◎愛おしい存在を食べざるをえなくなるつらさ
風間信孝
劇が始まって、イルカの着ぐるみを着た俳優が登場したときは、「この舞台は、安手の三流芝居か、バラエティ番組のワンコーナーかよ!?」と思ったが、杞憂に終わった。最後には、主人公とその夫が追い詰められて、これは未遂に終わるのだが、共食いにいたりそうになったり、遂には愛おしい存在を食べざるをえなくなるという重いテーマを、観客に問いかける作品だった。
ハネムーンで訪れたアラスカで、ホッキョクヒメイルカの肉を食べてしまった猫宮亜乃と猫宮亮平。亮平はイルカの肉の虜になってしまった。そのため亮平は、イルカの肉を月に1回密輸入し、しまいには自宅にイルカのための水槽さえつくってしまった。飼われたイルカもイルカで、その水槽の中で進化し、二足歩行で言葉を話すようになり、食べられまいとして、水槽から逃げ出した。
そしてそのイルカ、その可愛さのあまり、猫宮家の本当のペットになり、名前もプーチン・ピチルブールクとなる。一方亮平も亮平でプーチンがペットになってから、ベジタリアンに変わる。すると、亮平は少しずつイルカになり、プーチンは少しずつ人間になっていった。
イルカを食べてイルカになったのだから、人間に戻るためには人間を食べるしかないのだろうか? 冗談とはいえ、イルカになった亮平はその後、妻の亜乃を食べると言い出す。さらに亮平は、会社の同僚である井ノ口を食べるほうがまだ許されると考えを変える。
ところがその、亮平に自分のことを食べろと言った井ノ口が今度は攻守逆転、亮平を襲ってくる。亮平と亜乃はお互いをかばいあいながら、二人は、井ノ口に自分のことを食べるように言う。井ノ口もまた狂ったかのように亮平を食べることにこだわる。
そんななかでプーチンは、亜乃のことが好きになったことを打ち明ける。しかし亜乃は、プーチンの気持ちを知ってしまったにもかかわらず、イルカを食べ続けないとイルカになってしまうという罰を受けている夫・亮平のために、自分もプーチンを食べると決意する。自分のことを愛おしいと思ってくれる愛おしい存在を食べてでも、夫を生かしたい亜乃。緊張感が舞台を支配した。
武田泰淳の『ひかりごけ』では、人間の肉を喰った人間には首の後ろに光の輪が出る。プーチンを食べる猫宮夫妻も最後に、『ひかりごけ』の光の輪のような光に包み込まれたから、きっとこの『青鬼』は、猫宮夫妻にとってプーチンはイルカという別の種ではなく、種を超えた家族の一員、人間だった-という劇だったのだろう。
イスを使った演出が巧みだった。イスはイスでも、あるときはレストランのイス。別の場面ではタクシーの座席。あるときはバスやクローゼットの引き戸、黒毛和牛専門店の引き戸、マンションのオートロックにもなった。何の変哲もない手法と言えば言えるのかもしれないが、イスを運ぶパフォーマーの流れるような動きのせいか、演出がお洒落に見えた。
評者は、演劇でダンスのシーンがあるといつも、どうしてか分からないが観ている自分が恥ずかしくなってしまうタチなのだが、黒毛和牛専門店員のタンゴは全然鼻につかず、観ていて心地よかった。
テンポの良いセリフのやりとりで、俳優たちは皆いい演技をしていた。飄々さで観客から笑いを誘ったプーチン役の前田雅洋と、密輸業者・タクシーの運転手・医者1役の岡田梨那の演技が、特に印象に残った。
鴻上尚史は、俳優の仕事とは、「作者の言葉を、観客や視聴者に伝えること」としているが、俳優たちは、作・演出の鈴木厚人が表現した、愛おしい存在を食べざるをえなくなるつらさを、観客に伝えた、と評者は確信している。
(初出:マガジン・ワンダーランド第136号、2009年4月22日発行。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
風間信孝(かざま・のぶたか)
1977年8月生まれ。岩手県盛岡市出身。東京大学文学部行動文化学科社会学専修課程卒業。2008年春季、劇評を書くセミナー「舞台を読む、舞台を書く」の受講をきっかけに、劇評を書きはじめる。
【上演記録】
劇団 印象-indian elephant-第11回公演「青鬼(あおおに)」-横浜SAAC 「再演支援プロジェクト」 リバイバルチャレンジ#2
横浜・相鉄本多劇場(2009年3月19日-22日)
【作・演出】鈴木厚人
【出演】 山田英美
岸宗太郎
澁谷友基
前田雅洋(B・I・A)
岡田梨那
片方良子
きたのあやこ
江花渉(真空劇団)
最所裕樹
【料金】前売2800円・当日3300円(全席自由席)初日特別料金(前売当日共)2,500円
学割…受付にて学生証提示で-300円