匿名的断片「匿名的断片」

◎相手の手法へすばやくスイッチ 交換可能性を高めて匿名化  伊藤亜紗(レビューハウス編集長)  手塚夏子にとって、からだについて追求することと、イベントを開くことは、連続した欲求に駆動されている。彼女は「からだの前提を壊 … “匿名的断片「匿名的断片」” の続きを読む

◎相手の手法へすばやくスイッチ 交換可能性を高めて匿名化
 伊藤亜紗(レビューハウス編集長)

 手塚夏子にとって、からだについて追求することと、イベントを開くことは、連続した欲求に駆動されている。彼女は「からだの前提を壊したい」とくりかえす。踊る側も見る側もからだをもっている。からだには履歴があり、普段どんな仕事をしているか、どんな椅子にすわっているか、何に緊張してきたか…に応じて、個々のからだは、それ固有の許容範囲や判断基準、正しさを、文字通り「身に」付けている。前提を壊すことは、身に付いているものを服のように脱ぐ作業である。からだそのものは脱げないが、脱げる部分もあり、つまりそのからだのうちの脱げる部分を「前提」と、手塚はそんなふうに呼んでいるのかもしれない。脱ぐため相対化するために、他者流のからだの動かし方の論理を厳密に知るという積極的な観察を一方でおこない、他方、「作品」をつくろうとしないこと、まとめるより可能性を拡散させること、実験精神といえば聞こえはいいが、無一文のような勇気を彼女は持っている。(特に「作品」をつくろうとしない彼女の勇気は崇高である。それは公演が失敗するリスクのことではなくて、観客にショックや不安、ひどいときには吐き気を与えてしまうかもしれない危険な領域までをも、基本的にはエンターテインメントである公演というものに許容させてよいと信じる孤高さである。)

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マレビトの会「血の婚礼」

◎松田正隆の「演出家宣言」
中西理(演劇・舞踊批評)

マレビトの会は劇作家、松田正隆の率いる劇団である。今回は初の試みとして松田戯曲以外の上演に挑戦した。シリーズ「戯曲との出会い」vol.1と題しガルシア・ロルカの「血の婚礼」を松田が演出、上演したのである。

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壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」

◎小林秀雄先生、来る!?
村井華代(西洋演劇理論研究)

「小林秀雄先生来る」公演チラシ「『玉勝間』という本の中にあるんですがね。「考える」の「か」は発語です。何も意味がない添えた言葉です。とすれば「考える」は「むかえる」だ、と言うんです。「むかえる」の「む」は「身」です。身はこの身体です、自分の体です。そして「かえる」の古語は「かう」です。「かう」って言葉は交わるって意味でしょ。だから「考える」とは、自分の身が何かと交わるってことなんです。」
これは、壱組印プリゼンツ「小林秀雄先生来る」の劇中おこなわれた小林秀雄の講演のなかにある言葉で、聞いたとき、いい言葉だと心に残ったのであるが、終演後、新宿東口の辺りのアルタやらルミネやらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然このセリフが、舞台芸術そのものの核心である様なふうに心に浮かび、言葉の節々が、まるで待ちかねた出会いであったかの様に心に滲みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、マックでメガたまごを喰っている間も、あやしい思いがしつづけた。

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百景社「A+」

◎他者に開かれた表現へ 未完であることの幸福
矢野靖人 (shelf主宰)

SENTIVAL!プログラム久しぶりに人に教えたくないほどのパフォーマンス / パフォーマーに出会った。
5月17日(土)、豊島区は北池袋にあるアトリエ atelier SENTIO で開催中の演劇フェスティバル、 SENTIVAL! のオープニングを飾る百景社の「授業」と「A+」という二本立て公演を観劇した。百景社の「授業」も良かったのだが、この、鈴木史朗(A.C.O.A.)演出・出演の「A+」が、実に圧巻だった。 圧倒的な快楽がその場にあった。

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ゴキブリコンビナート「いつかギトギトする日」

@新小岩劇場 作・演出 Dr.エクアドル 5月30日~6月2日 言わずと知れたキツイ・キタナイ・キケンの3Kミュージカル、だが意外にも舞台装置はなんか、ポップ。 会場に入ると数年前に一度見た「君のオリモノはレモンの匂い」 … “ゴキブリコンビナート「いつかギトギトする日」” の続きを読む

@新小岩劇場
作・演出 Dr.エクアドル
5月30日~6月2日

言わずと知れたキツイ・キタナイ・キケンの3Kミュージカル、だが意外にも舞台装置はなんか、ポップ。
会場に入ると数年前に一度見た「君のオリモノはレモンの匂い」を髣髴とさせる、天上にびっしり張られた丸太。上手側の入り口から舞台算法をぐるりと鉄骨の足場が囲み、中央はベニヤむきだしの「桟敷」。床は一面水。桟敷の正面に二段組で丸太の足場があり、奥の足場にも観客がじか座りできる。
なんかビッグサンダーマウンテンを思い出すんだよねー。場内整理もむずかしいので観客は劇場外に一旦並んでからぞろぞろ入るのだが、ディズニーランドのアトラクションにとてもよく似ている。一枚百円でレインコート販売してるところもねずみ王国の商魂。買わずに入ってみました。

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ジェットラグプロデュース「誰ソ彼」(たそがれ)

5月29~6月1日 @新宿シアターモリエール 作・深虎芥(空間ゼリー) 演出・又吉直樹(ピース) レゴブロックのような色彩のポップな舞台装置がそのまま「何かになりたい私」を示しているように見える。役者の衣装も派手だが、色 … “ジェットラグプロデュース「誰ソ彼」(たそがれ)” の続きを読む

5月29~6月1日
@新宿シアターモリエール
作・深虎芥(空間ゼリー) 演出・又吉直樹(ピース)

レゴブロックのような色彩のポップな舞台装置がそのまま「何かになりたい私」を示しているように見える。役者の衣装も派手だが、色同士がぶつかり合わない点はスタッフ陣の力だろう。この辺はプロデュース団体の強みかもしれない。
なぜだか夢を追う人達ばかりが集まるアパート「夕凪荘」には、小説家、映画監督、バンドマン、ダンサーをそれぞれ志す人達がいる。新しい入居者が入ってきた歓迎会で「鴎外は」とのたまう小説家志望やカメラを回し続ける映画監督志望はベタなキャラクターだが印象には残る。ちなみに俳優志望の登場人物はいない。
新劇風の明快なキャラクター設定と、台詞が二ヶ所で同時進行する平田オリザ方式が融合している点も特筆すべきだと思う。
面白い企画でした。ではお話のほうはどうだったでしょうか。

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阿佐ヶ谷スパイダース「失われた時間を求めて」(クロスレビュー)

「失われた時間を求めて」公演チラシ5月のクロスレビューは、阿佐ヶ谷スパイダースの新作公演「失われた時間を求めて」を取り上げます。雑誌のインタビューで主宰の長塚圭史自らが「これまでのスパイダースファンが見たら戸惑うだろう」と語っている「不条理劇」(「シアターガイド」6月号)。「今秋から1年間日本を離れる」と話しているので、劇団の新作公演はしばらく見られないようです。作・演出は長塚圭史。出演するのは長塚のほか中山祐一朗、伊達 暁に、奥菜恵が加わります。ベニサン・ピットで5月8日から27日までのロングランでした。チケットは即日完売といいますから人気ぶりが分かります。しばしその「不条理」な舞台の多様な映り方をお確かめください。(掲載は到着順)

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大橋可也&ダンサーズ「明晰の鎖」

◎消費社会と明晰さへの抵抗 慎重かつ根底的なアプローチで
竹重伸一(舞踊批評)

「明晰の鎖」公演チラシ1980年代以降日本の社会は資本主義の消費文化に全面的に支配されるようになったわけだが、実は消費社会が一番抑圧、管理しているのが身体である。
一つ例を挙げよう。ここ最近マスコミでは若者の凶暴化を騒ぎ立てる声が喧しいが、統計的なデータによると事実は正反対で、若者の凶悪犯罪は例えば1960年代以前と比べて明らかに減っているし、他の先進国の若者と比べても著しく少ないらしい。「日本の若者は、おそらく世界一、人を殺さない若者だ」と進化生物学の立場から殺人の研究をしている長谷川真理子・早大教授はいっている。(註)

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東京デスロック「WALTZ MACBETH」

◎椅子取りゲームで「マクベス」 でもWALTZは止まらない  小畑明日香(慶応大生) 微熱があって、関節痛がする折に見に行った。 熱を吹き飛ばしてくれる芝居かもしんない、東京デスロックだし、と思っていた。今回がこの劇団初 … “東京デスロック「WALTZ MACBETH」” の続きを読む

◎椅子取りゲームで「マクベス」 でもWALTZは止まらない
 小畑明日香(慶応大生)

微熱があって、関節痛がする折に見に行った。
熱を吹き飛ばしてくれる芝居かもしんない、東京デスロックだし、と思っていた。今回がこの劇団初見だった。

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コンドルズ「大いなる幻影」

◎「大いなる幻影」としての「日本のコンテンポラリー・ダンス」
木村覚(ダンス批評)

「大いなる幻影」公演チラシ最近の「エンタの神様」(日本テレビ系列のお笑い番組)はすごい。何がか、というとつまらなさにおいてすごいのである。「爆笑の60分!笑いが止まらない」と冒頭にキャプションがあらわれるのとは対照的に、圧倒的に笑えない60分。以前からそうだったともいえるが、このところ笑えない程度が極まっているように見える。お笑いブーム末期という現状を象徴的に映像化しようと目指しているのか?と勘ぐりたくなるほどに、次々と登場する芸人は、どこかでかつて見たような(そしてもはや誰もがすでに消費してしまった)ネタと形式をなぞってゆくばかりで、ネタの個性はキャラ設定以外ほぼない。笑いのマニエリスム(マンネリズム)。笑えない笑いを笑う。いや、視聴者はもう通常の意味では笑っていないだろう。それでも番組は堂々と続行している。それは大いなる謎だ。その謎において「エンタの神様」は、いま見るに値する番組である(少なくともぼくのなかで)。

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