野田地図ロンドン公演 「The Bee」

◎”To bee or not to bee?” -戦略に満ちたロンドン進出第2作
今井克佳(東洋学園大学助教授)

プレビュー初日の開場時間は30分近く遅れ、開演は10分遅れた。たまたまロビーで話すことの出来た関係者からは、公式初日(プレスナイト)まではゲネプロのつもりで、毎日演出が変わると聞いたが、すぐにそれを実感した。直前まで演出プランが練られていたのであろう。


Soho Theatre は地元の情報誌によるとOff WestEndという分類になるようだ。その名の通り歓楽街Sohoのはずれに位置する。急傾斜の階段席(ベンチシート)は120人分ほど。昨年のソウル『赤鬼』公演でさえ、200超の指定席があったのだから、かなり小規模と言える。しかも自由席。チケット代はプレビュー期間のため10ポンド(約2200円)。まさに小劇場の価格だ(プレスナイト以後は15-20ポンド)。

舞台は狭い長方形で、赤いアクリルのような素材が透けて、畳の縁を思わせる線が縦横に引かれており、六畳間をイメージしたものと思える。背景は鏡ばりでそこに平板なテレビやドアや納戸の窓などが書き割りのようにしつらえてある。

この鏡は照明の加減により透明にもなり、後ろのスペースが、表舞台の密閉された部屋の外部として、浮かび上がるのである。なおかつ、この奥舞台の背景も鏡になっているようで三面鏡の合わせ鏡よろしく(戯曲では、部屋には大きな三面鏡があることになっている)、奥舞台で演技する俳優の、無限につらなる鏡像を映し出すのだ。まるで、暴力による復讐の連鎖が永遠に続いていくほかないことを示すように。

原作は筒井康隆が1970年代に発表した短編「毟りあい」。脱獄した殺人犯に家族を人質にとられた男が、逆に殺人犯の家族を人質にとるというブラックな話だ。野田には珍しく、単独の原作のストーリーをほとんど変えていない。

70年代の東京の日本人たちを英語で、欧米人が演じる。この不自然さは日本で翻訳劇を観ることの裏返しに過ぎないのだ。主演のキャサリン・ハンターをのぞいて、他の出演者3人は役を瞬時に交代して演じる、『Red Demon』(『赤鬼』ロンドンバージョン、2002年、YoungVic劇場)と同じ方式だ。ゴムひもや、鉛筆やロール紙の筒など、日常品をさまざまな小道具に見立てて、場面を構築していく点も同じ。ワークショップから演出を立ち上げる野田のフィジカルシアターの特色がよく出ている。特に今回出色だったのは、人質の子どもの指を切り取る場面を、指と指の間に挟んだ鉛筆を折ることによって表現していたこと。鉛筆が実際に折れるボキッという音がどんなリアルな演出より生々しく残酷に響く。

女優にしてしばしば男性を演じることで知られるキャサリン・ハンターの怪演や、野田の女性役(彼も自作で何度も女性役を演じてきた)も印象に残るが、個人的には脱獄囚オゴロ、人質となったオゴロの息子、下っ端刑事アンチョクなどを演じたグリン・プリチャードのうまさに舌を巻いた。キャラクターの切り替えのうまさ、あるときは電話の向こう側とこちら側の人物を瞬時に入れ替えて話す。そしてそれぞれのキャラクターがまた個性的である。

ストーリーはやがて、人質の指を切り取り相手方に送りつけるという応酬になり、相手の妻を犯し食事を作らせる毎日となっていく。状況は不気味な疑似家族の様相を呈し、儀式的なルーチンとなる。

前作『Red Demon』は『赤鬼』の翻訳版。しかし今回はアイルランド出身の劇作家コリン・ティーバンとの共作戯曲。日本語起源の言葉遊びや駄洒落などはいっさいない。しかし会場で販売されていた戯曲でたしかめてみると、英語のセリフが韻を踏んでいる部分も多くあることに気づく。野田戯曲の詩的なタッチを、英語として生かそうとしているのだ。

今作で従来の作品と変わった要素が他にもある。ひとつは抒情の排除。『Red Demon』にあったような、お決まりともいえる終幕の抒情的な独白はない。そしてメッセージの明白さ。明らかにこの作品は9.11以後の世界情勢の風刺として読みとることが可能で、復讐の連鎖が自己破壊に至るというテーマを持っている。

男性を演じる西洋人女優が女性を演じる日本人男優を「犯す」という逆転の発想もまた明確に、男女の性差の問題を回避し、西洋が東洋を犯すという構図を浮き上がらせるようにできている(このシーンで流れる音楽はオペラ『蝶々夫人』のコーラスなのだ)。

ただ、キーになる「蜂」=The Bee の存在だけは多義性に満ちている。作中に三度現れる原作にはない「蜂」。イドは蜂を極度に恐れながら、これを退治することによって狂気の復讐者としての自分を確立していく。「蜂」は、刺すと同時に自らが死んでしまう存在でもあるし、働き蜂として社会に取り込まれた存在の象徴とも考えられる。暴力への恐怖心、良心のささやき、そして「存在」についての言葉遊び(Bee=Be)へと、思いをめぐらせることができる。公演後の客席では議論を続ける観客の姿もあった。ロンドンとはそういう場所なのだ。

こう考えると、この作品は注意深くロンドンの観客向けに作られていることがよくわかる。感傷的で「泣ける」芝居は受けないのだ。言葉遊びも翻訳しては通用しない。フィジカルで象徴と遊びに満ちた野田演劇のテイストは極力押し進めながら、言葉は最初から英語で発想するとともに、メッセージ性を明白にしつつも議論の余地を残す。

“To bee or not to bee?” は劇場にも張り出されていたこの作の情報誌への宣伝コピーで、もちろん『ハムレット』のセリフのパロディである。このコピーは野田の作ではないだろうが、『The Bee』の評価如何によって、これからもロンドンでやっていけるかどうか、という正念場に立たされている、という意識が象徴的に現れていたように思えてならない。

「戦略」は功を奏し現地メディアの劇評はおおむね良好だったようだ。今後、切り落としてしまった抒情性の問題を含めて、日本での新作(12月に野田地図『ロープ』の上演が決まっている)にどのように影響するのか、そしてロンドンでの活動についても興味がつきないのである。
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第4号、8月23日発行。購読は登録ページから)

【執筆者紹介】
今井克佳(いまい・かつよし)
1961年生まれ、埼玉県出身、東京都在住。東洋学園大学助教授。専攻は日本近代文学。演劇レビューブログ「Something So Right」主宰。

【上演記録】
Noda Map and Soho Theatre present
The Bee

written by Hideki Noda and Colin Teevan, based on an original story by Yasutaka Tsutsui
directed by Hideki Noda, designed by Miriam Buether, lighting by Rick Fisher, sound by Paul Arditti

cast: Kathryn Hunter, Hideki Noda, Tony Bell, Glyn Pritchard
From 21 June-15 July (press night 27 June, 7.30pm)

Soho Theatre, 21 Dean Street, London W1D 3NE

【関連情報】
・TIMES ONLINE (The best of Times and The Sunday Times, in real time)
June 29, 2006, First Night reviews,
The Bee, Sam Marlowe at Soho Theatre, W1

・FT.com (FINANCIAL TIMES)
The Bee, Soho Theatre, London By Sarah Hemming
Published: June 29 2006 18:25 | Last updated: June 29 2006 18:25

・Guardian Unlimited (Best daily newspaper on the world wide web)
The Bee
Soho, London
Lyn Gardner
Friday June 30, 2006
The Guardian

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください