの地域を、その作品でツアーする。ただ、ここ最近は、かつてに比べれば規模自体は小さくなり、日本の演劇ギョーカイのなかで見てしまえば、マイナーな流れとなっている。
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その舞台空間は、見ている観客にいびつな感覚を与える。ただでさえ低く作られている天井は、舞台の奥にいくほどさらに低くなり、柱や窓も斜めになるなど、遠近法の焦点は微妙にずらされている。客席に座り舞台を見ているものにとっては、閉塞感をともなう。だが、客席の天井まで低くしているわけではないので、見つめる視線のみがその空間には囲われる。 白い壁の両面にいくつも開けられた、小さな明り取りの窓から差し込む光も同じように、まるである狭い空間を外側から覗き込むような働きをしている。それは客席から見つめる視線と同じように、舞台空間を取り巻く視線となっている。見るもののまなざしは捕われたような圧迫感を受けるのに、見るものの身体だけは取り残される奇妙な感覚が残る。
芸術の表現における「実験」や「アヴァンギャルド」など、作品や傾向に付けられる言葉は、何をもっていえるのか。また、それぞれの時代の様式や形式に対して付けられた名称の基底にあるものとは何か。
作品がそれのみによって完結されないこととして、たとえばプロセスの重視は、美術ならばプロセスアートやコンセプチュアルアートの一端を占める作品などで知られている。その方法を演劇にあてはめるならば、たとえばリーディングやワーク・イン・プログレスなどを経て、それが公演されるまでの軌跡を公開した作品を指すことになるのだろうか。