◎キジムナーと呼んでいた祭りを、別の名前にしてみても、強い志はそのまま
鈴木アツト
「アジアで国籍を超えた劇団を作って、アジア中の子供たちに素晴らしい児童演劇を見せて回りたい。それが私の夢です。」
2014国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ(昨年までの名称はキジムナーフェスタ)の総合プロデューサーの下山久さんの言葉には、不覚にも心を揺さぶられた。今年で10周年を迎えたこのフェスに、私は観客として7月30日から8月3日までの5日間、参加した。これは、その5日間のレポートである。
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座・高円寺のこけら落とし公演「化粧」と、シアタートラムのシスカンパニー公演「楽屋」が、ほぼ同じ時期に上演されていたのは、僕にとっては嬉しい偶然だった。どちらも“楽屋”が舞台で、“女優”をモチーフにした芝居であり、チラシも“化粧”をしている女優の写真。しかも、名作と呼ばれている戯曲の何度目かの再演(「化粧」の初演は1982年、「楽屋」の初演は1977年)と、共通点の枚挙に暇がない。もちろん、「化粧」は一人芝居であり、「楽屋」は女優四人の芝居だから、そこのところは大きく違う。ストーリーだって全然違う。観劇後の僕の満足度(つまり、僕が感じた芝居の出来)だって、180度違った。しかし、その違いをつぶさに見比べると、太いつながりを感じずにはいられなかった。
新宿のタイニイアリスで上演された快楽のまばたきの公演「星の王子さま」はとても刺激的な舞台であった。「星の王子さま」は、寺山修司の戯曲で、かの有名なサン=テグジュペリの「星の王子さま」を下敷きに書かれたものだった。男装の麗人に連れられて、点子という女の子が、うわばみ(=大蛇)の老女が経営するホテルにやってくる。そのホテルには夜空からたくさんの星が集められていて、星のいくつかは人間の女(しかもレズビアンやおなべ)になって突然踊り出す、といういささか荒唐無稽な設定である。
見切れという演劇用語がある。僕の愛読書「きれいなお姉さんのための演劇用語辞典」によると、「俳優の演技や舞台装置が客席から見えない状態になっていること」、と書いてある。不思議である。観客が舞台を見ていても、見えない状態。つまり、演出家に隠されている状態。それが見切れ。まあ、暗転だけで場面転換のないリアル系演劇の、具象的な舞台美術なら、セットがしっかり建て込まれている分、隠せる場所もたくさんあるから、とりたてて見切れに注目することもないのだが、抽象的でシンプルな舞台美術だと、話は変わってくる。例えば、野田秀樹の「THE BEE 日本バージョン」。巨大な紙が一枚、天井から吊るされている、ただそれだけの舞台美術。そこには、どんな見切れがあったのか。演出家によって何が隠されていたのか。観客は何を見せられ、何を見せられなかったのか。一枚の紙が生み出した舞台の陰と陽をレポートしたい。