◎博覧強記のリテレート
片山雄一(NEVER LOSE 作/演出)
私にとって演劇はチラシを手に取った瞬間から始まる。
東京での折り込みの多さにはうんざりするが、そういう時は開演までの時間を利用して、気になるものだけを持ち帰るようにしている。その中にいつからか『アチャコ』のチラシが鞄の中に紛れていた。どうやら、北村想(私ごときが呼び捨ても恐れ多いのだが申し訳なく、敬称略)書き下ろしの『アチャコ』公演のために集まった面々が「ユニット・トラージ」だということだ。
小劇場レビューマガジン
◎博覧強記のリテレート
片山雄一(NEVER LOSE 作/演出)
私にとって演劇はチラシを手に取った瞬間から始まる。
東京での折り込みの多さにはうんざりするが、そういう時は開演までの時間を利用して、気になるものだけを持ち帰るようにしている。その中にいつからか『アチャコ』のチラシが鞄の中に紛れていた。どうやら、北村想(私ごときが呼び捨ても恐れ多いのだが申し訳なく、敬称略)書き下ろしの『アチャコ』公演のために集まった面々が「ユニット・トラージ」だということだ。
◎愛おしい存在を食べざるをえなくなるつらさ
風間信孝
劇が始まって、イルカの着ぐるみを着た俳優が登場したときは、「この舞台は、安手の三流芝居か、バラエティ番組のワンコーナーかよ!?」と思ったが、杞憂に終わった。最後には、主人公とその夫が追い詰められて、これは未遂に終わるのだが、共食いにいたりそうになったり、遂には愛おしい存在を食べざるをえなくなるという重いテーマを、観客に問いかける作品だった。
◎「わくわくした。以上」から踏み出して「一抹の淋しさ」を考える
川口典成(劇団地上3mm主宰)
パラドックス定数は、私が上演を楽しみにしている、小劇場界では数少ない劇団のひとつである。数年前に渋谷のスペースエッジという場所で上演された、薬害に関する公開講座を扱った話を観劇して以降、ほぼすべての公演に足を運んでいる。このパラドックス定数という劇団の演劇が、他の劇団の追随を許さぬほどに舞台芸術として洗練されており、硬質な台詞によって役者の魅力を最大限に引き出しているということは特筆すべきことであろう。毎度毎度、期待しながら劇場に向かう。劇団員の役者を、また見たくなってしまう。そういうひとつの中毒である。この劇団の「レビュー」を執筆するに当たって、はじめ、私は以下のようにこの文章を書き始めたのだった。
◎知的刺激は受けたけど、泣かせてほしかったロミオさま
(鼎談)水牛健太郎+杵渕里果+芦沢みどり
▽ジュリエット芝居-どんな上演だったか
芦沢みどり:ワンダーランド鼎談第2弾は、下北沢のザ・スズナリで上演された三条会の『ロミオとジュリエット』。三条会は知的なたくらみと遊び心に満ちた演出と、俳優それぞれに個性があって魅力的であることが定評になっています。さて、今回はどういう『ロミオとジュリエット』だったか。公演チラシには「むかしむかしロミオとジュリエットという人がいました。2人とも恋をしました。2人とも死にました。もしかしたら1人だったのかもしれません」というナゾめいた言葉が置かれています。公演パンフレットの方では、「今回の台本は、ジュリエットが登場している場面だけを抜粋して構成しました」と言っている。原作のうち、ヴェローナの広場や街路での立ち回り(喧嘩)、乳母の長セリフ、マキューシオの長セリフ、修道士ロレンスの長セリフなどがばっさりとカットされています。登場人物は八人。ロミオとジュリエット、あとはキャピュレット、キャピュレット夫人、乳母、パリス、ロレンス修道士、ティボルトですね。キャストは全員ジュリエットを演じるシーンもあります。
◎『オールド・バンチ』-記憶のバレエ
杵渕里果(保険業)
パラダイス一座の『オールド・バンチ』が終わった。
でもカーテンコール、演出の流山児祥は「さよならは言いません」と言っていたから、「最終公演」と銘打っても、また二年くらいしたら「再結成」で「復活」しそうな雰囲気はあった。
◎先鋭なセンスと計算された構成力 練度の高い舞台作品を生む
香取英敏
今回の「四色の色鉛筆があれば」は四つの短編集である。上演順に「あゆみ」「ハイパーリンくん」「反復かつ連続」「純粋記憶再生装置」の4作であった。
20分程度の短編オムニバスである。それぞれのエピソードは物語の上での関連はない。テーマも設定も人物もそれぞれ独立したものである。
◎ことばとからだが生成する「幸福な空間」
木俣冬(フリーライター)
新しそうな白く清潔なホールの中に入ると、アクトスペース上の中心にはマトリョーシカが2体飾ってある。その後ろには、上下に2体のマシーンが向き合って置かれている。ピッチングマシーンのようなもので、それぞれが投げたボールは、見事に相手のマシーンの受け口に入り、受けたボールが循環してまた投げられるという仕掛けになっている。もらったリーフレットによると「きまぐれキャッチボール」という名前の装置らしい。ジーッジーッとゆっくり定期的にボールが投げられるが、時々、軌道が外れてしまうこともある。すると、袖に待機している出演者らしき人物が、ボールを拾って、マシーンの中に戻す。ボールを投げるタイミングも時々ずれる。その、ズレが、見ていて飽きさせない。
「身体が作る存在の演劇」への挑戦 音楽による圧倒的な身体のリアリティ
小林重幸(放送エンジニア)
三場構成であるこの芝居の様相が大きく変容してくるのは二場の後半。およそテキストで物語を紡ぐ演劇とは言い難く、さりとてダンスと言い切るにも無理のある特異な状況が舞台上に溢れてくる。三場に入るとそれはさらに先鋭性を帯び、感覚だけで舞台上の世界が支えられているかのようであった。それは何であったのか、順を追って考えてみたい。
◎変化する字体やレイアウト 三島戯曲と新潮文庫と三条会
杵渕里果(生保業務)
三島由紀夫の『近代能楽集』をみに、二〇〇八年は千葉に四度通った。全八作品を二ヶ月おきに二本づつの上演で、演目の順序は執筆年順。新潮文庫『近代能楽集』の順番と同じ、といえばわかりよいだろう。
千葉駅からパルコへ、さらに左へ曲がってしばらく歩くと、教会の二階に三条会のアトリエがある。駅から一七分ばかりかかる。
◎からだの奥深く入り込む、男たちのドタバタナンセンス芝居
鴨下易子(アトリエ・ドミノ主宰)
今日はなぜか元気だ。昨日の芝居のせいだろうか? でもあれ面白かったけどしょうもない話で、最後にはみんな死んでしまう救いのない芝居だったのに…。タイトルは『ドブネズミたちの眠り』、会場はスペース早稲田。