野田地図「THE BEE」(日本バージョン)

◎見切れが生み出した舞台の陰と陽 何を見せられ何を見せられなかったか
鈴木厚人(劇団印象-indian elephant-主宰/脚本家/演出家)

「The Bee」公演チラシ見切れという演劇用語がある。僕の愛読書「きれいなお姉さんのための演劇用語辞典」によると、「俳優の演技や舞台装置が客席から見えない状態になっていること」、と書いてある。不思議である。観客が舞台を見ていても、見えない状態。つまり、演出家に隠されている状態。それが見切れ。まあ、暗転だけで場面転換のないリアル系演劇の、具象的な舞台美術なら、セットがしっかり建て込まれている分、隠せる場所もたくさんあるから、とりたてて見切れに注目することもないのだが、抽象的でシンプルな舞台美術だと、話は変わってくる。例えば、野田秀樹の「THE BEE 日本バージョン」。巨大な紙が一枚、天井から吊るされている、ただそれだけの舞台美術。そこには、どんな見切れがあったのか。演出家によって何が隠されていたのか。観客は何を見せられ、何を見せられなかったのか。一枚の紙が生み出した舞台の陰と陽をレポートしたい。


まず、ストーリーを簡単に説明しよう。僕の愛読書「いたいけなお嬢さんのための演劇百科事典」から、「THE BEE」を引くと、「サラリーマン井戸が息子の誕生日にプレゼントを買って帰宅する直前、巻き込まれた事件を描いた戯曲、もしくは、演劇の公演」とある。サラリーマン・井戸が会社から帰ると、警官隊が家を取り囲んでいる。何ごとかと尋ねると、「脱獄囚が、あなたの家に逃げこんで立て籠もった」と言う。間髪を入れず、マイクがつきつけられ、ご感想をひとこと、と取材の嵐。高圧的なわりに何もしてくれない警察と、視聴率のためのテレビ的演出に躍起になるマスコミ。井戸の気持ちなどお構いなしに、事件を消費する部外者たちに絶望し、被害者・井戸は、加害者の脱獄囚・小古呂と立場を同じくするべく、小古呂の家に押しかけ、その妻と息子を人質に取る。被害者から加害者への鮮やかな反転。ここから、井戸は、加害者的暴走を加速させていく。

「THE BEE」は、4人の役者によって、少なくとも僕が数えた限り、11役以上の役を演じ分ける構成になっていた。野田秀樹演じる井戸が、始まりのモノローグを語り出すと、一枚の巨大な紙(大きさを説明すると、横幅6メートル、縦は天井から床につくまでが7メートルで、舞台に敷かれている部分が5メートル。全て目測。紙の質感は違うけれど、巨大なトイレットペーパーを長めに垂らして、床に敷いて、その敷かれた部分でお芝居をしてると思ってくれればいい)の裏側から、サイレンとともに3人の警官がいきなり現れ、紙を客席側の先端、1メートルぐらいのところで折って、立たせる。何が起こったかわからないうちに、簡単な紙の塀ができている。紙の塀だが、事件現場でお目にする立ち入り禁止区域を示す黄色いテープに見立てられている。役者がしゃがむと、紙の塀に阻まれ、観客からは見えなくなる。客席が階段状になっている劇場なのに、最前列からも最後列からも(僕は最前列の席だったが全く見えなかったし、終演後、最後列の立見のお客さんに聞いてみたけど見えなかったと言っていた)見えない。徹底された見切れである。しかも、しゃがむ度に、役が変わってる。警察帽をかぶった役者が、眼鏡をかけたテレビのカメラクルーに、リポーターに、次々と変わっていく。

そうこうしてるうちに、いつのまにやら、紙の塀が高くなっている。3メートルくらい?場面は、捜査に協力しない小古呂の妻に怒って、近藤良平扮する刑事がドアを蹴破って、小古呂の家に入っていくところ。蹴破られるのは、もちろんドア、ではなく、ドアに見立てられた3メートルの紙の塀。ビリビリグシャグシャ。刑事のキックで、勢いよく、ヒト2人分ぐらいの穴が開き、中から小古呂の妻(秋山菜津子)が出てくる。すると、紙の塀はあっという間に、破かれ、たたまれ、片付けられ、さっきまであった見切れはあっという間に消失。見切れ、破っちゃうんだって驚いてる間もなく、今まで隠れていた、天井から垂れてる紙の表側が、小古呂の部屋の壁になり、裏側が次の見切れに早替り。しかも、表側のさっきまで何もなかったところに、プロジェクターからテレビと窓と玄関の映像が照射され、その玄関のところには切れ込みが入っている。ドアが開くようになっているのだ。またしても、いつのまに?そうか、見切れはスタッフも隠していいんだ。役者が塀の手前側で芝居をしている間に、裏ではスタッフがカッターで切り込みを入れていやがった。なんていう見切れの使い方。唸るぜ。そして、ここから表側は、野田扮する井戸の狂気にフォーカスしていき、裏側では、浅野和之が縦横無尽の大活躍をする。

浅野が演じた、警部、シェフ、リポーターは、これ以降、表側には出てこない。全て、見切れを通しての出演である。野田がテレビのスイッチを捻るマイムをすれば、壁の、テレビの映像が映ってる部分が切り抜かれ、浅野の顔がヌッと出てくる。窓を叩く音がすれば、窓の映像が映ってる部分が切り抜かれ、浅野の顔がヌッと出てくる。それが床から2メートルは離れた高所(おそらく、2メートルの高さから顔を出すには、脚立とスタッフの手を借りなきゃいけないわけだが、もちろんそれは見えない)でも、ヌッと出てくる。玄関から音がしたかと思えば、裏の照明で照らされた、浅野の影がヌッと出てくる。終盤、蝶々夫人の音楽に合わせて、現れては消える、浅野扮する警部の影は、とても幻想的だった。

「THE BEE」の紙の見切れは、着替えというまどろっこしい時間を隠し、役者だけでなくスタッフをも隠し、破かれることによって、この芝居にタブーはないということを見せつけ、美しい照明と役者の影による詩的風景をも魅せた。隠して見せる、オセロのように状況が反転する演出。それだけでも、演出家としての野田秀樹の才能に驚嘆するにはあまりある。しかし、この芝居の最大の見切れは紙じゃない。だって、僕には、「THE BEE」を見ていても見えないものがあったから。それは、「蜂」である。原作にはない、「蜂」の演出がなぜ、このお芝居に加わっているのか、それが見えなかった。これほど、一枚の紙を使って、見せるもの、見せないものを観客に丁寧に選り分けて提示している演出家が、原作にはない、「蜂」の演出を、なんの意図もなく用意しないだろう。野田秀樹は、「THE BEE」の中の「蜂」によって、僕らに何かを見せようとし、また何かを簡単には見せようとしなかった。この芝居の最大の見切れ=見えないものは「THE BEE」のタイトルどおり、「蜂」なのだ。

お芝居を丁寧に見ていると、加害者・井戸は、「蜂」を異常に怖がっている。「蜂」を湯呑みで捕まえたり、銃で撃ち殺すたびに、ヘンテコなダンスを踊る。狂喜乱舞する。単純な見方をすれば、「蜂」は井戸の恐怖心の象徴であり、サラリーマン・井戸の平和を脅かす脱獄囚・小古呂、の平和を脅かす加害者・井戸、の平和を脅かす「蜂」、という3重の入れ子構造を示す装置である。しかし、果たしてそれだけだろうか。「蜂」を捕まえ、殺す度に、狂気をエスカレートさせていく井戸を見ると、「蜂」は、サラリーマン・井戸の凡庸な良心の象徴にも見えなくもない。そう、「蜂」は、如何様にも見える。野田秀樹は、「蜂」を、如何様にも見せている。一つの定まった形には見せていない。

そもそも、舞台上には、音の「蜂」(ジィーと役者が口で蜂の羽音を表現する)や、光の「蜂」(プロジェクターで照射された巨大な蜂の映像)は見えるけれども、実体のある「蜂」はどこにも存在していない。僕らは、「蜂」を見ている気になっているけれども、「蜂」は実際には存在していない。もしかして、「蜂」は幻? 恐怖心や良心、羞恥心、あらゆるコントロールできない感情が、オーラの泉じゃないけど、僕らに見えないものを見せ、僕らは踊らされる。「蜂」の見切れに隠されていたのは、見えないものを見て、右往左往してしまう、人間の業なんじゃないか? そんなことを考えた。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第50号 2007年7月11日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
鈴木厚人(すずき・あつと)
1980年東京生まれ。脚本家/演出家。劇団印象-indian elephant-主宰。慶応大学SFC卒業。CM制作会社を経て、2004年4月から演劇活動に専念。blog『ゾウの猿芝居
・Wonderland掲載劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/suzuki-atsuto/

【上演記録】
NODA・MAP番外公演「THE BEE」《日本バージョン》
シアタートラム(2007年06月22日-07月29日)

[原作] 筒井康隆「毟りあい」(新潮社)より
[脚本] 野田秀樹/コリン・ティーバンColin Teevan
[演出] 野田秀樹

日本バージョン ※日本語上演
[出演] 野田秀樹/秋山菜津子/近藤良平/浅野和之
美術:堀尾 幸男 Yukio Horio
照明:小川 幾雄 Ikuo Ogawa
選曲・効果:高都 幸男 Yukio Takatsu
舞台監督:瀧原 寿子  Toshiko Takihara

[企画・製作] NODA・MAP
[提携] 世田谷パブリックシアター
[制作協力] SOHO THEATRE(ロンドンバージョン
全席指定 一般6,500円

【関連情報】
「THE BEE」《ロンドンバージョン》
シアタートラム(2007年7月12日-29日)
ロンドンバージョン ※英語上演、日本語字幕あり
[出演] キャサリン・ハンター Kathryn Hunter/トニー・ベル Tony Bell/グリン・プリチャード Glyn Prichard/野田秀樹
美術・衣装:ミリアム・ブータ Miriam Buether
照明:リック・フィッシャー Rick Fisher
音響:ポール・アルディッティ Paul Arditti

・野田地図ロンドン公演 「The Bee」
「”To bee or not to bee?” -戦略に満ちたロンドン進出第2作」(今井克佳・東洋学園大学准教授)(Wonderland, 2006/08/26)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください